初日 最新 目次 MAIL


HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2002年06月11日(火)
煩悩 < Worldly desires >


人は、何を目的に働くのであろうか・・・。

そんな疑問が社会生活の合間に湧く。

「生活のため」「贅沢をするため」「老後のため」「旅行のため」・・・。

目的は、まちまちでしょう。

以前、仕事がとてつもなく暇な時に、経理兄と“生存費”なるものを計算したことがあった。(具体的な数値は忘れたけれども)

☆水道光熱費
★日用品等雑費
☆家賃

飲まずとも、食わずとも、最低限支払い続けねばならない費用が発生する。

生きている限り発生する。

上記、生活費の他に、保険代や税金、冠婚葬祭の費用など挙げれば切りがない。

腹いせに会社のトイレットペーパーを山盛り使ったろかい?
けれど、その物質は自分を含めた社員の勤労の対償から得たものだ。(むなしい)

テレビドラマなどで、お父様が不良息子などを「一人で一人前になったようなクチのききかたをしやがって!」と恫喝するのは、あながち的を射ていなくはない。

制作したのは勝手だとしても、命の存続は親の手腕に関わっている。




数年前のMY読書週間に、気まぐれに購入してそのなりだった新約聖書の文庫本を睡眠の友にしている。

昨日読んだ内容では、キリストさまは『偽善』について仰っておられた。

「善行は、おおっぴらにしてはいけない。」そうだ。

おおっぴらにアッピールしながらする善行は、偽善に成り代わってしまうんだ。
なるほど。

キリストさまは続けて仰る。

右手がした行いを左手が気づかないくらい秘やかに、行うこと。

ちょっと、難しいかも。

それでも、会社勤めしていると時に感じることがある。

ーパフォーマンスの上手い人間が、出世の近道を歩む。ー

かと言って、「自分がアピール下手だから・・・。」とか、ひがむことはない。
もしかしたら、狡猾な奴!とか、見られているかも知れないし。

事実、私の中には、こずるい部分や、保険をかけたり、カマをかけたり、いぢわるをしたり、当てこすりを言ったり・・・

陽の部分があれば、陰の部分もあるですよ。聖人君子にゃなれませぬ。

例えば、自分より遙か能力が劣っていると思われる人間が、一足飛びに出世したとしましょう。

自分はきっと横目で指をくわえながら、恨めしく思うんだろうな。

そして、その人は、きっと他の能力に長けていたと自分で自分を納得さすんだろう。


いつか、人生って帳尻が合うようになっているのかな?

いろんな意味で、色気や欲といったような煩悩が捨てきれない自分には、まだまだ、試練が多そうだ。
C= ( ̄ー ̄;;) ハー

今日は、ビデオ録画しておいた『十戒』を観ながら休みましょう。

○Oo。.(T¬T)/~~~ ぐんな〜い



2002年06月16日(日)
ダムと森林

朝から気温が鰻登りの先週の日曜の朝、
遠出するには既に時間が経ちすぎている。(およそ、正午近く)

「水遊びがしたい。」

天ヶ瀬ダムに行ってきた。

場所は京都府宇治市にあります。淀川に初めてできた多目的ダムです。
東京ドームの7杯分の水を貯めることができます。スグ近くに世界文化遺産に指定された平等院(10円玉の裏の鳳凰堂のあるところね。)や天ヶ瀬森林公園などがあります。 − パンフレットより



梅雨入りしたのかしてないのか、最近は雨が少なくダムの貯水量も少ないようです。大きな魚が泳いでいましたが、たぶん鯉でしょう。




雨の日にダムで泳ぎ疲れて沈みたい誘惑に駆られる人が多いようで、昔からその冥土への入り口で有名です。

天ヶ瀬森林公園は、ダムを臨んでいます。
UPダウンが意外にきつく、ちょっとした登山です。

木々を渡る風は心地よく、一服の清涼剤であります。
途中何カ所かベンチや休憩所があります。

休もうと腰を下ろした瞬間、うなじで「ごぉ」と血流の音がする。
らっきょうパワーか、疲れを感じない。
喫煙してても厳しいでしょね。




♪のいちごぉあかい実だぁよ、木陰で見つけたよ〜♪
少し、酸味のあるブルーベリーのような味です。




森林公園内の眺望台から望む宇治川ラインです。→ → →
“走り屋さん”のための道で有名であります。
この日も、何台ものバイクが見えました。
深夜にドライブすると、首なしのバイクが走っているそうです。

