ああ、快晴。:自然の涼 - 2003年05月29日(木) 今朝は5時20分に起きて、洗濯、お風呂。北向きの部屋だけど、正確に南北の軸を向いている訳ではないらしく、朝は存分に東からの朝日がベランダに注ぐ。燦々と射す日に、思いきってお蒲団を干す。出かけるまで一時間半弱は日に当てられるだろう。洗濯物も、お風呂のマットやバスタオル、タオルは外に。 この前の日曜日、雑貨屋のpassportで、ごく薄い水色の150センチ丈×100センチ幅ののれんを二つ買った。さっそくベランダに通じる引き違いのすりガラス戸の長押に、簡便に押しピンで止めて使っている。これが正解。去年は意気込んで簾を買ったけれど、止めるのに釘が必要でので取り付けないままだった。今年は早くも5月終わりから思いっきり乗れる薄手ののれんを見ながら夏気分だ。ごく薄い水色は、日に照らされると白く見え清涼感が漂い、同時に、空の水色に溶け込んで、ただ違和感なくそこに風に揺られている。 こんなことをするのは、カーテンレールが一つしかなく、そこには部屋側がピンクの遮光カーテンを吊るしていてレースカーテンを吊るすところがないから。そして、もう一つは、私がエアコンが好きでなく、夏は極力戸を開け放って自然の風にふかれていたい人間だから。 いやはや、簾を吊るしたり、よしずを立てたり、レースカーテンや厚手のカーテンで熱を防いだり、こういったことで結構室内温度は下がるものなのだ(高校の時、家庭科の住居で家を設計する授業があったときだったか、こういった省エネの工夫を宿題にて提言したが、マトモに取り上げられなかった。今朝、遮熱パネルなどをバス会社やオフィスビルが利用し始めた、メーカーが売り込んでいる、そういったニュースを見て、ようやく時代がついて来た(!?)のを感じた。そう、原子力発電所が思うように使えなくて今年の夏は電力不足が懸念されるとか言うのなら、日本人よ、エアコンを極力切れ!オフィスなどのビルは一面のガラス張りなんて明るいかもしれないけど熱は入り込んでくる。暑いのは当然。遮光遮熱しよう!カーテンを利用しよう!そして自然の涼を利用しよう!)。 次のささやかな目標は、ベダンダにウッドマットをひいてちょっとしたお庭にすることなんだ。 さて、いつもより早く覚醒しテキパキ動いたた今朝だが、5月29日はここ数年、何度か意図せずしていつもより早く覚醒している朝である。 そう、思いおこせば、今朝は7年目だった。あの火事に遭った日から。 時が経つの早い。そして同時に、あの7年前がどこかしらまだそばに感じられる。 - 歩きたくなる道 - 2003年05月28日(水) 今日は天気が良かった。 切片の染色の続きをして、発色させた。濃さは良かったけど、問題は、切片が半分くらいちぎれてしまって拾えなかったこと。良い切片を作らなきゃなぁ。あとは乾かしてスライドガラスを載せる。 先生に楽しいかと尋ねられた。結構これは楽しい。ただ、きちんと切片が発色できないと悲しいけど。 帰り道、この頃のささやかな楽しみは新しい道を開拓すること。今日は成功!歩きたくなるいい道だった!緑溢れるお庭の住宅地をうまく縫って、小川沿いの並木のある道に出られたのだ。季節の花が咲いて、歩いているとうきうきした。車でビューッと走ってしまえば、あっという間だ。急ぐ人には道ばたのマーガレットや野菊は目に入らないだろう。6年間この楽しみを知らないで過ごす人が大半なんだろうなぁ。もちろん、いつものんびり歩けるとは限らないけど。。 今日は帰宅してからはかなりのんびりだらだら。洗い物も途中までやって漬けてある。そろそろ片づけをまた再開しよう。 ++ 今TVでやってるフェイシャルセラピストかづきれいこさんによる「リハビリメイク」の話、興味深い。化粧は自分を受け入れる手段、隠すことが目的ではなく、チャームポイントを活かして視点をずらすことで、現実を受け入れる手段なのだそうだ。形成外科、精神科、そしてメイクのプロの三者が取り組むことが大切なのだと言う。非常に興味深いし、医療の場でも関わって行けたら面白いかも(明日早速その話を家庭教師の教え子にするつもり)、と思った。 - あくまでも私的に、心豊かな一日。 - 2003年05月27日(火) 大仰に書くほどのこともないのだが、今日はなんだかテキパキと動いた気がする。 まず実験は、久々に(!!!?)時間を持て余したりせずに、午前中、切片を作り、すぐさま染めに入った。明日続きを行なう予定。うまく発色するといいな。