Wakako's Diary 道すがら記

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リサイクル好き - 2002年12月10日(火)

うまく身の回りを片付けたり、真にモノの有効利用をしているとは言い難い私だけれど、リサイクルは好きである。
家具で言えば、ローチェスト、棚二つ、テレビ、洗濯機、鏡、電気スタンドは、養子に頂いた(あるいは買い取った)ものである。
養子に出したものでは、今年度は、ホットカーペット(1畳用)、自転車かな。

前の持ち主がいたものは、由来の物語がまた面白く感じたりする。

新品じゃなきゃいや、という人も世の中には多いのだろうけど、私は抵抗がない。

なぜか。まず勿体無い。使えるものを捨てるのは、モノが泣いているような気がする。
それから、小学校2年生の秋から1年間、アメリカ合衆国に滞在した時、ガレージセールを経験したことは大きい。モノは買うもの、という観念はそこで打ち砕かれた。家具は一通り全て、主にちょうど入れ替わりで帰国するご家族から譲って頂き(だから1週間は家具なしで寝袋を貸して頂いて家具が来るのを待った)、帰国時にはガレージセールで全て売り払った。意外なものも欲しがる方がいると言うこともそこで知った。絵本なんかも人気だった。
次に、文学部の院生時に火災に遭った時、救援の手を方々から差し伸べて頂き、家財道具をほぼ頂き物で揃えてしまった経験も大きい(クラブ活動などでうまく人脈を持っていると、自宅生が入学後何年か経ってからに下宿を始める場合、家財道具を一切譲ってもらって済ませることは十分可能なようでした)。ちなみに、そのときの冷蔵庫やローチェスト、アイロン、テレビなどは、一旦就職した時に気前よく(?)ばらまかせて頂きました。

まぁ、引き取り手がいなかったとしても、声をかけるだけかけてみるというのが私の主義です。

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今日は、ミカエリスメンテンの式の追実験となるような酵素反応の速度の確認実験をした。

帰りには、しょうゆ味の煮物を食べたくなって、
デパ地下で豆藤のお惣菜セットを買って帰る。400円の幸せ。

気分が落ち着きつつあるこの頃とはいえ、いっぱしに研究者として活動や発言している同年代の方の姿をみると、
あぁ、大したことはしてないなぁ。。何してるんだろ、、
ってちょっと落ち込まないでもない。
今はもう別の道って割り切ってるけど、3年くらい前は、文学部の同窓会が出してる研究室便りみたいな欄見て、悔しくなって泣いたもんな(汗)。

あと、(自分では)大分克服しつつあると思うのだけど、「私を見てみて。私を愛して。私のことを可愛いといって」という子どもっぽい涙が疲れてくると頭をもたげる。昨日も、自分でホームパーティーしたいと思ったくせに、連想でいろいろ思い出しちゃって、落ち込んで涙まで出て来たもんな。私ってひどすぎて可愛くなくて人前に出せない人間なのかなぁとか、価値がないのかなぁとか。青春を返してとか(笑)。

実際の私は、そこまで悲観すべき状態でもない、のかもしれないのだけど。

自信、かぁ。むつかしいなぁ。過大なのも困るけど、なさすぎると、ホント私なんか飲み会に顔出すのさえ気が引けちゃうことがあるから。。

バランスとって生きてくのには、まだもうちょっとかかりそうだ。



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生活の創意工夫 - 2002年12月09日(月)

冬の休暇中に、一時帰国する旧友が2、3日わかこ邸に滞在することになっている。日々、バタンキューで、あまりに散らかっているので、今週一杯は差し当たりテストがないのを幸いに、少しずつ片付けておくことにした。まずは、買ったばかりの布製の釣り下げ型ストックホルダーを二つ早速吊るして、冬の服を納めてみた(通販で頼むと一つ2480円から3480円するのですが、大手スーパーのインテリアコーナーで買うと6段の棚がついて1580円、3段なら980円です)。うーん、私には着てない服が多すぎる。。安物買いをすぐしちゃうし(食料品でも日用雑貨でも、すぐまとめ買いしてしまうのだ)、頂き物は頂くし(服も然り。妹からお古を大量に貰っている)、かといって、バザーやフリマに出す以外は処分しないので、貯まる一方。買い物は精選して、一つ一つ使い切ることが肝要かな。。
ともかく、持っているものを可視化することにした。見えるようにすることで、何があるか把握しておくようにするのだ。
その他わかこ邸に多いのは、書籍と紙類だが(あと買いだめしてある食料品)、書籍は教科書以外は最近は余り増えていない。これも、段ボール製のストッカーを買うのは勿体無いので、段ボール箱をうまく利用することにする。これなら破れてもすぐゴミの日に出せるし、次のも作れるし、今度引っ越す時にも便利だ。
ともかく、年間100万円生活目標に!だ。

