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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2005年08月11日(木) ■
ご挨拶





さぁ、いよいよ向こうのご両親に初お目見えです。

その数日前…
「いやだなぁ、キンチョウするなぁ。( -.-) =зフウー」なんて、叔母を前に一人ごちていると、しきりに着物での訪問を勧められる。

いやですよ、着物なんて仰々しいし、ただでさえ緊張のあまり息苦しくなりそうな予感なのに、輪をかけて苦しい服装でいかなくてもいいではないですか。
和装はすでに婚礼写真の数時間で懲りていて、あの時は最後の方には気絶しそうだった。なんとか気合いで乗り切ったのよー。
なんどとなく堅く堅く辞退したんだけども、叔母の意志は固い。

叔母は、正確には亡くなった私の父親の弟の嫁にあたる。
父親が生きていた頃はよく借金の申し込みなんかに来ていたが、父が亡くなってからはなんとなく疎遠になった。

…というような事を別に責める気はさらさらない。
母が寡婦になった以上、無い袖は振れないし、もともと血縁関係のない母と叔父とは親戚づきあいする理由もないからだ。
いがみ合っているわけでもなし、いざ事がおこれば歩み寄れるスタンスを持つのが親戚かなと思う。

で…
この何年も疎遠であった叔父夫婦と交流するようになった、悲しいきっかけがあったわけだが、叔母の心情を察するとむげに好意を断れない。

押し問答のすえ、着付けてもらうことになった着物が上記の訪問着です。

髪型は、おばの好みでおばん臭くなった。(しゃれ)

電車でとなり駅に済む叔父夫妻の家で着付けて貰い、主人の迎えをまった。


たいていは時間に正確な彼がやってこない。
電話したら、寝ていた。(その少し前から風邪気味だった)
彼が実家に行きたくないのは見え見えなんだけど、いつまでも先送りにしてはおけないし、男ならキチンと筋を通さねばね。

結局、彼の実家に着いたのは約束の時間を少し過ぎてから。
舅姑は、着物の着付に手間取って時間に遅れたとおもっているだろう。

まったくプレッシャーがきついと、免疫性を失って普段めったにひかない風邪をひくのが彼の特性だ。
風邪が治ったらたっぷり仕返ししてやろう。

玄関チャイムにより現れた彼の母は「はじめまして。」と言った。

私「おかあさん、実は何年か前に、百円ショップでお会いしています。だから二度目ましてです。(笑)」

義母「え〜?あの時から、ずいぶん、経つよー。」

私「はい、おつきあい10年目の節目として入籍させていただきました。事後報告でごめんなさい。」言下に(10年もほったらかしにしておきやがって)という恨みが少しにじみ出てしまったが、姑は天真爛漫な性格なので気づいていないようだった。

姑は私の着物姿をみてたいそうに思ったみたい。

私以外、舅姑も主人も皆、ジーパン姿だった。

シーズンだったので、カニをごちそうになったのだが、私はカニをむくのが非常に苦手。
いつも主人にむいて貰っているのに、横目で訴えても彼は、自分のカニをむくのに熱中するばかりで、こちらは眼中にないようだ。

彼が、あまりゴボゴボ窒息しそうな咳をするので予定より早くおいとました。

案ずるよりは産むが易しのことわざ通り、初対面は意外と気さくなご両親で私の心配は杞憂に終わった。

やはり、現況は主人であります。

彼の実家を訪問する前、電話で驚きとともにこちらの身勝手を責めるような口調の姑に私は言った。

「何度か、○○さん(主人の名前)に、そちらに寄せて貰うように頼んだんですけど、あかんかったんです。なんでかわかりません。私、目は二つやし、ハナも口も一つずつ…おかしいところはありません。(笑)」

しいて難をいえば、姉さん女房なことか。

年齢のことを舅から尋ねられたけれど笑って誤魔化した。
誤魔化しきれるまで、誤魔化しておこうと思う。年配の方にあまり刺激は与えられない。

その後、姑のママさんバレーチームにも(年齢を)激しくつっこまれたけれど、つっぱねた。
歳のことは、ガタガタゆうな!10年前は10歳分若かったんぢゃーい!(ー'`ーメ) ←心の声

その時の攻防は、のちの日記に書きます。

つづく





2005年08月09日(火) ■
オッサンとオバサンの分け目





独身時代の近年、約数名の方に妙な慰められ(勧め?)方をされた。

「Helenちゃん、あのなぁ〜。近所に(あるいは会社に)オッサンみたいな顔した女の人が居てはるのやけどなー、しっかり結婚してはるねんデー!」


って何かい?わしはオッサン顔のオンナより劣るんかい?(笑)

慰められてるのか、結婚を奨励されているのかワカラナイ。
たぶん、言っている本人もよくわからないと思われ。
でも、そのオッサン顔の女の人、激しく見てみたい。

でもまぁ「オッサン顔のオンナの人でも、結婚できるのやからして、あんたもあきらめずに頑張りなはれ。」という意味合いが大なのだと自分を慰めてみる。(笑)

「女の人やけどなぁ。どこから、どー見ても、おっさんの風貌してはるねん。でも、子供もちゃんと作ってはるでぇ!」

ほんだら、何かい?
おっさん顔の女は子供作ったらあかんのかえ?!と、ちょっとひねくれてみる。
世の中、オッサン顔のみならず…
「あんた!よう、結婚できたなー!」(失礼)と思える風貌の女性と、お買い物にスーパーに行くと出くわす。

男性に対しても電車の中で「この人にも紅顔の美少年時代があったのでしょうね?」と思えるほど、肥大した頭部をこれまた肥大した身体にのっけている男性も居る。
「この人にもピノキオみたいなスラリとしたあんよの時代があったのだ!あったのだ!!」と念仏みたく心の中で繰り返してしまうのです。

