構内保育園 - 2002年10月31日(木) 今日は細胞生物学の赤血球の酸素化と水素イオンの放出の実験が班のメンバーでうまく協力してスムーズに進んでよかった。 ++ (まず断っておくと、時々各種MLに投稿した内容をほぼそのまま日記にしていることがあります。ごめん遊ばせ) 本日、興味あることを小耳に挟みました。 私が在籍している滋賀医大では、 学園紛争以降設立の大学の例に漏れず、「大学生協」がありません。 が、このところ急速に大学生協加入に向けて(早ければ来年度春から) 動きが出ているようです。 その原動力が、なんと「上からの構内保育園設置の要望」なのだそうです。 教職員、研修医に女性が増えていることが理由ですが、利用者には *学生*もターゲットとしているとのこと。 大学生協加入と保育園設置がどうつながるのか(多角化経営???) 良く分かりませんが、 すでに大学当局と既存の売店の間で話はついているようです。 個人的には私も家庭と仕事の両立を実現したいと望んでいますし、 親の労働力はさほど期待できない状況にあるので、可能性はともあれ(実現には、、希望を失わないこと??うーん) 今回の生協の保育園設立計画の話は、実家の労働力が期待できないのに子育てしたいと思う私にはかなりの朗報でした。 目下の医療業界ではハンデかもしれませんし、読者の皆様からの異論反論は承知の上で、体力的な限界があるので、自分のペースや 生活を大事にしながら学び、働き続けられる方法を模索していきたいと思っています。 - - 2002年10月30日(水) 今日は時間割りが3限までで実習が早く終わった。 久しぶりに大学から歩いて帰った。秋の風景は、というより大学周辺は、何とも寂しい景色で、つらつらと寂しい人生だよ、などとまたまた思ってしまった。大学の最寄り駅の瀬田に引っ越したくないのはそんな思いも混じっているのかもしれない。グレーの空、グレーの湖。 勿論、いざとなれば大学近くに引っ越さねばならないかもしれない。2時間近くかけて通っている自宅生の友人は、自分にとっては移動している方が切り替えが出来ていいと言っていた。その気持ち、何となく分かる。ましてや家族と居れた方がいいだろうし。ともあれ、一番ハードだと言われるこの後期が乗り越えられたら、引っ越さなくても大丈夫だろう。 ++ モシの採点を、友人にまたまた手伝ってもらう。今回はちゃんとバイト料をお渡ししました。はかどってありがたかった。 今日の夕食。 豚肉とレタス、タマネギのコンソメ煮。 小松菜と油揚げの煮浸し。 友人の差し入れの具沢山のミネストローネ(じゃがいも、セロリ、トマト、ブロッコリー、いんげん、大豆、人参、にんにく、タマネギ) 三分づき玄米のご飯と鮭フレーク 夕方から在宅できると、仮に採点しててものんびりできるなぁと実感。 一人でいる時間も大切にしたいし、 誰かと共有できる時間や事柄も大切にしたい。 - - 2002年10月29日(火) なにがどうと言うわけではないのですが、学校がハード。仕事よりは楽だと思うんだけど。。今日はかえるを使って活動電位を測定。生体材料のせいもあるのか、なかなかデータが思うようにとれず気疲した。 その後さらにカテキョ。ついついうつらうつらしてしまってぼけたことを口走り恥ずかしい思いをした。当然カテキョから帰って来たらバタンキューでございます。 滋賀医の先輩で、優秀で真面目なのになぜか再試に引っ掛かり巻くリで周りの人が不思議がっていたと言う方がおられたようですが、あとでその先輩が週5日バイトしていたと聞いて、ものすごく納得したことがあります。体力的にそして時間的に勉強時間確保し難いものね。。 ほんとに何とかしなくっちゃ。 - 秋、針葉樹の森で - 2002年10月28日(月) 木枯らしが吹き、昨日から急に寒くなった。先週水曜よりセーター登場。 学祭の片づけで授業なし。たまたま仕事が休みの友人と紅葉求めて出かけるも、、、針葉樹が多いじゃないか!TVでみごろとは放映してたし、確かにそれは真実なのだが、、 当初は散策するつもりだったので、 お弁当持参した(炊き込みご飯と玉子とじ、小松菜とマイタケの煮浸し)。 寒いので室内の休憩所でお昼。 ++ この頃気温が下がって来たので、ようやく腐る心配が減り、 安心して自炊できるようになって来た。 ++ 「受験生の家庭教師して、、」と私のスケジュールを説明したら、友人に 「知力体力の限界に挑んでる感じ。」と言われた。 今までそう思わなかったけど、そうなのかも。。 確かに今は家庭教師してるより自分の勉強したいよぉぉぉ。 