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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2018年12月29日(土)
Vol.876 平成最後の

おはようございます。りょうちんです。

今年の流行語大賞に、平昌オリンピックで活躍した女子カーリングチームが頻繁に口にした「そだねー」が選ばれた。そもそもこの流行語大賞が毎年選ばれること自体、いささか疑問に感じるのだが。今年の「そだねー」は俺ですら何度も耳にしたし、自分で口に出すこともあって、例年と違い納得ができた。しかしこの「そだねー」を超え、夏頃から急激に、しかも最近ではやや過剰気味に使われている今年の隠れた流行語がある。「平成最後の○○」という言葉だ。流行語の候補にノミネートすらされなかったが、俺はこの「平成最後の○○」が大賞でもおかしくなかったと思う。
最初に使われたきっかけは、「平成最後の夏」というフレーズだった気がする。今年の夏は各地で猛暑を記録し、台風や豪雨であちこちで水害が起きた。ちょうどその頃に来年4月で平成の時代が終わり新しい元号に変わるというニュースが重なり、今年の夏を印象づけるワードとして「平成最後の夏」がメディアで使われ始めたんだと思う。だがこの「平成最後の」という枕詞だけが異常に独り歩きしてしまった。今や必要以上に「平成最後の○○」という言葉が使われ、いたるところで目や耳にする。
「平成最後のシルバーウイーク」とか、「平成最後のハロウィン」とか。いや、ちょっと待て。平成が始まった30年前、シルバーウイークはまだ存在してなかったし、ハロウィンも日本では相当認知度の低いイベントだったはずだ。「平成最後の」の正しい使われ方は、平成の時代を締めくくるイベントとして例年より盛大で記憶に残るものにしたい、というのが本来の意味だ。というか、本当なら平成最後だからでなく、毎年それくらい印象深いイベントになるよう心掛けて行われるべきであるのに。じゃあ来年は、「新元号最初の」という枕詞が同じように流行しているのだろうか。
かく言う俺も、平成最後のクリスマスが過ぎ、平成最後の年賀状を書き、まもなく平成最後の年越しを迎えようとしている。何年かしたら、平成最後の冬はあんなだったなぁと懐かしむ時が来るのかもしれない。



2018年11月05日(月)
Vol.875 チョコミントの衝撃

おはようございます。りょうちんです。

過去を振り返ると、それまで名前すら聞いたことがなかったのに、ある時突然現れて、あまりのおいしさに絶大な衝撃を与えてくれた食べ物がいくつかある。キウイフルーツ、ブルーベリー、チーズフォンデュなどなど。最近ではバーニャカウダもか。今じゃ当たり前のように定着したものも多いが、何と言ってもその代表格はチョコミントのアイスクリームだ。
俺とチョコミントアイスとの最初の出会いは、高校1年生の秋。その日、別の高校に進学した中学の同級生から学園祭に呼ばれた俺は、彼女がやっていたアイスクリームの模擬店を訪れた。密かに俺が好意を抱いていた彼女におススメを聞くと、彼女は「チョコミント!」と即答した。実は俺、甘いものは大好きなくせに、唯一チョコレートがあまり得意ではない。チョコレート自体ほとんど食べないし、チョコを使ったケーキやクッキーは敬遠しがちだ。だからその時も定番のバニラ味に魅力を感じたが、せっかくの彼女のおススメは無下に断れない。食欲増進にはけしてならない水色のアイスクリームをコーンに乗せてもらい、ひと口舐めて驚いた。
最初、歯磨きかと思った。スーッと鼻に抜ける強烈なミントの風味のあとで、口の中いっぱいに広がる甘味。俺の苦手な濃厚すぎるチョコのきわどさはなく、むしろ時々舌で溶けるチョコチップが絶妙なアクセントになって、俺は心から感激した。あまりのおいしさにおかわりしてしまったくらいだ。チョコミントの衝撃を受けた俺は、その日を境に当分の間チョコミント以外のアイスクリームは食べなかった。あの頃、いろんな味のアイスクリームが続々と登場したが、結局チョコミントを超えられなかった。
今年の夏、メディアの影響からか、チョコミントが再注目されたらしい。そんな中、チョコミント味のカップケーキが売られていたので、思わず購入してみた。水色に焼かれたスポンジにチョコチップが散らしてあり、食べると確かにスーッとしたミントの風味が感じられるのだが。うーん、何かが違う。やっぱり、チョコミントはアイスクリームに限る。



