Wakako's Diary 道すがら記

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テレビは一日中イラクのことを報道している。 - 2003年03月21日(金)

早く終わってほしい。

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真っ青な晴天、だったらしい。
昼過ぎまで寝ていて、お風呂に入ったり洗濯したり、メールを書いたりしている。

贅沢なことをしている気分になる。

今日もフォローのつもりで電話して、さらに墓穴をほるということをしてしまった。このところ、そういうパターンが多すぎる。

ただ、そのことで不快感をかけているにしろ、自分が何かのせいにし過ぎる、そして認知が歪んでいる部分がある、ということがはっきりして来た。
つまり、直接のストレス源に、論文の時もそうだったが、正面からなり、何なり、向き合っておらず(別に戦法は正攻法じゃなくてもいいのだが)、他に幾つも理由があるかのような状況、それはいかんなぁと。
八つ当たりなどで迷惑はかけているが、こういう気づきを、自分の成長の肥やしにしていくことができればいいのではないか、今は、そういう気持ちだ。


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とうとうイラクへの攻撃が始まった - 2003年03月20日(木)

月曜日以来、バタバタしていて、また、私も気が動転していて、日記を書く余裕がありませんでした。アクセスしてくださった皆さんありがとう。

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本試験で通ったのは実習試験と数えるほどの講議で、再試続きの本年度後期でした。

それでも、めげずに、最後まで受けましたが、どうしても一科目力不足で、一科目留年、いわゆる、単独留年をすることになりそうです。学長や副学長が鶴の一声でも出さない限り。

該当の科目は、内分泌で、再試験で43点でした。自分の不勉強は分っており、フォローしようもない点数ですが、もっと早くこのことが分っていたら、本試験のことなど(図示せよと書いていないのに、図示していないという理由でマイナス15点など)先生に質問できたのに、という思いもあります。

また、内分泌は、50名ほど受けた再試を、大反対を押し切って当初の日程では都合がつかない、その日程では留年すると言って来た2名のために日程を動かした挙げ句、自分が不合格になり、留年になるので苦笑を禁じ得ません。
さらに、自己満足でしかなかったのですが、解答集など作って多数に配っていたくせに頭に入っていなかったし。。ギャグみたいな不合格です。


何よりも、授業中に学生たちの前で「ボーダー」と言われたのを、いいように取り過ぎていたのでしょうが、このような結果を出されるのなら、そのようなことは仰らないで頂きたかった、少なくとも、来年からはそのような言動で学生を振り回すのは辞めて頂きたい、そういう思いで一杯です。


もちろん、再試験に引っ掛からないことがベストですし、同世代としてもどかしいと(エールの意味で)言われたこともあります。が、私自身、一生懸命がんばってもどうしても、今年は生活費を得るための時間の制約や、精神的なことからくる不調のことで(勉強がどうしても手につかない、とにかく感情失禁の嵐で涙が止まらない、電車の中や自室でのみならず、授業中でさえ涙が出る、というのは、経験していないとなかなか想像しずらいかもしれません)ベストの力で走り抜くことができませんでした。それでも、最後まで諦めず、誠心誠意、試験を受け、質問をしにいき、再試験を受け、理解を深めていけたことに対しては、(低レベルでこそあれ、そして全く自慢することではないのですが)よくがんばったと、自分を誉めてあげようと思います。

先生方も、怠けていたのではなく、最後までがんばったのだと、ご理解は頂いているようです。


4月からは、解剖の研究室で、何やら壮大で夢のある研究計画の一端を担わせて頂くことになりそうです。実際の作業は、マウスの脳の切片を作る仕事ですが。。かなり学際的な、元気の出る研究テーマです。おまけに、実験補助ということで、雇って頂けますし、論文も書かせて頂けます。このことは、有り難いご配慮だと思います。
医学部(理系学部)だからなのか、それとも単科大だからなのか、ドアを叩けば研究をいくらでもさせて頂ける環境のようです。まえにいた大学では考えられないことですし、座学では得られない経験です。

実験が面白すぎて3年生に戻るのがいやになったら、、
それはそれで、そのときに考えましょう。





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眠り姫 - 2003年03月16日(日)

