LORANの日記
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2007年09月02日(日) 時の流れに・・・


9月になって

空が高くなって

風が透明になって

黄金色の稲穂に トンボが飛んでいます


どこまでも続く草原は

まるで大海原のように

風の波紋を 拡げていきます


風の姿は見えなくても

空を行く 雲の軌跡に

木々の梢を 揺する姿を

重ね合わせます


そう もう9月でした

田や畑では 実りを向かえています

牧草を刈り入れ、乳牛を肥えさせなければなりません


あの富良野のラベンダー畑も

短い夏を惜しむように

人は汗を流しているでしょう


その足の下に 大地があります

その頭の上に 悠々とした空があります


人が努力して 開拓した畑は

大地や光や風が 種にフトンをかけて

育ててくれています


そのぬくもりに包まれて

種はゆっくりと成長します


また いつか大きくなって

大地を守る人と 再会するでしょう


それまで ゆっくりと おやすみなさい







2007年09月01日(土) 時は流れ、人は代わる。


時が流れるのは分かりますが、人は代わるのでしょうか?

私は代わると思います。


家や屋敷が同じで、人が代わるのでしょうか?

いいえ、ご本人が代わるのでしょう。


代わることで、記憶のすべてが消えてしまうのでしょうか?

そんなことはないでしょう。


では、なにが代わるのでしょうか?

ご本人の意識が代わると思います。


本人の意識が代わると、そんなに大きな変化がありますか?

はい、まるで他人と入れ替わったような気分になるでしょう。



人には大きな転機があります。

その転機に、努力や苦しみもあります。


たまには、事故や入院することも稀ではないでしょう。

意識があっても、無くなっても、大きな変化が起こることもあります。


人生での一大事に、自分のすべての能力がフル稼働します。

それでも間に合わなければ、自分の高い周波数の存在が現れることも

あります。


これを「ウォークイン」と呼びます。

「ウォークイン」にもいろいろあって、全く好みが変わってしまうもの

や、ほとんどそのままの人もいます。


いままでの状態では、自分の役割を果たすことができないとき、見かねて

現れるようです。




2007年08月31日(金) 今朝は大雨でした。


8月最後の日は、大雨で始まりました。

この雨は小学校の子どもたちの、なにを表しているのでしょうか?


私にも孫がいますが、小学校1年生で宿題があります。

小学校低学年生ですから、右脳教育が必要な時期です。


もう平仮名の書き取りを、しなければならないのですね。

誰もが機会均等な社会が理想かも知れませんが、その枠からはみ出し

た人物が、きっと立派になるでしょうね。


自分が行方不明だから、相手の言葉が気になります。

その相手も、自分が気にする相手ですから、同じレベルでしょうね。


本当に必要なのは、教育というお仕着せではありません。

自分が自由に発想することが大切でしょう。


国家権力である政府が、文部省を通して義務教育をすることは、権力

の乱用でしょう。

自由が大切なら、もっと突っ込んだ議論があってもいいでしょう。


こう考えると、小学校低学年生が詰め込み教育されることは、恐ろしい

ですね。

右脳教育が不十分だと、こころを理解しない子どもが増えそうです。


2007年08月30日(木) あと1日で9月です。


早いですね〜。

今年も、あと4ヶ月になりました。

正月から、8ヶ月が過ぎ去りました。


なにをしていても、していなくても、時は過ぎ去っていきます。

テレビや新聞を眺めていても、その時間も過ぎ去っていきます。


そんな無駄な時間を省いて、自分に戻る時間にしたいものです。

あなたがホッとため息をつけるほど、あなたを自由にしたいものです。


あなたが自分に視線を戻したとき、あなたはどこにいますか?

あなたが散歩に出ていたり、空や海を見ていますか?


庭いじりをしていたり、家族のために料理を作っていますか?

いつも自分の世界を楽しんでいますか?


あなたが自分のことをしているとき、あなたは自分の時を支配しています。

たとえ本を読んでいても、あなたは自分の時を支配しています。


ですから、大勢でテレビや新聞の話題に夢中になっていても、うらやむ

ことはありません。


なたたに必要なのは、一人でいるときの静寂なのです。







2007年08月27日(月) 自分の内部の変化


自分の内部の変化を言葉で言い表すことは難しいですね。

自分が体験していない人に、説明するのは・・・


「自分が真理である。」と、私は言っています。

しかし、西洋科学や西洋式教育を受けた日本人には理解不能でしょう。


自分が「光の存在」であることを、どう説明したらいいのでしょう?

誰の力も借りないで、生きていくことができないことも・・・


人は「神のご加護」とか、幸運を望みます。

それを批判することはできませんが、それだけでは不十分です。


神棚や仏壇が、必要ではありません。

お経や聖書が、必要でもありません。


自分が、大自然や地球や宇宙のすべてを信じるなら、先ず、自分の

内部にある「光」を信じましょう。


その「光」は、すべてを創造した「光」を具体化したものです。

もちろん、自分のイメイジーによって「光」が創造されます。


創造とは想像のことで、どちらが先でもいいのです。

「自分がこうなる。」と想像したことは、現実が創造されるからです。


この手法により、現実は次々と変化します。

このときの変化は、平面的ではなく、立体的に変わります。


変化が起きない人が同一平面的に生活しているのに、変化した人は

高層ビルをエレベーターで上の階へ移動するように見えます。


「10年1日の如し」と言う人と、目を見張る変化の人がいます。

これはすべて、ご本人の自由意志による結果です。


なにが原因でもありません。

自分が自分を信じることで、自分を導いてくれる「光」が現れるのです。


ただし、毎日テレビや新聞ばかり見ていては、自分を導いてくれる「光」

に気づくことはできません。



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