大量の切片をプレートからプレートに移動させるのも大分慣れて来て、切片を移動させるのに大幅に時間が短縮できるようになった。 もくろみ通り3時半に本日分の作業は全て終わり、ノートをまとめていたところに、先生が帰られたので、それをいいことに私も終業時間より15分早く退出。心がとがめながらも、とっても美容院に行きたくて行きたくてたまらなかったのだ。 しかし、実際それは余り意味がない行動だった。というのは、バスが2分送れて来たおかげで、目標の電車に乗れず、あと15分待ってても同じ電車になったからだ。 ともあれ、勇んで美容院へ。途中、ふらふらっとspic & spanのお店に入ってスカートをしげしげと見ていて店員さんに勧められるまま試着してしまいそうになったが、ここはぐっとガマン。それよりカットカット。 ふんわりパーマをかけるつもりだったのだが、目論見ほど伸びていないので、結局大分髪の量を軽くしてもらって、トップにポイントパーマをかけて丸みを出すことに。すっきりしたし、店員さんも楽しかったし、満足満足! それからミニブーケを買って(すごくお花の取り合わせがセンスよく良かった!ミニブーケ専用のポイントカードまで作ってもらっちゃった!)、7月号の(もう雑誌は7月なのだ)moreとwithを買って、帰宅。またちびりちびりグラビアを見て楽しむ予定。夕食はカレーうどん。 一念発起して、大量の洗い物。バスタブにががっと洗剤を入れてね。 なかなか爽快で気持ちいいです。 ++ 昨日テレビで見たドイツの自動車工業を巡る労使のルポは、何も遠いドイツだけの話ではない。日本もとうの前から産業の空洞化が起こっている。今日のテレビではモノが売れないからますます値下げして果てしなきデフレがここ数年日本では起きているといっていたが、その前に、ものを買わせる/買うのがよい、買うことを前提に成り立つ社会/産業構造を変革して行かないとどうしようもない気がする。資源と環境保全の問題も含めて。 また、ドイツでは平和・外交や社会福祉などの点でドイツの独自のあり方を模索する「ドイツの道」ということをシュレーダー首相が言っているようだが、果たして「日本の道」があるのであれば、一体どのようなものになるのだろう。 まぁ、ワタクシ個人としては、自分の生活レベルで必要以上にモノを買わないこと、モノを大切に使うこと、かなぁ。 日本の道、それはどのようなものが良いのでせうね。 ++ 明日は暑くなるようだ。 - 天災人災 - 2003年05月26日(月) 5/25 昼過ぎ、食料品と生活用品を買出しに出かけた以外、友人に映画に誘われていたにもかかわらず、結局ほとんど眠ってすごす。友人に謝ったところ、「天候不順のせいでは?」とのこと。ううむ、この天候不順に直撃されている私って一体。。まぁ、この週末は存分に眠れたからいいか。おかげで今日(翌月曜日)は眠くもなく、鼻水以外はまぁまぁ。 5/26 のんびり実験。染色した切片の切れ切れになったのを拾う。ラットの脳の還流固定。これは普通にさくっとできるようになった。そろそろ、新生児のラットの固定を指導していただくことになるようだが、そしたら難しそう。 ++ アルバイトの帰宅途中、駅で止まった新快速の扉が、目の前で開かなかった。どうしたんだろう、と思ったら、どうやら車内で痴漢にあった女性が犯人を取り押さえ、そのために電車が暫く止まっていたよう。 バイトの帰り道、懐がちょっと暖かくなっているところに、事件に遭遇し、ちょっと興奮気味に帰宅してテレビをつけてびっくりした。幸いさして被害は出ていないけれど、東北で震度6弱の地震があったとのこと。 今日はちょうど日本海中部地震から20年目だったらしい。はっきり覚えている、という声に、恥ずかしながら、おぼろげにしか、というか、今やっとおぼろげに思い出した(汗)。そういえば、死者も出た被害の大きい地震だった。 昨日、たまたま、テレビのニュースで、ちょうど日本海中部地震から20年目で、その記憶を風化させないために目の前で仲間が亡くなるというその時の辛い体験を語り始めた、という男性の活動を見たばかりだった。 イラク戦争とか人災も多いこの世だけれど、アルジェリアでも大きな地震があったし、天災に対して人間はまだまだ無力で、備えて防災しないといけないなぁと思う。 天災があるのに、そして、意図しなくても失敗して人災を起こしてしまうのに、わざわざ人災を起こす人間の愚かしさよ。 ++ 母より便りあり。「良くなることを信じて」というところに、ああ、母の思いは共通か、とじ〜んとなる。