2018年10月10日(水)
Vol.874 塩の影響

おはようございます。りょうちんです。

日本は今年、自然災害の多い年だと言われている。年明けに草津白根山が噴火したかと思えば、日本海側で記録的な大雪が降り車が何台も立ち往生したり。西日本の広い範囲で豪雨による河川の氾濫や土砂災害が起きたかと思えば、勢力の衰えない大型の台風が列島を縦断したり。大阪や北海道で大きな地震があったかと思えば、全国的に高温で記録を大きく上回るひどく熱い夏だったり。各災害で被害を被ってしまった方々には、心よりお見舞いを申し上げます。
幸いなことに俺の住んでいるこの場所は、夏は確かに酷暑が続きみんな毎日とろけそうにはなっていたが、まぁせいぜいそのくらいで。大して深刻な被害には悩まされなかった。他の地域に比べたら、恵まれている方だとは思う。関東にも甚大な被害が出るかもと電車の計画運休までされた先日の台風24号も、寝静まった真夜中に一時的に雨と風が強かっただけでほとんど無傷のまま通り過ぎて行った。嵐が去った次の日には台風一過の青空が見事に広がっていて、ほっと胸をなでおろしていたのだが。
しかし時間がたつにつれ、この台風がもたらした塩害がじわじわと出てきている。台風が過ぎた翌朝、車のドアに手をかけると、車体がザラザラする。風で飛んできたゴミや砂ぼこりのせいかと最初は思っていたが、正体は海水を巻き上げた雨による塩分が原因らしい。数日後、最寄りの駅の路線が連日不通になってダイヤが大幅に乱れた。駅では代替えのバスを待つ長蛇の列ができていたようだし、電車で通勤する相方を別の路線の駅まで車で送る羽目になった。街路樹のイチョウの木々がまもなく黄色く色づくのを前に片側だけ茶色く枯れてしまったのも、近くの鉄塔の上の方がしばらくジリジリ音を立てて鳴っていたのも、どうやら塩害が原因らしい。今後は、収穫が待たれる農作物への影響も懸念されるところだ。
車で30分以上も走らないと海にはたどり着けないこの場所にも、こんなにも顕著に塩の影響が出るなんて。やっぱり、自然を侮ってはいけない。



2018年09月30日(日)
Vol.873 ヒガンバナが咲いていた

おはようございます。りょうちんです。

【ヒガンバナ】ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草。曼殊沙華とも呼ばれる。9月中旬頃に赤い花が咲く。有毒。不吉で忌み嫌われることもある。
小学生になった年の秋だったと思う。いつも遊んでいる空き地で、見たことのないものを発見した。すうっとまっすぐ伸びた茎の先に、毒々しいほど鮮やかに咲く赤い花。それがひとつだけでなく、何十とかたまって咲いている。線香花火の火花を散らしたように見える花のカタチも、花と茎だけで葉が一枚も見当たらないのも、見るほどに奇妙で独特な植物だ。でも確かに昨日まではこんなインパクトのある花は、絶対にここには咲いてなかったはず。ただ緑色の草が茂っていて、蕾の存在さえ気づかなかったのに。一日で一気に存在感を現した赤い花に、俺はひどく驚いてしまった。
真っ赤に咲くその花に、俺は思わず手が伸びた。手折ろうとすると、一緒に遊んでいた友達のひとりが俺に叫ぶ。「その花、縁起が悪いんだよ。折ったら、おうちが火事になっちゃうんだから!」と。
家に帰った俺は、さっそく母に真っ赤な花の話をした。空き地に昨日はなかった真っ赤な花がたくさん咲いていて、それは葉が全然ない今まで見たことのない植物で、花を摘もうとしたら縁起が悪いからやめた方がいいと言われて。すると母は、「あー、あれはヒガンバナと言ってね…」と、詳しく俺に教えてくれたのを覚えている。毎年秋の彼岸の時期になると一斉に花開くヒガンバナは、雨に打たれるとあっという間に色褪せ存在感を失う。彼岸、花の命の刹那さ、縁起の悪い花という言われ。ヒガンバナの第一印象がそんなだったからか、鮮やかに赤く咲くヒガンバナに対して、美しいと感じながらもずっとどこか忌み嫌っている自分がいた。
先日の彼岸の中日、弟一家と墓参りに行くと、墓地の裏手に一面にヒガンバナが咲き乱れていた。昔はこんなところにヒガンバナが咲いていた記憶はないのだが。でもこれほど見事にヒガンバナが咲き誇れる場所はここ以外にはないのかもしれないと、俺はしばらく真っ赤な花々を眺めていた。



