- 2003年08月30日(土) 今日も大学に実験しに行った。朝から行けば良かったのだが、午後から出たため、終わるのが6時半になった。その頃には、学休期間の休日だからだろうが、学内ががらんとして少々怖かった。実験は日中にする、さらには平日にしてしまう、それに限るようだ。なんせ大学が市街地になく、周囲が保安林なので、余計気味が悪いのだ。なんせ、一階のトイレに「蛇が出る可能性があるので電灯を消さないで下さい」なんてはり紙がしてあるのだもの。 ++ 「大学病院にメス!」(鈴木敦秋著、講談社)読了。患者と医療側が共同して医療ミスを補償する方向に行こうとする名古屋大学付属病院の取り組みは興味深い。 このごろ「コーチング」という言葉を良く聞く。そこで「コーチングの技術 上司と部下の人間学」(菅原裕子著、講談社現代新書)を読んでいる。「コーチング」とは、「対象車が自覚していない潜在的な知識やスキルを引き出し、それを智慧に高め、結果に結びつけて行く作業」なのだという。セルフコーチングという事も盛んに言われていて自分に対しても応用できるのみならず、実験やアルバイトその他の場面でも、人に情報を伝えたり、人に接したりする際に応用できそう。面白いし、ためになりそう。 - 寝坊と自己嫌悪そしてようやく懇親会を克服(苦笑) / クレジット請求書 - 2003年08月29日(金) 今日は規模は小さいながら学会があり、7時半に集合してお手伝いをする事になっていた。しかし、気合いをいれ過ぎて4時に目覚ましをかけた私は、結局ニ度寝か三度寝し、開始時間20分前くらいに起きだし、当然遅刻し、そしてその事が分った瞬間、無意識にか動きが変になり、ドジな遅れをさらに重ねた。そして、猛烈な自己嫌悪におそわれた。責任感のある人なら絶対遅れないだろうし、こういう事をしているから足下を見られて信用されなくなるんだ、色々な面で、ほんとに使えない人材だ云々。。。 結局、人では足りており、私は実験をして下さいと機転を効かせてて下さった秘書さん(正確には技官さん)に言われ、午前は来週の染色に備えて切片作りに励んだ。午後は時間ができたので発表を聞きに行き(興味深い発表であった)、懇親会にもしっかり出たので、結果オーライということか。まぁ、私には前科があり、かつて美学会のお手伝いをするはずだった時も寝倒したことがある。この時は土曜日の朝眠り倒すどころか、日曜日に目覚めたという派手さであった。 以前からお名前は伺っていたが、今日初めてお会いした先生が懇親会では面白く話をして下さった。その先生はなんと9月にこちらにいらして新生児の還流を指導して下さる事まで快く約束して下さった。どうも大分私がやっていたのとやり方が違うようだ。 懇親会に出てみて、美学にいた時は異様に懇親会を恐れて逃げるように帰っていたが、そんなに怖いものではない事が(ようやくこの年にして。苦笑)分った。結構遠方から来ておられる方は1時間程度で切り上げられるし、宴会と違ってやけに飲ませられる事はもちろんないし、ほんとお互いの情報交換をしているという感じ。苦手なだらだらした飲み会とは全く異なる。 あと、美学にいた時は、自分の中を覗かれるのがすごく嫌だったし、自信がなかったからだと思うが、何やってるんですかと聞かれるのがすごく嫌だった。今はその抵抗がなくなったことも大きいかな(実際に手を進めて進めているという実感があるからだと思うが)。まぁ、美学関係なんて、会のあとの懇親会や飲み会でなんらかの思想に対する解釈を聞かされる事もあったから、その点、解釈の占める割合が事実によって圧縮される科学(それでも解釈は入り込むが)の方が、もっと実際的な質問ができるし、気が楽なのだと思う。 それにしても、基礎は基礎の役割があるとはいえ、医学部とは不思議なところである。臨床部門があり、その臨床の先生達が学位をとるために基礎に来られる。