免疫という自己責任論?・・ 安保免疫学の危険な香り? - 2004年12月29日(水) ▼安保徹&無能唱元「免疫学問答―心とからだをつなぐ「原因療法の勧め」」(河出書房新社) を読む。 心と体をつなぐ,免疫の自律神経支配という安保学説は非常に興味深いし, 全体的に分かりやすいたとえの本で面白い。 しかしだ。 危惧することが一つある。 それは,「ガンをはじめ病気はストレスが原因なのですよ」と言い切ってしまうことだ。 たしかに,感染症におけるウイルスもしくは細菌感染は,個体にとっては広義でストレスであるには違いないが,すべてストレスですと言い切ってしまうのは, すべての病気はあなたが原因を作っているのですよ,と,一種(今年のイラクでの邦人人質事件に見られたような)の自己責任論になってしまわないだろうか? 色々な要素が絡み合って病気になるんですよ,という説明の方がよろしくはないだろうか? 以前,テレビの清明に関する特集番組で,柳澤桂子さんが「病気そのものが悪いんじゃないんです(結果として病気がわれわれにとって都合が悪いというだけなのだ)」,「患者は病を負った自分を責めがちだけれど,自分が悪いわけじゃない,全人類の中で,たまたま病気に偶然あたったのだ,そして病にあたったことは他の人の身代わり的なことで,そのことは人類全体が負うべきことだ」という趣旨のことをおっしゃっていた。 特に,遺伝子の病気の場合などは,環境でどうのこうのできないことも多いわけだから,なるほど,と思った。 実際,病気になったとき,ストレス源が明らかに分かったり,さらにそのストレス源を除去できる場合もあるだろうけれど,すべてストレスですよ,あなたの免疫力の問題ですよ,ということは,患者を余計苦しめはしないだろうか? ストレスかもしれないが,そうでないかもしれない, 自分が悪いばかりじゃないんだよ, そういう担保が患者には必要だろうし, 同時に,すべてストレスが悪いのですというスタンスは, うまくいえないのだが,(代替療法を含めて)医療の怠慢を招くように思われてならない。 - スマトラ沖地震その2 / 肺がん薬イレッサ - 2004年12月28日(火) 昨日朝,スマトラ沖で地震が起き,広範囲で津波の被害があった。 マグニチュード9の威力はかくもありきか。 28日4時現在,確認された犠牲者は2万3千人を越し,インドネシアだけでも2万5千人に達する見込みという。 タイのリゾート地などでは,海辺にいた観光客が標的となり,犠牲になった8割が外国人だという。 南国での年始年末,もしくはクリスマス休暇が飛んだ惨状となっている。 それにつけても,このような規模の津波の被害を見ると, いろいろな神話や神話上の一晩で海底に沈んだという「ムー大陸」の話もあながち嘘でないと思う。 ++ また,肺がん薬イレッサの延命効果がないことが分かり,承認が取り消されるかもしれないという。 ▼肺がん薬「イレッサ」延命効果なし、承認取り消しも がん細胞の縮小効果はあったあと言うことだが。。 鳴り物入りで承認,使用開始された薬だけに,残念なような,また新薬開発は難しいと思うような。 - スマトラ沖地震 - 2004年12月27日(月) スマトラ沖で地震が起きた。 ツアー客の安否は旅行会社を通じて行えるが, 個人客は把握しきるのが難しいだろうなあと心が痛む。 ++ 在宅酸素療法の雑誌に,おそらく20代後半とおぼしき(せいぜい30代そこそこ)の若い女性の医師が載っていた。自称「酸素をつれた医師」。満面の笑みと明るい文体だ。気管支喘息が重く,医学部在学中の5年目より在宅酸素療法のお世話になっているのだとか。現在は放射線科の画像診断専門の医師らしい(T大病院)。 現在のようなスーパーローテーションが彼女の時代にはなかったので,それも幸いしているのだろうが,在宅,いや病院にいる時間が長いので「在院」酸素療法をされながら医師として働いておられる姿に,感動,というと安っぽく聞こえるが,胸を打たれ,同時に元気をもらいました。 - お勧め映画☆「スーパーサイズ・ミー」 - 2004年12月26日(日) 朝から慌しい一日だった。とはいえ,午前のアルバイトのぎりぎりまで(今日こそはホントぎりぎりまで)眠ってしまった。。 