2018年08月31日(金)
Vol.872 キューバで出会った女神

おはようございます。りょうちんです。

昨夏、俺らはキューバに行った。トロントで乗り継ぎ、ハバナまでは羽田から19時間。初日は宿泊予定地であるバラデロへ向かう予定だ。空港から始発駅があるカサブランカまでは、タクシーを飛ばした。
まずはここからハーシー線でマタンサスまで電車で行きたい。ただこのハーシー線は1日3便だけだから、早朝の便の次はお昼過ぎだ。簡素な駅舎に停車している小さな電車と数人の乗客が見えて、俺らは安心した。脆弱な電力事情を考えれば、電車が動かないことも十分に考えられたからだ。座席に座っていると、男性が話しかけてきた。どうやらこの電車、理由は不明だが終点のマタンサスまでは行かず途中のハーシー止まりらしい。ハーシーからはタクシーでマタンサスまで行ける、とも教えてくれた。
奇跡的に定刻通り出発した電車はハーシーに着くと、乗客全員が降ろされた。俺らは駅周辺を散策する。それにしてもハーシー、昔のチョコレート工場の跡地がある他に何もない。駅にいた人たちも、電車が戻って行ったあとはどこかに消えてしまった。教えられたタクシーも走っている気配はなく、時々来るバスもどれに乗ればいいかわからない。ホテルも店もない田舎の駅にぽつんと取り残された俺らは、途方に暮れるばかりだった。
踏切脇に立つおばさんに藁をもつかむ思いで声をかけ、マタンサスまで行きたいと伝える。彼女こそ女神だった。マタンサス行きのバスはここからはないが、少し先のサンタクルースからならバスが出ていると教えてくれた。そして踏切で止まった車に声をかけ、運転手と何やら交渉を始める。やがて俺らに向かって後部座席に乗れと促し、俺らのためにヒッチハイクしてくれたのだ。こうして俺らは思いがけない方法でサンタクルースまで行き、マタンサスを通り無事に目的地のバラデロまで行けたのだった。
幸先の良いスタートが切れて、その後も旅はずっと幸運続きだった。名前も聞けず写真も残せなかった彼女に改めてお礼を伝えるのはもう不可能に近いが、キューバで出会った女神のことを俺は一生忘れないだろう。



2018年07月07日(土)
Vol.871 実習生のHくんへ

おはようございます。りょうちんです。

今日の採血検査の結果、明日退院することになった。予定よりも早く回復できたのはうれしいが、問題がひとつ。入院直後から俺に付いてくれていた看護実習生のHくんに、ろくにお礼も言えないまま去ることになってしまいそうだ。思案の末、彼に置き手紙を残すことにした。
実習生のHくんへ。短い期間でしたが、いろいろお世話していただき本当にありがとうございました。土曜日の検査の結果、先生からすぐにでも退院OKと許可が下りたので、早々日曜日に退院することにしました。本当はちゃんとごあいさつしたかったけど、できなくなってしまったことを許してください。ごめんね。
男性の看護師は、まだまだ少ないと聞きました。だからその分、各方面でも重宝されるとも聞きました。これからいろんな経験を積んでいく中で、想像を超える状況に出くわすこともきっとあると思います。目を覆いたくなるようなケガで苦しむ人、病気で泣き叫ぶ子ども、発作に苦しみもがく高齢者。それでもどんな状況であれ目を背けずに冷静に処置をして、安心をわけてあげることのできる特別な仕事をする人が「看護師」なのかもしれません。
その立派な看護師になるHくんの第一歩にもし自分がなれたのだとしたら、俺はとてもうれしく思います。看護師の仕事は、相手が「もの」ではなく「人」だからね。やり直しは効かない分、責任はとてつもなく重いけれど。だからこそ、やりがいのあるすばらしい仕事だと思います。これからもっと大変だとは思うけれど、がんばって! ずっと応援していますね。
俺の血圧と脈拍を測ってくれて、どうもありがとう。きれいにベッドメイキングをしてくれて、どうもありがとう。俺の背中を濡れタオルで拭いてくれて、どうもありがとう。ご両親ほどの年のおっさんの俺のくだらない話に長々と付き合ってくれて、どうもありがとう。俺のためにしていただいたすべてのことに、とても感謝をしています。本当にどうもありがとう。
いつかHくんが立派な看護師になったら、その時はぜひその姿を見てみたいなぁと思います。その日まで、元気にがんばってください。それでは、またいつか。



