Wakako's Diary 道すがら記

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ことば - 2002年12月03日(火)

生化学実習(酵素実習)始まる。自分からテキパキ動かないと、人に頼っていてはどうも進まないと感じた。

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ことば、そして土地。

私はどこにアイデンティティーがあり、何が一番自然なのだろう。

出身は、というか高校まで生まれ育ったのは、島根県の松江市である。
閑静な地方都市であったが、同時に壕端の川のように淀んだ、多分に湿り気を含んだ保守的な空気が私は嫌いだった。身動きするのに狭く感じられた。それは、意図せずして松江に長々とすむことになった母が、長々と時間が経つ以前から松江を(というより地元のひと、という言い方を使って、おそらく実家のそばに自分がすんでいないことと、実母に育てられていないため、育児やマイホーム購入にあたって実家の援助を得られないことへのやっかみも入っていたと後になって思うようになった)毛嫌いしていたからかもしれない。

特急と新幹線で、のちには高速道路を通って、父と母の実家に夏休みに家族で行くのが楽しみだった。
その時、ちょうど京都が中間点で、ぽろっと母が「誰かひとり京都でお嫁に行けばいいのに」となにげはなしにいったことを私は覚えている。そして、実家の応接間には、父のとった博士号の賞状が誇らし気にかかげてあり、半ば私が京都で大学生活を送ることになるのは、どこか自然なことであったように思われる。

そして、言葉に関していえば、NHK式標準語が家庭内の共用語であった。

小学生になった時、担任の先生がばりばりの出雲弁を話す先生で、子供心にそれが面白く、家でまねたことがあった。母は、速効「止めなさい!」と叱った。それ以降、ただでさえ言語に(母の指示に)保守的であった私は、出雲弁というものを介在させて(後で思えば介在させなくても良かったのだろうが)コミュニケーションをとることが下手であった。

大学に入ってから、訛りがないと驚かれたりとか、関西の人にとってはイントネーションから関東出身に間違えられたりとか、新しいカルチャーショックがあり、かといって島根県だとか松江に格別な愛郷心を、というかそのコミュニティーに属している感覚が薄い人間としては大いに戸惑った。これが、大都市もしくは大都市の近郊出身なら特に珍しいことではないのだろう、土地への所属意識が、いや、そのコミュニティーへの所属意識が薄いことは。

土地と言葉を巡るアイデンティティ、それは、大学に入って暫くまで、いや土地についてはもっと後まで低層に流れていたのかもしれない、私の問いの一つの中心であった。私設の研究会サークルの発表で何やら話したこともあるくらいだから。

どこかしら宙に浮かんでいるような感覚。
そう、水村美苗の「私小説」なのだ。

京都暮しが長引くに従って、それは私の問いの中心から外れていった。

何しろ、ちょうどナショナリズムだとか、権力だとか、エスニシティだとか、思想の一種の流行りになっていた時で、私もハイデガーの芸術論で卒論を書いた続きでハイデガーと言葉とについて何か言えないかと思っていた。が、主張ばかり先走り、それは頓挫した。

言葉、自分の言葉。

留年を経た後、ナニカの会の後、指導教官と2、3人でからふね屋でお茶したことがある。その時、先生がぽろっと、「自分も小さい頃山口に引っ越して、言葉が違ってずいぶん虐められた」と仰った。もっと早く話せていたら、先生と分かりあえた、いや、研究に意欲を持って臨めたのかもしれない。

今の大学では、若い同級生は関西出身が多いこともあり、なんとなくエセ関西イントネーションで喋ることが多くなっていたが(そして、今の大学の子は「そのイントネーションおかしい」と誰もいわない、というか入学以降は、いわれたことがなかったので)、今日、今の大学入学以来初めて、話し方が不思議だという理由(?)で出身を尋ねられた。

おもわず、答えることを忘れて放心していた。

そうなんだ。関西弁はやはり私のネイティブランゲージではない。

一番話しやすいのは何だろう。

母体にあるのは、おそらく、標準語もどきであり、それで話す時が一番多分楽な気がする。それは決して、東京弁でもないのだろう。

ことば、土地、を巡るアイデンティティは、いや、これから私はどこで暮らし、どのような生活を営んでいくのだろう。

松江は育ったところではあるが、戻ることはないだろう。
少なくとも、出雲弁は私の言葉ではない。
長くいる京都は生活の現在のステージかもしれないが、それ以上ではない。

