It's my Life
My life is still going...

2002年02月21日(木) お疲れ様です

久々の音楽クラスでした。でもま、今日は楽しかった方かな?? 1年目の時にやったヤツを簡単にアレンジしてやったから、昔のことをすごく思い出したわ。

昔って言っても去年の4月なんだけど、私前のクラスが嫌で嫌で仕方がなくて、ちょうど新しいクラスに変わった初日だったのね。その時に当時のクラスメイト(今のクラスメイトでもあるんだけど)が誘ってくれて、一緒にやった曲が今日やった曲だった。あのころのちょっと緊張していた時のことを思い出したよ。

だとしても、クリス2の発注は細かすぎる。キーボードでアルペジオやれって言われたって、そんなすぐに出来るか!! と思ったさ(結局やらなかったけど←他のパートで精いっぱいだったため/爆死)。でもまだ完成っていうわけじゃないから、これからまたいろいろ変えていけばいいか。

でも、今日はマジで疲れたわ。早く帰って、夜は手書き原稿書くかぁ〜(今夜はホストファザーが出かけるので、リビング貸し切り出来るのだ♪)。



2002年02月19日(火) 思ったんだけど・・・

あの〜、まとめて書くの辛いんっすけど・・・(苦笑)。
だったら書くなって?? いや、別に本心から思ってないからいいんだけどね(笑)。

だとしても、音楽のことだけでこんだけ書くのってすごい。というか、私らしい(笑)。こんだけ書いて、自分なりに何でなのか考えたけど、結局理由がなかった。こんな短時間で答え出すのもかなり辛いけどね。

とにかく、今は自分の音楽作りに精を出しますか(って、その前に課題か/号泣)!!



2002年02月18日(月) 音楽をやる理由(3)

短大に入った頃には、私は完璧にヴィジュアル系にはまっていた。特にマリスは、私にとってかなりカリスマ的存在だった。あんなバンド、今まで見たことなかったしね。

そんな私が洋楽ロックをようやく聞き出したのが、4ヶ月のカナダ留学の時だった。BON JOVIは前からずっと好きだったけど、実際CDも何も買ったことなかったから、手探りで探してベストを買って(CROSS ROAD)、ジョン・ボン・ジョヴィの熱狂的なファンになった。その後にAEROSMITHのライブアルバム買って、スティーブン・テイラーの声に惚れて、U2のベスト買って、ボノとエッジにはまった。今考えると、ロック以外でマドンナの曲も好きになったのもこの頃からだったと思う(今考えるとね)。

短大2年で、私はイギリスへ行くことを決めたのだが・・・、今考えれば、この決断もかなり辛かった。両親的には就職して欲しかっただろうし、私も就職して、まじめに働こうと思った。けどこの時に経験した就職活動のこともあって、「自分が今何をやりたいのか」と毎日考えて、そして出たのがこの決断だった。

はっきり言えば、「道に迷った」、ということになる。

音楽の職にはつきたいと思った。けど、一体どんな職につきたいのかって言われたら、やりたいことがありすぎて分からないと答えたに違いない。レコード会社に入ってマーケティング関係の仕事したかったし、中学の頃から憧れていた音楽ライターにもなりたいって思ったし、PA関係のスタッフにつきたいと思ったし、イベンターにもなりたいって思ったし・・・。

だから実際にイギリスへ飛び、音楽を勉強しながら、今自分が何やりたくて、どんなことをしたいのかというのを探すことにした。それじゃ遅いかもしれないけど、でもこの時の私はこれが精いっぱいだった。

そして・・・、私はようやくやりたいことが見つかった。今まで分散していた「夢」が、ようやく1つにまとまった。こいつをやるのにはかなり大変だし、たぶんたくさんの人を巻き込むことになるかもしれない。けど、どうしてもこいつだけはやりたい。やらなかったら、私がイギリスにいた2年半は完璧に無駄になってしまう。間違いなく、お金の無駄だ。

ああ、そうか。今分かった。
「音楽をやる理由」なんて、結局どこにもないんだって。
物心ついたころから音楽を聞いていて、たくさんの楽器演奏して、たくさんの知識ためて、そしてたくさんの音を聞いて来た。ただ自分にとって「音楽」というものが身近だったから、それで音楽をやっているんだ。ただ、それだけのことなんだ。