2018年07月06日(金)
Vol.870 あの日のホンビノス貝

おはようございます。りょうちんです。

【ホンビノス貝】北米大陸東海岸からメキシコ湾にかけて分布するハマグリに似た二枚貝。近年は東京湾でも急激に繁殖している外来種だが、在来種に被害は認められていない。食用で、ハマグリよりも安価で販売されている。
幕張の海に弟一家が磯遊びに出かけたのはゴールデンウィークも過ぎた頃だったろうか。例年より季節の巡りが早い今年、子どもたちをまだ少し冷たい波打ち際で水遊びさせるには絶好の日曜日。腰の高さまで波が深い場所へ進むと、時々足元にコロコロと石がぶつかることに気づいた弟はそれを拾い上げた。それは石ではなく、貝。最近スーパーなどでも見かける、ホンビノス貝だった。弟は持っていたビニール袋に貝を採取して、思いがけない潮干狩りになったとたくさんのホンビノス貝を持ち帰ってきた。数にしておよそ100個。当然実家にもそのおすそ分けがやってきた。
貝類が嫌いな父は無関心だったが、俺と母は大量のホンビノス貝に大喜びした。さっそく酒蒸しにしようと鍋に並べたが、貝そのものが大きすぎて全部は入りきらない。何度か貝を入れ替えつつ、それでもなかなか身が開かない貝に悪戦苦闘しながら、ようやく酒蒸しが完成した。身が少し硬かったので義歯を使う母は電子レンジでさらに過熱して小さく切って食べていたが、俺は豪快にそのまま身をはがして口にほおばった。うまい。さすがにハマグリには敵わないが、しっかりした噛みごたえで、ほのかな塩味に貝の甘みが濃厚に絡んでとてもおいしい。酒蒸しをおかずに、それだけでおなかいっぱいになった。
俺が今入院しているのは、もしかしたらあの日のホンビノス貝が原因だったのかもしれない。もちろん確信したわけではないが、俺の肝臓を侵したウイルスは主に二枚貝などに多く潜んでいるらしく、十分な加熱処理をせずに食べてしまうと発症してしまうらしい。潜伏期間は2〜6週間なので、俺の思い当たる節はあの日のホンビノス貝なのだ。弟一家の周りでも俺と同じような症状が現れた人は今のところいないし、加熱処理さえ十分にすれば発症もしないらしいので、俺の場合は完全なる自業自得なのだが。あなどるなかれ、貝。改めて、そう思った。



2018年07月05日(木)
Vol.869 入院生活を満喫しよう

おはようございます。りょうちんです。

まだ以前の仕事を目まぐるしくこなしていた頃、少しくらいなら入院してみたいかもと考えたことがあった。昨年からライフワークが大きく変わり自由な時間も多く過ごせるようになった今、皮肉にも夢見ていた入院生活を体験できるとは。
入院生活も数日が過ぎ、おかげさまで俺の体調は順調に回復傾向にある。夜になるとまだ熱が上がってしまうが、日中は普段と何も変わらない。今日になってやっと点滴の管も外してもらった。入院患者なので病院外に出ることはできないルールのもと、読書やネットサーフィンや館内散策であまり退屈せずに過ごせている。退院の見通しは来週だが、それまでこの入院生活を満喫しようではないか。
季節ははすっかり夏になったらしい。俺が入院する前も確かに暑かったが、それ以上に暑い毎日だと聞いている。朝晩はひんやりしていたのに、今は寝苦しい夜がずっと続いているそうだ。26℃の温度に設定された快適な病室の中では、窓の外に見える真夏の風景から実際の外気温を想像するだけだ。
病院食はまずい、という俺の固定観念は入院してすぐに崩壊した。今はおいしい白ごはんだが、3日目までは味も塩気もないおかゆにがっかりした。しかしおかずは思いのほかおいしくいただいている。はんぺんや豆腐など食材は明らかに消化の良いものを使ったいわば病人食が多いが、味付けはしっかりしている。フルーツやデザート、牛乳が出るのもうれしい。きっちり決まった時間に3食を食べられるし、栄養管理やバランスも考慮されているし、ここにいれば安静にしていても極端な体重増加で太ることはないだろう。
病室にはプリペードカード式のTVもあるし、デイルームにも共有の大型TVが置かれているが、入院してから俺は一切TVを見ていない。退屈だろうと父が持ってきた新聞にも目を通さず、外の情報を一切遮断している。西野ジャパンがベルギー戦で負けたとか歌丸さんが本当に亡くなったとか、そんな情報はうっすら入ってくるが、退院した時に他人よりも遅れた情報を得て大いに驚いてみたい。
こんなにまで入院生活を楽しんでいる俺だが、それでも病院が嫌いじゃなくなるなんてことはないんだろうな。



2018年06月30日(土)
Vol.868 今日から入院します!

