Wakako's Diary 道すがら記

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- 2004年03月20日(土)

本調子ではなし。
栄養あるものを食べなきゃ、と昨晩帰宅してからよろよろしつつつくったシチューはなかなか美味しく、そして意外に何食分もあり、まだ残っている(マカロニを入れて更にアレンジした)。

おまけに更に寒くなっているし。。
顔色わるーいと思いながら京阪電車へ。
途中買い込んだ「白い巨塔」、こりゃ面白いわ。人間の名誉、性、個性、などひっくるめた生き様を書いていて。
こちらが小説だとすれば、同じ癌治療を扱っているノンフィクション、「ガン回廊の朝」もオススメ。あわせて読みたい。

友だちのお姉様が美術展を企画しているということで、ご案内を頂いたので、お邪魔しました。谷町四丁目の地下鉄駅を出てすぐの大阪府現代美術センターって、意外にこじんまりしていた。
美術を他の分野ともっと交通させようということで、今回は「花」がテーマ。びっくり仰天、リンネの植物画に則った19世紀のバラの絵から、荒木の花まで。

四方山話をしてカタログまで頂いた。

そのあと、地下鉄の中央線に乗って大阪港まで。ああ、船があるよ、そして空の色から、ああ、関空に近いな、空に通じているな、と羨望のあるまなざしで空を見る。

植木鉢を沢山並べている部屋でのボイス・パフォーマンスにも参加。まるで映画ナウシカのオウムの住む深海にいるようだった。電気も消えて気持良くなり、よだれをたらしてねむってしまった。 

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なお、今朝見た夢は、普通に家に出入りしたりしていたなぁという記憶が残っており(何か出来事はあったのだが、明瞭に覚えていない)、あと妹が出て来て、妹のマンションの大家さんが土地もちでなぜか絣の着物を着て田植えをしていた。あぜ道で「こういうところに落ちるからね、危ないのよ」などと言っていたし、おまけに名字が全く違っていた。そもそも現実には大家さんちの周りは住宅地なんですけどね。
わたしは大家さんに「妹はどうですか?」などと妹の様子を訊ねたりもしていた。
まぁ、そこまで劇的でない夢でした。


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- 2004年03月19日(金)

またまた変な夢を見た。
写真入りの本の中に入り込んで、映画の台本セットみたいな所をぐるぐるめぐったり(それらは、タイペイ、モスクワ、などなどの日本人学校だった。寒いバスルームのホテルに泊まりながらのロケ)、そこを移動するために汽車(旧式で、黒光りしていて、煙が出ている、あの汽車)に乗ったり、そしてなぜか私は頭蓋骨を横に切断していて、そのおかげで第2小臼歯に虫歯が見つかったのだが、その時、あああ!これでは治療はしやすいけれど、切断されたラインよりしたの部分を一体どうやって固定するんだ!ネジか?でも安定性が悪いし、せっかく歯を治療しても噛み合わせが悪いぞ!ということに気がついて焦ったのだった。別に痛みがあったりする訳ではなく、解剖実習で頭骸骨を切断したあのイメージがまた蘇って来たのだ。そして、その場にはTちゃんか、それか実習班が一緒だったKちゃんがいて、私が焦っている場面に落ち着いていてくれたが、まもなく目が覚めて頭骸骨が実際には切断されていないことが分った。ほっとした。

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午後からは、カードをパウチした。面白いよこれは。

今日は、今のバイト始まって以来、初めて、帰り電車の中で眠らなかった。おほほほほ。脳裏に"amazing grace"が流れながら、ぼーっと外を眺めていた。牧野の辺りで、庭先に咲いていた薄ピンクの花は桃か桜か。


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- 2004年03月18日(木)

風邪悪化のため、今日は仕事を休んで家で眠りこけています。

その間に、色々な夢を見ました。

まず明け方に見たのは、なぜか大学院の恐怖の夢。
最初に、博士の一年の計画を立てる書類の提出期限が今日だ!出さねば!と焦り、そうとうやきもき焦った挙げ句、「あ、私は大学院にいるんじゃなかった」とはっとする。

その次は、修士論文の提出当日。焦った挙げ句、出す方がいいと、当日になって書き始める(!!!!)のだが、スピードを出すため、研究室の助教授が解説をつけているカタログを私はスキャナーで取り込んでシメシメできたぞと事務室に持って行く。
提出したあとで、「ああ、これは法に抵触しているのではないだろうか。そもそも先生の文章をコピーした訳だし。。」と苦悩におそわれる。そしてなんどか提出を取り消す取り消さないと事務室で押し問答した挙げ句、「ああ、私は修士号はもう(お情けだけど)持ってるんだった」とほっとしてその旨を告げて帰る。窓口には、なぜか感じの良い仏教学の女性の先生が座っていて、「またね」などと会話して帰る。

