Wakako's Diary 道すがら記

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- 2004年03月26日(金)

風邪を引いて身体を甘やかし、身体をさして動かさない仕事をしている間に体重が1.5キロから2キロくらい増えてしまったようだ。ショック。体重計が壊れたいと思いたいくらい。健康診断があるし(涙涙)、量るだけダイエットを再開しようかな(涙)。


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おかげで - 2004年03月25日(木)

おかげさまで、無事進級できたようです。今年は楽勝でした(感謝)。

4月から、地雷を踏まぬように励みます。


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FAX直る - 2004年03月24日(水)

数カ月調子が悪く、壊れたとばかり思っていたファックスが直った!感動!
紙がつまっていたのと、カバーの締まりが甘かったせいで調子が悪かったみたい。わーい!もう少しで新しいのを買う所でした。よかったよかった!


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- 2004年03月23日(火)

家庭教師が家の近くだとやはり楽!時間が遅くても楽。だって行き帰りのロスがないもん。。(ため息)

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大阪からの帰り、出町柳の駅で人がこころなしか多かったので、ふと、「あ、そういえば今日大学院の修了式だったな」と思った。

駅から出て数歩歩くと、なんと、ことし修了する友人が花束を手に駅に向っているではないか!

「○○チャン!」

今日は勇気を出して声をかけてみた。

そしたら、「わかちゃん?」って向こうも覚えてくれてた。じんわり嬉しかったです。

立ち話したら、結構クラスメートもいろいろ紆余曲折みたいで(だいたい3転くらいしているようだった)、キョウトにも実は何人かいたりするんではという感じで、びっくりだった。

結婚してる子もしてない子もいて、という感じで、個人的な感じとしては、大卒女子の場合、30代前半の非婚率(未婚率という言い方はいずれするもの、離婚者は含まず、みたいな感じがあるので避けておくと)は半分、さらに大卒女子の(というか私の周辺の)平均初婚年齢はどうやら30〜32くらい。まぁ、2転も3転もしているとすぐに30になるってことらしい。あと、周囲で駆け込み婚てのはあまり見当たらない。相手がいようと30とか31とかになってから落ち着いて(??)ってパターンが多い印象。ほんとにクリスマスケーキはどこへやら、今は年越しそば、どころか、年越してもそばは生そばでなければ腐らないので、30代前半までは割と普通(あのイケメン代議士と結婚した水野真紀とかは仕事してたら普通の年齢、という感じ)。さらに、まあ今バイトにいってる会社というのはこれまた女子社員が多く、働きやすいのか意図的に女子が多いんだか、ともあれ花のOL、事務一般職(なのか総合職なのか判然としないのだが)街道、お給料もらえて快適に暮らせるから(マンションも買えるしィ)、いわゆる負け犬率は高いようで、結婚する必要は感じないのかもしれない。別にバリキャリとかでなくて、お給料貰えてそこそこ過酷でない職場で、仕事時間外の余暇も楽しめる環境で、快適にhanakoさんとして暮らせるってことです。会社にもお友達的同性社員多そうだし。見た目みなさんお若いのだが、30代40代、多し。20代を新人で採用する頃にはもう景気が悪く新規採用は抑えられて社員という形ではいないのかもしれない。
ともあれ、ココに来て私は私自身まだまだ全然若いということをありありと感じ、そして少子高齢化だの結婚の条件だの負け犬(って楽しく暮らせちゃうから不幸感があるかすら謎なのだが)だのなんだの、現実としてまざまざと見ている訳です。ああ、お給料貰えて快適な生活が維持できて友人とはつるんで遊べる。。。「負け犬」ライフは「hanakoさん」の勝ち組ライフではないのでせうか、、
焦るとしたら今は30でも35でも決してなく、40、あるいは焦る年齢は(出産さえ外せば)延々と伸びて来ないのかもしれない、そんな光景が広がっているのでした。。

とまあ、話がずれたが、同級生に「すごい決断」だのなんだの言われたけれども、彼女にしたって仕事を辞めて院に入ったわけだから、私の決断とさしてかわらない、どころかもっとすごい気もするし、それでもなんだかそういうリアクションを貰えるとなんだか元気が出て来たような(初心ともう数年若かった頃の私を思い出して)、そんな夕方だった。

thanks!!!!!


