- 2002年12月24日(火) 昨日は解剖の総論と循環器の再試験があり、9時過ぎから今日の午後3時半頃まで、久しぶりに思う存分眠った。このあと、現在残す再試験5個、2月まで、進級をかけた気の抜けない日々が続く。 再試験の方は、十分合格点に達してると思われる。本試験と5問共通で、5問別の問題が入っていたけど、まんべんなく勉強しておいたのは良かった(それでもリンパなど、理解が不十分な箇所があることに気付いたけど)。13人受けてたけど、ありゃあ、失礼ながら、全員クリアとはいかなさそうだなぁ。。。 思う存分眠ったところで、おこもりモードで28日の内分泌に向けて勉強です。 - - 2002年12月23日(月) 愛情というのは、そして、何が愛情かというのは、非常に難しい、 そんな気がしている。 少なくとも、一喜一憂するのは、止めよう。デーンと構えること。 電車で、酔っ払いのオジサマがドアに寄り掛かっていて、駅でドアが開く度に危なっかしかった。「酔っ払いってこんなもんや!」とか「喧嘩売るつもりか!」と周りの乗客に向かって言葉を吐きながら、ずり落ちそうになるところを電車の中に引っ張り上げていたけど、車掌さんと話して自分が危ないことをしているのがようやく分かったらしい。 人身事故の元になる現場を見たような気がした。 - - 2002年12月22日(日) 朝、母から電話があった。昨晩留守電にも入っていたが、声がつやつやしていた。父が言ってるより元気だから心配しないで、と。 +++ 仕事と勉強の日。 8時50分頃までウタウタしながら起き出して午前1軒、夜1軒家庭教師(今日は行くまいと心していたが、昨日たまりたまっている課題を見て、ギリギリ間に合うかどうかで、おまけに日曜行かなければ月曜に負担が恐ろしくかかってとばっちりを受けることが目に見えていたので。これは仕事に対する責任感と言うのだろうか?とある友人はそう評してくれたが。。) ともあれ、課題提出に間に合わせるべく、数学は全て、それから化学の有機の構造式は私が猛スピートで解いた(汗)。復習をしっかりしてもらおう。 よって、本年度の忘年会は全てキャンセル(うるうる)。 あと、循環器を理解しよう。 - 生化学試験 / 年内営業は続く。 - 2002年12月21日(土) 住んでいるマンションの前の歩道が、タイル張りにされてきれいになった。 +++ ひとまず冬休み前の授業は昨日で終わり、 今日は年末一大イベントである生化学の試験が行なわれた。 結構、全体的に、睡眠1時間から3時間という感じでがんばり必死モードだった。 まぁ勉強はしたけれど、何分、量が多いので、面白くなって来たところで、正確な理解が不十分なところで試験を迎えた。 蓋を空けてみると、過去問の行列で、センセイが仏に見えた。 が、酵素名とか、阻害剤とか、不正確に解答してた。。 問題も提出したので自己採点がしずらいけど、感覚としては半分弱程度の出来。レポート点も加味されるので、合格ラインをどこに引くかに因るかなぁという感じ。ただ、脂肪酸の辺りなど、もっと勉強しておこうという気になった(他にもそういう気持ちにかられている人はとても多いようだった)。 前期の有機化学が授業と本試験の時にはチンプンカンプンだったけど、それが再試験を受けたおかげで、その勉強である程度理解できるようになり、そのおかげでちょっと生化学に対する親しみが湧いたということはある。 ともあれ、正確で体系だった理解と知識の習得に努めたい。 +++ そのあと、23日の再試験の勉強を友人とする。。といっても、お昼を済ませて、どこが大事かというところで心血管系とリンパ系は全て大事そう、ということを話したところで友人が(私も少々)おねむになり、そこで勉強会は切り上げた。そのあと、ミスドで3時間(ねばって)学習項目を洗ってみたりしたが、解剖で出て来たことやその諮問で聞かれたことが、予め授業で出て来てたんだなということを改めて知った。ま、勉強になって良い。 +++ さらにそのあと家庭教師に。大分自分で主体的に勉強してくれるようになり助かっている。ただ、大学に入学前に提出する課題が山積みになっていることを本人も今日になって(?)知ったようで、締め切りに間に合うかどうか厳しいところである。。 というわけで、生化学の試験修了と同時に即循環器および内分泌に切り替え。 同級生のうち約半分は本日で年内営業修了だろうけれど、私は28日まで年内休まず営業ザンス(笑)。 - - 2002年12月20日(金) 生化学の勉強。昨日は尿素回路を覚えた、と思ったが、解剖実習中に班のメンバーと言い合ってみたらどうも不確かだ。うーん、記憶を濃くしていこう。 いつかは絶対救ってくれるはず、と、今は過去問を中心に勉強中(一昨日、一通りまとめプリントの最後まで到達したけど、ざっと目を通す域を出ていないことを痛感。とにかく、今晩どれだけ頑張れるかだ。 