Wakako's Diary 道すがら記

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歩いて、眠って、笑って - 2003年10月26日(日)

昨日、今日と非常に心地よい秋晴れだった。

どうも、記憶にある限りここ3年ほど(少なくとも、今の大学に入ってから)この10月が苦手で、非常に憂鬱な思いにさらされてきた(日記にもそんなことをここ3年書き綴ってきた気がする)。

秋になるからか、後期授業が始まるからか、定かではないが、ともあれ憂鬱な灰色気分にさらされがちのこの頃であった。

この週末は、昨日土曜日には午後いっぱい快調に実験をし、今日の午後本屋さんに歩いて出かけたりした以外は、よく眠った。本の感想を書こうと思っていたのだが、それよりまず睡眠!のこのごろである。

おかげで、灰色なの飛んでいけ〜、だ。

歩いたり、思う存分眠ったり、そして笑って人と気を交換することが、
憂鬱な気分から抜け出す決め手のようだ。

勿論、無理は禁物。

疲れはこまめに取りましょう。


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涙 - 2003年10月24日(金)

これを書いているのは学園祭中の大学にて、土曜日の昼のことである。

昨日は、学園祭準備で授業もなく、有意義に過ごせるはずであったが、
軽快に晴れた空の下を歩き、少し出かけてから午後、夕方のバイトまで眠って過ごした。
そして、帰宅して早々、12時間眠ってしまった。。

午前、薬局に薬を取りに行き、電車に乗って市中の眼鏡屋さんまでめがねがゆがんでいるのを直してもらい(いつもただで調整してもらうのが申し訳ない気になる。手間がかかるだろうに。大分メガネのツルが開いていたことが分かり、最近目が疲れやすかったのも納得した)、バイト先に間違えてもって帰ってしまったほかの先生のテキストを持参し、さらに通りがかりにカフェプレート490円の立て看板を見て入ってみた。
その後、勉強をするつもりだったのだが、文房具を忘れてきたのに気付き、
帰宅した。

その途中で、たまたま電車の中で文学部の研究室の後輩に二人も会ってしまった(!!!)。よく覚えていてくれたなぁという感じで、私が見たことあるなぁと眺めていると、向こうから「こんにちは」と挨拶してくれた。きっともう若手で中堅どころに違いない。。。

それが軽い疲れを生んだのか否か、帰ってきてから夕方までぐっすり眠る。

夕方、バイトに出かける。

生徒さんが真面目な人で、予習をきっちりしておく必要があるバイトだ。

それはともかく、悲しいことが起こった。

生徒さんは、私に数学を見てもらったあと、物理の先生に勉強を見てもらう約束をしていたらしい。
それが、ふいにキャンセルされた。

涙がこぼれ、気丈に授業を続けようとしたが、
悔しいのか悲しいのか涙が止まらなくなり、授業は早めに中断された。

こちらも見ていて辛い気持ちへ漸近線が描けるような、
全存在を賭けて鳴いている、という感じだった。

一時期にせよ、教員を勤めていた私からすれば、そもそも多忙な高校、あるいは教科では、放課後勤務外で約束するなんてほぼ不可能だ(そもそも何時に帰れるか見当がつきにくい)。

だから、忙しいから仕方ないよ、と思うのだが、
その生徒さんにしてみれば、勉強を見てもらうのを非常に楽しみにしていたわけで、もしかしたらそこに自分の存在理由さえ見出していたかもしれないわけで、
「あたしなんか約束も守ってもらえない、価値がないのかもしれない」なんて
思ったにしても不思議ではない。

色眼鏡をかけたように、全てをネガティブに見てしまうことは本人にも辛いし、
時としてネガティブなフィードバックを生む。

物事をポジティブに、かつ客観的に、見れたらいいな、と
涙を見ながら私も思った。

帰宅してからは、テレビをつけっぱなしにして眠ってしまう…


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きれいですがすがしい朝 - 2003年10月23日(木)

どうも私は自分がどの程度忙しいのかということについてなかなか判断ができない。

昨日はバイト後の帰宅が11時近くて、たまたま電話してきた友人が「それは遅い、大変だ」といったけれど、会社とかで働いている人はもっとがんばってるし、私はまだまだ、、と思ってしまいがちである。