それにしても、スーパーで遭遇するのは圧倒的に女性の方が多いのも一因であるが、男性性は狩をする・攻撃する・奪う…などのDNAから伺えるようにアグレッシブなのに対し、女性性はあくまでも、待ち・奪われ・受け入れる性なので、ある程度、奪われる下地がないと奪ってもらえないのではあるまいか…?と、勝手に邪推する。

だから…
そんな中で、オッサン化したおばさんに出会うと、しかもそれが子連れだったりすると、思わず涙ぐみ駆け寄り、肩を抱いて、

「あんた!よう結婚できたなぁ。(しみじみ)良かった良かった!」と訴えたい失礼千万な妄想にとりつかれる。

あまつさえ「ここのご主人はオバサン化したおっさんであるか?夫婦生活はいたしておるのだろうか?この嫁のどこに、性を見いだすのであろうか?」

…とても失礼な妄想が膨らんでしようがない。
これは、物心ついた頃からの私の悪癖であろうか。

「この顔とあの顔がいたしてこの子ができたのカー。(='m') ウププ」これは、あきらかな悪癖である。

遠藤周作は、脱糞する哀愁を帯びた犬の様子を述べていたが、きっとアダルトビデオ以外の普通の(ごく一般の)男女の睦ごとをしている様相は、正視に耐えられるものではないんではないか…と想像する自分の変態性がいやだ。

さて…

余談が長くなりましたが、前回の日記に続きを書こうね。


正月明けて1週間か10日頃だったかしら?

お姑さんから電話があった。

「もしもし○○さん(主人の姓)お宅ですか?こちらも○○です。」と、姑はかなりお茶目である。

確認の後の開口一番は 「びっくりしたー!」でした。

そうでしょう!そうでしょうとも!!

家にガールフレンドも連れてきた事のない、女っ気の全くないバイク小僧の息子が勝手に婚姻したのだからしてな!(笑)

冗談にしては「和装」と凝っているしな!(笑)

まぁ、できちゃった婚でないだけましですか?


とりあえず、家に(主人の実家)来なさい。…との事でした。



…なんだか、長くなって来たので続く。(ヲイっ!)





2005年08月05日(金) ■
たかが結婚 されど結婚





さて…

伴侶となった人の最大の長所であり短所でもあるところは…

『ニブイ』ところ。

ある種の『天然系』とも言えよう。

そこのあなた耳を押さえないで。(笑) (; 」゜ロ゜)」 オーイ!!

・同居人である私が髪型を変えても気づかない

・目の前のモノを??(゜o゜; )ドコドコ( ;゜o゜)?? と探している

・私がヤツの生CDやMDをかっぱらっても気づかない

・先に風呂を使い、後の私が入ろうとした時、湯をすっかり抜いておいてくださる
 (自分の浸かった湯が、新湯かどうかは気づいていない。)

同居を始めて十年間…

ついぞ完全に組み立てられる事の無かった屋根裏部屋のプラモ。
売るには中途半端過ぎて場所ふさぎだったので数週間〜数ヶ月かけて燃えないゴミの日に捨てて行った。
けど、まだ気づいていない。

だいたい彼は溜め込むのが好きで、
友達の結婚式の座席表とか…
イベント施設のパンフとか…
いったい、いつ、どこで、活躍するねん?って品々が多い。

屋根裏を片づけていて、アイスの当たり棒が小さな段ボール箱いっぱい出てきたのには、『新婚さんイラッシャイ』の桂三枝の如く、ひっくり返った。

いつ交換するねん?

事情を聞けば、高校生時分にアルバイトしていたアイスクリーム工場で『大量の当たり棒』を初目撃し感動のあまり、アルバイト期間にせっせと持ち帰っていたそうだ。

って、あんた!ずいぶん昔の話しで今更交換できないですから!残念っ!!

箱一杯にあったのは、他に使いさしの鉛筆たち…。

捨てるに捨てられないけど、使いさしを貰ってくれる奇特な人はいない。

そのうち、処分せねばならないだろう…。


そんな物持ちの良い彼。

私の事も捨てずに置いてくれてありがとう。(T.T)


昨夏いろんな事を乗り越えて、私も新たな人生を送る決心がついた。

それなのに、いざとなると勇気が湧かず私の事を両親に、よぅ紹介できないのです。

まぁ、いいや。

とっくに成人を過ぎている男女なので、先に入籍をした。

それが去年の10月の話し。

11月になっても…
12月になっても…

こちらがスタンバイおっけーなのに、どうしても勇気がでない彼。

よっぽど一人で、挨拶に行こうかと思いましたワ。(爆)

それだけは「早まるな!」と年配の知人に押しとどめられました。(笑)


婚姻は…
まったく係累がないわけではないんだから、二人だけで「めでたし・めでたし♪」と済ますわけには行かんのんだよ。
いったい、この困ったチャンをどうしましょう?