暖かい。 幼馴染みのお姉さんのM子ちゃんの披露宴とあり、さらさら結婚する様子もなく親と対立していたとこの前まで聞いていたけど、と思いながら、確か今、32歳のハズ、10年前、いや15年前なら彼女も20代で結婚していたような、かわいらしくかつ芯のある女性だよな、とか思いながら、ちょっと安心。わたしもまだまだ大丈夫、な〜んてね。 ++ 恥ずかしい話だが、実はこのところ小バエと闘っている。元は、実家から送って来る救援物資、ならぬ食料品を食べ切らないところに次が送って来るので、腐りかけた果物などに小バエが数匹ちょろちょろしていたのだが、それが暖かくなると共に増え、洗っていない食器にまでたかるようになってしまった(汗汗)。おかげでハエとりフェロモンテープなどをようよう先週から備え付ける有り様。名案があれば教えてください(って、まずは清潔第一かな??)。 - - 2003年05月24日(土) 5/23 指導教官の先生が一週間ほどお休みされていて、それをいいことに(?)ますますスローモードの一週間だった。でも、そろそろ論文も読んで向上を目指そう。。 共同実験センターの器機を初めて利用して切片を作った。余り皆知らないから使ってないそう。嬉々として借りにいったのだが、しか〜し、借りるとメンテナンス代としてクリオカットの場合、一回500円なり。メンテナンスする職員さんがおられる。ふうむ。ということは、講座で持っている機械は、自分のところでメンテナンスできることが前提なのですな。 一回500円の割に、標本はがたがたの切片になって余り意味のない作業となってしまったし、意気消沈。何がいけなかったのだろう?切り方がまずい?それとも標本が劣化している? 5/24 風邪がまだ抜けなくて、部屋の片づけを(せねばならぬと思いながら)余りする気にならない。よく眠る。 - 喜捨 - 2003年05月22日(木) はじめて、周囲での前評判も高かったドラマ「動物のお医者さん」を見ている。獣医学部の話なので、試験とか、研究室とか、身につまされる。試験の結果で名前を張り出すところだとか。一緒にドキドキしちゃう。岸田今日子のおばあさん役は適役だと思う。スッゴイ笑える!今まで見てなくて損した気分! ++ 今日は5月2日以来実に20日ぶりにラットの脳の還流固定を行なった。まぁまぁうまくいったかなぁ。ラットの体重はおよそ305グラム。なお、ラットとマウスの価格表によると、マウスの方がはるかに安い。ラットの4分の1か5分の1くらいかな。ちなみにマウスの一番安いもので一匹500円なり。貴重りんこ。 ++ 地下鉄の駅の切符売り場の前で、昨日の朝、「電車賃がたらんねん。20円持ってない?」と尋ねられ、20円渡した。代わりに12度数残っているテレホンカードを貰った。つかわないかなと思ったが、いいことをした気分になり、一日のスタートが気分よかった。 今日も、同じ時間に地下鉄の駅を通りかかると、昨日と同じ格好をしたオジサマがいた。私の顔を見るなり寄って来て、「また電車賃がないねん。220円もってない?」と尋ねられた。ホームレスに違いない。 今日は私は立ち止まりもせず、手を降ってないよと示して通り過ぎた。そもそも、「また」というけど値上がりしてるし。。 それが良かったのか悪かったのか。少なくとも悪いことをしたような気はしなかった。おそらく彼は、そうやって誰彼となく声をかけて、お金を手に入れたらならば、電車賃ではなく、100円のおにぎりニ個などを手に入れているのであろう。 彼が余りにも毎日声をかけて来たら駅員さんか、はたまた警察か市役所に私は苦情をいうのだろう。今のシステムでは行政が、ホームレスが目立つ地域では対策を行なうことが普通のような感じである。 以下は、あくまでも個人的な考えなので、きちんとした宗教感や宗教団体への理解に基づいたものではないことを予め断っておく。 ふと、イスラムでは、信仰の中に貧しい人への喜捨というのが含まれていたことを思い出した。だから、医療も寺院に付属していることがある。 仏教でも、そういう考えはあるのではないだろうか。実際、奈良時代の皇后で仏教の考えに基づき、慈善施設である施薬院を建立した。 京都には沢山寺社仏閣があり、多くのお賽銭を人々は備えるが、のみの市をやったり、健康を祈って炊き出しを年中行事として行なったりすることは聞くが、ホームレスに炊き出しというのは聞いたことがない(あるのかもしれないが)。