| 2004年03月18日(木) |
歓楽街の路地裏で4 /外国人パブ |
島国根性という言葉がありますが、いまだに日本は鎖国していると感じるときがあります。自分たちは外国のモノや文化を盛んに取り入れてるくせして、いざその国の人たちが渡来するとびびるんです。ガードを硬くするんです。どうも納得がいきません。 とはいえ、僕の意識から国境という概念が薄れていったのは、三十歳をすぎてからでした。インドネシアのバリ島に通い、友人や恋人ができ、彼らとの交流から次第に国境意識がなくなっていったのを思い出します。その後、地元の歓楽街でひとりの中国人女性と出逢い、恋仲となり、彼女と一緒に裏世界を闊歩した経験が、現在の僕へと繋がっていることは否定できません。 以前もお話ししたように、僕の地元は風俗の宝庫です。さすがに新宿や池袋のようにはいきませんが、都心を離れれば離れるほど廃れる風俗産業のなかで、エッジに位置するこのエリアでは、最後の砦とばかりにさまざまな男女絵巻が花開いています。とりわけ外国人女性の店というのも数多く、スタンダードなフィリピンや韓国にはじまり、中国、インドネシア、タイ、ロシア、そして最近ではルーマニア女性の店も出はじめました。 外国人パブというのは、基本的に「変なこと」はしません。裏で犯罪行為を行っている店もあるかもしれませんが、僕の知る範囲ではパブはパブです。ただ女の子とお喋りしながら酒を飲むだけの空間(なかにはショータイム程度の余興はありますが)なのに、そこで働く女の子たちは、とても複雑な背景と苦労を背負ってそこにいるんです。 彼女たちには就労ビザをとれるはずもありませんので、何らかの方法で日本に長期滞在する術を身につけねばなりません。一番簡単なのは、就学ビザでしょうか。はじめの数年間は、それこそ日本語学校へ通えば問題ありませんが、そこもいずれは卒業となります。すると次は、近くの適当な学校(主に金儲け主義の専門学校)に籍を置き、長期滞在するために要らぬ学費を払いつつ日本に滞在しつづけるわけです。 ただしこれは、お金がある子の場合で、例えばインドネシアから働きにくる子などは所持金もありませんので、半年のビザが切れると帰国することになります。そしてその入出国の際、ところどころで微妙な問題が生じることがままありまして、次回は日本へ入れないという事態にもなることがあるとききました。 働きたいなら働かせてあげればいいじゃない、と思う僕は間違っているのでしょうか。上海出身の女の子と一緒に、入国管理局まで出かけていったこともありましたけど、あの小さな建物のなかには、世界を凝縮したような光景が展開していました。皆一様に顔はこわばり、それを管理官のいかつい顔が助長しているのが、日本人の僕にはどことなく恥ずかしく思えたものです。
外国人パブというところは、必ずしも日本語が堪能な女性ばかりだとも限りません。むしろ近年増えつつあるインドネシアやルーマニアといったお国の店では、たどたどしい日本語の女性が大半を占め、彼女たちと「即席日本語講座」をやらかすのが客の遊び方になりつつあるようです。それはそれで盛り上がるし、他愛もない文言であれ、こちらも外国の生の言葉を覚えられるのですから面白いのですが、いずれ次第に飽きてきます。 「たまには日本語で気楽に飲める店がいいよな」なんて台詞が口をつくのも、外国人パブに飽きてきた証拠に違いないのでしょうけど、いかんせん日本人女性がいる店というのは、なぜかいまだにお高いです。値段が。それが故に、いきたくとも滅多に足を運べないのが現状で、外国語にも飽きた、日本語は敷居が高いとなれば、自然と安い居酒屋に足が向くというのが僕の最近の傾向のようにも思えます……なにやら情けないですけど。 もう十年以上昔になりますか、上の娘を幼稚園へと入れたとき、駅に程近いその幼稚園には、フィリピンママの姿がちらほらとみられました。カトリック幼稚園だったせいもあるのでしょうが、園主催のバザーなどでは、タイやフィリピンから出稼ぎにきている家族で賑わっていたものです。 そんななかで三年間を過ごした娘と息子にとって、外国は決して「異国」ではないのかもしれません。そういう子どもたちがいずれ成長し大人となって、この国の精神から鎖国というものを消し去ってくれればと願うばかりです。 とかいいながら、娘が外国人の恋人を伴ってきたら、きっとびびると思いますけど……。
| 2004年03月15日(月) |
思い込みという名の刃 |