「音楽をやる理由」がないのと同じで、私が「小説を書く理由」も多分ないと思う。小説は、私のもう1つの「日記」みたいなもの。私が思ったことや想像したことを記録する「日記」。ただそれだけに過ぎない。昔は「夢を与えたい」とか「希望を与えたい」とか考えていたけど、「夢」っていうのは自分で掴まなきゃいけないことだから。他人に助けられて貰った「夢」より、自分で探して掴んだ「夢」の方が、きっと何よりも大きいはず。現に今、私もそう感じているし。

私は今、その「日記」を「音楽」とともに表現しようとしている。その第1弾が「The La Palca Ru Pe」。いつの日になるか分からないけど、絶対に成功させたい。絶対に、絶対にやり遂げたいって思う。やってみせる・・・!

待っていろよ、大魔人(奈々風/笑)!! 誰が何と言おうと、絶対に叶えてやるからな!!!



2002年02月17日(日) 音楽をやる理由(2)

中学に入る前に、私はB'zという存在に出会った。そして、それから生きる勇気をもらった。
当時の私としては、もう生きる力を失っていたから、かなり彼らには助けられた。あの時姉が撮った正月の音楽番組のビデオなかったら、私の人生はきっとつまらなかったに違いないって今でも思うからなぁ〜・・・。

で、そんなこともありつつ、中学に入学。この時は、やはり当然のように吹奏楽部に入った。
けどこの時、私の中にいくつか葛藤があって・・・。すごく運動部の方にも惹かれたんだけど、吹奏楽に入ることは小学校のころから決めていたし、姉が使っていたフルートを次に使うのは自分だって分かっていたし・・・。で、親に「中学3年間吹奏楽やったら、高校は自由なところに行ってもいいから」と言われ、吹奏楽に決めた・・・と、親を言い訳に使っちゃいけないか。でも、当時の私はマジでそう思っていた。

でも今考えると・・・、吹奏楽にいた3年間はかなり充実していた。家が家だったからなのか、知らない間にほぼ全パートの音がだいたい分かるようにもなっていたし、自分がピッコロ担当の時でも、フルートパートはほぼ完璧に覚えていたりした。もちろん自分が前トランペットやっていたこともあってか、トランペットのファーストもだいたい分かったな、あの頃は。
それに、先生にはかなりお礼言いたい(と今なら言える/爆死)。当時は、もうあの顔見るのだけでも嫌だったし、反発したい気持ち山ほどあったんだけど、今考えてみると、私の感性を高まったのはあの頃からだったから、かなりお礼は言いたい。でも、やっぱり会いたくないかも(自爆)。

中3の時、私は受験を機にピアノを止めた。私のピアノの先生はかなり厳しくて、その上練習嫌いだったからかなり怠けていて、お母さんに何回も怒鳴られた。1時期監視付きだったし(号泣)。そんなピアノ・レッスンから開放されて、私としてはメチャクチャ嬉しかった、当時はね。

高校に入るぐらいになると、だんだん自分は音楽をやりたいって思うようになって来たから、自然と吹奏楽に入った。けどそんなにレベル高くないし、練習は週に1回か2回あるぐらいだったし、翌年には吹奏楽コースが出来る関係で自然はい部が決まっていた。
それで次に入ったのが放送部だった、ということになる。当時の私はかなりアニメ好きだったから、将来は声優になりたいって思っていた。だから、その近道として放送部を選んだわけ。その上、音楽がずっと聞ける場所って言えばここかなぁっていうのもあったしね。

けど・・・、やっぱり音楽をやりたいって気持ちはあった。その上このころ、私はかなり音楽に関してはうるさくなっていた。高2でLUNA SEAに会って(正式には中1だけど、そのころはロックに興味がなかった。けど、「TRUE BLUE」と「MOTHER」はかなり気になっていた/爆)、高3でGLAYに会って(正式には高1の頃に「Freeze My Love」を聞いてからだったんだけど、この時はGLAYが歌っていることを知らなかった/爆死)、高1の頃にaccessが解散して、Icemanが出て来て、B'zは相変わらず熱狂的ファンだったし(このころからファンクラブに入った)、TKファミリーかなり好きだったし(今でも、globeとGABALLはかなり好き)、ウツや木根さんのソロ追っかけていたし・・・。私は知らない間に、月に最低3冊音楽雑誌を買い込むようになった。
でも今考えると、自分は音楽教室に住んでいるのだから、いくらだって音楽やれたはずだった。当時は自分がやりたい楽器(シンセなんだけど)がないから出来ないって勝手に思っていたけど、シンセがダメでもエレクトーンがあったはず。何でそんなことに気づかなかったんだろうって、すごく後悔もしているし。今はピアノでも多少出来るようになったからいいけど、あの頃はそのことさえも分からなかった。