相変わらず、自分のエネルギーを使うということに関しては
おばかさんである。

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今日は1日、朝8時から夕方5時半まで実験をしていた。
染色は好きだ。切片がちぎれさえしなければ、さくさくできるから。
新たに電顕用の濃度を決めるための染色も始めた。

大学構内では学園祭の準備が始まっているが、
そのてんやわんやとは関係ないリズム。

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期待しないところの笑顔で癒される。

++

今朝は、眠いのと少々憂鬱なのが入り混じって大学に行った。
途中、空気の色を見ながら、
秋だな、学校に行くのが憂鬱だったアメリカでの小学2年生の秋、
同じような空気だった、同じような気分だった、
そのときはほっておくと眉間にしわがよりそうな気がして、
スクールバスがくるのを待ちながら、必死で眉を上げていたな、
と思い出していた。

はっと気がつくとバス停をひとつ分とおり過ごしていて、
バスの中で眠ったせいか、あるいはいつもと降りるバス停が違ったこともあるのだか、とてもあたりの景色がまぶしく目に飛び込んできた。

少し紅葉しかかった葉っぱ、まばゆい朝の光。鳥の鳴く声。

美しかった。

こんな朝は素適だ。

美しさに感動したあとで、
天気がいいということなのだ、と気がついた。

こんな感動を、大事にしていきたい。



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- 2003年10月21日(火)

今日はいつもより早い7時前に帰宅して、疲れてたようで、
2時間しっかり眠った後起きたところだ。寒くなってきているので、
暖かくしよう。。

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昨日の日記もそうだが、言い訳ばかりしている。
ラットの脳の標本を潰してしまったことも、
それ以外のことも。

品のない生き方、である。

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思想系の若手研究者と話していて(なんて書くと大仰だけれど前の大学ブンガクブの同級生です)、精神的、経済的に厳しいけどタフになった、と聞いた。院生やましてやオーバードクターは経済的に自立して当たり前、なんだな、と改めて思って、私が自活しなきゃいけなくてバイトが云々なんていうのも年齢からすれば当たり前だし一生懸命生きてる同級生たちのこと思って少々恥ずかしくなると同時に励まされた。



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情けなくて涙する。 - 2003年10月20日(月)

電車で寝過ごして2つ先の駅まで行ってしまった朝。

せっかく狙いを定めて還流固定をした生後4日目のラットの切片を切る段になって、ぐちゃっと潰してしまった昼。

おまけに1日目、2日目のも柔らかいので切ったが怪しい。

私の仕事の雑加減と来たら。

締め切りも迫っているのに。

一体どれだけの労力と、そして何より試薬とラットを無駄に遣ったことだろう。

悔しいやら情けないやらで、人目をはばからず電車で涙がこぼれた。

せっかく実験のチャンスを頂いているのに、
先生ごめんなさい、不器用すぎて人選が間違いのようです、
と心の中でいつも謝っています。

せっかくだからある程度まとめた結果も出したいのに。

授業、実験(そわそわと)、そして綱渡りのように移動して夕方からアルバイト。

バカな私。エネルギーをきちんと予測し、配分できない私。

幸い、アルバイトの帰り、友人がファミレスで勉強していて、誘ってくれた。呼吸器の勉強をちょっと。ストロベリーティーが暖かくてとてもおいしかった。心が温かくなった。


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- 2003年10月18日(土)

非常に空が青くて晴れたよき日だった。

今日は人体構造学(血液、リンパ)の試験があった。予め問題も示されていたし、調べてつくっておいた答えさえ間違っていなければばっちり得点できているはず。。

そのあと、切片を載せたプレパラートが乾いたので封入してから、友人と梅田で待ち合わせて美術展を堪能する(見聞録はメルマガbookwormをご覧下さい)。
そのあと、友人はベーシックな形のセーターを購入し、それから一緒に勉強するという当初の目標を達成するため京都に戻る。生協のタダ茶を飲みながら、程よく空いている学生食堂は、3時間でも4時間でもいられて居心地が良かった(少々、ドアが空いていたり換気扇が回っていたりして寒かったのを除けば)。