「そんな意気地なしで、この先、だいじょうぶなの?」二人の新たな門出をあやぶむ年配者の声。

まぁ、なんとかなるでしょう。

だいたい男の子は、京ことばの先生曰く「家に友達や彼女をバンバン連れて来て、親になんでも話してくれる息子」と「親にはいっさい自分の交友関係を明かさない秘密主義の息子」と二通りにわかれるらしい。

とくに秘密主義の息子の方は何を尋ねても、何をふっても「あぁ」とか「うん」とか「べつに」の他に単語をはっせず、そればかりか眉間にしわを寄せて思いっ切り「嫌っそーーーな顔」をするので、「こっちも、だんだん尋ねるのが嫌になってくるねん。」と、二人の子息を持つ京ことばの先生はこぼしておられた。

さもありなん…。

のち、姑が同じようなことを言っていた。

いやはや扱いにくい子ではあるけれども、子は子で何でも心配の種にしたがる母親には言いづらい…という部分もあるようだ。結構、親思いなんですよ、方向はちょっと違うと思うけれど…。

さてさて…
どうやって先方の両親に、婚礼の事実をお伝えするか悩んでいるうちに、はや大晦日。(私の方面は告知をとうに済ませておるのにだな。)

私たちは、ほぼ毎年、年賀状に着手するのがトロいんでありますが、婚礼写真付きの年賀はがきをしたためつつ、閃いた。

私:「これ、あんたの実家にも送るし。」

彼:「そんなん送る必要ない。」

私:「今、送って(知らせて)おかないと、あんた一生(両親に婚姻の事実を)言えないでしょ!」

私の内心の声は「いい加減、世話焼かせんなや!ガタガタぬかすとブチ殺す!」…。だいたい十年も待たせておいたのにだな、気の長い話しだとは思わないかね?

そもそも『婚礼写真で年賀状を作る案』も反対だったのです、彼。

曰く「世間一般の写真付き年賀状は送り主の自己満足がにじみでていて、恥ずかしい。」そうだ。

それは自意識過剰というものです、このバカ!

誰も、お前の紋付き袴姿なんて、さして気にもとめてないってば!

だって婚礼の場合、花嫁が主人公なんだからさ。♪〜(・ε・ )

この人は精神年齢が幼いのか、どうも、格好ばかしつけたがる。

「あんたが思うほど、誰もあんたのことを気にとめてないのやで。」と、私も意地が悪いと思うんだけれど、ことあるごとに、一生懸命、現実を説いてやっているのだ。
この頃、少し、認識し始めたか?(笑)

まぁ、好きなようにしたらええやん。

私だけが婚礼画像付き年賀状を送りまくった。


そうして…
不承不承、彼の実家にも婚礼画像付き年賀状が送られたのでおま。

なんてったって、行く年来る年を見終わって深夜3時頃(元日の早朝)に投函しに行ったのだからして、配達されるのは早くても1月の3日。

ところが…
3日過ぎても、4日過ぎても、彼の実家からはナシのつぶてなのです。

元日過ぎて、彼の実家より遠方の親友の家に年始に行ったのだが「あんたの画像付き年賀状ちゃんと届いてたヨー。」との事だった。

だから、近隣に住む彼の両親に届いていないはずはないのだけれど…。

( ゚д゚)ハッ! そうか、きっと田舎に帰ってらっしゃるのだわ。

それとも… 彼の実家の愛猫が老齢のため年末から病院通いをしていたので、もっと悪化しているのかなぁ…。

などと勝手に想像していた。


ふたを開けてみると年賀状は、キチンと届いていて…

私が呑気に想像するよりも、先方はうろたえていらっしゃったのであった。(笑)

つづく…








2005年08月02日(火) ■
花嫁人形




1 きんらんどんすの 帯しめながら
  花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

2 文金島田に 髪結いながら
  花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

3 あねさんごっこの 花嫁人形は
  赤い鹿(か)の子の 振袖着てる

4 泣けば鹿の子の たもとがきれる
  涙で鹿の子の 赤い紅(べに)にじむ

5 泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
  赤い鹿の子の 千代紙衣装



ほんと花嫁はなぜ、泣くんだろう?

私の邪推では、「自分自身だけであったのが相手の人生をも担う重責」「単独から共同体への不自由さ」に押しつぶされそうになるんではあるまいか。

もちろん嬉し泣き…や、マタニティブルーなどの要因も考えられるだろうが。

一部したしい友には「急に子供を産まねば!という意識が芽生えた」と告白したが、私と同居人のスタンスは一生同じままで続くと思っていたので、正直、この心境の変化には自分がたまげた。

同居人とも「子供は要らない派」だったからだ。

ケッコンに対しては「してもしなくてもよい。強いて言えば、墓場メイトと同居しているという感じ。将来、50歳60歳代で棺桶タイムに思いを馳せる時、入籍しても遅くはないのでは…。」というコンセプトが同居生活の間固まって来つつあった。

それが、急になぜ「子供」?

ここ近年、親しい友人や、親戚関係が相次いで亡くなったのが起因すると思う。

輪廻転生思想は、ともするとこの現世に厭世感をもたらす危険を孕んでいるので、盲信するわけにはいかないが…
笑われるかも知れないが、亡くなった彼らを「もう一度産み治さねば!」と、なぜか、ふと思ってしまった。

仏教では亡くなった魂は、中庸の時期を過ぎ45日目にはもう新たに母体に宿っているというから亡くなって数ヶ月から数年経っている人を産み治すには、タイムリミットはとうに過ぎている。

なおかつ、同じ日本のこの京都に産まれてくるとも考えにくい。
どれくらいの確率か…。
そして故人が生まれ変わりを望んでいないとしたら…。
望んでいてもいなくても、無理矢理、新たな母胎に押し込められるとしたら…。

凡夫の狭い了見では推し量りがたい。

きっかけは「産み治し」という問題提起であったが、だんだん最初の主旨はおぼろげになり、単に「新たな生命を作らねば・産まねば!」という意識に変わって来た。

ちゃらんぽらんのようでいて、真面目な部分も併せ持つ私は(笑)、
「子供を作る前に、まず、婚姻やな。」と順番を遵守したのである。

もっとも、その「婚姻」においてまず「意志を親に明確にする」という順番は守らずに、入籍を済ませた(婚姻の事実の)後、報告したモノだから、双方(主に同居人の両親)は、相当、驚かれたようだ。

のち、義母のママさんバレー仲間が(義母が)そうとう、うろたえていた…事実をあきらかにした。マァァァ!(Ф_ゝФ)マァァァ!