おはようございます。りょうちんです。

本当は昨日まで別の話題を記そうとずっと考えていたのだが、今日になって事態が急転直下した。なんと俺、今日から入院します!
ここんとこずっと疲れやすいなぁとか回復力が衰えたかなとか感じていたんだけど、今週の初めに尋常じゃないほどの背中の痛みに襲われた。普段から俺は肩や腰が凝ることなどまったくない代わりに、背中が凝るタイプなのだ。しかし今回の痛みは半端なく、座っていることすらきつい俺は仰向けで横になっていることしかできなかった。いつもはバカにしている湿布薬をすがる思いで患部に貼ってもらっている時、父が「お前のカラダ、すげー熱いよ!」と言う。食欲もなかった俺は念のための熱を測り、そして驚いた。38.5℃。たまに知恵熱が出ちゃう俺はいつものように解熱剤で処置をするものの、解熱剤のパワーが切れると再び高熱が出るという症状がずっと続いた。
そして昨日。相方にも促されて渋々病院へと重い腰を上げる。血液検査やレントゲンも撮ったが特に異常は認められず、明日ちゃんとした検査結果が出るのでそれまでは今まで通り解熱剤で対処するよう言われていたのだが。本日早々病院から直々に電話があって、昨日の検査結果でお伝えしたいことがあるので早めに来てくださいと言われてしまった俺。
まぁそんな展開なら誰だって良くない方向に考えてしまうわけで。ビビりながら先生に話をうかがうと、肝機能がかなり低下しているのですぐに大きな総合病院で再検査してくださいとのこと。そして今、総合病院に来て改めて検査を受けた結果、いとも簡単に「即入院!」の烙印を押されてしまったわけだ。
肝機能が正常になるまで2週間程度要するらしいのだが、大きな総合病院だけあってこんなふうにパソコンは自由に使えるし、冷房はガンガン効いてるし、今のところ居心地は最高だ。解熱剤が効いて熱が下がっていればいつもと同じくらい元気だし、各方面にご心配をお掛けすることにはなると思うが別にこれで死ぬことはないと思う。盲腸で入院した9歳の時以来37年振りの貴重な体験を、せっかくならと思う存分楽しんでみたいと企んでいる。



2018年05月30日(水)
Vol.867 先生の写真展

おはようございます。りょうちんです。

少し前に、新年会を兼ねたクラス同窓会で、高校時代の恩師に会うことになったということをこのひとりごとでを書いた。今回は、その後の話。
二十数年ぶりの先生は、髪型も話し方もあの頃と同じで相変わらずとても元気そうだった。何より驚いたのが、教え子だった俺らのことを事細かに覚えていてくれたことだ。大勢の教え子の中の目立たないひとりだと思っていた俺のことも忘れずにいてくれて、だからこそいちばん言いたかった卒業後に偶然見かけた時に挨拶できなかった謝罪も、緊張しつつもすんなり伝えることができた。先生は「そんなことあった?」ととぼけてくれたのだが。登山部顧問だった先生は教員を退職され、最近は世界各国の山々に登り風景写真を撮ることを趣味としているそうだ。そして「今度写真展を開くから、興味があればぜひ!」と、案内状の絵葉書を渡された。
4月最後の日曜。俺らは先生の写真展を訪れるため、再び集まった。市立美術館のギャラリーをのぞくと、先生は来場された方の案内で忙しそうにしている。写真のことはてんでわからない俺だが、先生が撮られた写真は素人の俺が見てもすばらしい作品ばかりだった。山村の夕景と鮮やかな稜線、猛々しく切り立った岩山、繊細で可憐な高山植物。見ているだけでそこに行きたくなる写真ばかりだ。先生に声を掛けると、今日は最終日だからこのあと片付けがあるとおっしゃるので、俺らは喜んでお手伝いを買って出た。展示中の作品を外し丁寧に梱包するだけなので、数人でやれば10分程で終了した。写真を鑑賞するだけでも楽しかったのに、先生のお手伝いで会場の片付けなんて貴重な体験ができて、俺はひどくうれしかった。
大型連休が終わり、我が家に宅配便が届いた。開けると、お手製の額縁に入った先生の写真。峰と峰の間の深い渓谷を俯瞰して撮った、俺が最もステキだと感想を伝えた一枚だ。一緒に入っていた手紙には、片付けのお礼とその写真の解説も書かれていた。俺の何気ない感想を覚えていてくれた先生の気遣いと最高の贈り物に、感謝と恐縮があふれて仕方なかった。