ふうこの英国留学日記-その後

2006年02月21日(火) 本当に大切なもの

発熱・腹痛・吐き気・食欲不振・頭痛が一週間以上続き、1週間会社を休んでしまった。

社内で翻訳とか英文ライティングとか通訳的なことをしていたのは私一人しかいなかったので、私が休むとその分仕事は溜まる。こういう状況で切迫流産とかになって急遽2週間の安静とかになったら・・・と思い、早めに引継ぎをして仕事を辞めたいと上司に言ったのが1月の頭。

やっと後任が決まって引き継ぎをという状況になっての私の連続欠勤。後任の人も上司も困っているらしい。自宅のメールにまで海外クライアントのミーティングが急遽入ったから出て来れませんか?とお願いのメールが来たり。

どうしよう、やっぱり無理してでも行ったほうがいいのかな。

と思っていた瞬間に母から電話が入った。
「あなた、まだ会社行ってるんじゃないでしょうね?風邪悪化したんですって?こんなことで流産でもしたらどうするの?本当に何が大事か考えなさい。」と言われた。

そう言われて、私の中でモヤモヤしたものがすっきりした。
今月で辞める予定の私が今仕事しなかったからって何が変わるというのだろう。今一緒に働いていて、今後はフリーランスとして仕事をしたいと言ってくれたところはクライアントとして失うかもしれない。

でも、私が失うのは多少のお金と自分の仕事へのプライドのようなものに過ぎない。

もし、無理して出勤し、私の体や子供に何かあったら、私は一生悔やむことになるだろう。
やっぱり妊婦は使えない。そう思われても、もう仕方がない。

そんなことを言いながら、布団の中でも仕事の引継ぎ方法とか復帰したらまずやるべき業務リストを考えてしまう私だったが、やっぱりなんでも腹をくくるしかないですね。

私は仕事するのがたぶん結構好きなんだということに気が付いたけど、それと同時に100%で仕事に対応できない今は仕事する時期じゃないんだと思う。

コツコツと自分のキャリアを築いてきた友人が出産と同時に仕事を辞めるのを見て、以前の自分は「もったいないなあ」と思ってきた。でも、今始めて「やらないんじゃなくて、たぶんできないと思う」と言った彼女の気持ちがわかる気がする。

また仕事にある程度集中できるようになったら頑張ればいいのだ。きっと今まで積み重ねてきたものは無駄ではないと思うから。と自分に言い聞かせる。




2006年01月24日(火) あけましておめでとう&妊娠しました

みなさま

あけましておめでとうございます。
昨年はこの日記へのコメントを読んで元気が出たことも多々あり、なんか気持ちの面でお世話になりました。

なんかこれを書いてしまうのもちょっとまだ怖いのですが、このことなしで最近の私の日常を語るのが難しくなってきたのでこの場を借りて、報告させていただきますが、今妊娠しており今日でちょうど4ヶ月にはいりました。

結婚して1年もたっておらず、子供がすごく欲しい!というわけでもなく新しい職場で働き始めたばかりだったので、当初は非常に戸惑いがありましたが、まあ、今はありがたいことだと前向きに受け止めています。

直接個人的に報告しなかった友人の皆様ごめんなさい。

どうなるか不安でいっぱいですが、無事にいけば夏には母になることに・・・

今は正直つわりや体調が不安定なことにより、苦しいことのほうが多い感じの妊婦生活ですが(昨日の大晦日も熱を出してうなっていました)、なんか人間ってみんなこうやって生まれてきたのかと思うと、世の中の母親すべてを尊敬してしまう感じです。

人が生まれることも死ぬことも人の数だけ常に起こっていて、世の中には当たり前のこととしてあるんだけど、その一つ一つが一人一人の人間にとってはたった二度とない、それこそ生死にかかわる問題としてあるという、その事実をヒタヒタと感じています。

みなさまにとってこの新しい年が素晴らしい年になりますように。そして、この1年をみんなが無事に生き抜いて、来年も笑って一緒に年をとっていけますように。


Love and Peace
ふうこ



2005年12月06日(火) 1週間、独身生活を謳歌!