うろたえてたってお義母様(笑)

同じ駅を挟んで対面に位置する、ごく近所の同じ地域に住んでいて人間のメスと猫のメスが10年も同居している事実に気づかないでいたという事実の方が驚愕ですよ。

まぁ、事の善悪は論じたくないが、この場合悪いのは同居人であった。

10年間、私は向こうの実家を一度も訪れたことはない。

くれぐれも私が避けていたのではございませんことよ。

何度か「挨拶に伺いたいのですけれど。」と同居人に交渉してみたのだが、その返事は曖昧か、「うん」と同意してはみても、結局、二の足を踏み親に言えないのであった。

「私の事が恥ずかしいのですか?」と疑問をぶつけたこともある。


そうではなくて…
彼はエディプスコンプレックスが強く、そして、誰に対しても(親に対しても)秘密主義のところがあるのが最たる要因であるように思われる。

さて…
入籍のあとは、報告だ。

こればっかりは、同居人も避けられまいて…
しかし、自分で報告する勇気がなかなか湧かないようだ。

知恵を絞れ、私!

あの手でいかなんだら…

この手がある。

すでに絡めては使った。(笑)


つづく…










2005年08月01日(月) ■
ケッコンしたって本当ですか?

まず、最初に…
繊細なeisensteinさんのハートおよび一部の皆様のお気持ちを攪乱させてしまったこと心よりお詫びいたします。(*_ _)ノ

思うに『トカゲのしっぽ切り』…

『思わせぶりなストリッパーが最後の一枚をなかなか剥いでくれない…』

の様な状態ではなかったかと独断で想像しています。

だって、最初のコンセプトが『ネットアイドル♪』だったんだもーん。(←殴

いえ、冗談ではなく皆さん、本当に殴っていいです、ハイ。


正直に申し上げまして、私が今の家に転がり込んだのは10年ほど前…

その数年後に伊藤猫も転がり込んでこられたのでおます。

人間の♀および猫の♀を、気前よく引き受けてくださった家主と昨年の10月に入籍いたしました。
(* ̄┏Д┓ ̄*) ポッ

入籍より遡る事『10年前』から、ずーっと同じスタンスで同棲し続けていたので、婚姻の報告には実家の母および友人関係、お世話になった諸先生方のアドレナリンやらドーパミンを多量に放出させるような事態に至り「驚いた!」とのお褒めの(←何か違うし)言葉をいただきました。

ええと、一部の親しい人には事前に、他の人々には事後報告でございました。

さて…
入籍日は、おりしも天災の爪痕を日本全国に残して行った『大型台風23号』の、近畿上陸の朝の事でした。(2004年・昨年の話しですね。)

お仕事の関係上、行くことの難しかった家主を置いて、私は一人で役所に出かけたのでございます、じゃじゃ降りの雨の中…。
その前日でしたか、親しいネッ友さんに「お役所の業務が始まるのは、朝何時ですか?」とトンマな質問を携帯メールでしました。その節は、ごめんなさい。

業務開始時間を気にしないと行けなかったのは、わたくし、半日有給しか取ってなくて午後から出勤だったのでございます。

「あんたと○○君(←夫の名前)の字は似ているから、委任状を持って行くのやでー!」と、友達にクドク念押しされた私は、家主をせっついて委任状を書いて貰いました。

手前どもの役所は数年前、不正でどえらく吊し上げられた役所でございます。
そのせいか、窓口ではいたって親切・懇切・丁寧…。
せっかく委任状を書いて貰ったのに「要らないですよー。」と笑顔で返されたんですが、返されても…。
無理矢理「(委任状)受け取ってくだたーい!」押しつけて来ました。

彼の本籍地は他府県、私は京都市内と…それぞれ、籍の場所が違ったので、郵便小為替で取り寄せ、現住所で新たに戸籍を作りました。
戸籍抄本(謄本)申請のフォーマットはネットでダウンロードできます。
便利な世の中だなぁ…。

私の新姓での「実印登録も一緒に済まされますか?」との問いに、パニックになった私は旧姓での実印を差し出してしまいました。(赤恥)

いろいろと「エエかいな?(だいじょうぶかな?)」客観的な知人がいたら不安になるほどの、うろたえぶりをみせ、無事、入籍の運びとなったのでございます。

そして、午後から、素知らぬ顔で出勤しました。

何変わらぬ日常…
紙切れ一枚提出したところで、私の日常に変化はみられない。
変わりはしない…。

「ケッコンしたんだよっ!」 心の中で叫びつつ、何食わぬ顔で業務を続けました。

いつまでポーカーフェイスを維持していられるのか…。
そもそも、それほどまでに大事ではないから、ポーカーフェイス云々以前の問題ではないか?

しかし、名字が変わると銀行口座および種々の公的な文書(例えば運転免許証など)の名義変更手続きをせねばならない。
会社にもいつまでも黙っておけない。
でも、会社では婚姻の事実は伏せて貰おう、仕事は旧姓で続けさせていただかねば。(親会社の前例としては婚礼すると新姓を名乗らねばならない。弊社では大抵婚礼のち退社か婚礼前に辞めてしまう。)
いじめっ子ナ○ちゃんが荒れると、余波が大きくなり誰の手にもおえなくなっちゃう…。

夫婦に関わる人間総てがすべて…
「心からおめでとう。」という気持ちの人ばかりではない…というのは、残念ながら事実の一部である。

とりもなおさず…
大事に育て上げた一人息子の長男(妹二人)を、どこぞの馬の骨にσ(^^;) かっさわれた母親の心情はいかばかりか…
自分が反対の立場に立つと胸が痛い。