居室がすっきり片付いて、じゃらじゃらものを持っていないひとは、ホントすごいと思う。

あと、破れた靴下、ストッキング、そして空きペットボトルを利用して、無印良品で大袋で買ったドライ・ラベンダーを少しずつ入れ、芳香剤を作る。ひとまず5個作って、大学のロッカーや、衣類の間、TVの上に置く。手を動かして工作したい気分になったのは、芸大志望の教え子が、カレンダーを手作りしていることに触発されたのもあるかな。以前の隣人も、カレンダーや身の回りのインテリア、アクセサリーなど、うまく自分で作っていたことを思い出した。何でも買ってそろえる必要はない。

まだまだ片付ける必要があるけれど、なんだかちょっと嬉しい。

あとは、寝袋はあるのだけど、お客さん用にお布団があるといいかな?ってそれはものを増やし過ぎかも(汗)。ともあれ、どんどん改造して住みやすくする予定デス。


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12/7-8 - 2002年12月08日(日)

12/7(土)
細胞生理学の再試験を受けた。教科書の「細胞生物学Essential」を改めて読み、その内容の濃さに驚いた。ただ、途中で思うように準備できていないことにいらだち、ちょっと逃避モードに入って殿に愚痴メールを打ちまくったり(ひとまずいつも感情を受け止めてくれてありがとう)、さだまさしの自伝的小説をドラマ化した、NHKの夜の連続ドラマ「精霊ながし」の再放送をまとめてみて物悲しくなって泣いたりしてた。朝も行きの電車の中で鬱々隆年しそうになった時どうしようかとか、辞めるべきかとか、考えてたし。。
それでも何とか受けて、客観式だったので早速友人達と食堂で自己採点してギリギリ60点ちょっとありそうなのを確認した(落ち着いて勉強していれば!もっと点が伸びたはず。。汗。間違えたところは復習して理解しておこう)。これを落とすと留年だ、と脅えていたし、おまけに、この細胞生理学が通らないと統計学の再試験を受けさせてもらえない(?)と先生から言い渡されていたので、ひとまず、終わって非常にほっとした。

家庭教師の教え子には、テストが非常に多いこととカリキュラムが詰まっていて終わる時間が読みにくいことを説明し、週1、2回でいいとの了承を得た。良かった。家庭教師の帰り、またまたJRで寝過ごす。有り難いことに寝過ごしても今のところ京都駅で目が覚めているからいいけど。。帰ってから次の朝まで、ぐっすり眠った。

12/8(日)
朝、近所の家庭教師の時間までぐっすり眠った。買い物して、棚に吊るす布製の収納ホルダーを追加で2個(通販やお洒落なインテリアショップの半額で同じものがスーパーでは入手できる)、それから食料品(野菜、卵、大豆製品、それから100円ショップに対抗するかのように100円均一になっていたレトルト食品)大量に購入して歩いて帰宅。歩くのは気持ちがいい。
2時からレトルトのカレーとみかんでお昼。
ちょっと生化学の試験資料に目を通してからもう1軒家庭教師に。
帰省の日程も決めた。

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自分の感情や体調などをコントロールする術を身につけるための術(解決法)を身につけルことが学生期間にはできるし、し終えておくべきこと、と金曜日に学士で入って来られた方が仰っていた。そうだな、と思うと同時に、人を見るまなざしが暖かい方だな、と思った。

それから、なんだかんだと若いクラスメートにも支えてもらってる。理解力とか、刺激になることも多い。ありがとう。





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- 2002年12月06日(金)