ダンナが8日間アメリカに行っていたので、久しぶりに一人暮らしを味わった。

月曜日 仕事帰りに実家に遊びにいってご飯を食べる
火曜日 翻訳の勉強仲間と会う インドカレーを食べる
水曜日 仕事帰りにレディースデー割引で映画を見る
木曜日 水曜日にレンタルしてきたDVDを深夜まで鑑賞
金曜日 元同居人の誕生日パーティ(参加者の半分は外国人)が横浜であったので、食べて飲んで、久々に英語でいろいろしゃべって、終電で帰ってくる
土曜日 マイミク・マリさんのお誘いでテルミンのライブへ、その後ライブに来た友人たちと地鶏の水炊きなどを食べて飲んでまたもや終電で帰る。

うーん、なんて充実したアフター5だろう。
二日続けて夜出かけるなんて、もういつ以来だろう?
最近、友人と会う回数や外食も減っていて、ストレスがたまっていたのかもしれない。近頃妙に情緒不安定で辛かったのだが、昨日友達と楽しい時間を過ごしたら、なんだ精神的に回復している自分に気が付いた。

やっぱり、友達との会話は大事だね。
会ったり、一緒にいるだけで人から助けられることっていっぱいあるんだなと思った。

ああ、もうすぐダンナが帰ってきます。
また、おさんどんの日々が始まるけど、やっぱり生活にはハレとケが必要なんだと思う。
毎日遊び暮らすわけにはいかないから、たまに遊ぶありがたみがわかるんだな〜。



2005年10月27日(木) 働きすぎだよ日本人

定職につく30才以下の約5割の若者の労働時間が5年前に較べて伸びているという。
アメリカのホワイトカラー上級職の平均労働時間は50時間を越えるという。

今の日本は働きすぎの人と働けない・働かない人に二極分解しているように思える。

私は元々体が弱いこともあって、留学前に数年出版社で働いたあと体を壊してしばらく入院した。それ以来、正社員で働くことを避けている。まあ、弱小出版社ほど労働条件が悪いところもあんまりないかもしれないが、自分のダンナやまわりの友人たち、職場の人たちを見ていると、みんな本当に忙しそうだ。

仕事か恋愛か?
仕事か出産か?
仕事か充実した私生活か?

そういう選択を迫るような働き方が間違っていると思うのだ。

生活していくために仕事を普通に仕事を続けながら
家事や育児、そして家庭生活をも楽しめるような環境を作るためには
男女・老若男女問わず労働時間の削減が必要だと思う。
それは特定の人たち、例えば育児中の人だけ労働時間の削減を認めれば、それは職場での査定のマイナス要因になるからだ。

まあ、つまりは私がもっと思いきり働いたり、子供を生んだときのことを考えると家庭運営にはダンナの協力が必要なのだが、長時間労働で疲れきったダンナにそれを要求することができずに、私はイライラしているのだ。

税制・年金などは専業主婦に対する優遇措置が打ち切られる方向で進んでいるが、政府はこれ以上女性に何を求るというのだろう。
私は正社員で働きながら子育てをしてきた友人を何人も見てきたが、子供が小学校に上がると同時に、

・学童に空きが無い(現在、学童の待機児童は増え続けている)
・もう気力、体力ともに疲れきった
・子供と一緒にいる時間をとりたい
・自分の趣味や勉強の時間を少しは持ちたい

といった理由で仕事を辞めた人を何人も知っている。

今の政府の方針はまるで

・専業主婦は働け
・女性は仕事をしながら家事も育児もしろ

と言っているような気がする。
もっときついのは、政府ではなく、実質的に子育てにお金がかかり共働きしないとやっていけないという経済状況があることだ。

育児・家事・仕事をこなせる女性もたくさんいる。
でも、それができない人もいるっていうことを、今はこなしていても実はストレスと過労で壊れそうな人もいるってことをわかって欲しい。



2005年10月15日(土) 家事と仕事の両立に胃が痛くなる?

翻訳の仕事の締め切りと新しい仕事の初出勤が重なり、昨日3時間しか寝ないで新しい職場に行って1日働いて、いろんな人に挨拶したりしたら、今朝は胃が痛くて目が覚めた。

今日は仕事から帰ってメインのおかずだけ用意しダンナが帰って来る前に少し休憩と思ってベッドに横になったら、この時間まで眠ってしまった。
そして、お腹ペコペコ&胃痛で眠れない〜。

数ヶ月前に胃痛でもらった薬を探し出し飲んでみた。
これってやっぱりストレスなのかな〜?自分では自覚ないんだけれど、昨日の無理が今日出た感じ。

やっぱり、独身時代は疲れた時は仕事がえりにうどんでも食べて済ませればよかったから楽だった。

朝6時起き
7時ダンナを送り出す
家事をして自分が出勤
18時終業
19時晩ご飯の買い物
20時帰宅・調理
21時晩ご飯
22時片付け
23時お風呂・メールチェック
25時就寝というパターン

