- 2003年08月20日(水) 今日は新しく蛍光染色の方法を教えて頂き、一日目の過程を終えた。 変なところで消耗しないで、派遣社員と割切って、仕事と雇用条件の確認確保をする事かな。 - 朝討ち夜駆け - 2003年08月19日(火) 研究室がまた混んで来ていて、器具を使う時間をうまくずらす必要に迫られている。練習したいので、なんとか朝5時すぎに出て6時過ぎから実験を始められないかと思っている。 私の場合は単に時間をずらしたいということで、データを詰めて取りたいというのとはちょっと違うのだが、実験系の「朝討ち夜駆け」が少々分かるようになって来た気がする。 (って、私が器用ですぐさま技術をマスターしていれば練習する分は省けるんだけど。。) 帰り、京阪電車で車との接触事故があったとかで、電車が事故のあった箇所を除いての折り返し運転をしていた。JRでは事故がよくあるが、京阪では珍しい。 - - 2003年08月18日(月) 8月18日 実験が始まって、なんだか目まぐるしい。大学にいながらぼぉっとパソコンでメールを打ったりネットをさまよっている時間はなくなった。幸い、今日は疲れなくて済んだけど、そのあと家庭教師をやって帰宅が10時で、それはともかく、毎日コンスタントに朝起きて、大学に行って、と思うと、一日単位で大丈夫だからと燃焼するというより、次の日のことも考えなきゃね。。 マウスは慣れると扱いやすいが、今日の固定還流でも臓器はしっかり固定されているのに、脳は今一つの固定液の色味が足りなかったりした。ただ、臓器のかたさはよかったかな。 8月17日 大阪歴史博物館に行った。「韓国の暮らしとこころ展」を見るため。 韓国の多層な土俗信仰など、興味深い。面白い展示だった。 建物からは大阪城、大阪ビジネスパークが見え、隠れた名所じゃないかな。良い施設の割に、京都文化博物館などと比べても来館者が少ない。勿体ないのでもっと宣伝したらいいと思う。 ++ あと、3、4回生のうちから熱心な人たちは病院見学や体験実習に行ってあちこち回っている模様。刺激を受けた。 - 一人で生きて行く、のだろうか? そして補償ということ。 - 2003年08月16日(土) この前帰省した時から、妹に「エッグegg」と呼ばれている。 今日は、「エッグや」と呼び掛けるメールが何通も来て可笑しかった。 ++ 予備校の個別指導をしていて、生徒がいうには、自分は絶対手に職をつけて一人でも暮らしていけるようにするのだという。医学部を目指している生徒だ。その他の道も探ろうとしているが、弁護士という職名が登場した。 手に職をつけるというとき、分かりやすいのは医師と弁護士かもしれないが、決してそれだけではない。美容師、看護師、職人、などなど、枚挙に暇がない。医師と弁護士は合格すれば、養成過程がわかりやすいかたちで見え、さらに、私自身がブンガクブの大学院でうまく(正確には満足が行くように)やらなかったのをあたかも今思えば補償するかのように医学部に入り直したように、他の道で自分の思うように行かず失敗と感じた人間が、補償するのに良い面を持っている、ということだ(勿論、方向転換してこれらの職業を選ぶ人間の全員、あるいは過半数が、補償しようと入ってくるとは思わない。ドライだったり、ウエットだったりするにしても、補償だけが方向転換の動機ではないからである)。 私も心当たりがあるし、周りにもサンプルがあるが、「一人で生きていけるように手に職をつける」ということで、得てして自立を先延ばしにしたり、自立へのプロセスを長いものを選んだりすることがあるのではないか、と思う例がたまにある。一人で生きていけるように、生きていけるように、といいながら、決して、中学校や高等学校、あるいは大学や短期大学を卒業してすぐに彼女や彼がいうように「一人で生きて行く」ことをしないのである。「一人で生きて行く」ための準備期感が周到に選ばれ用意される。 