金曜日、何をしたという訳でもないけれど、解剖の観察には何か疲れてしまった。なんだか4人班というのは人数が多いような気さえしてしまう。体力的に大変だし、テーブルや教室のスペース、御遺体の用意など、現実的には無理だと思うけど、一人で自分の分は責任持ってみない限り(それかものの分かった指導者についてみせてもらうかしないと)身につかないなぁという気がしている。

防腐と防臭のために解剖実習室では冷房が効いてさえおり、物理的にストレスなんだと思う。

ともあれ、学校で勉強するのを止めてゆったりと駅まで歩いて(帰宅してみると、JRが人身事故で止まっているようなので、さっさと帰って良かったと思った)デパ地下でチキンの香味上げとサラダを買って帰り、ちょっと豪華な気分で夕食。なんかお腹にまだ入りそうだったので、デザートに、冷蔵庫に1ヶ月半前からあったアイスクリーム(エスキモーの「メープルバニラ」100円で、なかなかいける。1カップ140キロカロリーなのも嬉しい)。これから試験の準備。G蛋白の理解が必要かな。


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- 2002年12月05日(木)

酵素を反応させる生化学実習の実験は、反応液を何度か作り直したりして、結構手間取った。ただおかげで、濃度が違うと使い物にならないことは良く分かった。

昨日生活費について書いたが、、自分で(ある程度まで?)用立てねばならぬということであって、派手に遣えはしないが、困ってると言う訳ではない。こうして学び直すことができていることは恵まれているとも思う。ただ、愚痴ったところ、10年来の友人がどうしても困ったら100万か200万は用立てる、出世払いで返してくれ、と申し出てくれ、有り難いと思った。

昼、級友達と話していて、まだまだ細胞生理学の試験の勉強が不十分であることに気付く。飲みのお誘いはお断りして(しくしく)、チャンポンで幸せを感じてから帰宅。帰宅後、一眠りしてから今起きたところです。今から準備。前期、暗号でしかなかった言葉が、最近ようやく意味をなして来たことを喜びましょう。 


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生活費 / わがまま - 2002年12月04日(水)

またテストに落ちた(組織学)。十分な知識を身につけていないことは事実であるから勉強するにやぶさかではないが、勉強時間を思うように確保できなかったことに悔しくて泣いた。最近は勉強から逃避なんてしていない(してられない)。ちなみに今回、約100人中合格は31名で、平均点は54点。私も平均点ジャストである。あともう少し勉強を積み重ねておけば良かったのだろう。ついついまた若い同級生に愚痴をこぼす。こちらの感情を受け止めてくれてありがとう。

生活費を稼ぐのは、私のような体力のさしてない(?)人間にとって結構大変で、帰って来たらもうそのままバタンキューだ。今日は予想以上に解剖が長引いたので、家庭教師、遅らせて下さいと言わずにもう今日はキャンセルさせて下さいと行くのを止めてしまった。今月は7日、23日、28日と再試があり、21日には生化学の本試験がある。漏れなく通らないと冗談にもならない。もう、自分のことを優先しよう。

とはいえ、私だって以前の大学は両親に出してもらっていたのだし、留年した時だって生活費や学費のことなんざちょっとも考えずに当然のようにお金を出してもらった訳で、えらそうなことは言えない。
今だって、自分の意志で入り直したんでしょ、しんどいなら辞めたら、と言われれば終わりである。

また、自分の時間を確保したいがために親にさり気なく生活費を出してもらうことについて先月打診してみたが、「貯金があるんでしょ、それまず遣いなさいよ」「出したら有紀ちゃん(妹)たちがうるさいじゃない。」と、目配せをするような口調で素っ気無く却下された。

まぁ、自分で選んだ道なんだ、まずは貯金のさらなる切り崩しですな。

解剖のあと、何かしら歩きたくなって駅まで30分かけて歩いて帰った。

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実習など休みがちな同級生に対して。
だらしないとか(私もテスト落ちまくってるからそう思われてるかと思うと余計悔しい。マイペースな部分もあるからなんとも言えないけど)わがままとかいう意見、構い過ぎる必要もないと言う意見、様々ある。しかし、物理的に起きれない分についてはフォロー可能で(する必要が)あろうし、やはり来ないのはそれなりの理由がある訳で、わがままとかだらしないとかそういうことではない。学生課と友人にできることはあると私は思っている。もちろん、実習を休みがちなことは問題だから、本人がしっかり参加することが必要である。が、それをあげつらうより、参加できる体制を整えることが、建設的なんじゃないかと思う。もちろん、最終的には本人が参加することが肝要であるし、何から何まで回りがする必要はない。