お互いニコニコしてほころんだ笑顔で過ごせるってのはすごくいい時だ。


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女性性をめぐる問い - 2003年10月17日(金)

修士時代を思い出すと、疲れている時、弱っている時、いまだ涙が出てしまう、先日、そう書いた。

それは何がつらいか、

思うに任せぬ自分の能力(見合った努力をしたのか?)、
孤独だったこと、より正確には、必要な時に必要な助けを借りるのが下手だったこと、
そして、女性性が欠落していた、あるいは充足されていなかったように感じられて泣いてしまう。

それは今もどこか似ていて、
社会的露出度の高い女性(水着になっているとかそういう意味ではなく、社会で活躍しているという意味)は、おそらく、美しく、知的で、プライベートも満たされているに違いない、とどこか私が思ってしまい、

そして自分が望むほど手にしていないことに涙する、悔しくなる、

そのパターンは一緒かもしれない。

しかし、なぜ活躍している女性は美しくて知的で家庭もキャリアもだと
私は思い込むのだろう?

それが自分の理想型だからだろうか?

それが社会の圧力だからだろうか?

確かに、メディアに登場する女性は美しいことが多く、

また、今も女性は「華」扱いされることもある。


私を人間としてみてよ、(人間として、という意味での)女性としてみてよ。

香山リカがあきらめなさい、持ってるものだってけっこうあるじゃない、というように、現状に満足することが解決なのだろうか、それとも手に入れるべく邁進することなのだろうか、

実際には二者択一ではなく、満足しつつ、これというものは手に入れる、

しかしそれでも十分贅沢な望みなのかもしれない。

相変わらず今日も、心が狭いなと思いながらも、

勝手に連想した家庭もキャリアもの美人を相手に涙した私。

++

追記

思い出すに、修士時代、学術交流(??)サークルをやっていた時も、
「マドンナ崇拝」があって、無言の美醜の圧力を感じて、
よくいじけていた。

もちろん、美醜にこだわらずに「私にはコレよっ」と前を向いて胸を張っていきていられればそれがベストだが、男性メンバーのうち1人も同意してくれた通り、やはり無言の(どころか夕言の)圧力はあった。

ふと、ありあり久々に思い出した。


++

あっという間に一週間が終わった。

気がつくと明日試験だ。

いつまで私は人の良い個別指導員を続けるのだろう。
予習がいつも膨大に必要だ。

テレビドラマでピアニスト フジ子・ヘミングの壮絶な人生行路を見た。
聴力を一旦損ないながらもピアノと共にいきてきたその半生は、文字どおり壮絶。お金がないので食事は採れない。氷砂糖をかじりながらドイツやオーストリアに滞在し続ける。ハングリー精神というのか、芸術家精神というのか、圧倒される。そして、親子の愛憎激しい関係にも。




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人体構造学、呼吸器に / メルマガ「こころ」 - 2003年10月16日(木)

人体構造学が「呼吸器」に入った。パワフルな授業に乾燥した空気で、何やら目が疲れた。授業中、ノートを取る姿勢も悪かったのかな?

おまけに、疲れた目をなんとか使ってアルバイトの予習(数学)をしたせいか、帰宅後頭がふぉあーとしてしまって、いろいろやらなきゃーと思いながら、まずはむしゃむしゃ梨で水分補給と休憩して、あったはずのプリントを探しているという始末。見つかってよかった、ふう。

授業では「世界を広げよ!」という先生の熱いメッセージに意を強くした次第(勿論、責任あっての行動である、とも仰っておられたが。。汗汗)。

なお、相変わらず、というかますます友人はパワーアップして意欲的に帰宅後勉強しており、このペースについていきたいっ、と切に思っています(祈)。

彼女はきちんとイメージと言葉で理解して把握するタイプだから、言葉面をなぞりがちだった私などは非常に彼女の把握パターンは参考になる。

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昨日、まぐまぐにメルマガ「こころ」の登録許可がおりた。すごいすごい。1日で早くもまぐまぐの登録者が100人を突破している。まぐまぐ恐るべし。まぁ、実際に配信し始めたらどうなるのかわからないけれど、登録者だけ合わせたら、pubzineと合わせてもはや先行bookwormを越えてるよ!?