3/15

結局、体調不良で一日ほぼ眠っていた。よくこんなに眠ってるなぁと思うくらい眠っている。体が欲してるのか、変な夢を見てばかりなのが困り者である。いきなり留年して退校命令を受ける夢なんかは、余りにもリアルに感じられ、夢だと思われず、寝ぼけながら電話してしまったくらいだ。
ともあれ、こんな過ごし方して!という焦燥感はない。まぁ、眠れる時に眠ってましょう。

ネットオークションで、入札2つめのモノが届き、出品のモノは2つめが売れた。

3/16

昨日の反動で、明け方ちょっと眠った以外起きていた。そのせいで、家庭教師から帰って鎮痛剤を飲んでひと休みしたら、夕食の約束の時間より寝過ごしてしまって、友人を1時間待たせてしまう。ううう。すまん。
友人はユトリロキッチンの「アジアンパフェ」を食して機嫌をなおしていたから良かった。。

家庭教師から帰って来たら、今日は妙に悪寒がしたし、昨日も体調が良くなくて一日眠っていたので、旅行はキャンセルして良かったと痛感。

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今日したこと。

MLで研修医の生活についての質問。/ 手紙を書く。

アマゾンブックストアから届いた本をぱらぱら読む。

家庭教師。

荷物の発送。

ヤフオクでHarris花柄バッグの落札!(汗汗)

フレアースカートの裾のお直し。

法蓮草と卵のソテー、トーストの朝ごはん。

ユトリロキッチンの晩ごはんの蕪と人参、湯通しした鶏肉、昆布の酢みそ和えがおいしかった。




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起床、6時25分、昼過ぎまで朝寝 - 2003年03月14日(金)

一旦朝起きたものの、8時半頃からまた1時頃まで眠っていた。ホントよく眠っている。

歩くのが気持ちよくなるような晴れ。

したこと。

スカートの裾上げ。裾がほつれて着なくなってしまっていた。さっそく、100円ショップで買った裾上げテープを一つ使い切る。

ボーダーのニットをお直しに持っていった。母が若い頃に来ていた年代物だ
けれど、デザインが新しい。ランダムの紺のボーダーが白地に入っている。
ただ、虫食いあとをかがるのは、一箇所1500円はするといわれ、何箇所もあるので、かがり方を教わって帰宅。

ついでに、uvカット効果のあるファンデーションを購入。輸入モノから始まり、最近、だいぶんピンク系の色が増えて来た。

荷物の受け取り。

銀行や郵便局。

友人を囲んで食事会。このごろ話さない話題が出て面白かった。

3月15日、朝、雨。

3月15日する予定のこと。

ニットのお直し。

スカートの裾のほつれのお直し。

お礼状。

引き続き、ぼちぼち部屋の片づけ。


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起床、午後3時 - 2003年03月13日(木)

今日も、午後3時過ぎまで、うとうとと眠っていた。おまけに、シーツに鼻血がついていた。解剖実習をしていて鼻の粘膜が弱くなって切れ易くなっていたのだが、眠っている間に鼻血が出るなんて初めてだ。
まぁ、夕方からのバイトには余裕で間に合う時間だったし、いいとするか。そんなこんなで、解剖実習に参加すると、いささか自慢げに豪語していたのに、ちっとも参加していやしない。

今日は、いよいよ、スノコベッドを組み立てた。組み立ててみると、案外幅が広いことに気づいたが、そのくせ、手持ちのお蒲団を載せてみると丁度良かった。セミダブルのベッドに丁度良いとは、蒲団がそもそも大きめだったのかな?
部屋が狭くならないように、その他のモノをどんどん片付け整理する予定。


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300円 / 通過点 - 2003年03月12日(水)

意を決して、今日はとうとう古着屋さんに行った。もちろん、新品の来ていない服を売るためである。どきどきしながら開店時間より早くついてしまい、うろうろ辺りを見て回りながら時間を過ごしていざ、初めて入るお店にと足をふみれた。以前、服を売るのにいいと聞いたことがあった店である。

「ただ今込み合っておりますので」と、暫く待たされてから店の奥の個室に呼ばれた。店員さんが値踏みしている間、私はドキドキしながら待っていた。いくらぐらいになるんだろう?500円?もっといったらいいけど、どうだろう??