そういったことは、コストも人手もかかるし、参拝者を増やす訳ではないから、しないのだろうか? でも、ノミの市よりよほど宗教の本質に近いのではないだろうか。 寡聞にして私がそのような行いを知らないだけなのかもしれない。 もちろん、だからといって、宗教団体の自発的な行為に任せれば済むといいたいのではない。ただ、その方が、駅の切符売り場で声をかけられるよりは、はるかに人もお金を喜んで「喜捨」あるいは「寄付」するのではないか、そう思ったまでである。 あのホームレスの男性をまた見かけることはあるのだろうか、そう思いながらキーを叩いている。 - 波乗り - 2003年05月21日(水) 気温のアップダウンが激しく、月曜日いったんよくなったと思いきや、またなんとなくぐずぐず風邪ひきさんです。みなさんも気をつけましょう。 今朝はとても夢見が悪く(夢見が悪いと大体このごろ寝坊します)、なぜか小学校のときの面子が出てきて、私も小学生で、体育の授業で私だけ何かができなくて、夢の中で大泣きしていました。目が覚めてみたらそれは夢だったのだけど。 ++ 昨日は午前中、病院に行った。 このごろは、あまり落ち込んだりしませんが、疲れてくると、思考が飛んでると思うんですけど、なぜだか死にたいと思ったりしてしまうことがあります、そういうときには、早く寝るようにしてます、私はそういった。 そういう時、先走ってる、って思うかとたずねられ、私は「はい」と答えた。 先生は、言った。「本質的に欝は疲れだから、眠って休息をとるってのはいい。よく性格と関連付ける人がいるけど、あまり性格が几帳面だからとか関連付けないほうがいい。波乗りみたいに、自分の調子をつかむことです」と。 自分の調子を見ながら、休んだり、作業したり、前に進んだりしていくこと。 「前に進め」の信号を出すことしか知らなかったら、体も心も休めなくて悲鳴をあげる。いろいろな信号の出し方を知ること。 そして、疲れたとき、全か無の法則みたいに他にすべがないかのように「死にたい」と思う必要は実はない(思いつかないからこそ、本人は困るのだけれど)。疲れたり、うまくいかなかったりしたとき、すぐgive upというか、思いつめずに、他にも方法があるんじゃない?と落ち着いて考えられること。自動思考の回路から抜け出すこと。 波乗り、視点をちょっと変えてみること。 ゆっくりゆっくりでも、前に進んでいくこと。 - 修理 - 2003年05月20日(火) たったの6000円(!!!!)で復活したvaioクンは、快適である。以前(3年前か?)、同じようにハードディスクがおかしくなったとき、製造元のソニーに修理してもらったが、そのときは7万円もした。それを思えば、桁が違うということは、製品となったときやメーカーでの修理が人件費ということでいかにコストがかかる(商品に上乗せしている)かよくわかる。なんだか、まともにパソコンを購入したり、修理するのがばかばかしくなってきた。ちょっと腕があれば(そのちょっとの腕が問題なのだが)、自分で簡単にできちゃうものね。 修理といえば、このvaioクンと同じくやる気なく一日置いておいた自転車を、やはり動き回るにはあったほうがいいと、修理に持っていった。ちょっと夕日に照らされて晴れ間が出ていたおかげか、日曜日にどうしようもなくボロ自転車に見えたのが、少しまっとうに見えたから修理に行く気になったというのもある。 持っていくと、おじさまが優雅な手つきでいったんタイヤの中のゴムを外してからタイヤにまたかぶせてくれた。そして抜かれてしまった空気入れのピンを差し戻し、空気を入れて、元に戻った。それからピンの上にゴムのカバーをかけておしまいだ。 「おいくらですか?」 私は尋ねた。おそらく、前回そうだったように、今回も「ぴんはプレゼントします」と、ただで直してくれると思うのだが、いつもいつもお世話になっているし、見事な手つきに私はすっかり感心したし、修理代を払いたい気持ちになったのである。 「そうだなぁ」と考え込んでからおじさんは「じゃあ、100円だけいただきます」と言った。 「ありがとうございました!」と私は100円渡し、おじさんは「気をつけて乗ってね!」と私を見送った。 こんなぼろぼろの自転車、下手すると、お店によっては修理に持っていったとき「買い換えたほうが安いですよ」と言われる。でも、ここのお店は、若いお兄さんも、おじ様も、決していやな顔一つせずに直してくれる。だから、信頼して、いつもお世話になっている。 こういう、「技術」って大事だな、とつくづく思う。 