結婚式の2週間前まで働いていたときもこんな感じだったけど
寝る時間が5時間くらいしかないので疲れがたまる。

こんな生活ですでに体力の限界な私はとても働きながら子育てなんてとても無理。
働きながら子育てするのも大変そうだけど、やはり両立できている人がうらやましい。

国の少子化対策の記事を読むたびに、その現実離れした話に頭に来る今日この頃です。



2005年08月31日(水) 歌舞伎を見る

みなさんお元気ですか。
数日前のことなのだが、姉と一緒に歌舞伎を観にいった。国立劇場で見たことはあるが、歌舞伎座に行くのは初めてだ。

さて、歌舞伎だが、これが面白かった。
メインの演目は、歌舞伎らしく荒唐無稽な話(でも江戸時代にあった実際の殺人事件に基づいている)だったが、主人公を演ずる三津五郎の鼻筋の通ったきりっとした横顔、男っぷりのいい立ち姿、遊女を演ずる福助のたおやかぶり、勘三郎の老獪な演技に引き込まれ、あっという間に2時間近い舞台が終わった。

二つ目の演目は舞踊だったのだが、TVに出ているときは演技が鼻につくし、顔も、喋り方も嫌い!と思っていた染五郎が、舞台の上では浮世絵の中から抜け出してきたように美しく、その舞い姿に不覚にもうっとりしてしまう。
花のある役者というのは恐ろしいものだ。役者狂いで人生を踏み外してしまう、江戸の町屋のおかみさんの気分がわかる気がした。

しかし、歌舞伎がこんなに面白いとは思わなかった。
美しく、高い技量を必要としながら、滑稽で、俗っぽい。
魅力ある大衆芸術だと思った。



2005年07月26日(火) アメリカから届いた結婚祝い

今日、先日留守で受け取れなかったワシントンD.C在住の友達からの結婚&誕生祝いのプレゼントをやっと受け取った。
まずびっくりしたのは届いたのが大きなダンボールだったこと。しかも重い。送料だけでも80ドル。
ちょっとした小物でも送るよって言っていたのに、一体これは何なんだ?

ダンボールを開けるとそこにはピンクのクッション材がびっしり詰まっていた。そこから取り出したプレゼントの箱が左のもの。この時素敵な包装に、わくわくしてた。

そしてリボンをほどき大きな箱を開けると中から出てきたのは名づけてライオンセット。
キラキラした雲母の入った黒い石の台に、銀の彫刻のライオンが両脇に向かい合っている。銀のライオンの頭がついたナイフとパレット付き。

これは一体なんなんだ。団地の一室である私たちの住む家にはまったく似合わないゴージャスさ。しかも用途はフード・トレイとある。

カードには、
I know you really appreciate food, so this is something to enhance the presentation.
(君が食べ物大好きなのは知ってるからね、これに盛り付ければ見た目もバッチリ!)

とあった。

繰り返すが我が家は団地の一室である。銀のライオンに挟まれた黒く輝く大理石のプレートに載せて食べるような料理を作ったkとは一度もない。これからもないだろう。

インパクトだけはメチャメチャあるプレゼントなのでこのことは忘れないだろう。しかし、こんなに意図がわからないプレゼントは初めてだ。これはアメリカンジョークなんだろうか?
私よりも料理上手な彼がからかっているのだろうか?
わからない。これが文化の違いというものか?
ワシントンの彼の実家は金持ちらしい(先日、彼以外の両親&姉ファミリーはトヨタのロボットショーをみたさに愛知万博に来ていた)が、ホームパーティではこんなものにオードブルとかのっけているのだろうか?

こんなにコメントに困るプレゼントも珍しい。代々の宝にしますとでも言えば良いのか?



2005年07月11日(月) ワシントン D.Cからの電話

昨日、夜中の12時に留学中に仲の良かったアメリカ人の男友達Mから電話がかかってきた。半年くらい連絡をとってなかったので、つもる話がいろいろあり、1時間も国際電話で話してしまった。

突然の1年ぶりの電話に驚いたが、去年のクリスマスにやりとりしたメールに結婚することになったと書いていたので、そろそろJune Brideで結婚したんじゃないかと思ったらしい。
あとは、愛知地球博に彼のお姉さん家族がD.Cからわざわざ遊びに来ていて、彼も誘われたのだが仕事が忙しくて日本に一緒に来れなかったとことを言いたかったみたいだ。

でも、久しぶりに話したけど彼の毒舌トークは相変わらずで、私の言うことにつっこみまくり。まともに話が進まないので、ちょっと真面目に聞いてよ!って言っても、「君の話は、突っ込んで欲しいって言わんばかりだもん」と言われてしまった。

この半年、職場の部署異動があったり、両親と一緒に郊外に引っ越したり(彼は両親が40歳を過ぎてからの子で、兄弟はみんな結婚して離れて住んでいる。彼はI am the only candidate who can live with and care for my parents.)、自分自身も体調を崩したりと彼にとっては極めてキツイ時期だったらしい。