まぁ、しかし、昼間に散策するととても緑の綺麗な美しい場所です。
一度、訪れてみてください。







2002年06月24日(月)
昨日見た夢

昨日見た夢は、正確には今朝方見た夢です。

夢の中でオペラを観ていました。

オペラは、自分が思うほど敷居の高いものではなく、もっと生活に密着した芸術だと何かで読んだのが印象に残っていたのだろうか・・・。

夢の中のオペラを演ずる人達は、日本の人々で、各々仕事を持っている。

その辺りは、趣味で音楽をしている知人達と一緒だな。


で、そのオペラの主役級の若い男優は、どこかの庁舎もしくはどこかの会社の総務事務員のようなのです。

事務机の上に並ぶのは、水色の紙製のバインダーや、青いビニール製のバインダー。
そんな様子を私自身が、彼の目線で捉えているのです。

一瞬のうちにいろんな場所へ移動し、いろんな人に立ち替わり、夢は安直でありフクザツであり、興味深い。。

オペラの歌声も浪々としていたし、事務机もリアルだったし。

見たこと無い男優の顔は綺麗であったが、見ず知らずの他人とは思えなかった。
それが夢と知るまで今日は時間がかかった。

 真実というのは、今いる瞬間だけで、過去も未来も幻...
 目に見えるものも、目に見えないものも、全部幻で
 他人と共有できるのは、時間を切り取った瞬間だけ
 なのではないか?  

あなたの考えに少し共感できた朝でした。

SFなんかで、夢と現実が逆転するような構図がありますね。
そんな錯覚をおぼえたのです。

それは現実逃避とも呼ぶのかも知れないけれど、
予知夢でもないだろうし、
単なる夢なのだろうけれど、

「ああ、面白い夢を見た。」だけで、過去に追いやってしまうのは、少し、勿体ない気がして、日記にしたためてみました。

『オペラ』 


テレビ放送から観てみてみよう。





2002年06月28日(金)
普通でエエやん。 < naturally >

昨日、親会社のA課長に電話で来訪時間を告げられたのに、声が識別できませんでした。

いつも認識するまでに時間がかかる、たまに聞くのでわからないよ。

社名だけでなく、名も名乗れ。

しかし、ひさしぶりに会えると少し浮かれてもいた私でした。

ま、直接、私に会いに来られるわけでもないけどね、憧れの君が(私の偶像が)実体をもってやって来る。ヒャホーーイ! ( >ワ<)丿イイイイイイ

お気に入りの人が隣接している施設内で同じ空気を吸うなんて、これは変態かもしれないけれど、純粋に喜びであります。

何か用事を作って、観に行ってやらうかしら・・・。よこしまな考えが走る。

この「よこしまさ加減」を気取られるのではないか?
そんな不安がふとよぎると、身もココロもぎくしゃくしちゃうよね?

会社での出来事、旅行のこと、思想や趣味思考等つれづれなるままにメールで送ってはみるものの、返事はきたためしはない。

そーいった自分勝手な排泄行為を、黙って受け止めているのは、気前が良いのか鈍感なのか、はたまた楽しんでいらっしゃるのか・・・。

カードの手の内を見せすぎなのかな?とも思うけれど、そんなものは経験と共に無尽蔵に増えると思ってる。




さて、親会社の友達が(最近、弊社の不具合続きで、ほぼ常駐している。)事務所内の私の隣の席で仕事をしていた関係で、A課長が覗きにきた。

男前は、歳取っても男前やなぁ。
とうは立ってきたが、まぁ、お互い様だ。(笑)

しっかり目に焼き付けておいてやるぜぇ。
また、自分なりの偶像ができあがって行く。

そんな下心を知ってか知らずか・・・、この頃、あんまり相手してくれない。
昨日も背中を向けて、友達と会話をしていた、「こっちを向かんか!」と心の声。
もっと、普通で「素(す)」でエエやん。

向いたら向いたで、また、どぎまぎしちゃうんだけどさ。
偶像が一人歩きしてんだよ、ごめんね。

昨日は、初めて噂の白い八重歯をみた。
得した気分。
にやにやしながら帰宅した。






2002年07月01日(月)
至上の愛 < Amazing Grace >

先日、『十戒』という映画をビデオでやっと見終わった。

長いので、幾日間にわけてコマ切れにみた、モーゼの十戒。

人が人の上に立つことも下になることも、不条理だということを改めて認識した。

十戒

1.神は一つである。

2.偶像を崇拝してはならない。

3.神の名をみだりに唱えてはならない。

4.安息日を守る。

5.父母を敬愛せよ。

6.人を殺すなかれ。

7.姦淫するなかれ。

8.盗むなかれ。

9.偽証するなかれ。

10.貪欲になるな。

耳に痛いことばかり・・。(笑)
儒教の教えにも通じるものがありますね。

7番目の『姦淫』についてですが、旧約聖書では、性を決して蔑視していないのです。性を尊重し、大切であるからこそ、旧約の厳しい性倫理があります。性が“聖”であり、重要であるからこそ、不正な性交(不倫、近親姦、神殿娼婦、獣姦など)を姦淫と呼び、性/聖を汚す不義行為として、厳しく罪としたのです。