この過剰なこだわりが逆説した愛情なのかもしれないが、

航海は続く。





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解剖学試問・第1回 - 2002年12月02日(月)

試問の第1回目(胸郭)があった。
朝も疲れて眠りこけていたので、準備がほとんどで来ておらず、悔しいやら悲しいやらで電車の中で涙が出て来た。あと、弄ばれているんじゃないかとか。ほんとに実行してくれるのか、とか。

そんな不安を、ついつい実施前、同じ班のメンバーに愚痴ってしまう(若い同級生に気遣わせるのもなぁと思いながら、甘えてしまうことがあるんだよね。。)。

始まってみると、意外と試問は雑然と行われた。同じ部屋で行なわれているので、そのまま見学しても構わないし。

担当の先生は厳しいという噂の先生だったけど、それがなかなか、「教育的」試問で、なんとか通して貰えた。班ごとだったし、余り事前に分かってなくてもその場で非常に勉強になった。また、概要を理解した上で、正確に名称や定義を覚えておくことの大切さ、基礎の大切さ、が良く分かった。臓器別にきちんと説明できることとか(心臓、肺、食道、神経)。

余りにも頓珍漢なことを学生がいうものだから、「お願いだからちゃんと勉強して。ひとり年間1000万円かかってるんだから」と先生にいわれた。そうだよな。。(汗)

家庭教師は曜日変更させてもらい、
帰宅後、食事もとらずに朝まで(12/03)眠りこけた。ふう。
目をさましてから生理学実習のレポート(運動神経の最大伝達速度)です。



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組織学総論試験と家庭教師 - 2002年12月01日(日)

早くも12月、相変わらず解剖とテストの連続という怒濤の日々を送ってます(汗)。
ホルマリンの刺激で咽と目をやられてる。何とかしてほしいよぉ。
そのほかは、部屋の更新をどうするか不動産から尋ねられてて、考え中。
バイトさえなければ(おいおい)大分楽なんだけどね。

昨日土曜日は、組織学総論の試験があった。
あんまりぱっとしない出来だし、そもそも最後まで完璧に勉強してないから、結合・支持組織と神経組織についての知識がかなりあやふやだった。
だけど、使える時間はともあれ粛々と勉強したから、まあ良しとしよう。再試は、該当すれば、受けるよ。

家庭教師の教え子がセンター試験形式のマーク模擬試験を受け、点にショックを受けていた。得点2割だからな。ほんと、薬大に引っ掛かって恩の字だと思う。ただ、応用はきかないけど、真面目な子ではある。なんとか基礎学力つけておくことが必要か。
ただえらいのは、本命の入試がダメでも笑顔で報告してくれるところかな。一人暮らしの練習もぼちぼちはじめているとのこと、なんとか一人立ちしていきそうである。


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思うに、 - 2002年11月30日(土)

人のことを気遣う(と言うか、勝手に心配する)のは結構だけど、それより自分のこと心配した方が良さそう。
再受験生と(学士編入の方も?)は、基本的に、(多分)、勉強グループとかないし(まぁわたし自身どっちかっていうと個人で行動する主義だし)、勉強は一人でするものみたいなスタイルになっちゃってるんじゃないかな。うん。それに、私に勉強会のお誘いなんて来た試しないし(別にいいけど)。それに、誰だってフリーで動ける訳ないし。バイトもあるし、ご家庭とかあれば特に。


束になった方が得られる情報としては大きい。
けど、いいトシした大人は自分で勉強しなさい、できるでしょ、ってことかい。

べたべたし過ぎるのは好きじゃないし。

自分での努力をもうちょっとする必要アリ、かな。

おそらく、他人との距離の取り方が下手なんだろう。
全く無関心を決め込むには情に厚く、
ほどよく個であるには寂しがり屋なんだろう。


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峠は越えた、らしいが、 - 2002年11月29日(金)

午前中、一月ぶりにk大病院に行く。薬の処方だけで済ませようと思ったのだが、先生と話した方がいいでしょうと受付の人にいわれ、診察も受けた。
この頃ようやく落ち着いてパニクラずに勉強できるようになりました、それでも疲れてくると訳もなく電車の中で涙がこぼれることがあります(2、3回/月だと思う)、と伝えた。あと、よく眠るようにしているので、疲れは翌日に持ち越していない、とも。