密な指導を終えた後,ダッシュでお取り置きしてもらっていた商品を受け取りに行き,バイトの本当に文字通り合間を縫って,念願の映画「スーパーサイズ・ミー」を鑑賞。エンディングになったらダッシュで次のバイトへ。夜までバイトでそのあと打ち上げ,トルコ料理。 帰宅後腫瘍学のレポートの足りないところを足してようやく完成,プリントアウト(翌日郵送したが,今思うに配達証明をつけるか,簡易書留にするかすればよかった。単位がかかっているので,年末のこの時期に届いたかどうかはらはらしなければならない) 安保徹「最強の免疫学」 読了。 面白いです。イメージがよくつかめる。 ++ さて,この映画,監督自らマクドナルドのハンバーガーを毎日毎食一ヶ月食べ続けることで,ファーストフードがいかに体に悪いか,これまた文字通り体を張って示したドキュメンタリー。 これがしょっぱなから面白かったです。主演ジョージ・ブッシュの「華氏911」を撮ったマイケル・ムーア監督の「ボーリング・フォー・コロンバイン」という,銃社会をテーマにしたドキュメンタリーなみの,のりのりハイ・テンション,笑える笑える! アメリカの公立学校の給食風景も出ていたが,ファーストフードのところがほとんどの模様。かつて私がアメリカの小学校に行っていたとき,チーズバーガーだのフライドポテトだのの給食がまずくて食べれず,毎日ほぼ残していたのは,実は私の味覚が体に対して正しかったのではないか,などと思ってしまった。 つくづく,日本の学校給食とか,大学生協の食事だとか,はたまた社員食堂だの仕事場に配達される弁当の類が,仮にまずいことがあろうと,体にとって配慮がなされているのか,改めて感謝の念を感じた。 また,不登校などの問題児が通う公立高校では,給食を手作りにし,野菜などが十分取れるように配慮したところ,生徒が落ち着き,問題行動が減ったと出ていた。 オーガニック社とかいう会社のサービスらしい。ホント美味しそうな給食で,トルコのトラットリア(軽食食堂)を思い出した。 食料自給率200%のトルコでは,ファーストフードとはいえ野菜の煮込んだ美味しい料理が出てくる。旅行に行ってそのあまりの美味しさに感動した。友人などは,帰りの飛行機にのるバスの迎えの時間まで40分ほどあったものだから,その間猛ダッシュで気に入ったトラットリアまで駆けて行き,機内食が出るのは分かっているにもかかわらず,満腹になるまでトラットリアのサラダバー(生野菜だけではなく,ちゃんと火を通した料理まで出てくる)とパンを食べに行ったくらいだ。 こういうファーストフード店ならぜひ日本にも進出して欲しいと,友人と熱く語らい,帰国後大学生協食堂に「かくかくしかじかのトルコのトラットリアのようなサラダバーを大学生協にも設けて欲しい。トルコのファーストフード店で行っていることが日本でできないはずはない,栄養面でも優れているから是非検討してくれ」とワタクシ投書した。 そのために某大学生協食堂ルネでサラダバーが始まったのかどうかは小生の知るところではないが。。 ++ それはそうと,映画には街頭インタビューで出てくる以外の女性が数名いる。監督自身の恋人がとても愛くるしいのは,まあ映画のために選ばれたのではないので,さておき,管理栄養士さんと女性の医師がきれいでかわいいのですよ。男性の医師たちはそうでもないんですが。。普通に俳優業やってそうな勢いだ。これはビジュアル面で選んだのだろうか?それともたまたま?それともはたまた医師と栄養士はアメリカではみなさんおきれい? 非常に疑問に感じてしまいました。 ともあれ,マイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」と並んでこのドキュメンタリー映画はエンターテイメントとしても面白い。 そしてこういうドキュメンタリーを生むアメリカは,(この理知的な部分においては)好きだ。 - - 2004年12月25日(土) かなり昼寝した。。 それでも夕方スパートをかけて腫瘍学のレポートをやってみた。 良き資料さえ手に入れれば、結構短時間でできるものかも。。(f^_^;) 今日もクリスマスケーキを3000円だの5000円だので売ってる店がある。