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夢は何処へいった - 2004年03月22日(月)

最近、疲れた、というか生活に疲れたーって思うことがとっても多くって、
走ることを辞められないくらいパンパンに働いて、
やはり母が、目標があれば頑張れるでしょ、っていうのもある程度までのことで、頑張ることで消耗してるんだよ、なんて思ってしまう。

しかし、「食べてる時間がないんだよ!」とばかりに、座れた!と電車の中で弁当を食べてしまった(それも混んでる時間に)のはかなり反省。おまけにまずかったし。は〜あ。

それでも帰宅してからパレスチナのイスラム原理主義ハマスの最高指導者の1人がイスラエル機に暗殺された、パレスチナ側は報復のためにイスラエルのシャロン首相を狙っている、っていうニュースが流れるのを聞くと、ああ、平和な世界に私は住んでいるのだろう、と思う。

夢より何より、まず食べて行くこと、仕事ってまずは糧を得るためにあるんだな−ッて5年ほど前には某クリニックでさんざん口を酸っぱくしていわれたが、今頃になってその言葉が突き刺さる。

夢を持ち続けること、いや、もうすこし現実的に、目標を持ち続けることは、簡単なようで、目の前の現実に時々押しつぶされそうになる。


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- 2004年03月21日(日)

昨日の疲れが出たのか、昼過ぎまでグウグウ眠っていた。何やら午前中には夢も見たが、インパクトに欠けたせいか覚えていない(テレビで見た内容絡みだったような。。)

部屋がものすごく散らかっていて、探している目当てのものがどこにあるのか探すのに一苦労。片付けなきゃあああああ。


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- 2004年03月20日(土)

本調子ではなし。
栄養あるものを食べなきゃ、と昨晩帰宅してからよろよろしつつつくったシチューはなかなか美味しく、そして意外に何食分もあり、まだ残っている(マカロニを入れて更にアレンジした)。

おまけに更に寒くなっているし。。
顔色わるーいと思いながら京阪電車へ。
途中買い込んだ「白い巨塔」、こりゃ面白いわ。人間の名誉、性、個性、などひっくるめた生き様を書いていて。
こちらが小説だとすれば、同じ癌治療を扱っているノンフィクション、「ガン回廊の朝」もオススメ。あわせて読みたい。

友だちのお姉様が美術展を企画しているということで、ご案内を頂いたので、お邪魔しました。谷町四丁目の地下鉄駅を出てすぐの大阪府現代美術センターって、意外にこじんまりしていた。
美術を他の分野ともっと交通させようということで、今回は「花」がテーマ。びっくり仰天、リンネの植物画に則った19世紀のバラの絵から、荒木の花まで。

四方山話をしてカタログまで頂いた。

そのあと、地下鉄の中央線に乗って大阪港まで。ああ、船があるよ、そして空の色から、ああ、関空に近いな、空に通じているな、と羨望のあるまなざしで空を見る。

植木鉢を沢山並べている部屋でのボイス・パフォーマンスにも参加。まるで映画ナウシカのオウムの住む深海にいるようだった。電気も消えて気持良くなり、よだれをたらしてねむってしまった。 

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なお、今朝見た夢は、普通に家に出入りしたりしていたなぁという記憶が残っており(何か出来事はあったのだが、明瞭に覚えていない)、あと妹が出て来て、妹のマンションの大家さんが土地もちでなぜか絣の着物を着て田植えをしていた。あぜ道で「こういうところに落ちるからね、危ないのよ」などと言っていたし、おまけに名字が全く違っていた。そもそも現実には大家さんちの周りは住宅地なんですけどね。
わたしは大家さんに「妹はどうですか?」などと妹の様子を訊ねたりもしていた。
まぁ、そこまで劇的でない夢でした。


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- 2004年03月19日(金)

またまた変な夢を見た。
写真入りの本の中に入り込んで、映画の台本セットみたいな所をぐるぐるめぐったり(それらは、タイペイ、モスクワ、などなどの日本人学校だった。寒いバスルームのホテルに泊まりながらのロケ)、そこを移動するために汽車(旧式で、黒光りしていて、煙が出ている、あの汽車)に乗ったり、そしてなぜか私は頭蓋骨を横に切断していて、そのおかげで第2小臼歯に虫歯が見つかったのだが、その時、あああ!これでは治療はしやすいけれど、切断されたラインよりしたの部分を一体どうやって固定するんだ!ネジか?でも安定性が悪いし、せっかく歯を治療しても噛み合わせが悪いぞ!ということに気がついて焦ったのだった。別に痛みがあったりする訳ではなく、解剖実習で頭骸骨を切断したあのイメージがまた蘇って来たのだ。そして、その場にはTちゃんか、それか実習班が一緒だったKちゃんがいて、私が焦っている場面に落ち着いていてくれたが、まもなく目が覚めて頭骸骨が実際には切断されていないことが分った。ほっとした。

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午後からは、カードをパウチした。面白いよこれは。

今日は、今のバイト始まって以来、初めて、帰り電車の中で眠らなかった。おほほほほ。脳裏に"amazing grace"が流れながら、ぼーっと外を眺めていた。牧野の辺りで、庭先に咲いていた薄ピンクの花は桃か桜か。


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- 2004年03月18日(木)

風邪悪化のため、今日は仕事を休んで家で眠りこけています。

その間に、色々な夢を見ました。

まず明け方に見たのは、なぜか大学院の恐怖の夢。
最初に、博士の一年の計画を立てる書類の提出期限が今日だ!出さねば!と焦り、そうとうやきもき焦った挙げ句、「あ、私は大学院にいるんじゃなかった」とはっとする。

