パパ - 2005年04月04日(月) ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀には、全世界から信徒が200万人ローマ入りするという。ローマは人口250万人だから、倍近く膨れ上がることになる。1976年の法王の葬儀の際には、約75万人が集まったとのこと。世界人口の増大や、何より交通手段の格段なる発達を加味しても、このたびの葬儀は、史上最大規模のものではないだろうか。 ヨハネ・パウロ2世が亡くなった事にたいする寂しさ、それは、イラク戦争が始まる前など、彼がアメリカなどに特使を送り、熱心に国連中心主義を説いた、その熱心な対話の姿勢と平和主義を、新聞紙上で目にすると、「もしかしたらイラク戦争は回避できるかもしれない」とほっと安心できたことにも起因するかもしれない。 彼の名を見ると、「いい方向に法王は持っていこうとしてくれる」と外交上の問題について、ちょっとした希望が持てたのだ。 アラファト議長や、ヨハネ・パウロ2世は、あくまで個人である。したがって、個人の持つ限界〜欠点や偏り〜も当然あったといえる。しかし、存在の大きさ、それは個人としては最大級に属するのではないだろうか。 そして、このような偉大な人物を失うとき、果たして私達の世代はこのような偉大な指導者を生み出せるだろうか、と心細く不安に思う(といって、すぐさまヒットラーのような分かりやすい強権者についていきたいということでは決してない)。 ++ ▼塩野七生「ローマ人の物語2 ローマは一日にして成らず(下)」(新潮文庫)読了。深く堪能しました。積読していたプルタルコスの対比列伝、読みたくなりました。 ▼川渕圭一「フリーター医師の青春七転八倒記―セブンソングズ」(講談社) 軽く手にとって見たが、一気に読めた。甘酸っぱく甘辛い。30歳で医学部入学を決意するまでの、20代の迷える日々。 注意:医師の話、というより、現在は医師の彼の、青春の書だと思って手に取りましょう! ポール・オースターの「ムーンパレス」みたいなのりです。もちろん、そこまで大著ではないけど。。 - - 2005年04月03日(日) ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなられました。 年末のアラファト氏といい、大きな存在の指導者を失うことは寂しいことです。 - - 2005年04月02日(土) 夜,あまり良く寝付けないでいたのですが,見た夢では旅行をしていて,韓国のヨサゲなホテルを直前料金で押さえた所,なんとフロントにイ・ビョンホンが! えええ?と私がびっくりして目で追っていると,折り返してやって来て手を振ってくれて,わあ!とさらにびっくりしているとまた引き返してくれて,3回も愛想を振り撒いてくれました。わあ,お素敵,と思った次第。 他にも夢で2万円の古いアパートに下宿したり,国際組織に鍵を盗まれて,警察にそれでも逆にマークされたり,変な夢を見ました。 ++ あと,もっと軽く考えればよいのでしょうが, オフ会とかに出られない自分を,責めてしまいます。 出られなくて残念!と軽く考えればよいのでしょうが, 交友のチャンスを失い,不興を買っている自分,というものを想定し,怯え, 自分を責める。 根底に,いろいろな人間関係を失うことへの恐怖や(ってもともとそんなにあるのか??),嫌われることへの恐怖があるのかもしれない。 同時に,楽しみたいっていう気持ちもあるわけだし。欲深い。 私はわたし,と思えたらいいのだろうし, しょっちゅう色々なものから距離をとりたくなるくせにね(そして取ってしまう)。 いかんいかん,ネガティブのドつぼに入りかけているのか, 悪しき思考パターンにとらわれている部分が露呈しているのか, ともかくこういう思考方式を絶ち切りたい。 - - 2005年04月01日(金) 4月です。新年度かア。 このところ全く日記を更新していなかったのですが, それでも連日多くの方が(このサイトなりに,多くの方が)訪れてくださっていて,皆さん何を期待しておられるのだろう?