強気だなあ。 ++ 「美しき日々」、ほんとうにどっちつかず過ぎるヨンス!いかんぞ! ヨンス! しかし、それは困ってる人見るとほっておけなくなるからなんだけれど、 行き過ぎ。 ミンチョルが妹に紹介しようとしてるのにさ、すっぽかすとは! 共依存ではないかと思っちゃう。 ミンチョルもちょっとずつ優しくなってきてたのにね、せっかく。 ヨンスはまったく優先順位が付けられないバカだ。 自分で変な行動をしておいて 混乱が起きて それみて悲しんでる ほんとバカ。 自分の行動が原因と分ってない(T-T) - よく眠る - 2004年12月23日(木) 午前中バイトがないと思うと気が弛んで、なんと16時間も眠ってしまった。とほほほほ。 腫瘍学のレポートはやはりネットだけでは足りないかも、と中断。 夜、友人のオークションの出品を手伝いに行く。お尻の重い友人も二人がかりになるとやはり作業がはかどります。 明日こそは早起きしよう! - - 2004年12月22日(水) 昨日の補足。卒業できていないと同時に、今の大学の近くに住んでないのは距離を置きたいからでもある。 放課後、クラブや自由時間な訳じゃなくてバイトだったりする私は、なんとなく大学から離れてしまいたいのだと思う。 まあ、あれこれ言い訳しなくても、今の学年にも他に3人はキョウトに下宿していて、それぞれに理由がある訳なので、余り気にしないでいいのかもしれない。 - - 2004年12月21日(火) 午前中指導、密だ。 午後、各種発送や資料のコピーなど。一つ一つはちょこちょこしたことだけれど、複数あると事務員よろしくせっせと励むことになる。 夜、また友人のオークションの写真撮影を手伝う。 レポートを書いてしまわないとなあ。明日こそは! ++ 資料をコピーしていて、このコピー屋さんに長く縁があるなあと思った。 最初は資料のコピーとかじゃなくて、そもそも、学部時代にせっせとつくっていた詩の同人誌を作るためにコピー機を4台くらい占領してコピーしてたんだよね。懐かしいなあ。 そのあとはバカみたいに資料をコピーしたりしていた。とくに院に入ってからは読みもしないものを沢山コピーして、最後引っ越す時に思い切り良く手伝って下さった方が捨てて下さった。ありがとうございましたm(__)m あの頃は(今もかも)自分ではそれなりに年齢がいってるつもりだったけれど、ほっておけない子どもだったんだろうなあ。。 ++ そして、先日、「デルタのそばから離れられないの?」と軽く(か、重くかは分からない。たまたま帰り道が一緒になった時の短い会話だから)言われたこと、それを聞いて私はハッとした。結局私は、前の大学、というか、大学院を(大学は(とりあえずは)卒業したと信じている)、卒業できていないのではないか、と。精神的に。無駄に過ごしたと後悔して後悔してばかりいた状態からは抜け出して3年ほど経つけれど、それでも卒業していない。気持ちの上で。 一応公式に修士課程の修了はしているけれど。 長く学生をし続けることは恵まれたことであるが、 一体私は何をしているのだろう? 隣のコピー機で熱心に資料をコピーしている女子学生、そして同じ研究室の後輩と思しき女子学生、彼女達をふと観て、私は(単なる帰巣本能?現実逃避?かもしれないのだけれど)なにやら猛烈に勉強したくなった。 勉強は、好きな人間らしい。 あと、高校やフリースクールで授業するのも好きだった。 という脱線はおいておいて、 前の研究室の人にばったり会ったりすると 「医学部は入り直したの?勉強好きそうだもんね〜」と コメントされたりする。 そうなのかもしれない。 しかし、同時に、勉強好きなら研究もちゃんとできたんじゃない?というか、ちゃんとしてたんじゃない?とも思い、どうしてそんな好意的な??コメントをくれるのかなあ、怠け者だったのに、とも思う。 いや、私は真面目な院生ではアッタのだ。おそらく。 朝から番まで図書館に行って、それが理想で、資料をあさる。資料をコピーしまくる。 しかしその実はかどらず、居眠りしたり泣いたり。辛うじて教員免許関連の授業は楽しかったかなあ。