それは良いとして、さらに、すぐそれが訳に立つかどうかと考える必要もないのだろうが、臨床の方々が学位を基礎で取られて、それを臨床に還元できるというのはどの程度の割合があるのだろう。いつもながら不思議な気持ちがするのである。 ++ 昨日は、夏の家庭教師で100K稼ぎ出した事にうっとりして、このお金は大切に使おうと思ったが、クレジットカードの請求書が来て、一昨月に続きまたまたショック。 ああああ7月に帰省した折に母と妹に買い物中毒といわれたのも分かるような。。春先にネットで買える某ファッションサイトを発見してからハマった事、さらに、総額を考えずに(たしかにある程度の支払い能力はあったので)買い物をしていた事。。ついに、今回のクレジットカードの支払い請求分の最後に位置する買い物の日には、うろうろバーゲン会場を歩く自分に、疲れるし早く切り上げて帰ろうという思いと、さらにこの姿を、あたかも過食にふけりパンやお菓子をむさぼり食っているところを見られたくないように見られたくないという思いが交差し、終いにみじめになって来た事を覚えている。 過食と買い物依存症は、どちらも嗜癖への依存という意味で根が同一だということを、私の感覚も主張していたのだ。 最近はクレジット使う回数ペースダウンしているとはいえ、どの程度使っているものやら。。途中でどの程度使っているか分かると有り難いんだけど。。 とにかく、小人閑居して不善を為す見本みたいに、必要かどうかではなく、買いたいかどうかでに買い物をしていた。実験で忙しくなってからはかなり出費が減っている。この調子で、引き締め、必要なところにお金を使うようにしよう。 - 誕生日という幻想 - 2003年08月28日(木) おしゃべり系MLで、女性は誕生日を祝ってほしいものらしい、という投稿がなされたのに次いで、誕生日は生を受けた事に感謝する日だ、さらに女性は20台後半以上になると誕生日は嬉しくないから忘れられない日なのだ、占いにも必要だから、という投稿があったのを受けて、個人的な感想を投稿。 ++ ほんと「人によりいろいろあり」、女性といっても千差万別で、 祝ってほしい人から得に意識しない人、 また年をとっちゃったと嫌な気持ちになる人いろいろでしょうが、 個人的には、最近女性の「女のコでいられる年齢」が上昇しているので、 20台後半であろうと、30台40台だろうと、 祝いたい人は(密やかに?)私的に、 女友達その他と祝ってたりする印象を受けています。 この前まで、35歳くらいまで「女のコ」の年齢が上がってるな、と感じてましたが、 最近は40歳くらいまで上がってるなと個人的には感じてます。 (もちろん、「女のコ」と呼ばれるのが嫌な人や、それより「(おとなの)女性」だ なッて人も沢山いるでしょうが) また、独身か否かというのは、余り関係ナインじゃないかな? 単に、「クリスマスを一緒に過ごす人がいるかどうか」みたいなノリで 「誕生日を一緒に祝う人がいるかどうか」っていう、 ちょっと商業主義入った風潮で(失礼)、 実は本質的なことじゃないかもしれないことじゃないでしょうかねぇ。 年をとりたくない人は独身か否かに関係ない気がしますし、 周囲に、年齢や、年齢を重ねる事に対して過敏だったり否定的な人は余りいないです (接している範囲では、多分、いちばんわたし自身が、年相応かどうかとか、 周囲を若い同級生に囲まれているためも一つにはあり、若く見えるかどうかとか、 そんな事を気にしている気がします。だからこんな投稿をしているんでしょう。苦笑) なんかこのあたり、前も 「若く見えるか否か」という論争、じゃなくて話題が持ち上がり、 その際、年をとる事を否定的に捉えるかどうかってことも若く見られて嬉しいかどう かに関係するんじゃないかみたいな意見があったような覚えが 〜〜不正確で済みません。 