それは一体なんなのだろう。 実際には、「自分で食べて行く」という意味で「一人で生きて行く」のはもうちょっと簡単にできることであり(時給800円のアルバイトだとしても、家賃を抑えて贅沢をせず週5日働けば一人暮らしの生活費は稼げるのである)、同時に、「一人で生きて行く」のは、自らに起こることに対して他の人の助けを必要な場合は借りながらも生きて行くことなのかもしれないし、広げて究極的に考えれば、人間は社会的動物であり、「一人では生きて行けない」ことになる。 自立を促そうとする親の意識が逆に子に足枷になっているのだろうか? 或いは、それは親と子の共犯関係なのだろうか? ふと、思ったことである。 - かたち - 2003年08月15日(金) 結構私は、不安を強く感じやすい人間である。 病院で、このところ大きく落ち込むことはないが、薬を飲む必要はあるか、 予定がどうなるか未定の時など(実験やバイトなど)、かなり不安を感じストレスになることを話した。 先生が仰るには、かたちになっていないと不安になるのは、不安をさけるための防衛で、現実はもう少し曖昧でちゃらんぽらんなものだと理解することでバランスがとれるのではないかということだった。 薬は、予防的に1年は飲むのがよいらしい。 なんだか、ふっと自分に対して距離を取り久々に客観的になったような気がした。 行ってよかった、とホッと思った。 ++ 今年は冷夏気味らしいが、 それに電力不足騒動をうやむやにしていいものか。 http://www.asahi.com/special/electric/TKY200306240309.html より。 この発電キット、欲しいかも。 千趣会などで扱ってくれないかな? 【電力不足問題】 そよ風でも発電 家庭用風力発電キット発売へ 神鋼電機 ------------------------------------------------------------------------ 風切り音が出ない垂直軸風車型の風力発電機(神鋼電機提供) 風速が毎秒2メートルを超えると発電する家庭用小型風力発電機を神鋼電機が開発した。購入者が自分で組み立てるキット型で、通販などで10月から売り出す。価格は20万〜30万円になる見込み。飛行機の翼状の羽根を縦に5枚取り付けた垂直軸風車が特徴で、うるさい風切り音はほとんど発生せず、住宅地でも気兼ねなく使えるという。 風力発電機は、風車の直径が1.6メートル×羽根の長さ90センチのものから、直径4メートル×羽根の長さ2メートルのものまで4種類。三脚で屋上や庭に立てたり、バルコニーの枠に固定したりして使う。 秒速0.5メートルで回り出し、2メートル以上になると発電を始める。電力は、風力発電機の付属装置で交流に変換する。別売りの装置を使えば、風がやんで電圧が低下しても、自動的に電力会社からの商用電源に切り替わる。安全のため風速が秒速12メートル以上は発電量は一定で、25メートル以上になると発電が止まる。 月間発電量は最大のもので、風速が秒速2メートルの場合、5.8キロワット時、12メートルだと1296キロワット時と、風の強さ次第で大きく変わる。最大の商品では、月間の平均風速が秒速7メートル余あれば、4人世帯の月間使用電力量(平均290キロワット時)をすべて賄える計算だ。 日本の平均風速は、主要都市がある平野部は秒速4メートル未満のところが多いが、山間部や海岸部では5〜10メートルの風が吹いている。 (06/25 00:20) - マウスの固定還流 - 2003年08月14日(木) 久しぶりに実験。メモを取ることの大切さも痛感。 今まで、大人のラットを扱って固定還流をして来たが、ついにマウスを使って新生児ラットへの導入とすることに。 やはり小さいので、なんといっても心臓に程よく針を突き刺すのが難しい。 4匹やって、3匹は完全に心臓に針を突き刺す段階で失敗し、最後の一匹でようやく70点を頂いた。