いい論文を(努力の跡が見られてそれなりにまとまってるという、及第点レベルの物の意味ね)書いておけば良かった。その訓練をしておけば良かった。 最近も自分の都合やら、ご体調のせいやらにして、手をつけていた研究をまとめもせず、とりあえずデータだけ先生にお渡しするみたいなことをしてしまった。論文、にまとめるなり発表するなりしておきたかったねえ。 とまあ、幽霊のように後悔に取り付かれていても仕方ない訳で、 遅ればせながら、前向きに生きて、歩んでいくしか、ないように思う。 直接は関係ないが、冬ソナファンは、前向きにいきている、らしい。 ▼冬のソナタ: 分析 前向き志向ファン、新たな自分探しも - - 2004年12月20日(月) 朝からの指導が入っているためか、なんとなくほどほど忙しい気がする。あくまでも気がする、というだけなのだが。。 とはいえ、同じニ時間でも密なニ時間とわりとゆったりしたニ時間があるように感じる。 さて、久しぶりに川端を電車で失踪してみなみ会館まで行った。 冬の薄くなった空がどきっとするほどきれいだった。ところどころ空は薄紫になったりほんのり桃色を帯びていたりする。 冷えた空気が程よく気持ち良く、太ももを運動させている!と嬉しくなった(ほんと、大学が激しい坂の上にさえなければ自転車ですいすいといくんだけれど。大学の授業がある間はほんと運動不足だと思う。行き帰りで工夫したいところ)。さすがに帰りはあちらこちら寄り道したせいもあり後半足がなえてきたけれど。 ともあれ、事故にあわないよう注意しなければならないにしても、自転車をこぐはホント気持ちいい! さて、みなみ会館は相変わらずパチンコやの上にあり、パチンコやは新装開店したようであちらこちらから来たお祝の飾りが前に並べてあった。 そこではゴダ−ルの「気狂いピエロ」を見た。私は初めて、「こんな映画だったのか」 と思うと同時に(その昔、友人達から繰り返しこの映画の話を聞かされていたため、なんとなく観た気になっていた)、無情なるわからなさを感じていた。 誘ってくれた友人達も同様に分からなかったようだが、彼女達は来る前に1960年代の話をしていて、そのつながりで、時代の中で理解しようとしていたようだ。 私は自転車を漕いだ程よい疲れもあり、かなり途中うつらうつらとしてしまう悪い客だったが、真剣に観ていた彼女達も分からなかったとの事で(何回も見ないとねえと口々に言っていた)ちょっと安心した。 画面の空色とピンクが印象的な配色だ。 色味的には、今ちょうど60年代のお洋服とかが見直されているので、ものすごくお洒落だと思う。 ストーリーは一度観ただけではとにかく良く分かりません。 観てあははははと笑ったりぽろぽろないたりする分かりやすいものとは違います。 なお、先日の「僕の彼女を紹介します」はTVのコマーシャルでも観客の83%が泣いたとか言っているけれど、あながち嘘ではないと思う。 観て泣いてスっきり明日に進める、そんな映画。 ++ それにしてもだらだら学生生活をしている私って。。 大学院を終了して研究職についていれば、毎日が、とはいわないけれどかなりマイペースに過ごせていたのかもねえ。。(充実した自由には自律、ということを多分に含むけれど) - - 2004年12月19日(日) 金曜日土曜日と冷え込んだけれど(土曜日はそれでも大分日中は比嘉で定たのもあり、回復していた)、今日は日中割に暖かで助かった。 友人の不要品(結構上等なんだけどねえ)をデジカメで写真撮影して、オークションに出す準備をしたりした。デジカメのメモリが足りないのが難点。 スペインのパンはもちもちしていて美味しいよう。 昭和天皇の妹君―謎につつま...文春文庫 アマゾンで注文したもののガマンできず 「昭和天皇の妹君―謎につつまれた悲劇の皇女|文春文庫」を 立ち読みf^_^; 双子に対する偏見から三笠宮さまの双子の妹を養子にこっそり出したというドキュメント。 よく取材したなあと。 あと、5歳からお寺に入れられた妹君、大変だったとも思うのだけれど、よく尼寺の門跡を勤め上げられたなあと。 一気に読んでしまいました。 -
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