機は確かに熟していた…と、おぼろげながら確信していたような気がするが、私のとった行為は果たして、正しかったのかどうか…。

・とっても喜んで下さった方
・難色を示した方
・口先だけで祝いを言い本当はくそ面白くない方(笑)
・驚きのあとに喜びが来た方

エトセトラ・エトセトラ…

反応は実に種々多様でございました。

続きを書くだけで、数日分の日記ができあがりそうです。(笑)

私たち夫婦は、とても恥ずかしがり屋(?)でシャイなので(笑)、式はあげずに婚礼写真だけ取りに行きました、ちょうど、ボランティアで知り合った方が、婚礼センターに勤めてらしたので…。

それでは、証拠写真↓






今日はこれから出かけねばならないので、また、続きを書きますね。
・△・)ノ バイバイ



2005年07月24日(日) ■
簡素化




私が今の家に住んでから10年になるが、10年の精神的な重みはあまり感じられず、10年のあいだ蓄積したガラクタで家が「┗(-_-;)┛オ・・オモイ… 」と言うている。

数度の引っ越し経験の後、「タンス類は必要ないな。」との実感を得た私は、和洋のタンスを持たない。
鏡台も母に貰ったけれど、場所ふさぎになるので捨てた。

タンスは押入があったら必要ないと思う。
押入のフスマをはずし、上段には突っ張り棒をすると衣類が掛けられる。
下段には、便利な収納ケースが活躍する。
この収納ケース、多少、値段がはるのが難点だ。

日々着替える小間物達はどうするか?
コロ付きの半透明収納ケース5段を買って、上から「靴下」「下着」「Tシャツ」「短パン」などとわけて、しまっている。
うちは脱衣所が狭いので、居間と台所をつなぐ廊下においてある。

「いつか使うかも?」と取り置いた物品を使うことは、殆どない。

針金ハンガーは洗濯物を干すときに便利だが、クリーニングの度にどんどん溜まるので、どんどん捨てていかねば…。

京言葉の先生は、マンションにお住まいだが、いつ訪れてもオープンハウスのような簡素さで、整理整頓収納のお手本にしている。
その空間は、生活臭が殆どしないくらい。

先生のレクチャアの一つに「予備をおかないこと。」というのがある。

洗剤でも食品でも、安いと「どうせ使うモノだから。」と買いだめしちゃうよね。
それらの品物が知らず知らずに溜まって、私の生活を浸食し、私に無言の圧力をかけるのよ。

さらに先生は「要るモノ」「要らないモノ」「中間」のカテゴリにわけ「中間のモノは1年〜3年の間に処分」しなさいと言う。

ちなみに先生自身のカテゴリには「中間」というのは存在しないそうだ。

「狭いマンション暮らしだから、モノが増えると困るのよ。」然り。

狭くても広くても、モノは増えると困る。

最近の笑い話というか、明日は我が身というか、身につまされる話しがある。

だいたい70歳を過ぎたあたりから、ご婦人方は「押入の整理を始めている」そうだ。

そのココロは「いつお迎えが来てもいいように。」

うちの母も「ある年齢が来たらトラック呼んで捨ててもらう。」と言っている。
そう彼女はネズミ年生まれなので、その溜め込みようは凄まじい。

だいたい「お迎え」というのは、若かろうが老かろうが(笑)生きとし生けるもの総てに公平にやってくるものだからして、「若い」の上にあぐらをかいていていてボンヤリしているうちに、ある日、突然クルマにはねられ没してしまうやもしれぬ。

私の場合は、今の縦長の家ではなくて、も少しフラットな家への引っ越しをもくろんでいるので、ラクに引っ越ししたいがための所作でもある。

モノへの執着心を捨てると、簡素化はかなり進む。

この世に執着する値打ちのあるものは、モノには置き換えられないと思う。

私はmokoさんの「来るモノ拒まず・去る者追わず…川の流れのようにサラサラ」としたスタンスが好き。

今日、我がサイトを整理して、やっと決心がついたので(そんな大げさなモノでもないが)Diary2とサヨナラした。

このDiary1の方は1日のうちに数度の日記が書けないのが唯一の難点なんだが、よく考えりゃ、1日1度の日記もかけてない。
『たまに能弁になる』時とかのためにDiary2はストックしておけないよ。

そもそものコンセプトの…
Diary1→建前
Diary2→本音

も、日常の感情の揺れのなかでは分けがたいしね。
表裏は一体で、常に反転するあやうさも持っている。

そんなこんなで、形のあるモノ無いモノのシンプル化を目指している昨今である。

パソコンもプリ○スになってから、外付けのスピーカーが要らなくなってスッキリした。

頭の中は…
シンプル以前の問題で、モノを考える力が弱くなっているような気がする。

なんとかしなくては…ね。(笑)










2005年07月12日(火) ■
宗旦ギツネ   <伝説・京都市上京区>





せっかく1日中、ぶらぶらしているご身分になれたのだからして、以前より参加したかった(でも平日のお昼なので参加できなかった)【京ことばの会】に月に2回、出席している。各週の火曜日の午後1:30〜4:30まで。

殆どが60歳以上のご婦人方だ。

まずは発生練習から…

アエイウエオ アオ   カケキクケコ カコ
サセシスセソ サソ   タテチツテト タト
ナネニヌネノ ナノ   ハヘヒフヘホ ハホ
マメミムメモ マモ   ヤエイユエヨ ヤヨ
ラレリルレロ ラロ   ワエイウエオ ワオ

大きな声で腹式呼吸を利用して発生する。
この発声練習マニュアルは、アナウンサー・演劇者・朗読者・声楽者の間ではまず、お約束だろう。
もう、そらんじて言えるほど脳裏に染み付いてしまっている。