次に、昼前に寝ていた時は、これまた様々なシーンが出て来たが、私は東京の7万3千円のマンションに住んでおり、同級生も何人か同じマンションに住んでいる。私はギンガムチェックの若草色のパジャマのズボンを10枚いり2980円くらいで買い(そんな商品あるか!)、同級生に勧めて回る。1人は欲しがるが、1人はちょっと、、と断られる。私と他の子は「ああ、彼女は大人っぽいからねぇ」などと納得する。さらに、なぜかそのマンションには岸田今日子が住んでいるらしく、お邪魔すると彼女は1年前の4月から住んでいるという。仕事の都合に合わせてどうのこうのと言っていた。なぜかサックスブルーと茶のきれいな表紙でしっかりしたつくりの会計簿を彼女は余らせていて、くれるという。中は細かくメモをするタイプになっていた。

なお、そのマンションには、他にも有名女優が事務所を構えているらしく(その時は名前を分っていたが、おきて失念してしまった)、有名女優さんも庶民的になったのだななどと思った。

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昨晩、昨日の日記に書いたようなことを友人に愚痴った所、ふんふんと聞いてくれた後に、親御さんだって気が弱くなっている所にあれこれ言われたんでしょう、すねはいつまでもあるものじゃないから、奨学金と言う手段を含めて(間違っているのは、奨学金は学部生の場合、仮に結婚していたとしても、親の収入を基準に判断される点だ)、自活を探るのが妥当なのでは、30代後半で勤務経験があって丸抱え状態で親の仕送りがある人(複数。気を悪くしないで下さい。やはりないものからは羨望の対象ですから)は私が言うような羨ましいを超えており、勤務時代の貯えがあるはずでそれを見越して仕事を辞め大学に入り直したはずでは、養ってくれる甲斐性のある男性が今の世の中どれだけいるか(特に生涯となるとね、、)、そんなのはアナクロニズムだ、養ってくれるようなのがいるのなら紹介してくれい(冗談)、だから私も自分で働いておる、とのお言葉を頂いた。

人の言葉を聞いて安心する私もなんだが、私がやっていたことは間違ってなかったとほっとし、なんか歪んでる世界かもなぁ、ちょっと座標軸が違って見えた次第である。

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あと、付け加えておくと、ブンガクブに行っていた時の周りの人たちのほうが自活に熱心だった気がする。特に在籍が長引けば長引くほど。それは、自分の好きなことをやっているという半ば後ろめたさ、一生懸命やっていても将来就職がいつあるか分からないトイウ先の見えなさ、また医学部なら確実に手に職が付きおそらくおおかたは医師になるという期待から親も援助する傾向にあることがあると思う。
派遣で学生も働けるよ−と教えてくれたのは文学部の院生の時に知り合った人で、医学部の合格時だか受験前だかに教えてもらった。そのおかげで派遣に登録するに至るのである。
彼女には、感謝している。




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- 2004年03月17日(水)

午後から風邪が悪化。かなりしんどい。寝ます。

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お昼は御霊神社で皆さんといただく。お弁当を買って。ぽかぽかして美味しかった。そのあと屋上でオアシスを味わう。

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いけないと思いながら日々のしんどさから病身の親を恨む自分がいる。
風邪の治りはほんと去年あたり(?)から遅くなっていてしんどいっていうのもあるのだけれど。

いや、いて下さるだけで有難いものでもあろう。
2月には、いや3月の頭まではいる間に少しでも多く顔を拝みたいと帰省できないかスケジュールを組もうとしていたのだから。それが切れてバイトを入れてしまうに至るのだけれど。あいもかわらず、わたくしは未熟で愚かである。

ちなみに、一番下の妹によれば、母は「病気で、気分がいつ変わるか分からず、怖い存在」ではなく、「優しい存在」だったという(確かに、再び働き始めてから格段に機嫌良く優しく元気になった)。そして、小さい頃、妹が大きくなったらお母さんになりたいと言うような感覚で「大きくなったら専業主婦になりたい」と言ったことに対して私が猛反対して熱弁をふるったらしく、そのことと、そして働いている母が時々遅くなるのが嫌だったという。妹はまだその時小さかったからねぇ。10年違うとこうも印象が違うものかと思っている。


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- 2004年03月16日(火)

母とお金のことばかり書いているが、
どうも私は脇目も振らずに働かねばならにようであり、
思うに、今は日本社会が豊かになり、不労所得を得やすくなったから腹も立つのであり、これが戦後間もなくであればみなほぼ必死で働いていたのだから、腹も立たなかったであろう、
つまり、親がそもそも時代が数十年古いのだから、私もそういうモードで生きれば腹も立たないであろう。