峠はこしたのでしょう、と先生に言われ、自分でもそう思った。ただ、相変わらず薬は処方してもらった。

一月後に予約を入れた。

また古野が授業さぼってると思われてるんだろうな、と思いながら学校に向かう。でも、病院行く時間ぐらいあっていいじゃないか。平日の午前しか予約なしならば行けないんだから。それに午後は毎日実習じゃないか。

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学校にいき、いよいよ今日は内分泌の再試験の日程を決めた。
今まで3回も決を取っている。50名該当のうち今まで30人程度しかそもそも希望を出さず、そのうち2/3は12月14日を希望していたが、都合の悪い人が出て来た。その時点で、14日希望が多いことは動かないが、その日は来れない人がいるから実施できないと、言い切るべきだったのだろう、今思えば。

今日は留年したら困る云々、全員通れる日程でないと行けない、とついつい長々演説してしまった。そんなことより、14日では、試験を受けられない人が出てくるから実施できません、冬休み中にします、と言い切って、異議がある人のみチェックすればよかったのだろう。

私だってアブナイ人ベストファイブくらいにはいってるだろうけど、
結局、自分の決めた日程のせいで、誰かが留年する(再々試がない以上、14日実施で全員通るとは思えない。少なくとも3割は落ちるだろう)と思いたくなかったのだろう。

我ながら手際が悪い。

また、今日から解剖実習の実施方法そのものが変わった。
実習プリントが配付されるようになり、指定教科書の不備を補うようになった。また、質問を受け付けるために教官も多く巡回していた。
試問の方法も急に変えられた。

我々の班はうっ血がひどく、なかなか組織が識別できない。難儀する。
病理の勉強には非常になるし、どれだけ生前苦しまれたことか、と思いを馳せるけど。

それやこれで疲れてしまい、あろうことか、解剖中に泣いてしまった。
そして、再試に引っ掛かってばかりの私は怠け者だと思われてるだろうな、とか、思うように力が出せてないこととか、悔しくて悔しくて、そして、体力もないし、辞めた方がいいんだろうか、医学部なんて私がいるべき場所じゃないんではないだろうかとか、いろいろな思いが去来して、涙が止まらなくなった。

はっきり言って試験なんて、同一条件で測れてるものじゃない。
少なくともその準備の過程は同一条件なんてことはあり得ない。

涼しい顔して試験に通れるほど私は器用ではないし、
そしてそもそも自由にとれる時間もない。

若い子に体力では負けてる再受験生をカバーするのは勤勉さというけど、
勤勉さを発揮できるほど暇じゃない、悲しいけど。
そもそも私は超マイペースと来てるし。

もういやだ。

感情失禁。

病気。

一旦泣くとスッキリしたけど。

あとはできるところまで明日の組織学の試験の準備をすることだ。

それが終わったら試問の準備をしよう、胸部の。


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11/27-28 - 2002年11月28日(木)

11/27
解剖実習は午前中に終わる。去年より期間も短くなったとのことで、実習書を簡単なものにかえたらしいが、学生がさっさと観察し過ぎているということで、実習書を替えるとかいう話も出ているらしい。そんな。。
それならそれで、きちんと実習中学生が質問できるように最低4名程度の先生に在室お願いしたいところだ。

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家庭教師の教え子をなんとか薬大に押し込んだが、大学側もドロップアウトしないようにと事前に教科(化学、生物、英語、数学)の課題を与え、学力をつけさせる模様。数学なんか特に忘れちゃってるようなので、教える必要がある(箸にも棒にもかからない状態になっているので)。ああああああ。まだお役目ごめんじゃないのかよぉぉぉ。
でも、今だってギリギリ精一杯(以上)行ってるんだから、これ以上増やせというなら他の人雇って下さいというしかない。

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初めて大阪出身?と聞かれた。

11/28
今日も家庭教師。おまけにモシ前で3時間(数学なのですぐすぎたけど)。昨日は午後、組織学の勉強ができたけど、今日は1時間目の空き時間と、家庭教師の時、教え子が問題といてる間と帰り道に授業プリントを見て過去問ちょっと解いたくらい。
勉強させて!、私の勉強時間をくれ、って叫びたい。


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構い過ぎ? - 2002年11月26日(火)