前に、自分の小説(PEなんだけど)で言ったことがあった。
「音楽を止めたんじゃなく、それは音楽をやる環境を見つけていないだけだ」って。
自分で書いて、これは今の自分にも当てはまると思った。そう思ったら、あとからすごく後悔した。

その後悔は、私がイギリスに行くまでずっと続くんだけど・・・。


(TO BE CONTINUED)



2002年02月16日(土) 音楽をやる理由(1)

近頃こういった話をしていなかったと思ったので、久々に音楽の話を・・・(って、去年1回したかしないかだったような・・・)。

近頃、「どうして自分はこんなに音楽に執着心を持っているのか」とか考えることがある。そりゃ、理由として実家が音楽教室だからっていうのもある(今は実家じゃなくて、元実家になってしまったんだけど)。あそこにいた私の18年間は貴重だったし、その間にいろいろな音楽知識ため込んでいたからね。

でもどうしてあんなに音楽知識をため込んでいたのかなぁって考えると・・・、何も答えが出て来ない。知らない間に、物心ついた頃にはいろいろ知っていた。保育園児が、もうすでにモーツァルトやベートーヴェンとか知っていたんだからね。ウィンナー・ワルツも知っていたし、ショパンのワルツやソナタも知っていた。何か、すごい保育園児だよね(笑)。
もちろん、歌謡曲だって知っていた。物心ついた時には、姉の影響でピンクレディー好きだったし、あの頃は音楽がなっていたら、自然とグルグルよく分からん踊り踊っていた(爆笑)。ギター適当にひいて、ずっと歌っていたのをカセットにダビングしていたのもあったなぁ、そう言えば。もしかしたら、探したらゴッソリ出て来るかも(でも聞きたくないよ、恥ずかしいじゃん!!/笑)。

そう考えると、小学校で金管バンド部に入るのも当たり前だった。もう小学校に入った頃には、「絶対に入ってやる!!」って思っていたからね。で、4年生で入って、それからひたすら練習練習・・・。始めは鍵盤ハーモニカだったんだけど、6年生引退して、いざ自分はどの楽器やりたいんだろうって思った時、やっぱり目についたのはトランペットで、それから必死になって練習した。先生がよかったのか、私と同じ時期に入った子は上達が早かったみたいで、その子は5年でセカンド、私もサードだったけどポジション的にはよかったし。あの時の先生には、今でも本当にお礼が言いたい。

で、その年の6年生が引退して、またゾロゾロ入ってきて(もちろん、中にはムカつく野郎どもがたくさんいたんだけど/爆)、その時のパート決めがかなりムカついた。後から入ってきて、まだ大して音も出ないのに、彼女達はファーストへ行き、私はその時もサードだった。そりゃサードだってポジション的には重要だけど、私としてはファーストへ行きたかった。はっきり言えば、目立ちたかったのかな、あの頃は(今の私と正反対だ/爆笑)。
でも、それにもやがて転機がやって来る。それが、6年生のころにやって来た、金管バンド専門の先生(っていうのかなぁ??)。この先生になって、パート決めのテストやって、それで無事にファーストへ。あの瞬間は、本当に嬉しかった。ま、そこからが苦労の始まりだったんだけど・・・。
ファーストになって、キーが高くて音が出ない時がたくさんあってかなりきつかった。息が、本当に辛かったからね。私の使っていたトランペットはかなり古いヤツだったから、ピストン(ペットの音を出す3つの押しボタンみたいなヤツ←って、これでわかるかなぁ??)にオイル塗っても動きが鈍い時があったしね。それはそれで、結構辛かった。まぁこれはこれで、直にちゃんと克服するんだけどね。

辛かったことと言えば、ドリル練習も辛かった。ドリルは好きだったけど、何でこんな炎天下の中いるんだろうって、何回も思った。たぶん、その気持ちは翠霞も同じはず・・・(彼女、当時はパーカッションだったです)。でも仕上がった時には、すごく気持ちいいものがあった。最高な気分。この瞬間が、私はメチャクチャ好きだったね。


(TO BE CONTINUED)



2002年02月15日(金) アイルランドへ行きたい

晴れたと思ったら、また急に寒くなったイギリスにて(笑)、華場 椿、いつも通りネットに没頭(爆死)。というか、いいんだよ、それで(へっ!!?)。

ハーフタームと言えど、あまり変わらない日々を送っている今日このごろ。ダブリンへのバスツアー計画が学校内にあったらしいけど、人数が少なくて中止になったって言っていたし。私は行きたかったけど、バスでPM11:00に出発して、翌日のAM8:00にリバプール着いて、そこからフェリーで行くっていうコースらしいから、バスの中で一夜を過ごすってことになる。そんなん、寝れるわけないでしょう(パリの時だって寝れなかったんだから/苦笑)!!

