+ナス日記+

2009年08月11日(火) ノートPC生活はじまる

具合が悪いな…とバックアップ取った直後
突然お亡くなりになったPC。
スペック高くて安上がり、と、とあるBTOのタワー型を
使ってたけど2年経たないうちに壊滅的に故障…買い替えとなりました。
ウイルスもこまめにチェックしてたのに!もうあの店のは買わーん!

家で3Dの仕事をすることもなくなったし、お金もあまりかけられない。
モニタもいい加減液晶でもいい気がしてきたし
そんなに高スペックじゃなくてもいいや。
そして一日も早く手元に置かなければ!ということで
初めてネットでノートPCを購入しました。

軽い!ちいさい!場所とらない!机の上が広々と使えます。
フォトショが動けばこっちのもんさ!と思いきや…
ソフトは動くものの、ディスプレイがすごく見づらい…
画面の色や明るさが、微調整できない…
ギラギラしたコントラストなのに、色は全体的にボンヤリしてて
非常に目に優しくない液晶。長時間睨むにはツラい。
ためしに幾つか描いたけど、正直きついなあ…。
店頭で買えたらこんなことはなかったんだろうか…!

使っているうちにキーボードがどんどん熱くなってきて
電磁波でも出てるのか、手首間接がヤラレてきます。
どうも自分は強い電磁波が出てるらしいものを体に密着させると
何故だかその部分の具合がてきめんに悪くなるのです。
心臓がバクバクして気持ち悪くなってきたり、痙攣をおこしたり。
故に携帯をポケットに入れて生活したり
携帯で長電話することができません。

ネット専用にするしかないのじゃろうか…
胡散臭いけど、電磁波防止シールでも貼ってみるかなぁ?



2009年07月11日(土) 理想の棲家

町田市にある、武相荘という所に行ってきました。
昭和のすごい政治家&芸術家の夫婦
白州次郎&正子さんの元おうち。
武蔵と相模の間に建ってるのと、家主が無愛想なのをかけて武相荘。
ネーミングからして粋です。
二人のお坊ちゃん&お嬢様カップルのお家柄もあって
ベースとしては「お偉いさんのお屋敷」なのですが
昔ながらの農家の廃屋を丸ごと買い取り
家も里山も農地もなるべく変えずに残して直して住む姿勢に
ゴージャスとは違う贅沢を感じるおうちなのです。

長い時間を経てツヤツヤになった木の床や柱から
墨みたいな良い匂いが漂っていて
そこに展示されている数々の、飾るんじゃなく実際に
使って愛でられていた骨董品に
夫婦の芸術ともいえるような暮らしぶりを垣間見ました。
お山も竹林も丸ごと入ってる、濃厚な自然の気に満ちたお庭は
そこにいるだけで山に旅に来ている気分になります。
上には鳥、下には虫、生き物の命が溢れかえっております。
藤棚のテラスに出してある椅子に腰掛けて
視界の端にいるお地蔵さんの声をうっすら聴きながら
満ち足りている世界に浸って、意識の水面を覗くのです。

お庭の「山道」には、会うこと叶わなかったあこがれの
あんなきのこや、こんなきのこがモリモリ生えていて
見つけるたびに、「ずるい!ずるい!!」と連呼しておりました。
だって、山や森や大きな公園に行かないと見られないきのこが
都会の住宅街にある自分の家の庭に生えるんですよ!?
こんな反則ってないじゃないですか!!(力説)

あああ、なんて極上なおうちなんだろう。
この家に住んでいた夫妻が心底うらやましい。
この夫妻だからこその家でもあるので
自分にはとてつもなく勿体無い家だけど、いつかはこんな家を持って
暮らせるようになりたいものです。



2009年06月30日(火) 信じる の壁

久しぶりに、心の引っかかりにハッキリ気付けたので
意識の海に潜ってみました。

自分が心から望んでいたことなのにもかかわらず
いざそれに手を伸ばせるときになって
念のため、とか、石橋は叩いてから…なんていい訳じみた言葉で
反感、疑念、恐怖、あきらめなんかが足を引っ張り出して
手を伸ばす前の状態に引き戻そうとする力。
これは一体何なんだ!?

いい訳の数々を洗い出すと
 ・思うような成果が出ないかも
 ・まったく楽しめないかも
 ・お金や時間を損するかも
 ・自分の体力、精神力以上のことを要求されるかも
まとめると、不安、という1つのカタマリになった。

何が不安なのか?
 ・それに対して、楽しい未来を信じきれないから
信じ切れないって、そもそも楽しい未来を信じたから
心から望んだんじゃないの?そこから始まったんじゃないの?
言い訳の数々って、言い換えると
「〜かも」とは逆であるようにして欲しい。という事。
つまり、不安は、欲の裏側なのだ。

欲の裏側には、それを得られないで苦しんでいる自分が潜んでいる。
苦しいから、その欲が満ち足りている人よりも余計に求める。
得られないものを憎むことで、自分の心の「居場所」を
自分の中に確保してさえいる。これは「呪い」のひとつだと思う。

ここでいう「呪い」は、誰かに呪いをかけるとかいうアレじゃなくて
苦痛のループのようなもの。
例えば、愛情。
虐待を受けた子どもが、自分は虐待されていたと判っても
すぐに自虐をやめないし、仕方の無いこととして抵抗の意思を失う。
親と自分の関係に、強い罪の意識と恐怖感、被支配感を抱く。
深い愛の絆で結ばれている家庭を正しい関係であると理解しながらも
そういう家庭を羨み、憎んでいる。
いざ、自分が誰かとの深い愛の絆に触れたとき、
自分にはふさわしくないと決め付け、その世界に入るのを拒絶してしまう。
抜け出そうとすると、絡み付いて引き戻しにくる。

「呪い」の逆は「祝福」という言葉が当てはまると思う。
家族と愛情の絆で結ばれている子どもは
親と自分の繋がり方が正しいと信じているし、親から与えられる
愛情を感じ取る。自分もわが子とそのような絆で結ばれることを
希望し、そうなれることを信じている。
親と自分の関係に深い感謝と喜びの念を抱く。
誰かとの深い愛の絆に触れたとき、素直に受け入れ、感謝する。
もう十分とも思うが、次々と舞い込んでくる。

こういうのは、お金や成功に関してもいえることだと思う。
「呪い」は不幸のループ、「祝福」は幸福のループに繋がり
それぞれの力を、威力、範囲共に増強させる。
「呪い」を断ち切るには、抜け出すしかない。
確かに自分には何の落ち度も無かった筈なのに
何かの被害者となる、かわいそうな時もあっただろう。
でも被害を受けたその瞬間から、長い時を離れても残っている
執着や憎しみ、悲しみは、実は自分のエゴを気持ちよくさせる為の
麻薬だったりする。エゴは、自分の心の成長を止める事がだいすきだ。
エゴを満たしても、成長の先にある「もっといいこと」は訪れない。

欲の裏に潜む呪い。呪いに張り付くエゴから解放されないと
自分を信じきることは出来ない。
…が、心から望んだ時は、自分を信じていたわけだから
自分は呪いを吹き飛ばし、エゴは解放していたわけだ。
いつでも、その状態を維持できるようになれれば、いいんだなぁ…


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