- 2004年10月11日(月) 余程山に食べ物がなくなったらしい。 日本のあちらこちらで熊が出没している。 人と熊の共生が理想だと思うのだが。。 ++ リーグで首位を保っていたダイエーが残念ながらプレーオフで優勝できず。残念。親会社の苦境に負けず、頑張ってほしかった。 ++ 大阪の堂島のジュンク堂など、本屋に行く。 昼寝したりしてノンビリ連休を過ごした。 昨日の夜は資料整理と若干過去問に目を通した病理、そろそろ本腰を入れよう。 それにしても私のわるいところ。 自分の目的や目標はたまた手段だったのか、その実、違ったのか、 見てくれる人がいないと思うだけでやる気が急激に失墜して行く。 う〜ん何のために行為をしているのだか。 その他いろいろ思うところあるが、今日はここまで。 - - 2004年10月10日(日) 10/10 哲学者ジャック・デリダ氏死去。74歳。膵臓癌だったとのこと。 彼は何年も前から、少なくとも8年くらい前には、既に体調が悪く、そう言って苦しそうに講演で話していた(と聞いた)。それでここまで良く生きていて下さいました、と頭を垂れる。 彼はこの世界をどう見つめていたのだろうか。 ++ ふと、1995年の秋に、自殺した哲学者は誰だっただろうか、と気になる。新聞の夕刊一面に載っていて、それを見た友人がショックを受け電話して来た。長電話になった。誰だっただろう。 ネットで調べてみると、ドゥルーズだった。病気を苦にしていたとも聞いた。私はそれほどショックを受けただろうか、良く覚えていないがサラッと流れてしまった気もする。ドゥルーズを読むと一時期励んでいたにもかかわらず、彼の自殺の後も、その死のことはなかったかのようにテキストを読み、咀嚼できないまま流れて行った。そんな覚えがある。 自分の記憶の曖昧さ。 10/9 台風はこちらにこず、伊豆、そして首都圏に。東京はJRも不通になったり地下鉄も水が溢れたりで大変だったようだ。 DVDでthe day after tomorrowを見る。 DVDはビデオより画質もきれいで良いですねえ。 これをみて気象学を志す若者ッているかな? - - 2004年10月08日(金) 病態生化学の試験。 出来は微妙なラインだ。 ホルモンのところがあやふやで、二つほど勘違いして間違えてしまった部分を発見したし、頑張って覚えたほど疾病についてきちんと説明しなかったし。170点分の80点が新しい形式の5択問題になっており、それが難しかった(私が糖鎖の部分がイマイチ良く分っていないせいもあるが)。通っていればギリギリという感じだ。 また台風がやってくる。もう10月だというのに。それも今年、十分大きな台風が何個も上陸しているのに、今度は更に大きい模様。過ぎるまでは外にでないで下さいとか、呼び掛けている。 試験が終わってちょっとコスメや服を見たりしたいなあと思ったものの、遅い時間で、不完全燃焼で帰って来た。おまけにこの台風。 しかし帰宅して暫くしてみれば、実際には眠いし、一番したい、か、気になっていること、というのは、案外部屋の片づけだったりするので、外にも出たくはあるものの、雨に降り込められてなんら呵責などなくお家にいられるのも贅沢で良いことだったりする。 - - 2004年10月07日(木) 10/6 疲労が徐々に蓄積。勉強しようと思うがバイトの後帰宅してから1、2時間?で眠くなりクレチン病と橋本病について理解を深めた?ところで眠りに落ちる。 結構良く勉強する学年なので、明日の試験に向けてぬかりなく頑張っておられる人が多い。 10/7 今更ながら、ここはスポコンで勉強するところなのだ、と悟る。 午前中は太陽があったが、日が陰ってくると肌寒い。秋だ。 なんでこんな日に新規に仕事入れちゃったかなあと思いながら、2ヵ月ほど踏ん張るしかないなと思い直しつつ、うだうだ3時間足らず螺旋のような勉強進捗状況。 ここまでうだうだしておいてなんだが、もう丁寧さは捨てよう。最小限だ。最小限! できるところまで詰め込もう。。 - - 2004年10月05日(火) 肌寒い1日。一雨毎に寒くなる。 