ヲトナの普段着

2003年10月16日(木) 精子を飲ませてください

 女と交わした言葉のなかに記憶に残るものは数ありますが、「あなたの精子を飲ませてください」と言われたのは、後にも先にも一度だけでした。男である僕に、その言葉の深い所を探るのは困難ですが、不思議な歓喜に包まれたものです。
 
 
 精子と呼ぶよりはザーメンと称したほうがいいのでしょうか。ザーメンとはドイツ語「samen」だそうです。スペルマと英語を略した言葉で称する人もいるようですが、普段よく使われているオナニー「onanie」がやはりドイツ語ですので、ここはドイツ語に敬意を表してザーメンと呼ぶことにしましょう。
 
 ザーメンマニアという人たちがいます。男にも女にもあるようです。男の場合は、ザーメンを飲んだり顔にかけられたりする女の姿をみて興奮するという類で、女の場合はまさにザーメンの味に通じた類を呼ぶのでしょう。僕のブックマークにも、そんなザーメンマニアのサイトが、ひとつだけ登録されていました。過去形である理由は、昨年末のマシンクラッシュで消失してしまったからです。
 
 さりとて、僕はザーメンマニアだとは自覚していません。多くの「えせマニア」がそうであるように、ザーメンにまつわる女の姿に少なからず興奮は覚えますが、とても追求しようなどという気持ちにはならないからです。それが証拠に、消失したブックマークは復元しておりません。どこかでいまも、地道なマニアの道が展開されていると想像はしていますけど……。
 
 マニアと称すると、なにやら怪しげな雰囲気も加味されてしまうので語弊があるかもしれませんが、僕は彼らを別段変わった趣味の持ち主であるとも思ってはいません。だってそうでしょ、クンニすれば僕の口の中には女の愛液が入り込みます。フェラしていても、ペニスの先からは、濃いザーメンが出るまえにカウパー(「がまん汁」と称する人もいるようですが)が滲み出てきますので、いずれも似たようなものであろうと考えています。
 
 
 ところが、世の多くの人たちの価値観では、おそらくザーメンを飲むことを少なからず異常であると認識している場合が多いのではないでしょうか。それは幾つか理由がありそうな気がしますが、「嫌がる女が多い」ことが大きな理由のひとつであろうと思われます。
 
 フェラをしてもらって口内射精を許可する女は、そう少なくもありません。されど彼女たちの多くは、射精した後にザーメンを口から出します。なんとなくその気持ちが判らなくもないので、特に彼女たちにどうこう言うこともありませんし、口内発射させてくれただけでも感謝するに違いないのですが、あのザーメンを口からティッシュ等に出す瞬間の男心というのは、なんとも喩えようが無く寂しいものでもあります。
 
 それだけに、ザーメンを飲むことを強要する男というのも、世には数多くいるであろうと推測しています。言われて困った女たち。言われて男から離れた女たち。彼女たちはおそらく、男のそんな要求に「異常」を覚えたのでしょうが、精子を女の体内へと注ぎ込むのが「オス(雄)」としての本能であるとするならば、彼らが常日頃抱えている「吐き出される寂しさ」も、少しは理解して欲しいものです。
 
 
 「精子を飲みたい」と僕に申し出た彼女には、しっかりと飲んで頂きました。ヴァギナのなかに放出するのと口内とでは、どちらがより嬉しいものかと問われれば、「ヴァギナかな……」と応えそうな気がするのですが、それでもやはり、こちらが強要するでもなく喜んで飲んで頂けると、男としては妙な悦びが沸き起こってくるものです。
 
 女の愛液に匂いや味があるように、ザーメンにも当然のことながら匂いも味もあります。「同じ人でも、その時々の体調によって味が違うわね」と彼女は言っていましたが、それを僕自身が確認したことはありません。ザーメンも体液には違いないわけですから、その風味が体調に左右されるであろうとは想像できますけれど……。
 
 これまでの見識によると、概してザーメンとは苦いもののようです。苦いから嫌だという理由が多いかとも推測しています。けれど、世の中に苦いものって沢山ありますよね。ビールだって苦いですし、野菜にも苦いものは沢山あります。けれど、ザーメンの苦味は駄目なのでしょうか。
 
 的を得ていないかもしれませんが、体から排出される他の物質、つまり、尿であるとか糞、鼻くそ耳垢の類と、どこか同じグループとして捉えられているような気もします。芳しい匂いで味もまろやかな甘味でもあれば、そんなこともないのかもしれませんけどね。
 
 
 ザーメンを飲むことを、僕は女たちに勧めたりはしません。そんなのは当事者同士が話し合って決めてください。好きなら飲めばいいし、嫌いなら飲まなければいいという、ただそれだけの話のようにも思えます。
 