あと、母の論法は「お替わりするなら今のお皿をきれいに食べてしまいなさい」なのに対し、私は「寒いからさらに何か羽織りたい、と思っているのに、羽織る暖かい物をあげるから一旦全部脱ぎなさいよ、と言われているように感じる」のである。

さてはて、風邪は相変わらず、鼻がよく出る。気がつけば3月も半ばを過ぎた。




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またまた、お金、と自立の話 - 2004年03月15日(月)

気温が暖かだったのと、夜の家庭教師を休んだおかげで、身体がその分楽になった。
母は風邪を治して頭を冷やして考えろと言う。
でも考えたところでどうしたら良いのさ?
自分の意志で大学にまた入ったんでしょ、と言われるとその通りでぐうの音もでない。でも目標があればなんて言う理想論だけでは人は生きていけない。

必要になれば援助するわよ、という母の言葉は私には額面通り受け取れない。結局ギリギリまで援助したくないだけじゃない、と。

だから怖くて私は働くことを辞められない。スケールは全然違うけれど、会社員の友人がかつて、「わたし仕事辞めたらもう翌月から食べていけなくなるもん、だから辞められないよ−」って、他のやめた子を前にしてだか、やめた子の話題の後だかに言っていたけど、その心境はよく分かる。

わたしの場合、「貯金があるからいいさ!」とばかりに仕事を辞めたり転職もどきをしたりした挙げ句、派手な立ち回り(でもないが)よろしくまた学生をしている訳だが、その貯金も受験勉強中やら大学2年間やらでどんどん目減りして行って(ほんと、既習得単位を認めてくれて暇な教養課程だったら、バイトしまくってたと思う。それもバイトッていうより、派遣でかっちりはたらいてたんじゃないかなあ)、今は単純計算して月4万ずつ崩して行ったら卒業までになくなる計算だ。こりゃあ、教科書を月々しっかり買ってればなくなるじゃないですかなどと思うにつけ、友人同様、怖くてわたしは走ることを辞められない(同等に語れないが)。

まさいてや母は先月、母自身の精神状態が張り子の虎状態の時だったので仕方ないとも思うのだが、資格をつけて働けというのと同時に養ってもらえばいい(学生の間と言う意味?なんだろうか。発言の辻褄を合せようとすれば)とものされ、わたしはなんとも言えないキレかけ圧迫された気持になった。実際それが一番(賢い方法)なのかもしれないし、ケセラセラ、なんとかなるさ、ッて思ってれば気になりさえしないことかもしれないが、なんだかわたしはプつッと来たのである。

と騒いで書き立ててみたところで、果たしてわたしが意固地になっていた自立というのが何のことやら、精神的に大人なのかすら曖昧で(さすがに自分のことを「お子さま」とは言わなくなったが)、自立、そして自律できているのか疑わしい。

というほど肩に力を入れるものではないのかもしれないが、夢を実現しようと頑張っていた友人がある日ふっと「疲れたなぁと思ったら言って下さい」と家庭に入った気持や、別の友人が同じく「生活に疲れた」と結婚し、そのあと自嘲なのかあっけらかんとしているのか分からないが、表面上はあっけらかんとした口ぶりで「家庭内援交だよ」とのたまう気持も分かる(気が)するのである。

しかしまぁ、この国では大学生は親に庇護されてしかるべきと見なされてるんだねぇ、なんだか窮屈なことよ。


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- 2004年03月14日(日)

相変わらず風邪でほとんど眠ってます。
はあ、早く回復したい。

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体調が悪い時は機嫌が悪くなったり気弱になったりする。

私は入力のバイトをしながら目が痛くてたまらない時ケチな親を恨んでいた。新車を買うくらいなら娘の国民保険でも払えと。マシな投資の仕方をしろと。

少し体調が回復したので実家に用があったついでに母にそう言った。

母は、体調の悪い時にいきなりヒステリックに言うなとか、前もって言えとか言っていた。

私はでも八つ当たりしたくて言いたいことを言って電話を切った。

ただ、両親が多少ケチトイウか締まり屋なのはおいておいて、私も親に対して突っ張っている所があるのも事実である。親はだから更にズに乗って(?)娘に援助するとか言いながら、援助しなくて済むものならと多分思っていて、今までのところ一回無理するなと差し出した以外貰った覚えはない。ただ、大学への授業料だけは(これこそ学生が幾つであろうと)親のところに請求書が行くので出して頂いているので、まったく援助がない訳でなく、それについては感謝しているが、私よりずっと年上のお姉さんが親から仕送りしてもらっていたりするのはうらやましくない訳がない。

かといって、コストパフォーマンスを重視して実家から通える範囲の医大に行っていたら(多分2校通える範囲にあると思う)どうかというと、それこそ日々自分を殺していそうで、まぁ幸いにマッチングなんて言うシステムも出来たことなので、出て行くことに対して精一杯爪を研いでいたとは思うが、自分を殺すこととバイトでしんどいのとどちらを選ぶかと言われれば私は後者を選ぶし、後者を選んでいる。