でも、アイルランドへはメチャクチャ行きたい。何でかって言うと、昔LUNA SEAの「MOTHER」のPVがアイルランドで撮影されて、その時の景色がメチャクチャきれいで、何か心がきれいに流されて行く感じがしたのだ。前はイングランドの周りを回るだけでいいと思っていたけど、今はとにかくアイルランドへ行きたくて仕方ない。あの景色を、この目にしっかり焼き付けたい。

だとしても、撮影した場所が分からないから、これからアイルランドの資料そろえて探すんだけどね(苦笑)。それにあのPVを撮影したのは冬だったけど、こんなクソ寒い上、強風が吹き荒れる中行きたくない!! と思って断念(苦笑)。行くとしたら今年の夏でしょう。

そう言えば、GLAYもアイルランドで「BELOVED(だったはず)」のPVを撮ったんだよね。そこの場所も行ってみたいなぁ〜。今度日本に戻った時、PVで確認しようっと!!



2002年02月14日(木) チョコレート&恋愛

そうかぁ〜、世はバレンタインなんだぁ〜・・・。何も考えていないよ、私。私のバレンタインは、もう高校時代で終わったからなぁ(爆死)。あの時は若かった(って、今も若いよ!!)。

そうだね、もし今彼氏がいるとなれば、今回はチョコレートケーキを作るだろうね。昔からバレンタイン=チョコレートっていうのが嫌なヤツだったから、きっと普通のチョコじゃなくて、ケーキとかクッキーとかにすると思う。あと前ちょっと面白かったのがあって、チョコレート・レアチーズケーキっていうのがあって、すごくこれは作りたいと思った(作り方の広告紛失したけど/爆死)。
でも親には、義理だけどあげてたね(笑)。しかも買ったのはいいけど、全部私とお姉ちゃんが食べたいチョコばかりだった(ずっと前の生チョコブームの時もずっと食べていたような気がする/爆笑)。トリュフの時もそうだったからなぁ〜。と言うか、今もろに生チョコ食べたくなってきた(爆死)。

そんなチョコの話ばっかしても仕方ない!! 恋愛の話もしなくては!!
恋かぁ〜、近頃ときめかないなぁ〜(爆死)。何か近頃、最新小説を作っているからなのかどうなのか、以前より男性の身長を気にするようになった(爆笑)!! そうそう昨日、ブライトンのある店に入ったら、私の理想ピッタリの男性を発見! しかも金髪で髪を縛っていて、結構優しそうな人だった。あれには、マジで叫んだね(絶叫)。
だとしても、何か近頃身長ばかり気にしても仕方ないなぁっていうのはある。だって身長高くったって、その人がいい人なのかなんて分からないし、あまり高すぎるとキスするの辛そうだし(って、そういうことじゃないか/笑)。だから、私としては自分の目の下ぐらいに男性の肩があるのがいいなぁって思ったのよね(昔は、私の頭の上に肩があるぐらいが理想だった)。
でもなぁ〜、一度でもいいから男性の胸元に埋もれてみたい(爆死)。そう考えると、やっぱり低い人うらやましいかも(でも、相手も相手で高い人がうらやましいって思うだろうけどね)。でも周りの人間曰く、「椿って身長コンプレックスらしけど、そんなメチャクチャ高くないじゃん」ってなこと。だとしても、辛いって(ちなみに、身長160cm代前半。5cmのヒールをはいたら完璧に170cmちょい前ぐらいになる/泣)。

理想は理想だから、あまり気にしない方がいいんだけどねぇ〜・・・。



2002年02月13日(水) ブライトンにて・・・(1)

ということで、ブライトンへ行ってきましたねぇ〜。私が住んでいるとこのパソコンショップの人の言う通り、駅近くにあるパソコンショップへ行ったのだが・・・。

華場「あの、作業してたら突然暗くなっちゃって・・・」
店員「あ、SONYでしょ、そのパソコン。うちでは直せないよ」
華場「(はっ!?)」
店員「VAIOのボランティアの紙か、国際レシート(だと思った)がないとダメだよ」
華場「つ、つまりここじゃ直してくれないと・・・」
店員「残念だけど、そうなるね」

何やねん、それ!! パソコンのスイッチも入れないで言うな!!!