そして何より私が心にとめるべきと思うのは、誰だって常にフルパワーで動けるとは限らないと言うことである。

私は自分にも人にも甘いのだろうか、それとも私は気が長いのだろうか。



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ことば - 2002年12月03日(火)

生化学実習(酵素実習)始まる。自分からテキパキ動かないと、人に頼っていてはどうも進まないと感じた。

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ことば、そして土地。

私はどこにアイデンティティーがあり、何が一番自然なのだろう。

出身は、というか高校まで生まれ育ったのは、島根県の松江市である。
閑静な地方都市であったが、同時に壕端の川のように淀んだ、多分に湿り気を含んだ保守的な空気が私は嫌いだった。身動きするのに狭く感じられた。それは、意図せずして松江に長々とすむことになった母が、長々と時間が経つ以前から松江を(というより地元のひと、という言い方を使って、おそらく実家のそばに自分がすんでいないことと、実母に育てられていないため、育児やマイホーム購入にあたって実家の援助を得られないことへのやっかみも入っていたと後になって思うようになった)毛嫌いしていたからかもしれない。

特急と新幹線で、のちには高速道路を通って、父と母の実家に夏休みに家族で行くのが楽しみだった。
その時、ちょうど京都が中間点で、ぽろっと母が「誰かひとり京都でお嫁に行けばいいのに」となにげはなしにいったことを私は覚えている。そして、実家の応接間には、父のとった博士号の賞状が誇らし気にかかげてあり、半ば私が京都で大学生活を送ることになるのは、どこか自然なことであったように思われる。

そして、言葉に関していえば、NHK式標準語が家庭内の共用語であった。

小学生になった時、担任の先生がばりばりの出雲弁を話す先生で、子供心にそれが面白く、家でまねたことがあった。母は、速効「止めなさい!」と叱った。それ以降、ただでさえ言語に(母の指示に)保守的であった私は、出雲弁というものを介在させて(後で思えば介在させなくても良かったのだろうが)コミュニケーションをとることが下手であった。

大学に入ってから、訛りがないと驚かれたりとか、関西の人にとってはイントネーションから関東出身に間違えられたりとか、新しいカルチャーショックがあり、かといって島根県だとか松江に格別な愛郷心を、というかそのコミュニティーに属している感覚が薄い人間としては大いに戸惑った。これが、大都市もしくは大都市の近郊出身なら特に珍しいことではないのだろう、土地への所属意識が、いや、そのコミュニティーへの所属意識が薄いことは。

土地と言葉を巡るアイデンティティ、それは、大学に入って暫くまで、いや土地についてはもっと後まで低層に流れていたのかもしれない、私の問いの一つの中心であった。私設の研究会サークルの発表で何やら話したこともあるくらいだから。

どこかしら宙に浮かんでいるような感覚。
そう、水村美苗の「私小説」なのだ。

京都暮しが長引くに従って、それは私の問いの中心から外れていった。

何しろ、ちょうどナショナリズムだとか、権力だとか、エスニシティだとか、思想の一種の流行りになっていた時で、私もハイデガーの芸術論で卒論を書いた続きでハイデガーと言葉とについて何か言えないかと思っていた。が、主張ばかり先走り、それは頓挫した。

言葉、自分の言葉。

留年を経た後、ナニカの会の後、指導教官と2、3人でからふね屋でお茶したことがある。その時、先生がぽろっと、「自分も小さい頃山口に引っ越して、言葉が違ってずいぶん虐められた」と仰った。もっと早く話せていたら、先生と分かりあえた、いや、研究に意欲を持って臨めたのかもしれない。

今の大学では、若い同級生は関西出身が多いこともあり、なんとなくエセ関西イントネーションで喋ることが多くなっていたが(そして、今の大学の子は「そのイントネーションおかしい」と誰もいわない、というか入学以降は、いわれたことがなかったので)、今日、今の大学入学以来初めて、話し方が不思議だという理由(?)で出身を尋ねられた。