おまけに、山科を過ぎた辺りから風が強く、もう一枚上があった方が寒暖が調節でき良かった。 授業は2週間ほぼ診断学ばかりだ。 今日は4時間とも診断学で、うち2時間が話し手と聞き手、あるいは医師と患者役に分かれてのロールプレイイングだった。 最初の話し手と聞き手と言う分け方は、コミュニケーション一般についてが問題なのだが、好きなことに付いて喋ってと言われて皆がぴーちくパーチク好きなことを喋っているのを聞くと、あたかも英会話のクラスでペアを作って会話を作為的にしているみたいな気もしておかしかった。 - - 2004年10月04日(月) 新学期が始まる。病理2の実習講議とも合格。というか、再試をする、再試該当者が各10名くらいずついるということにびっくり。厳しくなったのかな。他の科目も戦々兢々。 夜は眠くて眠くて、さすがに疲れた。 今週はバイトでハード。今までのが一つ減ると踏んでいたので、新規に増やすんじゃなかった。。 - ユメ - 2004年10月03日(日) 天気が荒れ模様。 急に秋が深まったようだ。 夢の中で、住んでいた下宿(なぜか4階建てで小奇麗になっていて、一つの階に一人ずつしか住んでいなかった)で洗濯や布団を干したりしているときに、突然訪問者がやってきた。 編集者が二人来たという。ほかのメンバーは逃げたりあたふたしている。一人は目がぎょろっとしており、通っていた小学校の隣にスタジオや喫茶店などを兼ねたコンクリートのうち流しでできたモダンな建築の施設があり、そこで話したが、自分が編集者を目指しているわけでもなく、あわわとあまり深い質問をできないまま終わってしまった。 間になにやらいろいろ昨日の夢のように出来事があったあと、私はバス路線みたいな路面電車に乗っていた。一時間に一本、畑や緑の間を縫っていく。揺れて飛ばされそうになりながら、終点の建物に着く。キョウラギ山入口とか、そんな名前がついた停留所があるが、乗り降りは1、2人だけだ。 終点は線路が建物に入り込んでいて、こんな狭いところに入るなんて、とドキドキした。これまたコンクリートの建物で、何かの施設なのである。 ここで上の妹に会ったし、外国へ交換留学をする書類がいつの間にかさらさら書いて埋めてあった。 最後はどんな終わり方だったのだろう、鮮やかで不思議な夢だった。 ++ テレビの「ようこそ先輩」で先生が地球で今起こっている3つの現実を子どもたちに伝える、という授業を行っている。 44人の子どもたちに44個のケーキを配るのだが、4分の1の人間が3個ずつケーキを貰って、4分の3の人間は3人で1つのケーキを分かち合うことになる。 このどいさんという方は,もともとはバレリーナになるのが夢だったが,授業で読んだ「人間の大地」で刻々と子どもたちが1500人ずつ飢餓で死んでいく描写に衝撃を受け,難民支援の道に進まれたという。 そして,今日の授業で一人でも感じた衝撃を大人になるまで温めてくれたら,それでいい,とおっしゃっていた。 とても切なく、泣きたくなった。 誰にも、というのは語弊があるかもしれない。 しかし、大方の人間には,こうして人生に影響を与えるような(可能性として)衝撃を受ける瞬間があるのではないだろうか?少なくとも、私にはあったつもりである。 その衝撃を暖め続けること。 私は暖め続けていた衝撃を途中で放棄した、というか諦めた。そもそも、掲げていた衝撃自体があまりにも抽象的過ぎて具体性にかけていたのかもしれない。 しかし、抽象的だということは、登る道はいくつもある大きな山のようなもので、これから日常の中で、あるいはさまざまな分野で、「具体的に」関わっていくことは可能である、ということでもある。 信念や夢を持って生きる人は強いと思う。人生での優先順位がはっきりしている。 私はその点、信念や夢や目標は中途半端で、いい生活がしたいよと欲もある。俗事に悩め迷える凡人である。 ドイさんはいう。 社会は変わります、変えていこうとすれば変わります、と。 ポジティヴな楽観主義と、それを裏付ける行動力が夢や理想の実現には必要なのだろう。 - 204号室の人 - 2004年10月02日(土) 雨。イチローが大リーグで新記録を達成した。