思い込んだら試練の道をゆくが男のど根性、と歌ったアニメ主題歌が昔ありましたが、思い込みというのは人の力を普段以上に発揮させる魔力を秘めているのかもしれません。それがプラスに働けば良いのですが、ときにマイナスに働くから困ったものです。 思い込みが激しい人というのが、世の中にはいます。僕の身近にもひとり。実母がそのタイプでして、何か出来事があるときまって「あれは○○だと思う」と得意の想像を広げます。想像で留まっていればそれは思い込みとは言わないのですが、彼女の場合はそれがいつしか、確認もしていないのに「あれは○○に違いない」へと変化していくのですから、そうなるともう立派な思い込みとしかいいようがありません。 かつてはそんな言葉にいちいち反応していたのですが、最近では傍観するのみで、言葉を返すのも面倒になってきました。冷たいようにみえるかもしれませんが、考えようによっては、自分の世界で存分に思い込んで過ごせるのですから、それはそれで幸せなのかと思ったりもします。普段の生活に支障があるなら問題ですが、蚊帳の外の話なら「勝手にして」という感じです。 蛇足ですが、こういうタイプの人は、みのもんたの番組をみてその日のうちに「試して」みる人かもしれません。「これが体にいいらしい」と思い込んだら最後、いかなる試練の道でも突っ走るんです。ただ残念なことに……持久力に欠けているようですが。 インターネットが普及し、オンラインで一対一のコミュニケーションが盛んに行われるようになってきましたが、そんなネットの世界だからこそ、実生活では決して思い込まないような人ですら、思わぬ罠にはまってしまう傾向も少なからずみえる気がしています。 一対一の繋がりを、オンラインではピア・ツー・ピア(P2P)なんていいますけど、世界中どこにいても即座にP2Pになれる環境には、目を見張るものがあります。よくウェブは開かれた世界だと称する方がいますが、P2Pの関係を俯瞰してみると、そこには驚くほど数多くの閉鎖的な空間があることに気づくのではないでしょうか。平たく言えば、果てしない銀河の宇宙に、あまたの密室が漂っているような感じです。 その「擬似密室」は、人の心にどのような影を落とすのでしょうか。僕はのひとつが、思い込みではなかろうかと想像しています。自分と相対している相手が自分だけとP2Pであるわけがないのに、いつしか自分と相手とを繋いでいる一本の細い線のみをみつめてしまう。声をかければ返ってくる。涙を流せば癒してくれる。怒りも寂しさも受け止めてくれる相手が、それこそふたりだけの密室にいるわけですから、相手が自分ひとりだけと繋がっていると思い込むのも無理はないのかもしれません。 思い込みは何を生み出すでしょうか。考えられるのはふたつ。ひとつは相手への要らぬ負荷、すなわち気持ちの押売です。投げる側は一対一だと思い込んでいます。まさか相手が数十人を相手にしているなどとは思わないでしょう。さすれば必然的に、一対一のペースで気持ちを届けようとしてしまいます。それが受け取る側にとっては負荷になるということです。 ふたつめは、思い込みが思い違いであったと気づいたときの、自分自身の心の傷です。これは相当痛いでしょうね。自分の思い違いが原因であるだけに、気持ちのやり場もなかろうと想像します。素直に思い違いであったことに気づけばまだ良くて、最悪相手を逆恨みしないとも限りません。人の心などというものは、どこかで自分勝手な思考回路を持つもののようにも思えます。怖いというか、哀しいですね。 相手への要らぬ負荷も、自身の心の傷も、元をただせば「謙虚さ」が欠けていた辺りに行き着きそうな気がします。一対一ではないんだ、密室ではないんだという気持ちがあれば、どこかで回避できたのかもしれません。これは前出の「みのもんたに反応するタイプ」とも共通するのですが、そういう人たちは得てして、広い世界で生きていないようにも思えます。よく言えばお嬢さんやお坊ちゃん、悪く言えば世間知らずです。知らないから思い込んでしまう。とても自然な流れのようにも思えます。 男と女の間には、よくこの「思い込みという名の刃」が行き交います。そこにはもちろん、求める純粋な心があるから思い込みも生まれるわけで、一概に謙虚さが足らないと否定もしきれない現実があることでしょう。謙虚を越えた思い込みが、ときに予想しきれない馬力を生み出し、それが功を奏することもあるかと思います。 それだけに、単純に謙虚になろうよなどとはいえないのですが、やはりたまには冷静に自分と相手の関係を俯瞰する心の余裕も、恋愛にはあって然るべきだと僕には思えます。 思い込みという名の刃は、上手に鞘に仕舞っておきましょう。 ---- Information ------------------------------ 【Figure Vol.2-05:Rouge 公開】
| 2004年03月11日(木) |
歓楽街の路地裏で3 /ピンクサロン |