そして同じくまずはコストパフォーマンスを外して考えたとして、入れる大学として東北の某大学を勧められたが、悩んだ挙げ句そこに出願しなかったのも正解だったと思う。バイトがこちらほど都合よくはないだろうし、そもそも季節や好きな時に好きな所にいけるし好きなように人とまじわれる(という錯覚がもてる)こちらに比べてまたもや鬱々としていたであろうことは想像に堅くないからである。

まぁ、その分、南木先生みたく、本の世界に没頭して、違う世界を編み出していたのかもしれない。

というわけで、私は全然成熟していない。イイトシをして親を恨むもないだろうし、
気を使われるべきは多分母なのに。




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- 2004年03月13日(土)

風邪悪化。ほとんど眠ってます

靴下を履かずに寝て足が冷えたのが直接の悪化の原因かと思います。

友人から差し入れようかと電話を貰ったのだけれど
留守電の申し出に
お願いしたくてもファックス番号が(電話番号も)分からない

手当りしだいにうろ覚えの番号に送ってみているが
届いているのか間違っているままなのか分からない

前にファックス番号また教えてよと言ったのに
友人は気付かず無視されたので

ヘルプを頼まなくてもいいように回復したい

それが一番

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幸い、めくらめっぽう送ったファックスのうち一つが友人の手許に無事届いたらしい。友人来訪。ありがたや。ありがたや。
なんかすごく嬉しいわね、こういう差し入れって。


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ああ健康、健康よ - 2004年03月12日(金)

仕事・・目が激烈に疲れる。おまけに鼻をかんでばかりで目と鼻が赤い。昼に目薬を買いに行ってなんとか回復(目薬で疲れ目を癒すなんてホント小学生の時以来だよ!あの頃は効果があるのかないのか分からない治療を受けに学校の近くの眼科に週2、3回も言っていたものだ。。目を赤外線で暖めたり、視力を測ったり、、とほほ。ホントまた目がよくなったらいいなぁ、、)

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婦人科健診の情報を一生懸命さがしてみた。分かりにくすぎる!受けろ受けろと言うなら一緒に情報も提供しろ!>アエラ!

検査キットのページを発見。なるほど、家で手軽にできる時代なのね。

ともあれ、情報提供という一点においても、まだまだ医療サービスはビジネスチャンスがある、というか顧客ベースにシフトしうるぞ(怒)。

あと、日本の大学という所は、非常に奇妙な所である。社会人経験者を解く別枠で採っていたり、学士入学制度を設けていたりする割に、年一回の健診は二十歳仕様に出来ている(ように見受けられる)。大学生の年齢は二十歳前後だと決めてかかっているのかね、全く。40歳だからといって癌健診を追加したり、30代以上の女性だからといって乳がん健診をしていたりするという話はとんと聞かない。<やってたら失礼。どうよ、大学。

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怒りついでにあと二つ書いておくと、大学の事務の空いている時間というのも非常に奇妙である。9時から12時、午後1時から5時。窓口をあける時間を授業時間とぶつけるなっちゅーの。用があれば授業抜けて来いッてことかい?

極言すれば、9時から12時、午後1時から3時くらいまでは閉めててもいいから、昼休みにあけろ。あけろっちゅーの。昼休みをずらしてとるとか工夫しろっていうの。

あと、健診を本気でやりたいなら、定休日は平日にして土日に随時実施しなさいよ、と保健所に言いたい。無職者は平日に公的サービスを、有職者は有休取って人間ドッグを受けろッちゅーのかい、全く。

平日の限られた日だけ巡回検診して受診率がどうのこうのって言うなよ全く(怒)


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- 2004年03月11日(木)

風邪・・幸い少しマシに。
仕事中・・眠くならず。素晴らしい!ただ、目がすっごく疲れた。

内容のない日記が続いてる(汗)。

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最終回の一回手前で、初めてドラマ「白い巨塔」を見た。こりゃ、面白いわ。先生までが夢中になってみているのも納得。もっと最初から見てればよかった!

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アエラ、しつこく「負け犬」特集。男性の負け犬記事を入れて計4回。どうもアエラの売りらしい。今回は「勝ち組負け犬」「負け組負け犬」「勝ち犬自慢」をしているのが特徴。っていうか、負け犬だって多種多様だから、単に勝ち負けで測るのは無理。それに、ヤンママは勝ち犬なのか??根本的にこの論争って、限られた層での話になってないか?

と心の中で文句をつけつつアエラを読んでしまっている私(ちなみに、妹は3回目くらいで嫌気がさしてもうアエラは読まないことにしたらしい)。


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