まぁ、肝心の私のほうは、相変わらずちんたらとやっていて、いい加減、ラットの脳の切片をきれいにマッピングしたいのだが。。 - LAN生活 / 殻 - 2003年05月19日(月) ふふふ。ついにジャンクと化していた私のvaioクンが素晴らしくもよみがえり、windows meを搭載した6ギガのマシンとなった。そして、研究室の自分の机に大学用の私専用パソコンが置かれ、LANにつながれ、ちょっと調べ物をしたいときやメールを書きたいときに簡便に使えるようになった!ふふふ。家のadsl接続のiBookよりやはりLANは速い。自分で組み立てられると修理も安価に手軽にできていいですなぁ。。いやはや、今まで雑な扱いをしていたのが申し訳ないくらい、素晴らしくカムバックした。 というわけで、この日記も現在大学の5階の部屋で書いている(染色の待ち時間なり)。うれしいなぁ♪ ++ 書き漏らしたこと。 金曜日の夕刊を読んでいて、桜井淳子さん結婚、とあって、ちょっとびっくりした。何に、というと、彼女の年齢が30歳だったことに。なんとなく、ドラマ「ショムニ」のまま、彼女の年齢が27歳くらいでストップしていたのだった。時間がたつのは早いなぁ。。自分のことも棚に上げているけど。。(汗) このごろよく、自転車の悪戯に遭う。昨日も、やられた。自転車のタイヤの空気入れの部分のピンを抜いてあるのである。おかげでタイヤがぺちゃんこ。もう5,6回やられた。このごろ撤去されることはなくなったけど、代わりにタイヤがさいなまれている。 ただ、本体ももう7年は乗っていて(早い!)かなりがたが来ていて、いいかげん、まだ乗れるんだけど、鍵もぎいぎいいってるし、どうしようかなぁと、やるきなく鍵をつけっぱなしでアパートの駐輪場においている。 ++ 勝手なもので、子どもは人の顔色を伺ったりせず、よく笑う、のびのびとした子に育てたい、なんて思うが、自分のことを顧みると、よく笑うかもしれないが、時にそれは必要以上に笑っていたこともあったし、無表情だと小学校の時担任に言われたこともある。親は精一杯愛情を注いでいたのだと思うが、それでも私は母親に叱られるのが怖かったし、ある年齢以上になるまで、親に胸襟を開くどころか壁を作って覗かれまいとしていた(それは何も親に対してだけではなく、ほとんどの人間に対してそうだった)。 殻を被っていた。 自分は理解されない、と思い、同時に、自分を守るために殻にこもっていた。 だから、自然に道ばたで人とすれ違うように、肩の力を抜いて人と関ってこれなかったのだと思う。 肩の力を徐々に抜くことを知ったのは、大学に入ってからだ。 むしろ、抜き過ぎた面もあったかもしれない。ナニカを成し遂げると言うことにおいては。 ただ、ようやくここ2、3年で、自分が必ずしも特異な部類の人間ではないことが・・大学在学中から少しずつ感じていた感情が・・腹の底におさまって感じられるようになって来た。 普通で平凡だ。 ある意味、なんら向上心がない思いかもしれないが。それは。 被っていた殻は何から私を守ってくれていたのだろう? 自分の世界にたゆたうことを保証してくれたそれは、同時に、 私を色々なものから遠ざけることにもなったのではなかろうか。良し悪しは別として。 少しずつ折り合いをつけて生きていく。 一つずつ、決して特別なことではなくても、 一つずつ生きていく、時にそれは滝にダイブするようなものかもしれないが、 その一つ一つが、かけがえのなく、そして貴重な歩みなのであり、 そして、その一つ一つの結果が、ナニカにつながっていくのだろう。 - - 2003年05月18日(日) 昨日の朝から咽が痛く、悪寒が。sarsじゃないかと脅えてみたりしたが、大分良く眠ったり、葛根湯を飲んだり、医薬品の咽飴を舐めたり、暖かいハーブティー(ローズヒップ)を飲んで喉を潤したりしているうち、日曜夕方の今、大分良くなって来たようである。おかげで、まともに本を読んだり出来なかったなぁ。用が終わるとすぐうとうと眠ってしまうんだもん。 解剖のご献体法要行事のために、実家から式服を送ってもらう。 今日は余り食欲なし。 昨日は夕食にマーボ茄子、筍炊き込みご飯、味噌汁。マンダリンミカン。手を動かし始めると結構楽なものです。ただ、余程疲れてる時は、めんどくさいというのを越えて作って余計疲れる気にならない。何ごともほどほどか。 という感じで、余り中身のない今日の日記。体調はいい方がいい。 要らない服を処分しよう。。。 -
|
| ||||