と昨日久々にアクセス数を見て思ったわけです。 楽しいこともありますが,基本的に現在ローです。多分。 それから,先日とあるお仕事を紹介していただいていたのですが 新年度のシラバスをチェックしたら授業と前期に3回もかぶってました。 過年度のシラバスでは前期3回なんてことはなかったので,フライイングして多分大丈夫です,などと数週間前に安請け合いしてしまっていたので,結果的にご厚意に対して,ご迷惑おかけしたことになってしまいました。 (うちの大学は結構単位などに関してキビシメだと思う。某有名大の話を聞いていると,4月になっても過年度の追試をやってくれているようだ。これでは留年,特に単留って余り起こらないよなあ。。むむ。) というわけで,土曜日長時間化したとあるバイトに加えて,もう一つ新規にバイトを探したいところです。 振り返るに,必要最小限にいろいろすることを絞っているような気もする。。 項目をどんどん絞ってるというか。 ちょっとは勤労学生として?賢くなったのだと思います。 (客観的なよしあしは別として,自分の身を保ち守る=無事一発で全ての試験に合格して確実に進級することを第一にする,というような意味で) - 大腸ファイバー - 2005年03月22日(火) 便潜血陽性だったために、万が一何かあってはと念を入れるために、 大腸ファイバー(または大腸カメラ、大腸内視鏡)検査を受けました。 前日、逃げたくなる気持ちがむくむくしていたのを、 3人にそう言って大丈夫だといわれて、 じゃあ受けるか、と気持ちが丸くなって受けたのですが、、 これは、ホント苦行でした。 2リットルも下剤を飲み、本当に下痢したみたいに気分が悪くなり(10回以上もトイレに駆け込む有様) 挙句、午後からのファイバー開始の前にベッドで寝させてもらいました。 トイレも、最初の4回くらいまでは 「おお、快便快便」と思えるけれど、それ以上になると下痢と同じで ホントげんなりしてきます。 寝かせてもらって大分楽になったけれど。 ファイバーも苦行。痛いというより、腸が伸びて、ためにおなかが張って張って、看護師の方に押さえてもらって、やっと腸が伸びなくなって楽になって、なんとか最後までファイバーが行きました。 ファイバーやってる先生もこちらの腸が伸びるので中に入れるのがとても大変だし、こちらもつらかったです。 おかげさまで異常はなし、たまたま便潜血陽性だったのでしょうということでした。 もう、あの検査は二度とやりたくないですね。 (やらなくて済めばよいです) 終わったあとは、基本的に点滴をされるそうなのだけれど、 「お若いから」とさっさと帰されました。 以上、大腸ファイバー苦行の巻。 画面を一緒に見ていたが、つやつやしていて腸はきれいだった。異常なし。 ううう、ファイバーやって損したかも、と思ったが、 まあ経験ということで。 - 美術館めぐり - 2005年03月20日(日) 交通費半額、入館料タダの激安スケジュールで、 本当に久々に目一杯活動しました。 朝は8時半過ぎに上野でお目当ての「ジョルジュ・ラ・トゥ−ル」展 (国立西洋美術館)へ。これ見る為に出かけた訳です。 しかしこちらは9時半開館なので、 時間潰しのつもりで都立美術館の「ミュシャ」展へ。 これが意外や意外??、並んで列が出来ている! 押すな押すなで中に入りましたが、 どうやら同日開催の池坊の展覧会の方が多かったようです。 「ミュシャ」展、これが期待を上回る良さで、 彼の構図の上手さ、デザインの素晴しさを再認識し、 連休の中日だし、コミコミなのも納得。 本国の財団からの出品だというのも良かったようです。 ついで、お目当ての「ジョルジュ・ラ・トゥ−ル」展へ。 これは、生きてる間もうこんな展覧会ないかも!という 世界規模でもレアな展覧会なので、絵に興味ある方は是非足を運んでみて下さいまし! 現存する彼の絵が40枚くらいしかないというのに30枚くらい集まるという、 ほんと貴重な場でしたので、 こちらは、ほんと舐めるようにみました。