あと、2年前に買った「コンパクト生化学」(南江堂)、コメディカルの学生さん向けの薄めの本なのだけど、字も図も大きめで分かりやすいことを発見! +++ それから私的な愚痴。 学校で周りの若い同級生達が、(私が)もうすぐ人妻になるとか、ジューンブライドとか言って喜んでて、実のところ、聞かれる度になんて応えたら良いのか分からなくて「まだ先のことだけど」と言ってごまかしてる。おばさんっぽく見えるのかなぁとちょっと気にしながら。 +++ ところで、後期に入ってから学年全体的に、猛烈に勉強するようになった。 遊びグループだった男の子達も、連日勉強会をしていたりしているらしい。とにかく熱が入っている。 後期に入ってから、始めの5週間余りは、毎週人体構造学の試験があったことがまずあると思うけれど、今回の生化学も力が入っている。前回の内分泌、組織学で、前者は50人再試該当、後者は同じく70人(一学年おおよそ100人)という恐ろしい事態を迎え、それなりに学年全体としては試験に向けての準備で盛り上がっていたが平均点では通らないという事態を迎え、勉強に加速がかかっているのだ。 ちなみに、次回の内分泌は、センター試験レベルから国試レベルまでまぜてあるらしく、器官とマクロとミクロの理解が必要とのこと。組織学の本に加え、人体解剖学アトラス、発生学の教科書を読んでおけとのことだった。 それはよいこととして、実際に臨床の実習などで動くのはまた違うんだろうなぁと思いながら、準備の不十分さを感じながら、できるだけ進めておこうと思っている。 ++ 覚え書き(現在判明分) 12/21(土) 生化代謝学 23(月) 人体構造論(総論・循環器)再試験 28(土) 人体構造論(内分泌)再試験 1/6(月) 統計 再試験 10(金) 生理学実習テスト? 解剖実習口頭試問(骨盤) 11(土) 組織学総論 再試験 14(火) 生理学実習テスト? 15(水) 生化学実習テスト 25(土) 人体発生学 27(月) 解剖実習口頭試問(背部・下肢) 2/3(月) 解剖実習口頭試問(上肢) 4(火) 神経生理学 13(木) 解剖学実習口頭試問(頭部) 14(金) 臓器生理学? 17(月) 分子遺伝学 20(木) 核酸生物学 21(金) 人体構造学(呼吸器・消化器)再試験 未発表・未定の科目複数アリ - まちがい / お父さん / 実験 / お母さん - 2002年12月19日(木) 何かと自分をまちがえられるのは、自分がちょっと他のところに滑り込んだような気がして、ちょっと可笑しくなることが多い。 今日は、学士編入で入ったと生化学の先生に間違えられて、「文系出身ですか?一つうえに文系出身の人いるけど、学士の人で試験に落ちた人はいないからちゃんとやれば大丈夫ですよ」と励まされたり、若い同級生に「もう入籍したの?(←なぜいきなり聞いて来るのかは不明)名字変わったの?変わると何になるの?」って聞かれたりして、なんかおかしかった。 +++ 夜、テレビで面白いこと放送してた。お母さんとお父さんは離婚しちゃったけど、がんばりすぎている娘の仕事をがんばり過ぎて来た父が応援して、お父さんが今は娘とお父さんが月一回デート(って一緒に買い物とかに出かけてるの。)してるんだって。 成人して、自分が仕事で追い込まれたことを通して初めて、父の姿を理解できたんだって。 なんか分かるなぁって思う。私も、母の気持ちを理解するには何年も、或いは10年20年のギャップがあったり、恥ずかしながら父の障害(父は難聴なんだ。補聴器つけてまぁ普通に生活してるけどね。それをバネに、大学ではオール優だったんだって。不十分なところも沢山あるけど、すごい努力家で尊敬してる)をおぼろげながらも理解できたのも、大学入って、文学部で難聴の友人が出来てからだもん。そういうことってあると思わない? +++ 実験でぽかミスをした(と思う)。おまけに、廃液を間違ったところにちょっとだけど流してしまった。私は平気な顔をしていたけど、私が流して大丈夫と言ったため流してしまった同じ班のメンバーは、間違いに気付いてから思うように実験が進められていないことに気疲したのか泣いてしまった。そのことは他のメンバーが察しで、言わないでおこうと言っていたのに、無邪気に口にしてしまったこと、周囲の人の気持ちを思い遣った行動をとるべきだったとものすごく反省。 +++ 母の入院について、妹とちょっと話した。病状を説明してくれるよう、母に頼んで、家族で話し合おう、と主張する私に対して、妹は言った。誰もあんたみたいにストレートに話してくれと言って心を開く訳じゃない、と。言えるなら言ってる、本人が言うのが辛いから言わないんだ、父がどの程度把握してるかまず確認しよう、と。 母は、入院の前々日電話で話した時も、明るくはりのある快活な声を出していた。優しく、良いお母さんでいたいんだろう。