おもわず、答えることを忘れて放心していた。

そうなんだ。関西弁はやはり私のネイティブランゲージではない。

一番話しやすいのは何だろう。

母体にあるのは、おそらく、標準語もどきであり、それで話す時が一番多分楽な気がする。それは決して、東京弁でもないのだろう。

ことば、土地、を巡るアイデンティティは、いや、これから私はどこで暮らし、どのような生活を営んでいくのだろう。

松江は育ったところではあるが、戻ることはないだろう。
少なくとも、出雲弁は私の言葉ではない。
長くいる京都は生活の現在のステージかもしれないが、それ以上ではない。

この過剰なこだわりが逆説した愛情なのかもしれないが、

航海は続く。





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解剖学試問・第1回 - 2002年12月02日(月)

試問の第1回目(胸郭)があった。
朝も疲れて眠りこけていたので、準備がほとんどで来ておらず、悔しいやら悲しいやらで電車の中で涙が出て来た。あと、弄ばれているんじゃないかとか。ほんとに実行してくれるのか、とか。

そんな不安を、ついつい実施前、同じ班のメンバーに愚痴ってしまう(若い同級生に気遣わせるのもなぁと思いながら、甘えてしまうことがあるんだよね。。)。

始まってみると、意外と試問は雑然と行われた。同じ部屋で行なわれているので、そのまま見学しても構わないし。

担当の先生は厳しいという噂の先生だったけど、それがなかなか、「教育的」試問で、なんとか通して貰えた。班ごとだったし、余り事前に分かってなくてもその場で非常に勉強になった。また、概要を理解した上で、正確に名称や定義を覚えておくことの大切さ、基礎の大切さ、が良く分かった。臓器別にきちんと説明できることとか(心臓、肺、食道、神経)。

余りにも頓珍漢なことを学生がいうものだから、「お願いだからちゃんと勉強して。ひとり年間1000万円かかってるんだから」と先生にいわれた。そうだよな。。(汗)

家庭教師は曜日変更させてもらい、
帰宅後、食事もとらずに朝まで(12/03)眠りこけた。ふう。
目をさましてから生理学実習のレポート(運動神経の最大伝達速度)です。



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組織学総論試験と家庭教師 - 2002年12月01日(日)

早くも12月、相変わらず解剖とテストの連続という怒濤の日々を送ってます(汗)。
ホルマリンの刺激で咽と目をやられてる。何とかしてほしいよぉ。
そのほかは、部屋の更新をどうするか不動産から尋ねられてて、考え中。
バイトさえなければ(おいおい)大分楽なんだけどね。

昨日土曜日は、組織学総論の試験があった。
あんまりぱっとしない出来だし、そもそも最後まで完璧に勉強してないから、結合・支持組織と神経組織についての知識がかなりあやふやだった。
だけど、使える時間はともあれ粛々と勉強したから、まあ良しとしよう。再試は、該当すれば、受けるよ。

家庭教師の教え子がセンター試験形式のマーク模擬試験を受け、点にショックを受けていた。得点2割だからな。ほんと、薬大に引っ掛かって恩の字だと思う。ただ、応用はきかないけど、真面目な子ではある。なんとか基礎学力つけておくことが必要か。
ただえらいのは、本命の入試がダメでも笑顔で報告してくれるところかな。一人暮らしの練習もぼちぼちはじめているとのこと、なんとか一人立ちしていきそうである。


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思うに、 - 2002年11月30日(土)

人のことを気遣う(と言うか、勝手に心配する)のは結構だけど、それより自分のこと心配した方が良さそう。
再受験生と(学士編入の方も?)は、基本的に、(多分)、勉強グループとかないし(まぁわたし自身どっちかっていうと個人で行動する主義だし)、勉強は一人でするものみたいなスタイルになっちゃってるんじゃないかな。うん。それに、私に勉強会のお誘いなんて来た試しないし(別にいいけど)。それに、誰だってフリーで動ける訳ないし。バイトもあるし、ご家庭とかあれば特に。


束になった方が得られる情報としては大きい。
けど、いいトシした大人は自分で勉強しなさい、できるでしょ、ってことかい。

べたべたし過ぎるのは好きじゃないし。

自分での努力をもうちょっとする必要アリ、かな。

おそらく、他人との距離の取り方が下手なんだろう。
全く無関心を決め込むには情に厚く、
ほどよく個であるには寂しがり屋なんだろう。


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