そんなことで、仕方なくVAIOノート片手にチャーチル・スクウェアーへ行く。まず行ったのはHMV。そこでプリンスのニュー・アルバムを発見する。SUGIちゃんがJ WAVEのラジオ番組で進めていたから、試しに聞いてみようと思って購入。こう見えても、結構プリンスは好きだったりもする。
それからはブラブラその辺を散策し、少し早めにスターバックスで昼食。そして店を出て、海岸沿いにあるスターバックスで手書き作業をする(笑)。1日でスターバックス2件周ったのは初めてだった(ロンドンで何件も発見するのに、いつも1件で終わっていたもんなぁ〜)。

それから海岸沿いの店をウロウロ放浪する。すると、何と回転寿司屋発見!! 1枚200円ぐらい! 高いよ、それ・・・(涙)。でも他の店より安いからいいか。でも行かなかった私って、ちょっと偉い(って、そんなことないか/笑)?

夕食は、チャーチル・スクウェアーの前で売っているピザのワゴンにて、マルガリータを食べる。これがねぇ〜、メチャクチャおいしいのよ!! しかもちょうど出来たばかりだったから、チーズがよく伸びる! もう、心の中でずっと絶叫していた私だった(感涙)。

で、夕食後は駅まで歩いて行ったのだが、何と道が間違っている!! すぐに地図を見て確認、そして大通りに戻り、何とか駅に到着。マジで焦ったわ(笑)。
そんなブライトン駅、メチャクチャかっこいいのよ! 初めて行ったんだけど(普段はバスなので)、1人でずっと感動していた私だった(笑)。

そんな私の今日の収穫(笑)。GAPで買った、ロンドン購入した色違いの黒の長袖Tシャツと白のキャミソール。以上(少ないなぁ、今回/笑)!!



2002年02月12日(火) The La Palca Ru Pu

よく考えてみたら、まだこの話について何も語っていなかったですね(苦笑)。昨日、設定集制作しながら思い出しました(^^;

最初の「LPRP」が完成したのは約9年前、翠霞が持って来た1つの話からでした。当時の私と翠霞は木根尚登さんの小説「CAROL」が大好きで、私達はそれをモチーフにいろいろな作品を作っていました。それが独立して出来たのが、最初の話でもある「PE」であったり、今回の話の原形になった「ラ・パス・ル・パス」でもあるわけです。

この9年の間に、私達の中でどんどん設定が変わっていきました(いや、私が変えたんだけど/苦笑)。翠霞がストーリーを考え、私がそれを小説化にして、さらに細かな設定を決めて、またそれを翠霞に話してデザイン画を書いてもらう、それを何度も繰り返してきました。が、実はまだ終わっていません(自爆)。でもお互いこいつが終わった時が、きっと最後なんだろうなぁというのを感じている、というのもあるんですけど(って、私だけか、それは??/苦笑)。

そして「PE」も、2年前の12月に封印し、去年からみなさんもご存知の通り「TIME CHIP 〜Prodestanz Earth 2nd〜」が始まりました。が、私の頭にはまだロシニティ達4人が生きていました。それに「TIME CHIP」の設定と話はかなり難しい課題を多く抱えている話で、私もイメージが浮かぶもの、なかなかそれを文章化にするほどの力がありませんでした。なので私は、「TIME CHIP」をしばらくの間封印することにして、他の長編達を創作し始めたのです(その中には、もちろん「No Tears」や「The True Friends」も含まれています)。

では、なぜ今「LPRP」が復活したのか? それは、ある1つの映画のおかげでした。みなさんもよくご存知でしょうが、「The LORD OF THE RING」を見てから、私の中で「LPEP」のストーリーが膨らんでいったのです。
一番に助けられたのは、映画の中に出て来る風景や情景でした。私の頭にはアニメーション的な映像は浮かんできても、実写での映像は何1つ浮かんで来ませんでした。そもそも私が「LPRP」を封印した理由はそこにもあり、私はこの映画に本当に感謝しなければならないと心の底から思っています。