キャバクラも謎ですが、そのストレートな名ゆえに輪をかけて謎めいているのがピンクサロン。ピンクというからには桃色遊戯のイメージが先行するのは道理として、どうしてサロンなのかがいまだによく僕には理解できません。 かつて僕が抱いていたピンサロ(ピンクサロン)のイメージは、薄暗い店内に細かく仕切られたブースがあって、赤色ライトのなか、襦袢姿のおねえさんが接待するというアレでした。いまでもそういう店はあるのかもしれませんが、現代の性風俗はもっと具体化されております。僕は入ったことがありませんが、雰囲気とかコスプレに近い刺激を求めるならイメクラ(イメージクラブ)、ランジェリー姿のおねえさんと飲みたいならランパブ(ランジェリーパブ)という具合に、ピンサロがルーツではなかろうかと思えるお店が繁盛しているようです。 おそらく読者の皆さんは、ピンサロのサービスに興味があろうかと思います。知ってしまえばつまらぬものですが、知らないといらぬ想像が働くのも人情というものでしょう。簡単に説明すれば、女の子が男のペニスから精子を抜き取る作業がメインであろうと思います。かつてはシースルーのキャミ姿で接待する女の子相手に酒を飲み、最後にスコっと抜いてもらうのが常道だったと思うのですが、どうやら近年のピンサロというのは、「前戯なしにいきなり挿入」という方向へ向かっているようです。 薄暗い店内は昔と変わらないのですが、リズミカルな音楽が流れ、あたかもそれに呼応するようにそこここのブースで体を上下する女たち。もちろん本番ではなくてフェラチオでのサービスですが、店員に案内されるままに各ブースの脇を通るたび、そこで繰り広げられている客と女の子との痴態が目に入るのですから、なんとも妙な空間かもしれません。 サービス時間は3〜40分といったところではないでしょうか。その時間すら定かでない気はするのですが、桃色遊戯をやるには少々物足りない時間だと僕には思えます。けれどそれが繁盛しているということは、短時間で欲望を処理することに合意する男衆が増えてきたということで、なにやら現代の若者の性行為に対する考え方を裏付けるようにも思えてきます。 手短にすっきりしたいなら、金かけずに自分でやれば?という気もしなくはないのですが、それはそれ、これはこれということになるのでしょう。夜の街を徘徊する男衆がどんな気持ちでそぞろ歩いているのか知りませんが、僕のなかには、若い頃から「裏世界のいけないものをみてしまう誘惑」のようなものがありました。 僕が住むエリアは、東京でも外れのほうでして、都市計画的には「エッジ」と呼ばれる風俗が密集しやすい地域でもあります。地方からきた人たちにはわかりにくいようですが、都内に住む友人などには、「あんな危ないところでよく遊べるな」と妙に感心されたものです。確かに危ない人たちの溜まり場ですし、ちょいと離れたところには某隣国系マフィアの根城もあるとききます。同窓生にそっち系のヤツもいたりして、それはそれで結構面白い……は、話が逸れますね。 朱に染まれば赤くなるなんていいますけど、ここで生まれ育った僕にとっては、周囲が危ないというエリアでもそれほど怖いと感じたことはありませんでした。もちろん、イケナイコトをすれば怖いです。外道をやっては、どこの世界でも平気で生きていられないのと同じです。されど裏世界に少し顔を突っ込んでみると、ことのほか人情に厚い方々が肩で風きって歩いてたりして、僕にとってはそれも不思議と馴染める気がするわけです。 そういう環境の「せい」にするつもりはありませんが、地元の人でも避けて通るような路地を、学生時代から平気で歩いていました。周囲からは「勇者だ」と馬鹿にされましたが、いま振り返ると当たらずも遠からじであったかもしれません。なにがそこまで若い頃の僕を駆り立てたかというと、いわずと知れた「いけない世界」への興味でしょう。女が欲しかったというよりは、そういう空気に包まれることが好きだったような気もします。 現代のピンサロを、僕はあまねく訪ね歩いたわけではありません。けれどそこには、かつてあった「空気を楽しむ」遊びは、おそらく失われているのではなかろうかと想像しています。需要と供給のバランスというのは、風俗産業にこそある言葉だとも思えるのですが、だからこそ、短絡的な店がはやるのをみるにつけ、これでいいのかなと首を傾げずにはいられないんです。 「わかっちゃいるけど、やめられない」と昔誰かが歌っていましたが、男衆の欲望を満たすべく変貌を遂げてゆく風俗産業には、男の本質を気づかぬうちに変化させている麻薬のようなものが秘められているのかもしれません。
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