テレビで17、8分もかけてそのニュースを流していて,いいのかなあと気になったが。 夕方うたた寝をする。 その中で夢を見た。 大き目の程よく格のあるホテルの中をうろうろしていて、ホテルの庭を歩いていたりするとき、清楚な女の人を見かけた。竹久夢二の絵に出てくるような、うら若い美人である。思わず目が釘付けになった。 どことなくはかなげで、何かストーリーがありそうだった。 時に彼女は夫と思われる男性と連れ立っていたり、一人だったりした。 笑っていても、うら寂しげな表情を浮かべていた。 一度、ホテルの部屋の窓から、カーテンに隠れて、こちらをじいっと見ていたことがあった。寂しそうで、今にも消えそうだった。 私は気になり、ホテルのフロントでその女性に会いたいと申し出た。 意外にあっさりフロントの人は部屋の番号を教えてくれた。 お客様は204号室にお泊りです、と。 私は204号室に向かったが、入れ違いか何かで会えなかった。部屋には誰もいなかったから。空け放たれた窓から、風が入り、カーテンがはためいていた。 私は、もう彼女には会えない、彼女は死んでしまったのだ、と感じた。 時々、古く大きく壊れかけた携帯電話が2、3台登場して、使おうとする端から調子が悪くなったりしながら、時は過ぎた。また、途中でパラリンピックのマラソンで土田和歌子が金メダルをとったニュースも入ってきた。 暫くしてから、あるいは1年2年経っていたのかもしれない。私は何かの勉強会だかのためにホテルの中庭を歩いていた。そしたら、あの彼女の姿を見つけた。何か晴れやかな表情を浮かべていた。 私は、再度204号室に足を運んでみた。 いや、足を運ぼうとしたら、その前にホテルのラウンジで彼女に会うことができた。 こんにちは、お元気でしたか、彼女に声をかけてみた。 視線は交わしていても、おそらく話したこともない人間に対して、彼女は微笑みながら答えた。 「明日離婚するんです」 嬉しそうな彼女に安心して、私もほっと胸をなでおろした。 はかなげな彼女はどこへ行くのだろう。どんな人だったのだろう。 - うれしく切ない青空 - 2004年10月01日(金) 心が弾みうれしくなると同時に、切なくなるまでの青い空。嗚呼、人生は美しい。 なぜこんな日に働かねばならないのか? 郵政民営化より何より、短時間労働とワークシェアリングといったオランダモデル、あるいは北欧型モデルを導入するクーデターを起こすべきではないだろうか? 生れてきたからには、もっと人生を楽しまなければならないのではないだろうか? そう思わせる秋の空。 魚住昭著「野中広務 差別と権力」講談社を読んでいる。重厚で引き込まれる筆致。どしんと読み応えがある。久々にヒット。もちろん、書かれていることの重みは現代の隠蔽されてきた影の部分ではあるのだけれど。お勧め。 - - 2004年09月30日(木) 病理2の講議と実習の試験が終わる。講議の方は全部5択問題になっていてびっくり。全部国家試験からの出題らしい。25問中22問あってて意外に出来てよかった。 しかし問題は実習。なんかみたことあるんだけど、なんだろうというのが多く、答え合わせをするとたったの14問(25問)中しかあっていない(*O*:)/まあスケッチの出席点があるから(おそらく)よいものの病理1はこうはいかないので、ちゃんと標本の図の方も見ておこう。。 晴れて風が強く、9月中の試験は取りあえず全部終わったのでとても嬉しいのだが、妙に後頭部で疲れを感じ、そのまま駆け出す気にもならない私であった。 ++ そういえば、昨日朝寝坊した時に素敵な夢を見た。 友人が「終身」という文藝作品を書き、芥川賞を取り、私も読んで感動する。 雨の中特急列車で四国を一周、途中線路が海に沈没しているが列車は進む。水しぶきだ。 雨のため、生理学実習の授業の出席率が悪い。2人ほど休講だと思い込んでいる。 なんかわくわくするゆめだったけど、多分つけっぱなしになっていたTVの音も入り込んでいたのだろう。 -
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