ただし、まだまだ脳の固定が甘く、そのサンプルでは使えないとのこと。課題が残る。 マウスの心臓に針を突き刺す要領は、静脈注射と一緒などの極めて臨床的で想像しやすい喩えのおかげで、最後の一匹はできたのかもしれない。 ++ 大学の最寄り駅から大学までのバスが、今週は休日ダイヤになっており、いい時間のバスがなかったのでタクシーに乗るはめに。一番下の妹に愚痴メールを送ったら、「おやまあ、大学用バスは仕方ないのかね。ラットつつくといいよ。」と返事が来て、とても可笑しかった。 - - 2003年08月13日(水) 数日前書き忘れたこと。 もしやと思っていたら、やはり妹がアクセスして読んでいた模様。 面白がっているらしい。 久しぶりの友人と話し、いろいろ示唆を受けた。 ++ 妹と母は私のことを買い物中毒と呼ぶ。 - 鍵 - 2003年08月12日(火) 入り口のドアの鍵がとても扱いにくくなっていて(噛んでいる、とこの辺りでは言うらしい)、今日はいよいよ、鍵をかけて出かけようとしているのに鍵が引き出せない。5分格闘してもダメだ。 さすがに観念して、管理会社に電話してみたが、どうも御盆で居ないらしかった。 困ったなぁと思っているところ、宅配のオジサンが現れた。印鑑ください言われるところ、「お願いがあるんですッ」と頼み、鍵を引き抜いてもらおうとする。が、オジサンにも無理で、私が荒く鍵を入れているから噛んでいるのだと言われた。 仕方なく、急きょマイナスドライバーでネジを外し、鍵穴の方を緩めたりしてみて、そうこうするうちに、なんとか鍵が出て来た。 オジサン曰く、油を塗るといいらしい。 サラダ油を取り出して塗ってみると、たしかに一気に滑りが良くなり、するするっと鍵が入り、また出て来るようになった。 な〜んだ。油が足りなかったのか。少々、ほっとした。 このところとみに立て付けが悪くなっているように感じていたので、私は誰かが私の不在中に他の型の違う鍵で入ろうとして鍵穴を潰しているのだと信じ込んでいたから。 ++ 「才女考」(頸草書房)を読みはじめる。 - - 2003年08月11日(月) 8月10日 朝上の妹は東京に戻っていった。会社の上司がどうのこうのとぶちぶちいっていたが,一頃より穏やかな感じ。 この日はかなりがんばって押入に入っていた衣類を見て,自分が着られそうなもの,そしてオークションに出せそうなものに分け,オークションに出すものは写真を撮って出品した(写真の取り方が,あとから見ればかなりまずい。といってそのままにしている私も私だが。。)。 以前,手編みで作ったベストが出てきた。やたら幅が広くできてしまったので,余り着なかったものだ。両脇にリボンを通してちょっと詰めた。上手くシャーリング風にしようと思ったのだが,ちょっと編み込んだ感じだ。ともあれ,これで着られるようになるかな? 8月11日 妹が持っていた山本文緒の「あなたには帰る家がある」をぱらぱら読む。なんかねぇ,筆致が上手いんだけど,人間のいやらしさが出ててねぇ。。 - 帰省 - 2003年08月09日(土) 台風も徐々に過ぎゆき,帰省した。東京の妹も同じような時間帯に実家に向かっており,新幹線に苦戦しているようだった。別々に一所懸命実家に向かっていこうとするのが何ともおかしかった。これが全国で繰り広げられている光景なのだろうか? 途中で妹と私の携帯に上の妹からのメールが入った。「今どちら?」「チャ=父はいないよ」などの断片だが,どうやら上の妹は実家にすでにいるらしい。松江駅に着いてみると案の定であることがわかり,妹と私は二人でタクシーに乗り実家に辿り着いた。上の妹は,昨日ついたらしかった。少し雰囲気が柔らかくなっているような印象があった。次の日の朝,もう発っていった。 私の方は,しばしのんびり過ごしている。 -
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