それから…

「京ことば辞典」を、ア行から勉強する。

私が参加する以前にすでに一巡しているようだ。<京ことば辞典

京の仏閣や仏事・祭事なども紹介されており、それは論語や狂言を引用してあったりして、なかなか難しい。(;´Д`A ```

単語1つずつ、順番に読んでいく。

今日やったのは、

アガル … 京都旧市内の通りを北に行くこと。<<動五>>
−−−   例)「河原町四条上がる」河原町通(南北の通り)に沿う地点で
↑イントネーション   四条通(南西の通り)から、北へ行ったところを示す。


アカン … �,い韻覆ぁ�「危ないとこへ行ったら、アカンエ。」<<連語>>
       ��効果が薄い。「なんぼ頑張っても、アカンナ。」
       �L鬚卜�たない。「もっと、しっかり勉強せんと、アカン。」
       �ぜ紊ぁ�「気のアカン子やなぁ。」

などなど…。

進捗具合は一会につき2ページぐらいだから、まだまだア行は続くのだろう。

さて…

それから、メインが京ことばで書かれた文章の朗読である。
今月は宗旦ギツネという民話をやっている。
物語を一人ずつ、交代で呼んでいく。




   【宗旦ぎつね】     (京都市上京区の伝説)


ずーっと、むかし、京都の町がいまより、もっと小さかったころの話しや。
御所の北にある相国寺のあたりは、もう町はずれで、竹やぶがたくさんあって、家もぱらぱらたってるだけやたそうな。

そんな竹やぶの中に、一ぴきの古ギツネがすんでて、宗旦ギツネちゅう名がついてた。
なんで宗旦ギツネちゅう名がついたかいうと、このキツネはゆうめいな茶人の千利休の孫になる千宗旦さんにばけるのが、えろううまかったからなんや。

ある日のことや、相国寺でお茶会があってな、宗旦さんもまねかれてはったんやて。
「きょうは宗旦さんのお手前がはいけんできますな。」
「わたしもそれがたのしみで。」
と、ゆうぐあいに、みんながはなしてるうちに、宗旦さんもきやはって、室のなかにはいらはった。

いよいよ、お茶会がはじまろうとしたとき、小僧さんにあんないされて、またひとり、お客がはいってきたんや。
「おそなりまして。」
あいさつするお客を見たら、なんとそれがまた、宗旦さんなんや。これには、みんながびっくりしてしもうた。

「あれれ、宗旦さんがふたりになった。」
「これはどうしたことやろ。」
みんなはあっけにとられて、ふたりの宗旦さんを見くらべてるばかりやった。

ところが、しばらくたつと、さきにすわってた宗旦さんのようすがおかしなってきた。目が妙につりあがって、顔がとがってきて、四つんばいになったかとおもたら、バリバリ、まどのしょうじをやぶって、そとにとびだしてしもたんや。

「なんやなんや。」
「どうしたんや。」
みんなは、二度びっくりや、どやどやと庭にとんででて、むこうを見たら、大きなキツネが逃げていきよるとこやった。

「あ、キツネがばけてよったんか。」
「それにしても、うまいことばけよったな。」
お茶会にきてた人は、ほんものの宗旦さんと大わらいしたちゅうことや。

宗旦ギツネがお茶会にきたのは相国寺の中にある慈照院ちゅうお堂で、このお堂にはいまでも、宗旦ギツネがやぶって、にげたまどがのこってるそうな。

だいたい、この宗旦ギツネはふだんから、宗旦さんにばけて、よう、お寺にきたちゅうことや。
おしょうさんが碁がすきで、宗旦さんもちょくちょく碁をうちにきたんやけど、キツネも宗旦さんにばけて、碁をうちにきよるのや。

こないだきた宗旦さんはキツネやったんやろか、いま碁をうってる人はほんまもんやろか、さっぱり、わからへん。

「どっちゃでも、よろしおす。愚僧は碁のあいてをしてもろたら、よろしいのや。」と、おしょうさんはへいきやったけどな。

ところで、こんな話しもあるのやで。

相国寺のちかくで商売してた家が、しごとがうまくいかんようになったんや。
「もう、店をたたんで、いなかへかえろか。」
主人がおくさんと話をしてたら、だれやしらんけど、表戸をトントン、たたくもんがいる。
戸をあけたら、そとに立ってたんは、宗旦ギツネやった。

「おこまりのようどすけど、相国寺の池にはえてるハスの葉をとって、みそ屋さんに売りにおいきやす。葉をみそにいれとくと、みそがくさらんのでたすかります。」いうて、おしえてくれたんやて。

おしえられたとおり、みそ屋さんにハスの葉をもっていったら、それがええちゅうことで、みそ屋さんからは、またもってきてくれちゅうわけや。それで、もうけたお金をもとでに、その家はたちなおった、いうことや。

こんなぐあいに、宗旦ギツネは人だすけもしたし、みなから、すかれてるキツネやった。

そやけど、ある晩のことや。
夜もふけてから、相国寺のあちかくの家の戸をたたくもんがいた。
家の人が戸をあけると、宗旦ギツネが立っていた。
「おや、どうしたんや。」
家の人がたずねたら、宗旦ギツネはさびしそうな顔をして、
「きょうは、おわかれにきました。」
て、いうのや。
「え、おわかれやなんて。なにをいうのや。」
びっくりして、きくと、
「ほんまに、おわかれです。わたしのいのちはあしたまでです。」
いうて、しょぼんとしてたそうな。

ほんで、あくる日のことや。
相国寺のちかくの竹やぶで、大きな古ギツネが猟師の鉄砲にうたれて、ころされたんや。
宗旦ギツネのすみかのある竹やぶを、お金をもろて、漁師におしえたんは、八百屋の小僧でな、それからまもなく、キツネのたたりやろか、気がくるうてしもたちゅうことや。