知力の限界の方は、テストが芳しくなってから言わせて頂きましょうか(笑) ++ 明日から授業再開、スケジュール的にハードになりそう。 今週はテストが唯一ないのが救い。 - 学園祭 / 1981 / 親心 - 2002年10月27日(日) 大学の学園祭に行ってみた。単科大の学園祭ってどんなんだろ、と思っていたら、和気あいあいと模擬店が。そして、出張ミニ動物園があってひよこやポニー、やぎ、うさぎ、たぬき、、など動物達がいたのにはびっくりした! ついで、初めて構内をぐるっと一周回り、池が3つはあるのを確認した。日本庭園になっているところもあり、かなり意外。一人になりたい時、佇むのには(あるいは晴れた日にお昼にするのには)いいかもしれない。 木枯らし一号が噴いたとはいえ、晴天で、秋らしい良い天気だった。 ++ なぜか昨日「そうね誕生石ならルビイなの」という歌詞が頭の中をぐるぐる回り(多分このごろTVをつけっぱなしにして寝てしまうことが多いからだと思う)、タイトルを思い出せなかったのでおしゃべり系MLで尋ねた。そしたら「ルビイの指輪」とすぐレスが!懐かしいデス。 なお、歌詞やメロディーを忘れちゃったと言う方は、以下を御覧下さい! http://www.fukuchan.ac/music/j-folk3/rubinoyubiwa.html または、 http://www1.interq.or.jp/kunioki/song5.shtml 私的には、1981年、 滞在していたアメリカから帰国した時そこかしこでかかってた曲で、 小学校で低学年から中学年になり、 女子が男子を呼び捨てし、 女子のニックネームも大幅に変わり、 話題もマッチ(近藤正彦)とトシちゃん(田原俊彦)とどっちがいい、に始まり、 TVの話が多く占めるようになっていた、 そんな渡航前との浦島的な環境の激変と共に思い出される曲です。 ++ 親心というもの、大切な人、つまり我が子を思い遣る心、の機微が少しずつ分かるような気が私的はじめたこの頃。 近所のディスカウントショップで映画のビデオが380円で売り出されていた。ヒューマン系の作品で見たいのがあったら買いたかったのだけど、デカプリオさまが大半でなし。思わずヒュー・グラント様の「恋する予感」(1995年)を買ってしまう。まだ見てない作品。今よりずっと若い雰囲気でございます。見たら希望者には貸しちゃおう。お気軽に言って下さい。 - 「お見合い放浪記」所感。 - 2002年10月26日(土) 現在TV放映中の「お見合い放浪記」、人物の造型も今一つで、さしてwell madeな作品とは思わないが、自分にとって差し当たりrearlity のあるテーマだからチェックしてしまう。 主人公はお見合いを通してびびっと来るような出会いをして、熱烈な恋愛を経て結婚をしたいと願っており、お見合い回数も現在32回と記録更新しているのだが、 その世界では世界的権威とかいう父親の不倫疑惑その他を通して自分は結婚に幻想を持ち過ぎてきたのではないか、とはたと思う。が、愛し愛されることに憧れて何が悪い、とも思う。 主人公の気持ちのこの箇所は、私もよく分かる。 お互い気遣いあえる関係を持とうとして何が悪い。 確かに私も、夏に母、ついで京都のおばさま(一時居候させて頂くなどお世話になった北白川のおばさま)に口々に 「わかちゃん(あるいは、わかこちゃん)、結婚に憧れるのはいいけど、 結婚なんていいだけのものじゃないわよ。心のふれあいだから性急にどうにかなるものではないわよ」、そして「まずはがんばって日々を生きることから」と釘をさされた(註:おばさまとおじさまは齢70過ぎの素敵な御夫婦です)。 確かに、いいだけじゃないかもしれないけど、支えあったり力を合わせたりして何が悪いんじゃ。 心の中で反駁しながら、なぜ力をあわせることが素晴らしいと思うのだろう、とお見合い放浪記を見ながら主人公と一緒につらつらと考えた。 いまは余りそう見えないかもしれないけど、私自身、非常に人と共同作業を行うということが苦手で(体育のバレーボールとか、思い出されたし)、それは自分の意思をうまく伝えたり、スムーズに作業が進むよう身体を動かしたりすることが出来なかった。それゆえ、協調/協力して物事をすすめることっていいなぁと思うのかもしれない。それに、それは*一人では絶対出来ない*ことだ。 全然至りませんけど、それに見合った努力はするつもりで常にいるのに。 私と一緒なら幸せになる、と確信していても、私はいつも一番ではない。 ++ 寂しさを埋めるように求職中の友人が暇して京都在住してるのをいいことに、昨日に続いて今日もお昼、「おでんを作るからおいで」と食べ物をえさに呼ぶが、まぁそれは根本的な解決にはならない。 勿論、気軽に時間ができた時など声をかけてご飯食べたり散歩したりする友だちの存在は大事だと思うけど。ただなぁ、、彼女とは近い部分も多いけど、生き方の方向性が違うよなぁ、、(なんたって彼女は5年働いたてお金ためたあと1年旅行しまくって過ごしたという豪快な人ですから)、そして何より私はレズビアンではない。「好きなオンナと子ども育ててなにが悪いッ」とお互い思わない。母や妹は以前、彼女と暮らせばいいじゃないと言ったが、それは違う。そしてお互いそんなことは話題に出さない。 それにしてもどうして(というか当然というべきか。汗)、こうごちゃごちゃ考えずとも、私もフツーに恋愛したり家庭持ったりできてないんだろう。余り考えると涙が出て来るので止めるけど、自分が欠陥人間じゃないかとどれだけ思ったことか。。(確かに図書館で篭っていては出会いなんてほとんど限られてしまうので仕方ないとも言えるが。。)あーあ、、、 この日記を読まれた方は「あんたそんなんだから独りなのよッ」と思われるかもしれませんね(涙)。いい子なのにさ、ッて言ってくれる友だち、2人、妥協して最大限見積もって3、4人、かな(涙涙)。まぁ、これだけいれば十分と取りますか。 まだまだ改善の余地あるし、まずは再試をひとつひとつつぶしていくこと也。はぁ、ぼちぼちいきましょか。 - やなぎみわ個展 / ウツを巡る挿話 - 2002年10月25日(金) 学祭で今日は学校が休みだったので、のんびり朝寝できた。ただ、 昨日誕生日だった友人にお昼を作ってごちそうするといっていたのに、部屋の片づけどころか寝坊して外食にすることに。彼女のイタリア旅行の写真を沢山見せてもらった。景品であたったとかいうアウトドアジャケットまでもらっちゃった。 友人は求職中で、私に映画「モンスーン・ウェディング」と「ハッシュ」を勧めてくれた。前者は歌って踊ってのインド映画には珍しくインドのはでな結婚式を通じての人間関係の情趣が描き出されているそうだ。そして後者はイスラエルとパレスチナのドキュメント映画なのだそうな。 が、私の食指はどちらにも動かない。今は(偏狭といわれようが)人の結婚式なんか見たくないという心境であるし、後者は、、彼女が感情移入をするほど私にとってリアリティを持たなくて、かつて彼女と第二次世界大戦中慰安婦として連行されたオモニたちのドキュメント2部作や、ナチスの強制収容所のドキュメンタリー「ショア−」の9時間の大作を一緒に見た私は、いつの間にか私にとってのリアリティーは、むしろ、「about a boy」の新しい家族(?)の姿の探究や、「ブリジット・ジョーンズの日記」のブリジットであり、そして知的障害者の父親が親権を巡って争うという「I am Sam」を見たいと思っている私は、その事実をどう受け止めたらいいのか心の上で弄んだ。 お茶して休憩したあと、大阪・心斎橋・キリンプラザで開催中のやなぎみわの個展へ。新聞に載ってたりして、興味を持っていたので誘いが嬉しかった。my grandmothersというタイトルで、イメージしていたのとは異なって写真のパネル展示だった。元SMの女王とか、スーパーモデルとか、賢者とか、パイロットとか、そんな具合でやけにいけてる元気なおばあちゃんが多いと思ったら、作者およびモデルの人たちの理想のおばあさん像なんだそうな。のんびり老後を、というイメージの写真はなかったなぁ。。 あと、芳名録に「上野千鶴子 東京大学」とあり、思わず騒いでしまった(汗)。 案内はこちら。11月2日まで、会期中無休。 http://www.kirin.co.jp/active/art/kpo/event/200209/miwa.html +++++ 個展のあと家庭教師に行った。 帰りの地下鉄の中で、たまたま隣に座ったオジサマ・・30代後半か40代かはたまた50代か、私には分かりかねたが、立派なオジサマである・・が涙をしきりと拭っていた。目から涙が染み出ているようだった。 このひとも、とても悲しいことがあったか、或いはウツの感情失禁に苦しんでいるのだろうな、と思った。 今日、私は差し出がましいことをした。出席必須の実習にきていなかったと思わず同級生にメールしてしまったのだ。ただ、すでに親しくしていた同級生が一人実質来なくなっている以上、看過し難かった。 ++ ウツは治るけれど、あまくみると一生を棒に振りかねない、そんなこころの風邪だ。