2時間半はいたかも。 私の中では、1995年のフェルメール展に匹敵するものと思われました。いや、まあ、フェルメール展の方が凄かったですが。。(朝イチでならばないと 入場券が買えないくらいの盛況) そのあと、イラン料理目当てに池袋に行ったのですが、お店は既になく、 「大戸屋」でヘルシーにお昼。 食後、銀座に移動し、エルメスギャラリーへ。 こちらでは「スゥ・ドーホー」展やってました。作品が一つあるだけですが、3月29日から六本木の森美術館で始まる「秘すれば花−東アジアの現代美術」展にも出品する作家さんなので、その前哨戦に見ておくのも良いかも。 ついで「資生堂ギャラリー」へ。オーウェン氏というロサンジェルス在住の作家さんの個展。テキスタイルと水彩でした。 ドト−ルで休憩してから新宿へ。 空き時間を使って韓国映画「バンジージャンプする」を見ようという目論見。 そう、イ・ビョンホン主演です。 が。立ち見しか券がなく、もう一つ遅い上映時間の整理券をゲットしてから森美術館へ。 こちらではミュージアムショップを冷やかしたあと、「ルイ・ヴィトン展」を見ようかどうしようか迷ってる間に、どんどんコミコミになって来たので、映画に間に合う為に止めました。 それにしても、ミュージアムショップで森さんという作家さんの作品が沢山うっているのですが、あれは、森美術館の娘さんでしょうか? 帰り、麻布十番方面に歩き、「この街イイねえ」とちょっとした散歩を楽しんで、 大慌てで映画館へ戻りました。 映画「バンジージャンプする」はなんとも強烈でした。くらくらしました。 後ろに座っておられた御婦人方が「純愛ねえ〜〜」と仰っておられましたが、 それとはちょっと違うような。。観客層は、40代以降が多い感じでした。 詳しくは書きませんが、「猟奇的な彼女」「僕の彼女を紹介します」と共通する要素が多く、「因縁」がテーマのような気がします。 ともあれ、40代〜60代、それ以上を ガンガン劇場に足を運ばせるようになった韓国映画って偉大です。 カッコ良い教師役も、ダサダサ大学生役も、演技が素晴しい イ・ビョンホンっておステキ☆ そのあと、新宿のトルコ料理店でご飯を食べて、一日を終えました。 - 無料インターネットカフェ - 2005年03月18日(金) ヤフーBBの無料インターネットカフェ(要は勧誘センターに見えるんだけど)が出来ていて、早速利用してみた。マシンは快適だけど、やっぱタダなので、居心地はほっておいてくれる普通のインターネットカフェの方が良いかも。まあ、こちらも、昨日初めて利用したんだけど。 - 陽光の下、働きたく思い / 竹島 - 2005年03月16日(水) 朝遅くまで寝ていて、洗濯したりうだうだして、穴蔵のような拙宅から2時過ぎに外に出ると陽光が眩しい!春だ! ああ、外に出て良かった!と思う瞬間である。 大学にバイトのための卒業証明書を貰いに行くと、以前より(卒業年度が古いの人間に対して)サービスが低下しているのか、週明けの22日になるという。うへ。 それにしても、事務室で働いている人がキラキラ輝いて眩しく見える。私と来たら、ちょうど年度の境目ということなども重なり、3月に入ってからは一度しかバイトをしていない。 もちろん、働いている人がカッコ良かったというのには、ウエーブをかけた40代〜50代くらいの女性が事務室っぽくなくてカッコ良かったというのもある。しかし、自転車を漕ぐ道すがら、タバコ屋のおばあさんも、お米屋さんも、みな輝いて見えた。 昨日友人が言っていたように、ほんと、「仕事があるのは幸せ」なんだ。 平日陽光を好きに浴びられるこの自由は素晴しく、何にも替え難い喜びかも知れないが、それよりも働いている方がずっと眩しく思われる。 昨日も38℃こえる熱が出たし、体力的にも社会的にも終わってるんじゃないかと忸怩たるものを抱えながら、市場の活気を貰って、買い物袋を自転車のカゴに入れて、また薄暗い穴蔵へと、帰る。 派遣でいろいろエントリーしてみているが、もっとバイト探しを強化した方がイイかもしれない。 ++ 1個1000円のハンバーガー。1000円も出して正直ファーストフードは食べたくない。 千円出すならもっと違うもの食べたいなあ。 ▼1個千円の高級ハンバーガー、モスバーガーが発売 ++ 「竹島の日」の条例を島根県議会が可決した。 ▼竹島の日 島根県議会が条例案可決 韓国世論は反発 島根県議会がとった行動が洗練されているとは思わないが、日本政府および日本の国民はコトを過小評価してはいないだろうか? 竹島の持つ経済的水域の意味は大きいのだ。 (もちろん、韓国国民および韓国政府の反日感情を煽っているという側面も大きいが)。 詳しくはこちらへ。 ▼竹島問題の基礎知識−日韓友好にとってまさに「のどに刺さったトゲ」 - なんやらかんやら - 2005年03月15日(火) 慌ただしい一日。 朝胸苦しく、こりゃいかんわと友人との約束をずらしてもらい、検査の結果の精密検査の話を兼ねて病院へ。大腸内視鏡の予約をして(これは一日仕事で午前中は下剤を飲んで腸を空にし、午後内視鏡を入れてそのあと点滴をするらしい)、その場でできる心電図や採血をする。 心電図は、「不完全右脚ブロック」とのこと。病気というほどではないし、胸が苦しいというほどではないのでは、ということで、甲状腺機能の採血結果を待ってから心配なら心エコーなどしたらどうかということだった。 それから、便潜血陽性については、医師と私の見解は一致。薬の副作用で便秘気味になり、硬くなった便が腸壁を傷つけているのではないか、と。 とまあ、念のため苦行のような大腸内視鏡で診てもらいます。 そのあと、ちょっとしんどさも薄れたかと思い兵庫県立美術館まで。「ドレスデン−世界の鏡展」を開催中なのだ。ザクセン公国のコレクションということだが、イタリア、フランス、オランダ、トルコ(一時期とても流行っていた模様。きっとフランスのルイ14世の華麗なモードにもトルコ様式は影響したに違いない)そして東洋のコレクションの充実ぶり。素晴しい。 これらのコレクションがこうして見られるようになったのも、東西ドイツ統一のおかげである(ドレスデンは旧東ドイツ)。 目玉はおそらく日本人の大好きなフェルメールの「手紙を読む少女」。友人に言わせると、フェルメール特有のふわふわした空気の質感が余り出ておらず、堅いとのことだったが、確かにそうかも知れない。案外後世の補正加筆があるのかも知れない(正確に絵の履歴を知っている訳でないのできちんとしたことはいえない)。 その他、画家の名前は忘れてしまったが、ドレスデン近郊から浄化を見下ろすようなドレスデン城の絵が、気になった。カフカのイメージした「城」とは、このようなものだったのだろうか?と。 ここで、途中非常にしんどくなり、帰りはバスと電車でほとんど眠りこけていた。帰宅してみると熱が38.6℃もあり、しんどいのも当然。 風邪薬を飲んで3時間ほど眠って熱を測ると36.7℃まで下がっていた。素晴しい。 同行の友人も妙に疲れて帰宅後爆睡したらしい。やはりまだ風も冷たい一日だったからねえ。 明日は暖かくなるようだ。 - 検査に大ショック - 2005年03月14日(月) 擬陽性が多いとは聞いているものの、、、 自分でも色がちょっとおかしいのでは?と思って受けた「便潜血」検査、陽性でした。 内科でさらに精密検査をとのこと。 大腸内視鏡やら何やら。。 検査を受けた近所の病院でできるんだろうか? おまけに、腹部エコーでは軽度脂肪肝だそうです。 BMIは決して太ってないので、かつて過食してたときの名残りだと思います。 (いや、過食は何年も前なので、そもそも生活習慣がいかんのかも。。。汗) あああ、子宮はきれいとのことで検査結果良かったんだけど、 凹むわあ。 ++ なお、昨日積もってた雪は、枝や屋根から雪が滑り落ち、日射しと共に溶けていきました。 3月半ば、春は近いのやら遠いのやら。 -
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