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宗旦ギツネのさいごについては、べつの話もあるで。

御所の近くの豆腐屋さんが、ある日、あぶらげをあげてはったんや。そしたら、にえたぎるあぶらの中に、天井から、ネズミがおちてきてな。
豆腐屋さんは、そのネズミを御所のへいの上に、ほうりあげとかはったんや。ネズミのあぶらげいうたら、そら、キツネの大好物や。

宗旦ギツネはおもわず、それを食べてしもたんや。そしたら、さすがの宗旦ギツネも、神通力をうしのてしもて、正体をあらわしたとこを、のら犬のむれにおいまわされ、相国寺の井戸にはまって、死んでしもたていう人もいる。

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いまでも、相国寺の大きな山門をくぐって、本堂のほうにいくと、右手に、お稲荷さんのほこらがある。宗旦ギツネは、ここに、神さんになって、まつられてんのんや。




**********  から  ********** までの間は、「ねずみのからあげなんて!(((( ;゚д゚)))ブルブル そんな残酷なこと、よう読めません!」と、さるご婦人がおっしゃったので、割愛することになった。

原文に忠実ではないけれど、多生、胸くその悪い表現ではありますからな。

京ことばの発音やイントネーションを大切に…

情感を込めて…

様子が思い浮かぶように… 語る。


皆、数点のだめ出しをくらう。

私はやけのやんぱちで、思い切り大げさにせりふなんかを読んでみたんだが、それでも、まだ、だめ出しをくらった。

なかなか、有意義な一日だった。

あきるまで、宗旦ギツネの朗読はつづくのだろう。 うへっ







2005年06月23日(木) ■
から梅雨




梅雨だけど梅雨らしくない今年の梅雨。

諸外国の方は日本へ来て、日本の夏の湿度の高さに驚かれるようだが、湿度さえなければ幾分かは過ごしやすいんだが…と毎年思う。

汗をかいて、乾いて、また汗かいて…。
しまいに身体がネチョついてくる。
腕の関節、膝の関節…曲げるごとに皮膚と皮膚が貼り合わさって、ネットリとしたハグをしやがるんだ。気持ち悪い。

今年の夏は、冷夏なのだろうか…
朝晩は涼しい。
窓を開けておくと涼風が、身体を心地よくなでてくれる。
寒いくらいの晩もあるね。

湿度ムンムンの暑い夏より、いくぶん冷える冬の方が脳は良く回転してくれる。

脳の回転で思い出したけれど、最近、養老孟司のファンである。

ヒットとなった「バカの壁」は賛否両論で、私は他の人の批評により食わず嫌いだったけれど、新聞の記事により急にファンになった。

内容は、どこぞの高校(もしくは中学)へ行って、講義をするというもの。

いろんな著名人がいろんな学校へ行って、たいそう興味深い講演をされていた。

養老氏の言葉のなかで私が魂を奪われたもの。

「なんで生き物(人間)を殺してはいけないか?それは2つとして【同じもの】を作れないから。ハエをハエ叩きで潰すのは容易だ。だけど同じハエを創り出すことは不可能でしょう?」至極たんじゅんな論理だけれど、すごく尊い言葉だと思った。

遅ればせながら本を2冊ほど買って読んでみた。

「現代人がかくも切れやすいわけ」というような内容の章があった。

現代人は目に見えているものだけを信じるというような傾向にあることが一つの難点である。
例えば、寝る事を惜しむ。
寝る事=何も考えていない=何も生産していない無駄な時間 と、とらえているフシがある。

人生の1/3は眠りである。

眠り=無 ではなくて、

ほんとうは眠っている間も心臓はポンプの役割を果たし血液を体内に運んでいるし、DNAもなんらかの動きをしている。
完全に臓器が働くのを止めてしまうと「死」ということになる。

起きて働いて思考している脳は、動き続けている間にカスのようなものが溜まっていく。
そこで睡眠をとることによって、この「カス」がキレイにされるそうだ。

キチンと寝ないとこの「カス」が取れない。
すなわち脳の回転がにぶる。という事に繋がるらしい。

目に見えるものだけを信じるというのは、ちょっとキケンな考えかも知れぬ。

ほんとうは、目に見えないものに大切な何かが隠れていそうな気がする。

例えば「心」は目に見えない。

「あなたを大切に思います。」と、字におこすことは容易でも、口で言うと言霊となり体内より出て行き、それは目に見えない。

見えないから無視するのではなく、見えないものも大切にしましょうという話し。




2005年06月06日(月) ■
宜保愛ちゃん




…ということで、引き続き輪廻転生を考証してみましょうか。

6月4日の土曜日は私、亡き父のお墓参りに行って来たんですよ。

ゲンキンなもので、何か悩ましいときには続けて参っていたのが、最近の忙しさにかまけて、足遠くなっておりました。

その帰りにいつも寄る大型古本(古着も)店で、これまた亡き宜保アイコさんの本を購入しました。ひゃくえんで。

正確には宜保サンの娘さんが生前の母様のできあがった原稿により発刊に至った本です。

私は宜保サンにタイしては半信半疑だけれど、少なくとも昨今メディアを賑わせている占い師連よりは誠実な感覚を受ける。

願わくば、バッシングに負けないでリベンジして欲しかった。
追悼の意味も込めて、初めて彼女の本を購入し、一気に読んだわけです。

そこに私の求めていた答えが書かれていたわけですが、
少し、抜粋すると…

人間は死ぬと幾通りかのチューブの中を歩いて(三途の川を渡った後ですネ)生まれ変わりへの道を辿ることになるようです。

勿論…
良い意味で生まれ変わらない人もいる。
そんな人は、生前、人のために一生懸命尽くした人なんですって。
菩薩様になるようですよ。
で、亡くなって間もない人がチューブの中をスムーズに歩いていけるように先導したりするのです。