5分くらいに感じられた2、3分後、店員さんの声がした。
「はい、買い取りは300円です。よろしいですか?」
う、と私は一瞬詰まった。13000円だの5000円だのの値札だってそのままつけて来てるのに、元手は数万かかってるんだぞ!(とはいっても、妹が買ったものが4枚、親戚から譲られたものが1枚、私は1枚買っていただけであるが)表の店には、まるで新品がバーゲン品になった程度の、それなりのお値段がついているではないか。
「じゃ、これ、持って帰っていいデスか?」と私が自分で買ったものを持ち帰ろうとすると、「これが200円なんですよ」と店員さんが応えた。私は「イイです」と諦めた。表に出す時は、10倍以上の値段をつけるに違い無い。。。

そして、今日思い知ったのは、ごく当たり前のことであるが、モノを買うということは、すぐ売り飛ばすためにする行為ではなく、そのお金に見合っただけ使うこと、それが一番倹約であるということである(そして、要らないものは買わない!)。

一旦買ったら、次売るのにも、新品であろうと、半額以下になる、という市場原理の厳しさ(?)を実感したのである。

300円。

私が帰りに、100円ショップで片づけのためのカゴを3つ買ったが、それと同じ値段ではないか。。

とどめを差すかのように、私はセレクトショップで売り切れ、入荷待ちとなっていたラメのバレエシューズをたまたま見つけたので、勢いよく飛びつくように試着して何のためらいもなく買い(まるでファッション雑誌で見てました、欲しかったんです、と言わんとばかりだった)、そのあと白い革のベルトを店員さんのアドバイスを貰いながら買い(ベルトは使ってると壊れるので(汗)、足りてなかった)、帰宅後、通販で頼んでいたスノコベッドを受け取ってとうとう念願のベッドを手に入れ、そして買い物依存傾向に終止符をうった。

昨日、ファッション誌の「9着で2週間着回し」特集を見ながら自分のワードローブをひっくり返して整理し直して、「あ、こんな服あったんだ」と、服が十分足りていることを認識したこともあるのかもしれないし、それに加え
今日の300円ショックが効いたのだろう。
そしてなによりも、いい加減、満ち足りた、というのかな。

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ところで、今年度受験まで受け持った生徒さんは、ふたりとも、志望学部には進学するが、第一志望大学ではない。
ひとりは、親元から一旦離れるよい機会ではないかと思ってみている。彼女は柔軟だから、いろいろ吸収していくことだろう。

もうひとりは、「志望の大学ではないですが、活動していきます」とメールが来た。が、どこにいても志がある限り、することには変わりはない。私は返した。「お分かりのように、大学は通過点です、以前語ってくれたような夢に向けて一歩一歩進んでください」、と。

あくまでも、大学は、(あるいは大学生という時期も)通過点である。

高校生の時、社会の先生はしょっちゅう、「高校なんて通過点だ」と授業中に語っていて、それはほぼ授業の本筋からは外れていたから、聞いていない生徒も多かったと思われるが、私は聞き耳をたてるように聞いていた。そして、先生のいうことに同感した。新設校に通っていたのだが、創設期の熱気がそろそろ沈静化する時期で、どこかしら私達の学年は覇気がなかった(ようにわたしには感じられた)。そして、私自身、文化祭だの体育祭だの、遠足だの、甲子園の応援だの、そういった学校行事から極めて距離をとって覚めた目で眺めていた。

しかし、先生は「大学も通過点だ」とは仰らなかった。あるいは、仰っていたのだが、私が聞いていなかっただけかもしれない。私は、文系か理系か、体力がないから泊まり込みの実験なんて出来ない、文系だ、社会システムを維持し動かす法学部にいこうか、いやどうせなら好きなことをやろう、文学部だ、と考えた。そして、文章を書くのが好きだったので、モノ書きになりたい気持ちがあったが、ものかきだけでは食べていくのが難しかろう、研究者になって文献を読み、論文を書いていれば良い、と思い、さらに、当時読んで非常に面白かった「室町記」という、歴史と当時の時代背景を描いた考察が、山崎正和氏によって書かれており、山崎正和氏は美学美術史学出身であったので、受験前より、迷わず美学美術史を志すことにしたのであった。こんな血沸き肉踊る文章がかけるんだ、とわくわくしたのである(本業とはあくまでも違うとそのときは気づかなかった)。さらに、続いて読んだホイジンガの「中世の秋」も芸術作品への言及の多い文化史であり、わたしはますます美学を専攻しようと思った。