その次は、修士論文の提出当日。焦った挙げ句、出す方がいいと、当日になって書き始める(!!!!)のだが、スピードを出すため、研究室の助教授が解説をつけているカタログを私はスキャナーで取り込んでシメシメできたぞと事務室に持って行く。
提出したあとで、「ああ、これは法に抵触しているのではないだろうか。そもそも先生の文章をコピーした訳だし。。」と苦悩におそわれる。そしてなんどか提出を取り消す取り消さないと事務室で押し問答した挙げ句、「ああ、私は修士号はもう(お情けだけど)持ってるんだった」とほっとしてその旨を告げて帰る。窓口には、なぜか感じの良い仏教学の女性の先生が座っていて、「またね」などと会話して帰る。

次に、昼前に寝ていた時は、これまた様々なシーンが出て来たが、私は東京の7万3千円のマンションに住んでおり、同級生も何人か同じマンションに住んでいる。私はギンガムチェックの若草色のパジャマのズボンを10枚いり2980円くらいで買い(そんな商品あるか!)、同級生に勧めて回る。1人は欲しがるが、1人はちょっと、、と断られる。私と他の子は「ああ、彼女は大人っぽいからねぇ」などと納得する。さらに、なぜかそのマンションには岸田今日子が住んでいるらしく、お邪魔すると彼女は1年前の4月から住んでいるという。仕事の都合に合わせてどうのこうのと言っていた。なぜかサックスブルーと茶のきれいな表紙でしっかりしたつくりの会計簿を彼女は余らせていて、くれるという。中は細かくメモをするタイプになっていた。

なお、そのマンションには、他にも有名女優が事務所を構えているらしく(その時は名前を分っていたが、おきて失念してしまった)、有名女優さんも庶民的になったのだななどと思った。

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昨晩、昨日の日記に書いたようなことを友人に愚痴った所、ふんふんと聞いてくれた後に、親御さんだって気が弱くなっている所にあれこれ言われたんでしょう、すねはいつまでもあるものじゃないから、奨学金と言う手段を含めて(間違っているのは、奨学金は学部生の場合、仮に結婚していたとしても、親の収入を基準に判断される点だ)、自活を探るのが妥当なのでは、30代後半で勤務経験があって丸抱え状態で親の仕送りがある人(複数。気を悪くしないで下さい。やはりないものからは羨望の対象ですから)は私が言うような羨ましいを超えており、勤務時代の貯えがあるはずでそれを見越して仕事を辞め大学に入り直したはずでは、養ってくれる甲斐性のある男性が今の世の中どれだけいるか(特に生涯となるとね、、)、そんなのはアナクロニズムだ、養ってくれるようなのがいるのなら紹介してくれい(冗談)、だから私も自分で働いておる、とのお言葉を頂いた。

人の言葉を聞いて安心する私もなんだが、私がやっていたことは間違ってなかったとほっとし、なんか歪んでる世界かもなぁ、ちょっと座標軸が違って見えた次第である。

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あと、付け加えておくと、ブンガクブに行っていた時の周りの人たちのほうが自活に熱心だった気がする。特に在籍が長引けば長引くほど。それは、自分の好きなことをやっているという半ば後ろめたさ、一生懸命やっていても将来就職がいつあるか分からないトイウ先の見えなさ、また医学部なら確実に手に職が付きおそらくおおかたは医師になるという期待から親も援助する傾向にあることがあると思う。
派遣で学生も働けるよ−と教えてくれたのは文学部の院生の時に知り合った人で、医学部の合格時だか受験前だかに教えてもらった。そのおかげで派遣に登録するに至るのである。
彼女には、感謝している。




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- 2004年03月17日(水)

午後から風邪が悪化。かなりしんどい。寝ます。

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お昼は御霊神社で皆さんといただく。お弁当を買って。ぽかぽかして美味しかった。そのあと屋上でオアシスを味わう。

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いけないと思いながら日々のしんどさから病身の親を恨む自分がいる。
風邪の治りはほんと去年あたり(?)から遅くなっていてしんどいっていうのもあるのだけれど。

いや、いて下さるだけで有難いものでもあろう。
2月には、いや3月の頭まではいる間に少しでも多く顔を拝みたいと帰省できないかスケジュールを組もうとしていたのだから。それが切れてバイトを入れてしまうに至るのだけれど。あいもかわらず、わたくしは未熟で愚かである。

ちなみに、一番下の妹によれば、母は「病気で、気分がいつ変わるか分からず、怖い存在」ではなく、「優しい存在」だったという(確かに、再び働き始めてから格段に機嫌良く優しく元気になった)。そして、小さい頃、妹が大きくなったらお母さんになりたいと言うような感覚で「大きくなったら専業主婦になりたい」と言ったことに対して私が猛反対して熱弁をふるったらしく、そのことと、そして働いている母が時々遅くなるのが嫌だったという。妹はまだその時小さかったからねぇ。10年違うとこうも印象が違うものかと思っている。


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