私も文学部の大学院時代、それで調子を崩して留年している。その時早めに手当てをして留年しなかったならば、さっさと研究に身を入れて博士に進学する(!?????)か、はたまた帳尻を合わせるかのように就職していたのだろうか。それまで履歴書が「きれい」だった私のことだから、ものすごい勢いでエンジンをふかして帳尻を合わせて就職していたのかもしれない。 確かに、私は(小さなものではあったけれど)NGOから内定をもらっていて、就職してしまおうと思えばできたと思う。 ただ、私は論文が書けず(かく体力も気力も残っておらず)、そのくせ、論文を書かずに(修士を終了せずに)退学するという選択も思い付かなかった。したがって、早々に論文提出取り下げ願いをだし、留年を決めた(その年は、火事に遭った直後だったから同情されもしたというのもあった)。10月のことであった。そしてそのあと、バイト以外はひたすらウタウタと眠りこけていた。。。 その時、修士を終了していたらどうだったのだろう。 薬の力を借りて楽になっていたらどうだったのだろう。 単にそれは帳尻を合わせていただけかもしれない。 幸いに私はまだ(当時は)先に無限に近い未来が開けているように思っており、学生であることに保護されて、さらに学生である期間を伸ばし、将来の決定を先延ばししていた。心だけは常に焦っていて論文、論文、と思っていたけど。 結局、ギリギリまで文学部にいた。その時の気持ちは、水村美苗の「私小説」(新潮文庫)がとてもよく代弁してくれている。 文学部の外の世界に着地するために、その時間は私に必要だったのかもしれない。そしてそこを通らなければ、今の私はなかっただろう。 でも同時に、その時間はなくて済ませられればその方がよかった時間である様な気もする。あとになってまで、「私の20代を返して!!!!」と思わなくて済み、いや、それ以上に、死と隣り合わせの孤独の恐ろしさをさして味わわずに済み、そして今もその死と隣り合わせの孤独に脅え続けなくて済んだのだろうと思う。 心は風邪を引いて休みたかった。 だけど休みの代償は代償であり、どこか一か八かの危険な要素を含み、 あとから意味を見い出していくことも多い、そんな休みである様な気がする。 私にとって、ウツの経験とは一体なんなのだろう。 自分に心地よい生き方を身につけるまで/ための通過点なのだろうか。 - 静止膜電位の測定 - 2002年10月24日(木) 今日(10/25)は学校休み。相当疲れていたようで昨日から13時間は眠った。滋賀医のカリキュラムでは2年の後期が一番しんどいらしいけど、解剖実習が実際に始まるのはあと一月後だから、ほんと体力がもっと欲しい。。 昨日は生理学実習でかえるの筋の静止膜電位をはかったが、これが妙に手が余る実験で、教室が騒々しかったのもあって余計疲れが増幅した様に思う。 実験の終わりのディスカッションで静止膜電位の発生の要因が口頭で答えられなかったので復習。 1)細胞内にはマイナスチャージを持つ高分子が存在する。 2)ナトリウム/カリウムポンプの存在。 3)細胞膜はカリウム透過性が高い 以上。 - - 2002年10月23日(水) ちょっとした出来事があって、孤独感から体調を崩したり勉強が手につかなくなったりするのは私だけじゃないと少し気が楽になった。 その前まで、今日こそは相談にいって、留年の不安と卒後医師の職務に耐えられるか話にいこうと決意していたのだけど。 暗記に苦手感があるけど、テストは一つ一つ、かな。 その他のことは、結論を性急に出さずに決めていったらいいのかな。 ちょっと風邪っぽく、妙に眠い。気をつけよう。 バイト前、ミスドのホットティーで大分生き返る思いをした。暖かいお茶、いい! - フィオナみたいに。 - 2002年10月22日(火) 今朝は映画「about a boy」のシングルマザーのフィオナみたいに、朝からわんわん泣いた。このごろ、夜もそんなふうに泣く日が多い。不安定だ。 病院では、薬を増やすように言われた。季節との関係が指摘され、今後数年観察期間だと言われた。私はテストプレッシャーその他が大きいと思っているのだが、、(治りかけのところに後期で忙しくなったのもあり、疲れてしまっている)それから自分に程よい生き方のペースを見つけるには数年かけていくのがよろしかろうと、、 ともあれ、わんわん泣いてひとまず先に休んで、今から明日の消化器の準備。できるところまで諦めず歩を進めましょうか。 -
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