これは新たな活路の鉱脈となるのか!??

bookwormの方は、内容を刷新するなりコンセプトを絞るなりしていかないと、現在頭打ちという感じ(実際、私自身の読んだ本でここ2号分は出してないし。)

楽しみながら、質のいいものを出し続けたい。






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- 2003年10月15日(水)

今朝は一時間目から授業だったのに、
二度寝して起きたら8時!
おまけに母から電話かかってくるし…
いやいや、心配してくださるのはありがたい。
(時々私の日記を読んでいるらしい。
妹が実家でブックマークに加えたせいに違いない。)

仕方ないので、駅からタクシーを大学まで飛ばす。
(ちょうど、電車とバスの接続が悪い時間なのだ)

午後はスケッチだったので、
みんな念入りに書いていたようだが、
さっさと切り上げてしばらくサボっていた実験の続き。

見たいところの神経線維が染まっているのを確認できた。

ただ、ピークがどこにあるのか、確認するのはまだ他の生後日数のも調べなければ。


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いまだ、過去は - 2003年10月14日(火)

とある場での自己紹介のために、昨日次のような文を書いた。

現在:医学部医学科在学中。
 学業の傍ら、解剖学教室にて指導を受け、科学技術振興事業団社会技術研究
 推進事業の「脳科学と教育」瀬川チーム研究会 の中の、「ドーパミンニューロンの生後発達」の実験を少々させて頂いております。 
 
 その他、趣味で 書評メルマガ【bookworm】
   <http://www.mag2.com/m/0000117685.htm >
 エッセーメルマガ「こころ」
   <http://www.pubzine.com/detail.asp?id=24019 >
 を創刊し、なんらか自分を社会に活かせないか模索中。

 経歴:文学部美学美術史学専攻、修士課程まで修了。学部時代はのんびり
 友人と文芸同人誌を作るノンポリ(!??)学生であった。修士1年目に、
 若気の至りか、「隣の研究室は何をしているところぞ」と多分野交流を目指し、
 同級生と共に学術交流サークル「ポリフォニア」を設立、
 その後3年にわたり月に1,2回のペースで研究会を持つ(現在は活動停止)。
 目標達成には程遠く、
 参加学生の知的好奇心を刺激し、交流を深めるにとどまったかもしれないが、
 他の分野での研究手法を垣間見、議論を活発に行えたのは収穫であった。

 同時に、修士在学中に、人文系の研究の意義とは何ぞやと(研究もろくにしないで)悩んでばかりおり、文献に埋もれるよりも人にかかわる仕事をしたいと思い
(今思うに、研究に携わりながら人に関わっていくことは十分可能であったが)、
 教員免許を取り始め、修士修了後、高校の英語教員に。
 1年の勤務の後、さらにいわゆるフリースクールの非常勤を経て、
 医学部に入学。

++

これを読まれた人はどのような印象をもたれるか分からないが、
私は書きながら、こう書いてみると修士時代ずいぶん活発に(片手落ちながらも)
動いていたように感じ、同時に悩んで(ばかり)いたことも思い出し、
涙がとめどもなく流れ落ち始め、そのまま眠ってしまった(挙句、翌朝寝坊した。苦笑)。

誰しも、思い出したくない過去というのがあると思う。

私の修士時代がそんなに不幸だったかというと、そこまでどん底ではなかったのだろうが(客観的に見て)、相変わらず、疲れていたのもあいまって、涙が出てしまった。克服というか、消化(かつ昇華)できてないなぁ、と。

以前、というより、去年のちょうど今ごろ、鎌倉にて旧知の親しい人に修士時代のことを成り行き上話すことがあった。
そのとき、話を聞きながら、ぽつりと「よほど大学院の(あるいはこのばあいは研究室の、と言い換えていいだろう)冷たさが応えたんだねぇ」と言われた。

それだけではないにしても、
相変わらず過去に涙する私って何でしょうね。

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あと、日記に数日前元気ではないとかいたけれども、
私はそう日記に書けるのはまだいいと思っている。
というか、すれ違う人には挨拶するように、
元気でない私を出せない場がほとんどである。
それをここで、率直に書く、そして率直にその状況と向き合う、
そういう日記の使い方をしてみたいと思っている。


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