これからしなやかに年齢を重ねて行きたいし、自分の年齢を肯定していきたいし、 (それでもいきいき若々しくありたいですが、苦笑) 「生き方」ということに敏感になっている(!?)ので、 的外れかもしれませんが個人的な感想を。 (以上、おしゃべり系MLへの投稿とほぼ同一) - - 2003年08月27日(水) 蛍光染色のニ種類目がうまく行った。蛍光顕微鏡の操作も教えて頂く。 木曜日から蛍光での二重染色を行なう。 ++ この頃疲れていて少しでも合間に眠ろうとするのか(もの疲労感が残っている事は幸いない)、家庭教師の途中で大揺れして眠る事がままあり、「お姉ちゃんお姉ちゃん!」「わかこさんっ」と教え子に起こされている。 - ラット新生児固定還流 / 漫然とした実験 / 勤労学生もどき - 2003年08月26日(火) 結局2度寝してしまい、実験は朝の7時半過ぎから開始した。自分でもスムーズにエレガントに、一発できめる勢いで固定環流したと思ったのに、全身にうまく固定液が回っていないようで(理由がよく分からなかったが、針の差し込み方が甘かったのだろうか)失敗。ただし、生後10日のラットに比べ、毛も大分生え、マウスくらいには大きくなっているので、扱いやすい。器具の都合と、自分の用事とあったので、一旦そこで実験を終え、また夕方6時から再開。このときは泊まり込む覚悟で寝袋も持ち込んだのだが、今度は派手なミスはしなかった(肺循環に固定液が回ってしまったりはしたが)し、おまけに一人かと思いきや他に大学院生が4人ほど現れ、とても寝袋を広げてグウグウ落ち着いて眠ることができそうになかったので、雨の中、夜道を駅まで歩き(くらい半ばスをまっているのは嫌だったので)、22:38のJRに乗って帰宅。 これが授業だったらきっとヘトヘトになっていると思うが、目標のはっきりした実験であり、おまけに今日狙い打ちしてサンプルを取る必要があったので緊張感もあり、余り疲れは感じない。また、高校の教員をしていた時は、その高校が特殊だった事もあり、テスト前は会議で学校を出るのが夜9時から10時になるのが普通、テスト後は採点でまた遅くなり、成績処理の時もまた遅くなる、さらに校務分掌の会議では午前さまが連日なんてことも普通だったので、それを思えばがんばれる。 なんだか、同級生と机に並んで授業を受けていた事なんて遠くに感じられる、と朝ふと思った。 ともあれ、失敗続きの実験を重ねていた訳だが、先日も書いた「大学病院にブラックジャックはいるのか?」という帯のついた「大学病院に、メス!」(鈴木敦秋著、講談社刊)の心臓外科や脳外科での医療ミスの下りを読んでいるため、これを医療の場で行なったら確実に何人も殺しているな、と身の毛がよだち始め、さらにその中に、医療ミスの背景として「漠然と医療に携わる医師が多い」と何度か現場の医師の言葉として書いてあったので、「ああ、私の場合は、漠然と実験しているな」と反省した。漠然としていては、手許を見ずに作業するようなもので、何かを得るのは非常に難しい。 ラットの大きさが生後10日よりは大きくなり扱いやすかった事、そして私が慣れて来た事、さらにこの自覚があったからか、ともあれサンプルを多く取る事ができた(と思う)。 ++ さて、話は全く変わる。勤労学生もどき(?)をしていると、時々悔しくてなきたくなることがある。また、 白状すると、(母もそうだと思われるが)自分を上品で育ちのよい人間だと思いたいのだが(決して主義主張的な意味ではなくライフスタイルとして宮家や旧家が好きな母は、実際そういう育ちをしたとは思う)、実はそうではない、古い伝統や社交、親戚付き合いなどの(洗練された、とここでは言っておこう)から切り離された核家族であり、かといって、それが多数集まって知的な中産階級を形成する大都市に住んでいたのではなく、小さな集まりである地方都市であった事(なので、繰り返し日記に書いているかと思うが、大学院以降、就職などの現実に直面しなければならないまで、私にはずっと根無し草の感覚が強かった事)、かといって、全く品がない訳でもない(などと、大学に寝袋を持ち込んで実験をしようとする私の言う台詞ではないが)、というアンビバレントな感情である。 