夫婦愛の関係が人間関係の出発点であり、しかも神と人との関係の原点としています。旧約聖書では、神と人との関係がしばしば夫婦愛の関係に譬えられています。エロスはアガペの原形として尊重されているのです。

キリスト教ではエロスとアガペに分けて、エロスは男女間の愛で、アガペが神への愛でありより高級だとしていますが、プラトニック(プラトン的な)ラブというように、そもそもアガペという観念もギリシャ哲学からのもので、旧約思想にはもともとありません。夫婦の愛も神の愛も同じなのが、霊肉一元論のヘレニズムの思想なのです。性への偏見は全くないのです。
     
   ↑ − ここまでは、引用させていただきました。

   ↓ − ここからは、貴蔵さんに教えていただきました。(新聞の切り抜きより)

本来の「エロス」とはセックスなどの狭い意味ではなく「自分の足りないところを補い合う愛」という意味であり、「求める愛」である。

対してアガペは自分の持てるものを他者と分かち合いたいとする「与える愛」であり云々...

・最近は相手に要求することの多いエロス的な愛が氾濫している
・無償で他人に尽くすアガペ的な愛は敬遠されがちである
・そのため、現代の人間関係はギスギスしているのかもしれない。
・どんなに愚かしく見えても同じ地球上の今を生きる人間同士、もっとアガペ的な 愛を送ろう

切り抜きの筆者は上智大学教授のアルフォンス・デーケン氏。




最近、今更ながらに思うことは 「愛」ってなんやろう?

例えば、私は私自身を愛するみたく隣人を愛したいとは思うけれど、腹の立つこともままある。
この頃思うことは、彼も彼女も私を映す鏡なのではないか。−ということです。

例えば、あの人の“こすっからい”点が妙に気になるのは、それは自分の中にもそのような点を包括してい、まざまざと見せつけられるから、腹が立つのでは?と思う。
可愛い自分には甘く過大評価したい、汚い部分なんて観たくないよ。


20歳前後で運命が変わるような関わりをした人が居て、それは良くない方へで、私は長い間その人を恨んでいた。

アメリカで英語を学んでいたとき、在住の日本人の年長者にそのことをチラリと話すと、彼は仏教徒であったが「許しなさい。」と即答したね。

「許せるわけないやないの、ずいぶん苦しんだで。」反発心しか湧いてこなかったけど、未だに“許せる”ような境地に居るとは言い難いけれど、憎しみからは解き放たれたような気がする。

しかし、“許す”という行為が出来ないで居ると、ずいぶん、精神衛生上良くないというか、自分自身がシンドイね。

それに捕らえられて後退こそすれ、一歩も前へ進めないからです。
一歩も前へ進めないということは、これは人生に於いては損失だと思う。

そんなこと理屈ではわかってはいても、なかなか、感情が『yes』と言うてくれなかった。
些細な感情の行き違いから他人を傷つけた、友を失ったりもした。
それはそれで、『縁』の物という言い方もできるし、本当にそれだけの関係やったかもしれぬ。

今、身近で他人の過去の失態を許せない人が居る。
傷をおったまま、ともすれば、その傷を押し広げては味わっている様子でもある。

じくじくじくじく、執拗に過去と相手を責め立てる。

若かりし頃の自分を観ているようで、とても、辛い。「堪忍して。堪忍して。」と何度も思う。

今仮に、その人に「許せ。」と言ってもそれはできない道理で、とてもじゃないけれど口に出すことはできない。

『日にち薬』− 時間の経過がその人のささくれた感情をおしなべてくれるのを待つのみなんです。

せめて、「仲違いはやめようぜ!アガペの愛を持ちましょう。」
ちょっと幼稚な方法かもしれないが、心の中で念力よ発生せよと、一生懸命祈ってます。













2002年07月04日(木)
袖ふれあうも他生の(多少の)縁

数年前、親しいお友達からメールで心理テストをいただいた。

たぶん残っているはずだから、さがしてみましょう。
(無かったらあきらめましょう。)