そうして、私は、いくぶん、大学は通過点ではなく、そこで人生の大きな保障が得られるかのように勘違いして入学し、時間を過ごしたのであった。論文を書くことに対して自分がどれだけ自分を追い込み、そして、さくさくと書く手順が苦手かということを痛いほど知るまでは。

そして、高校生の時には思いもよらなかった教員免許を取り、高校の教壇に立ち、今は医学部に在籍している。

高校の先生は、愛校心やきれいごとの団結や友情などを煽るのではなく、おそらく冷徹なモノの見方を生徒に促すつもりで高校は通過点です、と語っていたのだと思うのだが、それ以外に、大学も通過点です、と語るべきではなかったのだろうか。

しかし、そこで、大学も通過点ですなんて言ってしまっては、受験と言うシステムが成り立たなかったのかもしれない。目先の合格の向こうに幸せがあると保障するかのように幻覚を与えることで若者たちを駆り立てるのが効率が良かったのかもしれない。

が、通過点は通過点であり、その通過の仕方も、そして通過したあとも、自分で作っていくものだ、ということが、ようやく今ごろ自然に実感として口をついて出て来るようになり、もし、今教壇に立つなら、生徒たちに向かってそう言うだろう、と思うのである。

もちろん、通過点だからといって軽く見るのではない。
が、そこはゴールではなく、次へのスタートなのである。


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なぜか、旅行を巡る葛藤。 - 2003年03月11日(火)

体調が悪く、悪寒がして、5時半過ぎまで眠っていた。昼まで眠っているというのを越えて、夕方まで眠っているというのは、先週の木曜に続き2日目である。そんなに疲れる毎日を送っているのかなぁと思うが、心がどこか縒れているのかもしれない。解剖実習はどこへやら。。

それもあり、また色々そうとうごちゃごちゃ考えた末に、旅行のキャンセル。お金の遣い方とか、行ったら行ったで楽しいけど、連れて回られるならともかく、1人でガシガシ回るにはこのところの体力の無さとか、単に良い子で居ようとしてるだけじゃ無いかとか(やたらこのところ親の「帰省して」モードが感じられた)、
また、旅行フリークと思っていた友人曰く、

「旅行を実行するだけ、になると億劫になる気持ちワカル。向こうにワンダーランドが広がってるわけじゃなし、移動して御飯食べて寝て、が面倒になるだけだよな、と思う。キャンセル代もったいなさに出掛けて、ああやっぱり来て良かったわ〜となることが多いね、私の場合。」

そうなのだ。ワンダーランドは広がっていない。飛行機に乗ったとたん全てがリセットされるわけじゃ無いのだ。そりゃ、ちょっと気分転換に海外旅行に行って元気になって来る、それはそれでいいことだし、私ももうちょっとエネルギー値が高かったら一人旅をしてくるだろう。ただいまは、何となく部屋の片づけと、週4回ほどの家庭教師だけで十分、手一杯な感じだ。

試験に終われる毎日だと、今年度の試験が全て終わったあと、30分ほど喫茶店に入って自分が読みたかった本を広げるだけで、こんなにくつろげるんだ、って感動した。試験資料を広げなくても良い私の時間。わざわざ、バンコクのスタバに入らなくてもリラックスできるんだ、と当たり前ながら、発見してしまったことは大きい。

いま、ここに、ちょっとした時間の隙間に、非日常が転がっている。

勿論、一度はハノイに行ってのんびり旧市街を訪問し、ハロン湾クルーズを楽しみたいとは思うが。。

決め手は予備校フェローの採用面接。これは時給3000円、そして問題の作製(作問)なんかするとまたそれで1万円もらえるという有り難いバイトである。
面接日時変更してくれと言ったけどぎっしり入ってて無理と言われ、なんだかんだいいながらキャンセルする方向に。。はぁ、しかし、、面接の案内もっと早くくれよぉぉぉ、日時が都合の悪い方は早急に連絡してください、と今日来た案内あるのはいったい何なんだ?