 ただ、男の心のなかには、ザーメンを口から出されたときに、ふと寂しさがよぎることを覚えておいて欲しいと思います。だから飲めという論理ではないですよ。そこは誤解せずに読んでください。吐き出すのであれば、口内射精などせずに、体のほかの部分に出したほうがまだましでしょう。一度であっても口という体内に入ったものを吐き出される姿に、男心が少しだけ痛むわけですから……。



2003年10月14日(火) 君は美しい

 人は黙っていても老いてゆきます。肌に艶が無くなりシワが増え、体のあちらこちらに贅肉がつき、若い頃の肉体など見る影も無いほどに変化してゆくものです。殊に女性は、そういう自身の変化にとても敏感ですよね。けれど、君は美しいんです。
 
 
 僕は現在四十一歳です。物書きとしてはまだまだひよっ子、社会人としてはようやく中核の仲間入り、若い子たちにはすっかり「おじさま」として見られる頃合でしょうか。そんなおじさんですけど、自身の過去を振り返ってみてしみじみ思うのは、「年齢相応に女を見るものだな」という感慨です。若い頃は若い自分を通して女をみ、現在は四十を越えた目でみています。
 
 僕自身が若い女にあまり興味がないという理由だとは思うのですが、不思議と僕と言葉を交わす女性は三十代が多いように思えます。そして彼女たちの口からは、多かれ少なかれ、自分の肉体が老いてゆくことへの怖れを耳にするんです。僕が決まって言うのは、「綺麗だと思うけどな」という言葉。彼女たちはそれを社交辞令かなにかのように受け止めているようですが、僕は心から三十代の彼女たちを美しいと感じています。
 
 
 美しさの基準ってなんでしょう。ダヴィンチやミケランジェロが感じていたような美の世界が、美しさの基準なのでしょうか。或いは渋谷を闊歩する若い子たちの感覚が、美の基準となるのでしょうか。僕にはそうは思えません。
 
 なぜそれを美しいと感じるか。それは、美しいと感じる人がいるからです。つまり、僕にとっての美の世界とは、僕がいなければ存在しない世界であって、それは、ダヴィンチやミケランジェロのものとも違うし、流行の先端を闊歩する子たちのものとも違うということです。僕のなかでは、僕が感じる美のみが美しく、他のいかなる基準もそれに当てはまるものではないんです。
 
 いま仮に、美しさの世界標準があったとしましょう。誰もがそれを美の基準とし、世界の多くの人たちがそこを目指しています。けれどそんななかにあって、あなたはあるひとりの男と恋愛関係になりました。あなたは彼に好かれようと、世界標準である美を目指します。しかし、どうも反応が芳しくない。そこで彼によくよく訊いてみたら、彼の好みは世界標準とは全く異なるものでした。
 
 「僕は、君にしかない美しさが好きなのに」と彼はいいます。世界が認める美しさよりも、彼女にしかない美しさが彼は好きだというんです。どのような身なりをしていても、どのような表情をしていても、どんなに疲れた肉体であっても、彼は「君は美しいよ」と微笑みかけます……。
 
 
 女とは、とかく「見られること」を意識して生きているように思えます。「見られてる意識がなくなったら女はお仕舞いよ」という言葉もききますし、「見られてる意識があるから綺麗でいられるんじゃない」という言葉もききます。なるほどそうなのかな、と思うこともあります。けれどそれって、随分と曖昧ですよね。だってそうでしょ、美の世界標準などないのだとしたら、一体なにを基準に彼女たちは綺麗でいようとするのでしょうか。
 
 そうそれは、女の主観的なものでしかないんです。誰が美しいと評するわけでもなく、自分が「美しいであろう」と感じているだけの話なんです。だから曖昧だと僕は感じるわけです。むしろ、「彼が綺麗だって言ってくれるから」という理由のほうが、僕には遙かに説得力があるようにきこえます。
 
 美しさを気にするのであるなら、自分の美を求めることも多少は大切に違いないでしょうが、見る側の言葉にも充分に耳を傾けるべきではないでしょうか。そして、若さとか端整であることが美の基準では決してないことを、あなたを取巻く人々の反応から察して欲しいと思います。願わくば、自信を持ってください。他の誰にもない、あなただけの本当の姿、本当の美しさを見極めてくれる人は、きっと近くにいるはずですから。
 
 人間の素の姿というのは、実に美しいものです。僕は心からそう思います。



2003年10月09日(木) イッタ振りする女たち /それが男を駄目にする

 「いつも彼(もしくは夫)が先にいっちゃうの。でも嫌われたくないし可哀そうだから、私はイッタ振りをすることが多いわね」という話を幾度か耳にしました。女ってそんなに役者だったのかと驚きもするのですが、反面それではいけないだろうと……。
 