母は上品で優雅に子供達を育てたかったと思うが、自身は(想像するに、戦後民主化の時代背景もあり)古いしがらみや実家のカッコ付きの庇護から「自立」したく、女子大に入学し、雑誌「婦人の友」に出て来るような、上品さや女性らしさ、人間性を失わない知的職業婦人を目指したに違いなく、同時に、それゆえに家族の反対を押し切って「家柄」の懸け離れた父と結婚したに違いない。 そして、結婚してみて、自身が否定したかった、あるいは乗り越えたかった古い「家柄」という秩序を肯定するにいたったこと(どれだけ我々姉妹は幼い頃から「家柄が離れている相手と結婚すると苦労する」と聞かされて来た事だろう。そしてそれは同時に、大したモノでもない我が身を棚に挙げて、友人を選んだり、異性を見る目つきを厳しくし、ガードの堅い人間とする一因であった)。 同時に、私は決して父を軽んじているのではない。趣味をまねしたいとは思わないが、それでも父が学生の頃は、政治運動をしない限り娯楽はごく限られたものであり、その大部分を読書が占めていたので>映画「バルザック」、父も小説や歴史書を好んでいたようで、私が小さい頃、狭い住まいは本で溢れ帰っていたし、その影響を受けているに違いないし、さらに、当時の日本人の一つのモチーフであった違いないのだが、「努力して立身出世する」ということを父は文字どおり体現しており、中途で聴覚障害をえながら(現在でさえサポートが十分になされていないことが多いのだから、ましてや当時は障害者手帳と補聴器で御の字だったのだろう)、浪人時代からアルバイトと勉強に励み、さらに大学院まで奨学金3つとアルバイトで修了し、成績表には「優」(彼の出た大学においてはこれが最高の評定)しかなかった、論文で博士号を取りさらにアメリカに客員研究員として派遣されるまでは正月も帰らず(母には寂しかったと思うが)努力し、誇らしい父であった。現在のわたくしが、長々と学生生活を続けているのは時代もあるし家族の理解もある。同時に、その長さゆえに生活費を両親に頼りたいと決して思わないのは、やはり、時代が違うとはいえ、父のなして来た事への敬意による事が大きい。 だからこそ、私は腹が立つのであろう。上流上流、それを聞く私は一体何なのよ、そういう腹立ちは、私自身の、お上品な上流の暮らしをするでもなく、父のド根性を受け継ぐ私のねじれた感覚が引き起こすのだろう。 果たして、私は何をもがいているのだろう。何をしているのだろう。 - - 2003年08月25日(月) 習っていた時はチンプンカンプンだった数学の解析や分析化学、有機化学を、今大学生の教え子に家庭教師で教えている。自分がテストを受けた時より理解も深まっているような気がするのである。 明日は、いよいよ6時半から実験。生後14日目のラットの新生児の還流固定。うまく行きますように。 - - 2003年08月24日(日) 今日は新聞のスポーツ欄入力のバイトが結構量があった。残暑厳しい時だが、陸上が結構あったのだ。 3時間休む間もなく入力ぶっ続けだったのは初めてだ。 「大学病院にブラックジャックはいないのか」という刺激的な帯のついた「大学病院に、メス!」(鈴木敦秋著、講談社刊)を読んでいる。身につまされながら、引き込まれるように。 - 19匹 - 2003年08月23日(土) 私はマウスやラットの固定還流が下手だとつくづく思う。 