というわけで、今回の旅行のキャンセルを巡る私の葛藤はようやく終わり、その分(ホントにイイコちゃんだと思うけど)、帰省して、親の要望通りパソコンをきちんとセットし直して、読まない本や古着を整理しよう。


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30000ポイント / 本 - 2003年03月10日(月)

私がにわかにお熱を上げ始めてしまったファッションサイトは、今、30000ポイントためると商品券が3000円分もらえるという、プレゼントを実施している。ちなみに、この30000ポイントというのは、1円1ポイントの加算ではない。10円が1ポイント。だから、30000ポイントためようと思ったら、実に、30万円以上はお買い物をしなきゃならないのだ!

こうかくとぎょっとする。
実際、最初、私は、おそろしぃ〜、こんなにためれるもんか、と思った。百貨店やふつうのお店のポイントだって、キャッシュバックはトータルで3万円とか5万円とか購入した時点で可能じゃないか、と。

が、その疑念はすぐに吹き飛んだ。

例えば、3000円のバーゲン品を3点買ったとしよう。そしたら9000円。5000円のバーゲン品を3点買ったら15000円。私のような、割り引き大好きの人間は、安くなっているということ自体、そのお得感がたまらなく魅力的だから、一度のクリックで3点は買ってしまう(この、ワンクリックで買い物ができる、というのが、ネットのお店やオークションの魔力なのだ)。前からいいな、あると便利だな、なんて思ってた品がバーゲン品だったりすると、当然迷いはない。

で、ですね。お買い物かごの注文を確定するクリックが仮に月に一度だったとしよう。そして、毎月、必要に応じて(あるいは欲望に応じて?)クリックしたらば、1万5千円×12=18万円なり。

さらに、クリックが2回、3回と度重なるか、あるいは、私のような値引き主義ではなく、旬の服は定価で先取り、または、バーゲンなんて待ってられない、行ってられない、と、定価で服を買うとなるとですね。。
ユニクロなどで済ませれば話は全く別ですが(とはいえ、あのタイプの商店は、量を買わせることを目的にしているような気がしてならない)、3枚、必要に応じて春物ブラウスだの、ニットだの、買ったとしましょう。翌月にはスカートやワンピを買ったとしましょう。あと、値引き主義の有無に関係なく、ストッキングだの、靴下だの、下着だの、そういうものは消耗されてゆきます。。したらばですね。必要な基本を揃えるだけで、一月2、3万かかるなんてことは特におかしくもなくあるのです。。
ってことは、30000ポイントなんて、1年くらいかけて、かつ、そのサイトを愛用してれば、まぁ貯まっちゃうわけで。。

(あああ家計簿の習慣を復活させねば。今年度は、細かく費目をわけられる生協の家計簿をゲットできず、自分のデータをとってないのです。平均的なデータを私は見たことがないので、折を見て調べて見ようと思うけれど、控えめな額なのかどうなのか良くわからない。感覚として、むちゃくちゃ多くはない気がする。今の大学の若い同級生は、以前の大学に比べて、断然に服にお金かけてる・・それが楽しみであったりもするのだと思う・・印象がある。以前の大学では、生協の生活費調査とかあったけれど、男女とも、そこまで被服費って膨張してなかったと思う。家賃、食費の順に多かった。ジーンズにTシャツとかなら、お金かからないしなぁ。それもあるのか、今も、前の大学に入り込むと、今の大学より学生があどけなく見え、あ、ガクセイだな、若いな、って思う。在学中は、女の子の素っピンはごく普通だったしな。医学部みたいに、先が確定してないこともあるのかも)

なんて冷静(?)に考えつつ、今朝も、私はそのサイトでお買い物してるんですね。そして、メールを見てあれ、って思えば、昨晩も買い物してんじゃん(汗汗汗)!

今朝はバッグ、これは通学その他に必要だし、私がモノをいつもいっぱい詰め込むから、すぐやられるからどうせ使うのよ。
昨晩はねぇ。。ニットだとか、花柄ワンピだとか、まぁ、そのうち、暖かくなれば着るでしょう。。

あ、迷ってたブラウスは、品質が説明文と違うという理由をつけて返品しました。

なんかねぇ、、ほんと、我ながら、心の中のナニカを埋めるかのように、ショッピングしてるんじゃない、って気がする。買い物してモノを揃えるのは、お金さえあれば、手軽にモノを手に入れる一種の全能感をもたらしてくれるからねぇ。。