それでからと言うもの、私の中に「LPRP」の設定が一気に浮かんで来ました。国を5つに分けていたのは前からですが、アルカディアがある「音の郷」の存在は今までありませんでした(アルカディアはアルカディアで、1つの王国になってしまっていたので)。その上、「虹の都」についていた法律を全て解除したのが、「PE」の最後の話だったということもあり、今回からはその法律も一気になくしてしまいました(もともとロシニティ自体、あまり髪しばっていなかったということもあるのですが←そうだよね、翠霞!!/笑)。

ただ・・・、1つだけ変えれなかったことは「音の郷」にあるアルカディアと、統治者であるクラーク・マクスウェルの名前。これだけは、小説「CAROL」の物を抜粋しています。そもそもこの2つを変えてしまうと、私の中でも大きく話が変わってしまいそうになって怖いというのもあって、今回この2つだけはそのまま使うことにしました。
そしてもう1つ、忘れてはならないのが、「CAROL」で登場したイーノゥ。彼は元の設定が「翼を持つ大きな犬」だったのですが、高校時代に翠霞が「人間版イーノゥ」を見せてくれて、「このキャラ、いつか使ってやる」と思って、ようやく今回出せたのです。なのでロシニティが時に「もし何かあったら、犬に戻すからな!!」というのは、実はここから来ているのです(直にこの話も更新するのでお楽しみに!)。

その代わり、国の名前はガラッと変えました。頭文字はそのまま「LPRP」なのですが、名前は「ラ・パス・ル・パス」→「ラ・パルカ・ルー・プ」とし、そして新しいタイトルを「The La Palca Ru Pu(日本語タイトル:ラ・パルカ・ルー・プの人々)」として、今までアドベンチャー感覚だった話も含め、この国に住む人々のことを鮮明に描く、華場 椿初本格的ファンタジーとして復活したのです。そして以前まで結構暗い話しか書いていなかった上、平和なLPRPを書いたことがないということもあり、今回の話はとにかく明るく、そして楽しいものを書いていくつもりです(時に悲しい場面もあるかもしれませんが、国全体は明るいので大丈夫でしょう、たぶん/苦笑)。

この話はシリーズ化しており、1つ1つが短編のようになっていて、それぞれにタイトルが存在しています。通常の短編集と違うところは、終わっているようで終わっていないという違和感を感じることでしょう。
すでに「畑荒し」が終わっていますが、実はまだ話には続きがあります。しかし話が一気にガラッと変わってしまうため、あえてあそこで話を切って、そして次の場面へと変わるように設定してあるのです。なので違和感を感じるかもしれませんが、話はちゃんと続いているということで、ずっと1話1話読んでいただければと思っています。

TOPでも書きましたが、この話に関する疑問・質問・感想待っています。私の方からもこれからどんどん紹介して行く予定です。お楽しみに!


「・・・私は、1人じゃ、ないよね・・・?」(From 「PE」)



2002年02月11日(月) そして結果・・・

今朝、ホストマザーが知っているパソコン・ショップにて、相棒VAIOノートを見てもらう。すると・・・。

華場「昨日作業していたら、突然暗くなってしまって、かすかにしか画像が見えないんだけど・・・」
店員「(電源を入れて)・・・ああ、これは蛍光燈が切れているね」
華場「(やっぱりそれか)で、修理出来ますか??」
店員「いや、うちじゃ直せないよ。ブライトンにノートパソコンを取り扱っている専門店があるんだけど、そこで修理してもらったほうがいいね」
華場「ブ、ブライトンですか!? この近くでは無理ですか!?」
店員「う〜ん、たぶん直してくれるところはないだろうねぇ〜・・・」

そんなのって、ありかい(怒)!!!

ということで、明日あたりブライトン行き決定(爆死)。まぁいいんだけどさ、今週一応ブライトンに行く予定あったし(ハーフタームだし)。だとしても、もし相棒が1日で直らなかったら、私またブライトンに行かなきゃいけないことになるよ(号泣)。それはかなり嫌かも・・・。更新デーである土曜日に行かなきゃいけないし・・・。

ひとまず、明日ブライトンへ飛びます。直してもらわないと、作業が全然進まないので(号泣)。ハァ〜、こんなことでブライトン行きたくないよぉ〜、トホホ(;;)


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紫月 華 [HOMEPAGE]