今まで成人のラットで行なって来たのも失敗が多いし、、 土曜日は、丸一日実験室にこもってラットの新生児(生後11日目、大きさは成人マウスの2/3くらい)を固定環流したが、19匹やってサンプルは(無理矢理サンプルに下のも含めて)6つ。ピクリン酸が入った固定液の方は、まだ黄色がついているからやりやすかったが、パラフォルムアルデヒドの透明な液の方は、液が管を通る時の判別がしにくく、もしかしたらうまく行くはずだったのも失敗と止めてしまったかもしれない。。 ともあれ、青い空のもと、広々と実験室をひとりじめで使って朝から実験をしているのは夕方くらいまでは気持ちよかったが、さすがに日が沈むと、そんな楽しんでいる余裕はなくなった。 辛うじて幸先がいいのは、クリオカットでの凍結切片のスライスは人並みになって来た事だろうか。 ラットよ、無事成仏してください。 - 蛍光染色 - 2003年08月22日(金) ノルアドレナリンニューロンの蛍光染色を行なう(単色)。きれいに細胞体が染まり、ひとまず成功。あとはドーパミンニューロンの蛍光染色を行ない、さらに二重染色をして、新生児のラットの脳でも行なう。 器具がパソコンの画面上で操作する感じで、画像処理がしやすい。 (ただ、複雑で教えてもらわないと大変) かなり暑い日で、昼間は大学の中にいたから余り分からなかったが、なぜ8月下旬になってこんなに暑くなるんだろう、お米のためには良いのかなぁなどと思っている。 - 奈良 ・ ヨーロッパピクニック - 2003年08月21日(木) 今日は実験のない日だった。 たまたま、妹が父の出張について奈良に来るとのことだったので、近鉄奈良駅で落ち合い、午前2時間ばかり一緒に観光した。 学生時代は、正確には文学部の学生時代は、良く奈良に来たものである。古寺巡礼であったり、ハイキングであったり、遺跡の発掘であったりしたが、ともあれ少々懐かしい気分になった。 駅前から春日大社の方に向けて歩き始めて、すぐ右手に興福寺がある。そこの境内で、ここの鹿は太っている、オスばっかりだと妹と言っていたところに、ボランティアガイド(?)のオジサマが現れ、いろいろ知識を面白く疲労してくださった。建物の屋根の傾斜は雨だけではなく雪のことも考えて湿気をさけるようにできているなど。本当はもっとお聞きしたかったが、一時間近くはなしを聞いているうちに方に荷物が食い込み、失礼して春日大社へ。 久々の奈良は、京都よりも時代が遡る分、解読に頭を使い、知的にわくわくする。またふらっと行こうかな。 ++ 今日の未明、NHKで「ヨーロッパピクニック」についてのドキュメンタリー番組を放映していた。東西ヨーロッパの間にかつて存在していた「鉄の壁」は、出国の自由を保証する精霊の施行時間を待切れなくなった東ベルリン市民がベルリンの壁を壊し始めたところから始まったというのが一般の理解のように思うが、実はそうではなく、ハンガリー政府が西側に戻る事を決意し(ゴルバチョフもペレストロイカを押し進めながら、これ以上ソ連が「東側」を支える事はできないから諸国の自立を望み、東西ドイツは必ず統一されると信じていた事が背景にあり)、鉄の壁を自主撤去した事、さらに、「ヨーロッパピクニック」なる行事を周到に用意し、ハンガリーに大挙して来た東ドイツの市民を1000人ほど出国させ、さらにそのあと西ドイツに西ドイツ市民としてのパスポートを用意してもらい、7万人のパスポートを発行してもらい、東ドイツの市民を続く数カ月で西側に出国させた事。。 知らなかった。 ハンガリーという超大国ではないから小回りがきいた事、そして、時代の流れを明確に読み取れる政治家達に恵まれた事、そしてなによりも、ヨーロッパの外交の腕の深さだろうか。 果たして、そこまでの政治家に我々は現在恵まれているのだろうか。船をただやみくもに走らせてはいないだろうか。 -
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