今朝は、自己嫌悪に陥らない品だったけど、昨晩は、さすがに、クリックしちゃった時点で、そんなに服が大切か?と自己嫌悪に陥ったのを、思い出した。

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そして、今日は、衿野未矢さんの「依存症の女たち」(講談社文庫、書き下ろし)を読みたいがゆえに、本屋をハシゴ。
古本屋での3冊(単行本を全て半額でゲット)に加え、3冊と雑誌1冊買っちゃいましたわ。ま、本は、所有したい(という願望を持ったこともあったけれど)より、今は読みたくて買うわけだから、いいとして、ただそれでも、今度は金額ではなく、一度に買う册数に、また、ナニカを埋めようとしちゃあいないか、と自問自答してしまった。とはいえ、雑誌も・・お恥ずかしながら、これまた「まるごと買える!」を売り物にしているファッション誌Look!sなのだけれど、見て楽しめ、読むこともでき、買うこともでき、すべてコーディネートしてあるものも細かく掲載ページが表示されており、かなり優れものです。もちろん、きちんと感溢れる格好をしたい人には、全体的にちょっとカジュアルすぎるかもしれないけど。。まぁ、「9着でも毎日新鮮!2週間着回しコーディネート」なんてのは、私みたいな学生が参考するには、丁度いいかも。

と、また服の話になってしまったが、「ふつうの医者たち」(下記参照)「依存症の女たち」「イラクの小さな橋を渡って」(池澤夏樹著、光文社)という新刊を買った。また、読後感を書くと思う。

はじめて、アマゾンマーケットプレイスの出品でミスをやらかしてしまい、返金手続きをすることになった。出品を間違えていて、独和辞典なのに、独和&和独としていたのである。ううう、いままで評価が全て5つ星だったのになぁ。。

久しぶりに、ふと、バスの中でぽろぽろ涙が出て来て泣いてしまう。

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一昨日書き忘れたが、南木圭士氏は「医者という仕事」の中で、優しい心と丈夫な体はなかなか両立しにくい、と書いている。さらに、今日読み始めた同氏の「ふつうの医者たち」(文春文庫)では、そのいきさつ(氏の考えの深化)が書いてあり、人の変化はゆっくりゆっくりしているものなのかもしれないと思う。


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- 2003年03月09日(日)

依存症の本を読みながら、考えさせられる。

友人に手伝ってもらって、部屋の片づけ。大分スッキリした。今年に入ってから2回目かな?ありがたい。これで快適!

明日、思ったような品質でなかったブラウスは返品しよう。



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本2冊:丈夫な体と優しい心 / わたしの中の依存症 - 2003年03月08日(土)

ぼちぼち、ネットオークションにいらないものを出品している。本やビデオをアマゾンのマーケットプレイスに出品するのはわりと簡単だが、服や雑貨と言うのは、そのような定型がないものである。デジカメで写真をとって、服なら改めて採寸して、説明の言葉をつけて。。。手間ひまかかるけど、ぼちぼち出品していこう。

また、ボタンが外れたら糸と針を使って直すこと以上の裁縫を、ひさしぶりにしている。とはいっても、大したことはない、サイズのお直しだ。スカートのサイズで合うサイズのものは売れていて、好きな色がひとまわり大きいものしか残ってなかったら、フレアスカートなら割合簡単にお直しできる。
その他、100円ショップで裾あげテープを買って来たので、パンツの丈も直す予定。

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天気は、冷たいみぞれみたいな雨が時々降った。傘のない雨の中を、自転車で郵便局まで行く。ふと、谷山浩子の歌に、「冷たい水の中を君と歩いていく」というのがあった、と思い出す。

家庭教師2件。行き帰り、久しぶりに、テスト資料ではなく、文庫本を読んだ。
一件目の行きは、南木圭士の「医者という仕事」(朝日文芸文庫)。これはわたしが貸した本が久しぶりに返って来たのか、それとも貸してもらっているのか判然としない。というのも、貸してもらっていると思っていたが、ページを繰るにつれ、読んだ覚えがふつふつと蘇って来たからだった。

以前読んだ時には、心に残らなかったのだが、冒頭、医者という仕事には、優しい心、丈夫な体、そして程々の頭が必要だ、という丸谷才一氏のエッセーに共感する作者の言葉があった。
末期肺癌患者と向き合う中で、自らも心を病んでしまい、小説を書くということでバランスを取るようになった作者の言葉は、おそらく医師の大勢の見解を示さないではあろうが、小説を書くことで視線を低くすることができている、病を得ている人に寄り添おうと思えば、視線を低めることだ、とあり、我が意を強くした。
もちろん、気持ちだの優しさだのは、適格な医療技術や診断能力とは全く別のカテゴリーである。
が、優しさが求められる場もあるのではないだろうか?