でもようやくすべての面で落ち着きを取り戻し、自分の人生に戻ってくることができたらしい。そして、イギリスでもビジネススクールの学生だった彼は、次はMBAをとるつもりでいたがが、いろいろ考えるところがあって生命科学(彼の学生時代のsub major)のPhD(博士課程)を勉強したいと思うようになったそうだ。

彼のメッセージは、いろいろあって大変だったけど、僕はやっと大人になったし、変わったんだって、ことだったと思う。

彼は頭も良く、ファッションもスマートだが、大家族の末っ子のせいか、浮ついて自分勝手な子どもっぽいところがあった。
でも、私は彼という人間が好きだった。そして、今回1年ぶりに話してみて、彼にはすごくピュアなところがあり、私が彼に惹かれたのは間違いじゃなかったんだと思うことができた。

たぶん、もう会うチャンスはなかなかないけど、無事に暮らしているとたまに聞くだけで心が暖まる。そんな友達の一人である。



2005年06月18日(土) えらいね、大変だねではなく幸せであって欲しい

今日は女友達とひさびさにお食事会。
お互いの生活のこととか、仕事のこととか、共通の女友達のこととか話題はつきない。
そんな中、私が今日はその場にいなかった友達のことを、「大変なのにすごく頑張っていて本当にえらいよな〜」って言ったら、友人の一人が「えらいね、がんばってるねってあんまり言いたくない」と言う。
「どういう意味?」と聞く私。
「えらいなー、すごいがんばってるな〜とも思うけど、そんなに頑張らないで、幸せでいて欲しい」
という友人。

ハッとさせられた。私は頑張ることはえらいことだとどこかで思っていたし、ほめているつもりでいた。でも友人の幸せを心から考えれば、「そんなに頑張らなくていいから、のびのび幸せでいて欲しい。頑張りすぎて磨耗して欲しくない」というほうが本当だろう。

そういえば、昔別れた彼に、「あやにはのびのび生きていって欲しいです」とメールをもらった。いろいろあったけど、別れた後こういうことを言ってくれる人で良かった、と嬉しく思った。

えらいね、も時にはいいけど、のびのび幸せでいてね、ほうがずっといい。
でも、のびのび生きるってなかなか難しいんだよね・・・



2005年05月23日(月) 記憶のパズルが合う瞬間

結婚してから一人でいる時間ががっくり減った。フルタイムの仕事に出ていない分は増えているはずだが、私は一人で買い物も、映画も、食事も楽しめるタイプの人間であるので、現在そのほとんどが彼といっしょというのは、私にとっては「すごくいっしょにいる時間が多い」という感じなのだ。

さて、今日フィオナ・アップルのCDを聞きながらアメリカの現代作家の短編小説を訳していた。

ある瞬間そのときかかっていた曲、窓からの光の感じ、小説の中身、私のパソコンの文字などのすべてが、ピタッとパズルが合うようにかぶって、私の体がかつて記憶した感覚が全身を浸したのだった。

こういうのって時々誰にでもあると思う。すごーく懐かしくなってその頃仲良かった人に急に会いたくなったりするけど、もう何年も音信普通で会うすべもない。

別にそれでどうこうっていうことじゃないけど、古い友達や昔出会って影響を受けた人、別れてしまったけど大好きだった人、そんな人たちといっしょにいたときの感情がすごくリアルによみがえってきて、呑み込まれる。でもそれはすごく気持ちがいい温かい経験で、今は会えないその人に、ありがとう!とか楽しかったね!あの頃は大変だったね!って言いたくなる。

でもそれと同時に、自分の記憶の中にしかないこんな気持ちは結局だれとも分かち合えない。

こんなとき、誰かといっしょにいても、いなくても、人は結局とてもとても一人なんだと感じる。

風の匂いから引き出される風景、雨の気配から思い出すあの日の音、そのとき感じたやるせない気持ち、甘い記憶、そんなもののすべては私の中に積もっている。私はそれが素敵なものだったら、誰かと分かち合いたいんだけど、近い人であっても、自分の気持ちについて話して、わかってもらおうなんて、なんだか恥ずかしいし、それにうまく説明できそうにない。されに他人は私が感覚的に感じていることなんかには興味がないだろうし、かまっているひまはないだろう。

でも、何か自分の中で反芻しているだけでは物足りないのである。もっと簡単にいえば、すごく感動したときとか、私は誰かにそれを伝えたくなってしまう。自分の中で感じているだけでは何か物足りないのだ。

でもそれはきっと人はとてもとても一人だと感じるからこそ、世界と、他の人とつながりたいと思うんだとおもう。
人は鏡がなければ自分の姿を見ることができない、だから他人という鏡に自分を映すことで自分の存在を確かめようとあがくのかな。


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