 
 女がセックスに対して抱く不満の多くは、気持ちよくいけないことに対するもののように見受けられます。愛撫やら前戯やら後戯やら、色々そのノウハウはあるにせよ、最終的にすっきりしなければ悶々としたものが燻り続けることでしょう。
 
 いけなくても満足できる時はあると思います。男である僕にも、射精しなくとも満足することはありますからね。多くの男がそうであるとは思えないのですが、射精という行為に最終的な目標を定めていない男も、この世には少なからずいることでしょう。だからといって、いつも射精せずに終わることを是としているわけではありませんし、いけなくとも相手に笑顔で「よかったよ」などと言えるものでもない気がします。
 
 セックスを広範囲に考えれば、そこにはさまざまな満足できる要素があるのですが、やはり男にとっての射精、女にとってのイク感覚というのは、除外して考えられないひとつの到達点であるに違いないでしょう。けれど女たちは、思うようにいけずに「イッタ振り」をする。喜んでいるのは男ばかりで、女は顔で笑って心で涙を流しているのかはたまた男に侮蔑の目を向けているのか……。
 
 
 問題の根を考えてみましょう。なぜ男ばかりが絶頂に達し、女はそれをみながらイッタ振りをせねばならないのか。それには大きくふたつのタイプが考えられます。ひとつは女の反応など無関心で自分勝手にセックスをする男で、もうひとつは女の反応を読めずに果てる男ということになるでしょう。
 
 男が心底自分勝手にセックスをしているのなら、女の反応など何の意味もないですよね。女がいこうがいくまいが、男は自分のペースで勝手に気持ちよくなって果てることでしょう。このタイプほど始末におえない手合いはいません。僕の勝手な当て推量ですが、この手の男は性風俗産業に通じてる輩に多いように思えます。女を性欲処理の道具のように捉えていますから、なにを言っても通じないでしょう。
 
 問題はふたつめのタイプです。女の反応を読めずに果てる男であるならば、まだ共に快楽の淵を彷徨う道は残されています。そして問題の根となっている「女の反応がなぜわからないのか」というところを掘り下げてみれば、すぐに「それは目に見えた終わりがないから」という至極当然の結論が見えてくることでしょう。
 
 男には射精という目に見える最終地点があります。けれど女にはそれがない。女もそれぞれで、「おかしくなっちゃったんじゃないか」と一瞬こちらが引いてしまうほどの反応を示す者もいれば、どこでいったかわからなかったのに「二回もいっちゃった」と仰る者もいます。女性がそれをどう受け止めているか定かではありませんが、これほど厄介な代物はありませんよ。考えてもみてください。仮に男に射精というものがなかったとしたら、あなたは男のイク瞬間を読みきれますか?
 
 
 女は満足させてくれない男に対し、「いかせてくれない」と嘆きます。けれど男の側にしてみれば、「いついったかわからない」わけです。そこが問題の根であるならば、相手にわかるように意思を伝達すればいいということになるでしょう。
 
 ところが、女はあろうことか「イッタ振り」をしてしまう。これでは問題の解決どころか、男に間違った見識を植えつけているだけです。いくら悩んでみたところで、自分の行動が問題の根を地中深くに埋め込んでしまっているのですから、日の目を見るのもままならないと思われます。
 
 
 僕はいつも、女の反応を味わうことに快楽を覚えています。自身の快感はもちろんですが、それは女が快楽に溺れる反応を視覚や聴覚で感じてこそ成立するものなんです。ですから、どこで女がイッテいるのかということにも、常々感心を抱いてきました。それでも、まだまだ確立100パーセントなどとはいえません。
 
 明らかに相手がイッタと思えるときは特に口にしませんが、多少なりとも不安を感じたときは、自分が果てた後に相手に必ず「ちゃんといけた?」と訊くことにしています。まあ台詞はさまざまで、「ひとりでいってごめんね」と言いつつ相手の反応を覗うこともあるように思えますが、いずれにしても女がいったかいかなかったかは重要なポイントだと僕は考えているわけです。
 
 ただし、前述したように、いかなくとも満足できるセックスというのもあります。ですから、いけないことが即至らぬセックスに繋がるなどとも思ってはいませんが、その辺も含めて、行為後のちょっとした会話は、とても大切だと感じています。
 
 
 満足できなかったら、それをきちんと相手に伝えるべきです。それは自分のためでもあり、相手のためでもあるんです。「イッタ振り」などという詰まらぬ演技はせず、信じあえる相手であるならば、正直に相対することをお勧めします。駄目な男を作らないためにもね……。


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ヒロイ