次、一旦家に戻りたかったのだが、JRのダイヤが乱れており、戻る代わりに本屋を覗いた。
たまたま、「ひとりになれない女たち:買い物依存、電話・恋愛にのめりこむ心理」という本が目に止まった。依然にも気にかかっていたような気がして・・レディコミの研究書を出していたからだ、と今気づいた・・、わたしはその本を手に取り、そして、読むことに決め、本を買って外に出た。

バイトへの依存、食べることへの依存、交友関係の依存、、、誰でもいくらかはなる可能性を秘めているだろうし、私自身、病的とは言えないまでも、それぞれ思い当たる過去の経験はある。
そして、今は、買い物。

筆者の言葉を引用すると、
「 衝動買いの経験は、誰にでもあると思う。でも、今度あなたが衝動買いした時、胸に手を当てて考えてほしい。「欲しいものを手に入れた」という満足感があるかどうか。支払った金額に見合う愛着を、そのものに感じるか。「またバカな買い物をした」と暗い気持ちになってはいないか。
「楽しいお買い物」と「買い物依存症」との距離は、あなたが考えている以上にずっと近いのである。」(p.39)

筆者がかつてそうだったように、私も綺麗なファッションビルや雑貨屋さん、そして百貨店を覗くと元気になる。そして、何となく散漫に買い物をしてしまうことがよくある。心の中で「子どもでもいたらこんなふうに自分のためにお金遣わないのにね」と思いながら。

それを自分のための優雅さと取るか。それとも、無駄遣いと取るか。

微妙なところである。日記の注意深い読者の皆さんはお気付きの通り、生活費が、学費が、などといっている割に、私はしょっちゅう買い物をしていて、それをもちろん、楽しんでもいて、日記にも書いている。
買い物への推進力は、これは私が自分で稼いだお金、自分のために遣う、であり、そして、過去を振り返れば、小さい頃、同級生に比べ、拘束が厳しかった我が家では自由にモノを買うことが出来なかった、それを補償すべく、好きなものを好きなように買い揃える快感を味わっているのでもあろう。
そして、ローン地獄やカード地獄に今のところ幸いにして落ちないで済んでいる、買い過ぎないためのストッパーは、ガクセイであるがゆえに、自由にできる額が限られることである(例えば、価値観や行動パターンにもよるが、社会人の友人で、今も母校の大学の学生食堂をこよなく愛用している人がいる(わざわざバスに乗って食べに来るくらいだ)。海外旅行も実質本位、盗まれても良さそうなものしか持っていかない。さすがに安全面に不安があるので、激安宿には泊まらないが、値段に見合ったお金の使い方しかしない。。そのような身の回りのことに関しては、彼女と私は金銭感覚も近い。が、やはり、可処分所得には大きな差があり、彼女が欲しがって、実際に買おうかどうか迷うアンティークショップの7万円の家具や、10数万するペルシャじゅうたんを買おうかどうかと私は悶々とはしない。それは私にとっては入手不可能な次元と位置付けられているからである)。

際どいところだと思う。
買い物で楽しく元気になっている、そして、身の回りに気に入ったものがあるのは嬉しいことである。が、不要品を同時にせっせとオークションに出す、どこか、刹那的である。要るか要らないか、もう少し考えた方がいいのではないか、と。

誰もが依存症になりやすい時代、筆者はそういう。
本の後半をまだちゃんと読んでいないので、今日はここまで、また後日取り上げる。


部屋の隅に、服がビニール袋をかぶったまま積み重ねてある。今日、ネットのセレクトショップサイトに注文して届いた商品だ。イギリス製のブラウスとか、鍵編ニットだとか、イメージ通りのものもあり、あれ?というのもあり、一度ずつ手にとってみたあと、そのまま積み重ねられている。
あれ?という商品は、返品しようかどうか、今暫く、考え倦ねている。
ま、月曜日までに決めよう。必要かどうかという基準で。






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