6年前ほどに私が泣いて電話した時に、「いつまでもお母さんはあんたのお母さんなんだから甘えていいんだよ。お母さんにもお母さんがいて、甘えてるんだよ」と言った時のように。その時、どれだけ胸がツンとしたことだろう。母は、おそらく、自分の母に甘えてもきたと思うが、自分の本当のお母さんでないと言うことで小さい時から溝を感じて来たに違いないのに。それなのに、お母さんにもお母さんがいる、と言った母。お母さんには本当のお母さんがいないんだ、と幼稚園の時食卓を囲んでいるときにいきなり泣き出した母と比べて、包容力が格段に違うことを私は感じた。 母。 なぜかこの日記の、ひとつの主要なモチーフとなっている。 - - 2002年12月18日(水) 12/17(火) そろそろ本腰入れて勉強しなきゃ、、と思いながら、バイトから帰るとバタンキュー。またまたバイト中、瞬間的にうとうとしてしまい、金切り声で「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と起こされたしな。。良く眠っている。疲れてるのかなぁ。 12/18(水) 朝から解剖実習。骨盤の骨学と、臀部の筋肉と神経の観察だった。思ったより時間がかかった。 - 母 - 2002年12月17日(火) 母がまた昨日より入院している。 娘達にも心配をかけるまいと、黙っておいてくれと父に言ったらしい。 急を要することではなく、10日ほどで退院できるとのことだが、 一番心配なのは、母が、自分の状態や気持ちを全て自分の中で処理しようとしてしまうことだ。どういう検査を受け、どういう薬剤投与を受け、どういう状態なのか、ということは、母しか把握していない。 それでもいいのかもしれないが、周りの者も把握しておいて良いのではないだろうか、などと思ってしまう。 ただ、これは、医療職を志しているものとして、患者本人と家族や周りのサポートのこと、あるいは周りに親しい人がいない場合のこと、など考えねばならないことだ。 孤独、いや、一人でいることが当たり前になってしまえばそれは普通に耐えられることなのかもしれないが。 ひとり、という深淵。医療ではどうしようもない深淵。 - - 2002年12月16日(月) 一旦朝起き出してから、勉強中の休憩で一眠りのつもりがぐうぐうと10時前まで眠ってしまった。あちゃー。 ゆえに午後出勤。12時52分に学校について、4分で着替えて、腹部の試問へ。今日はかなり癒し系。腹部動脈と腎静脈、鼠径管について尋ねられた。恥ずかしながら、鼠径管を覆って保護している筋肉が外腹斜筋だと今日まで知らなかった。。 次回の解剖実習の手引書の和訳をプリントアウトしてから帰宅。久々に時間が早かったので、駅まで歩く。 これから解剖の予習と生化学の試験の準備。 ++ 妹から連絡があり、母が今日から入院したようだ。妹も驚いていた。 急を要することは無いが、、とのことだが、一番心配なのは、 母は、心を閉ざしがちで、何でも一人で抱え込みがちなところである。 心を開いてもらいたい。 - ずるい? - 2002年12月15日(日) 午前中と夕方と二軒家庭教師。朝はギリギリまで眠って、家庭教師先では昨日に続いてまたまた「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とたびたび起こされる始末。合間には美容院でカット。そのあと、また夕方の仕事まで少し眠る。疲れてるのかな。最近、ちょっと運動不足なので、こまめに身体を動かすようにしよう。 昨日勉強会をした折に、再試スパイラルにはまっている私のことを、こんなものに本気になって全力投球してられるか、と、試験の準備を本気でやってない、舐めてかかっている、ずるい、と学士メンバー達が評していると聞いた。一部あたっているところはあるが・・確かに教養はどうしてまたせねばならなぬのかなど、思ったものだが・・ッて舐めてるだけじゃないんだけどなぁ。。その他は時間確保の難しさ、その中でも瞬発力を出す体力の無さ、変に自分を責めてしまうところ、、こういった要素も絡んでいる。あと、言い訳になるが、10月は調子崩しているところに忙しくなって、回復が遅れ、時間と気分的に勉強に手がつきにくかったというのもあるな。。 でも、ずるい、か。うーん。余裕かましているように見えるのかなぁ。 このごろは、逃避なんだか疲れているんだか、とにかく勉強しなきゃと思いながらよく眠っている。うーん。。睡眠は確保しなきゃならんが、勉強がはかどっていない。。ほんとうに、もっと余裕が欲しい。 お客さん用の敷き布団や、ホットカーペットカバーを揃えた。 あと、以前ポーラ美術館のミュージアムショップで買ったコットン&セルロース製のキッチンワイパーはすぐれもの。食器汚れも素晴らしく良く落ちる。商品情報、販売ショップはこちら。 -
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