心理テストを順当にこなしていくと、「今、とぉても気になる異性」があらわにされる。(*/∇\*) キャ

その時、なぜだか、会社のN田君だった。
一番無難なこたえだと思った。

N田君は、高齢の夫婦に生まれた一人息子である。

我が儘ではないが、競争心というものがない。

のんびりおっとりとしていて、福助人形に似ている。

全体的にむちむちしていて、可愛い。

ある日、N田君のパンツ姿を見てしまった。

弊社の更衣室は食堂に隣接してい、オープンなのだ。
(近年女子更衣室だけ、カーテンがついた。)

青地がベースの柄パンだ。(得した。)

N田君は、今年の正月明け、出社拒否をした。

出社拒否というか、なんとなく来づらくなって、連休を重ねたんだな。

(詳しくは、この表日記の正月明け部分2002/01/09で。)

2週間近くなってきて、退職の手続きを始めようとしていたときに、社長が連れ戻して来た。

今、そのN田君の部署をお手伝いする機会が多いのだが、たまに、
対面で仕事をするときがある。

「N田君、今日、ひげ、そり忘れたやろ?」

「お正月明け、なんで会社に来やへんだん?」

「休んでる間、どないしてたん?」

ぽそぽそと興味のおもむくままに尋ねるので、煙たがられている。

休んでいる間の苦悩と焦燥はいかばかりか?!

涙ながらにせつせつと訴えて欲しいのに、(←テレビの見過ぎ。)

「はぁ、別に何も考えてませんでした。」

N田君のお返事はつれない。




そんなN田君家の飼い猫がある日脱走し、ご懐妊のち戻ってきて、7匹の子猫が生まれた。
うち2匹は死亡。

残り5匹のうち、女の子は、たったの1匹。

1/5 の確率のその子は、今月末か来月に親しい友人に貰われていく予定だ。

今日、使わなくなった家のポラロイドをN田君にプレゼントした。

「しっかり撮影(子猫)をしてね。」(半ば脅し。笑)

友に、早く見せてあげたい。



2002年07月07日(日)
墓参り...。

伊勢湾を見下ろす小高い丘に、その集合墓地はあります。

お墓を移転して、まだ、一度しか訪れたことがありませんでした。

私が中学生の時に亡くなった父の墓です。
正確には父と父の母が入っていますが、私はその祖母と対面したことがありません。

「すべての我がままを受け入れてくれ、とてもできた姑だった。」と、わがままな母が言いますので、それはそれはできた人間だったに違いない・・・。(笑)生きている内に対面できなかったのが残念です。

集合墓地はいくつかのブロックに分けられ、そのなかでも列と番号と・・・。同じデザインの墓石なので、番号を控えて置かないときっと迷子になるでしょう。

綺麗に整地され、芝をひかれ・・・、さてHelen家の墓前まで来ますと、黒い点・テン・てん...。

それは、鹿のふん・・・。ё゜)プッ

しかも人ん家の墓の前だけ!!<( ̄> ̄||)>!!!オーノー!!!<(|| ̄< ̄)>

こんなんいややー。

「いはやは、動物好きの父だった。。。」とかなんとか言い訳をしつつ、お供えを広げる。

ショートホープに火をつけて、墓石にのせる。
ビール缶をあけて、墓石にかける。
ワンカップをあけて、墓石にかける。

広げたお供えをしまい(一応規則で供えっぱなしにできないようになっている。)、タバコもけし、墓石を綺麗に水で洗い清める。

一連の動作は淡々と、だけど、遠くてなかなか来られなかったことを心中でわび、墓参りは無事におわった。

鹿のふんが土に早く帰ることを願って。ё゜)プッ



  帰りは鳥羽まで足を延ばし、
  二見シーサイドパラダイスへ。
  このモノクロのスナップは、夫婦岩をバックに。
  少し、まぶしかったのですが、おでこは天然です。
  ё゜)プッ








             水族館の中にて。
             壁紙になりそうなエンゼル・フィッシュ画像。
      駐車場のタイムスタンプにて、今日が七夕であることを知る。







  魚君にそっくり♪(動物奇想天外とかに出演してる。)







蒼い水槽でゆらゆら揺らめくクラゲは神秘的で、いつまでも見飽きません。
クラゲ大好き♪刺されなかったらもっと好き。



さて、墓参してなんぼのもん!のお墓をあないな遠方に作った母の心理が理解しがたい。

「なんで、あそこにしたの?!モォ (`ヘ´)」と問う娘に母は、言い放った。

「だって、まだ、遠いとこにお墓作った人、他に居るもん!兵庫県とか!!(に墓があるそうな)」

兵庫県と三重県・・・。

京都からは、どちらも微妙に遠い。(´・`) ふっ