再試験の日程の希望を取りまとめる。皆さんいろいろご希望がおありで、決をとった後にさらに意見がいろいろでたのには、一瞬もうどうにでもなれ、と思ったが、何が大切か考えると取るべき行動が見えて来た。みんなが勉強できて合格できる日程にすること、なのだ。

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実習に来ない学生に対して。自宅生なら押し出してくれる人がいるが、そうでなければ、ただ同居人がいないという理由で、休みがちになってしまうことがある。いい年した大人だ、自分の面倒は自分で見なさい、とも言えるが、どうなのか。どこまでが構い過ぎでどこまでが適切なのか。


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- 2002年11月25日(月)

解剖では肺の観察。病との格闘のあとを御遺体から感じた。

今日は骨学がなかったので午後3時半過ぎに終わる。他の授業より終わるのが早い、落とされることがない、となぜか女子に(男子にも?)すでに好評である。それくらい、意外に苦痛はなく、私も含めて皆さん取り組んでいる模様。

泌尿器、生殖器の再試を受ける。10問中6問が本試験と一緒だった。
こうやって一つ一つ潰していこう。

次は組織学(本試験)。さらに細胞生理学(再試験)、代謝生化学(本試験)、(そしておそらく)内分泌(再試験)が控え、そのあと循環器の試験だが、解剖中、血管や筋肉、神経の位置や名称が分かっていないとお話にならないことに気付き、帰宅後、循環器の本試験分の解答例を作り、プリントアウトして持ち運びやすいようにした。ちょっとずつ覚えていこう。

最近、こうして、ようやく、医学部での勉強の仕方(?)が分かって来たような気がする。何ごとも一歩一歩。

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夕食はロッテリアの松茸バーガーとカボチャのスープ。





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友人と勉強。 - 2002年11月24日(日)

同級生と再試験のために勉強会。彼女はとても豊かな心の世界と才能をもっていると初めて知り、いたく感心した。
肝心の内容はちょっと量が多くて、オーバーフロー気味かも。。

そのあと家庭教師。人身事故で電車が一時間遅れたのをいいことに、車中でちょっとリラックス。

家庭教師の帰りはもはや睡眠モード。乗り過ごさなくて良かった。帰宅後すぐ朝まで眠る。

今(11/25朝)から「思い出す」訓練です。







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きれいな秋晴れの土曜日に。 - 2002年11月23日(土)

部屋がものすごく散らかっているので片付けようと思案中。分厚い医学関係の教科書などは、殿を見習って小さめの段ボール箱に入れてみた。確かに、これは使い勝手いい。

その他、ラックに吊るすことのできる布製のホルダーを買ってみた。
100円ショップでは紙の穴空け機、携帯用染み抜きなど買い込んだ。
ホットカーペットカバーは適当なものがなかったので、重そうでもあるし、通販で頼むことにした。

それから冬の普段パンツがほしかったので、コーデュロイの8分丈のものを買う。

午後は同級生と勉強する予定だったが、彼女の都合がつかず、明日に延期。
なんだか青い空と一緒にポッカリ隙間が空いてしまい、誰の心にもいない寂しさ、寂しい時に寂しいと言ってはいけないのだろうか、以前私は常に人に構ってもらわない時がすまないタイプだの言われたことがあるけれど、私は今までずっと一人でいきていきたんだ、確かにアマちゃんかもしれないけど、それを見ずに勝手なことを言わないでほしい、だのつらつら考え、久々に電車で涙ぐんでしまう(泣かなかったところが、良くなりつつあると言うことか)。帰宅後眠ってスッキリしたところだ。

これから泌尿器&生殖器の再試験(改めてみると、この出題、内分泌に比べてなんと楽なことか!)と、組織学の試験の準備と、解剖の予習。
解剖は、初日やってみて、実習書は分かりにくいが、その日の見るポイントを押さえれば(人体構造学および生理学などの授業と関連づけること!)恐れるに足りないと実感。今までの生物学や、顕微鏡での組織観察の実習の延長線上にある。朝、父から電話があり、その時解剖が始まったと告げたら、いい年して「きゃー、気持ち悪くない!お父さんだったら卒倒する!」とお茶目にも叫んでいたが、ほんとにあれで当初医学部に行きたかったんだろうか(父の仰々しい説明によると、医学部に行きたかったが難聴のため欠格条項のこともあり断念した云々ということだったが。。)?

そんなこんな土曜日です。


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