怖いな…と思ったのは、色情因縁のチューブ。
ごろごろした岩だらけの足場の悪い道をいざるようにして、傷だらけになって進まねばならない。

それから生前、他人を苦しめた人は、その怨念によって数歩進んでは数十メートル引き戻されるという苦行をしいられるのです。

だから、端的な話し…
人には善くして、善根を積みましょうということです。

先の尼崎列車脱線事故の記事を読んでいて、ある遺族の方の思いが目にとまりました。
「生前、母は“どんな事があっても人を恨んではいけないよ。”と言ってました。」

これは、深い…
実に深いお母さんの言葉だと思いました。
人を呪わば穴二つ…というように、人を恨んでいると己の身にハネ帰ってくる。
亡くなったお母さんは、我が子にそんな目に遭って欲しくないと思われたのでしょう。

そう…
人を恨んで、同じ場所で足踏みしている暇は我々には無い。
せんのないこと。
それから…
人を恨むというエネルギーも、勿体ない。
そして…
何よりも人を恨むことによって自身の魂が汚れるのはイヤなことですネ。

「人を泣かせて栄華を誇り、幸せに暮らして死んでいく」ような人には、死後、苦行が待っているようです。
((;゚Д゚)ガクガクブルブル

だから、毎日、どうして暮らして行くべきかは、至極、単純なことで…
人生において滅私奉公というか、他人に対して最善を尽くして行く事なのでしょうネ☆

で、そこで、甘い顔をするのと、叱咤激励するのと『最善を尽くす』という次元において違うという出発点を改めて確認し直すということも肝要かなと思う。

愛の鞭…と言うと、聞こえはいいけれど、単なる自己満足だったら相手に迷惑だし…、それなら最初から関わらないでおけばイイんだけれども、関わらずを得ない相手もいるわけで…

いろいろ考えると誠に悩ましいですが、今は、出来る限りのベストを尽くすという結論にしておきましょうかネ。
・・・ (б_б)




2005年05月18日(水) ■
生まれたから生きる




この頃、強く思う事は(先の日記にも書いた通り)運命って予め決まっているように思えてならない。

抗い難いモノを感じる。

「あの日あの時あの場所で…」君と出会わなかったら、今の自分はどう変化するか?

ども・こも、ない。
しかるべくタイミングでしかるべき時に出会うように、なっとるねん。

よく「今のままで18歳の自分に戻る事ができたら…。」あるいは「20歳の自分に…(戻る事ができたら)。」なんて言葉を言い聞きもしたりするが、ある人によると「たとい戻ることができたとしても同じ道を選択する。」そうだ。
それは、多感な年頃の私の意識に強烈に残った。

その時は、単なる『習慣としての選択』なのかな?って考えてた。

例えば、いつも電車に乗り込むときスグ左側の席へ移動するとか…。
窓際を選ぶとか…。

今にして思えば、運命の轍ってあるような気がする。

この頃、「しゃらくさい。」と思うことは、某国から翻訳して出版される自己啓発のたぐいの本だ。

☆私が、こう変わったらボスもこう変わってくれた♪

あるいは「ボス」のところを「伴侶」と置き換えてみてもイイかも知れない。

人間は変わるべきポイントで変わり、変わらないポイントでは不動のままではないか?それを「変わった」と陳述するのは、大いなる錯覚のような気がしてならない。でも、それはそれで、ある意味しあわせな見解だと思う。

私は秘かに来年にある決断をしているのだが、今から10年以上も前に霊視占い師に近しいことを言われた事が決断時に蘇った。
「そんな事はあり得ない。」霊視占い師から神託された時は確かに内心、反駁していたのに…。
勿論、その時に催眠術をかけられた…という事ではありません。(笑)
昨年、急激に運命の変転を迎えた私には予感するところもある。
当たっているかいないかは、来年にならないとわからない。

去年末に近い頃、いとこが亡くなった。
それも十年以上も前に夢に見た。

霊視占い師も夢を見た私も、一時的に時空を超えていたのかな。
アインシュタインの原理が正しいとすると、それもあながち夢想ではあるまい。

親より大人より先に、人智を越えた何かがひいたレールに乗っかっているような気がするな。

そうすると…
出来レースを生きねばならない理由は何だろう。

先の世の借金返し?

この世でも借金をこさえているような気がしないでもない。

借金か貯金か?

それを決めるのは浅薄な自身の知恵でないことは確か。

「そなへんは、あまり深く考えたらイカン。考えすぎると江藤淳みたいになるでぇ…。」と歯医者のジィちゃん先生は言っていた。

江藤淳:

戦後日本を代表する文芸評論家
1998年、妻を亡くす。
1999年7月21日、自殺。66歳。
遺書:

【心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳】

妻を亡くし、自身も脳梗塞の発作による身体の不自由から死を選んだと言われているが…
歯医者のジィちゃん先生曰く、
「考えすぎたから。」だそう。

私は「知ってしまったから。」だと思う。

この頃思うことは、自殺でも他殺でも病死でも…
寿命が尽きるという原理においては、一緒で…
例えば、宗教では「自死」は魂がさまようからというような理由のため禁止されている事が多いが、そうとも断定できない『何か』が、あるような気がしてならない。
それを江藤淳は知ったというか、悟ったんではないかな?


人間は…
どう逆らったって死ぬ時は死ぬねん…。
それが私の出した結論です。

生まれてきたからには、一生懸命、楽しく、生きて行くのが責任かな?と思う。
うつらうつらと、まどろみつつ…。