優しい手紙 - 2002年09月13日(金) このところすこぶる調子が悪いわたしは、こんな手紙を出しました。 「私の方は、八月から上旬、史上初の夏バテを経験し、 下旬になって北海道旅行にいったりして持ち直して来たものの、 最近また調子がよい日があると次の日寝込むという、ばててるんだか なんだか、時間感覚なく眠ることが多い日々です。 もうすぐ試験なのに、、いろいろ身体がついていかなくって。。 自分でもまずいなぁと思っております。 このままなんとか卒業までいけたらいいけど、 いまのままでは無事卒業できるのかなと余り自信もありません。 卒業できた方がいいなとは思うのですが。。 ましてやこれで自分の家庭を持ちたいなど(と切に思っております)、 とんでもない夢物語かもしれません。 なかなか一朝一夕にはね。。 ともあれまずは生活のリズムを取り戻すこと。 明日は第一弾の統計学の試験がありますので、 体調を整えて臨みたいと思っております。 九月とはいえ、暑さが続いています。 くれぐれもお身体を大切に。 」 そしたら、すぐに、 「和歌子さま 少々、お元気がないご様子。 (あなたは素直だからすぐ分かりますよ。) あまり深く考えず、目の前にあるものをこなしてみてください。 そして、一息着ける余裕がある時に、医者を目指すことを決めたとき の、初心に帰ってみてください。 それでも心が疲れているようなら、しばらくゆっくり休んでみて… また、何かを感じられるまで自分と対話をじっくりしてください。 これは、私が私自身にも今言い聞かせていることです。 (中略) 病気って、突然やって来るのですね。今回いろいろまた考えさせられました。 こうやって、人は強くなっていくのでしょうね。 では、健闘を祈る!! 和歌子、ファイト!!私がついてるぞ〜 しかし、身体だけは、ほんと、大事にしてください!! 自分をあまり追いつめないようにね。」 というお返事を頂きました。 文中には、明日は二回目の病理検査の結果を聞きに行くともありました。 この方は、病気のため、休み休み8年かけて大学を卒業されました。 そのあとも身体をいたわりながら、人生を誠実に一生懸命生きておられます。 そして、今回頂いたメールも、ご自分の調子も思わしくないところがおありだろうに、優しさに満ちていました。胸を打たれました。 ついつい、自分の辛さばかり主張して、時に被害者面してしまいますが、 こんなに人に優しくなれるのは、とても生き方が美しい方だと思います。 我が母も、年令と共に丸くなったのか、教師生活の産物か、 笑顔を大切にする優しい人にいつの間にか なっていました。 星の王子様に出て来るバラの花、 そんな貴重な出会いに恵まれていること、ありがとう。 - 9/10&9/11-12 - 2002年09月12日(木) 9/10 青春十八切符の残り一回分を譲ってもらった。夕方、兵庫県立近代美術館で開催中のゴッホ展を見に行く。まぁまぁかな?同時開催のアンリ・ブレッソンの写真展の方が私は好きだったりする。まなざしが暖かいんだよね。 ちなみに美術館付近は公的住宅などが立ち並ぶ、埋め立て地の再開発地域らしく、以前学会で見学にいった、千葉の地名は忘れたが、再開発地域とデザインなど似ていると思った。 9/11-12 日曜あたりからの傾向に漏れず、時間感覚なく眠りこける。自分でもまずいなと思う。ばててるとか疲れているという範疇を超えている気がする。これで、調子を派手に崩さずに6年間で卒業までいけるだろうか? 昨日は授業に出たものの(単調なのもあって)居眠り、家庭教師には行ったが統計の勉強をしようと思いながら起きるとoh my god!!!!!という感じ。 ウツ系の日記にするつもりはないんですが。。 午後から起き出して風呂上がりのキャミ姿で「誰も見ていなかろう」と思いながら窓をあけると大家さんが。。(恥ずかし〜)。「OLさん?」と尋ねられたが学生にしてはふてぶてしかったのか、それとも色っぽすぎた(!???)のか(しかし不定休でない限り昼間にOLさん自宅でお風呂に入ってないぞ。汗)。 慌てて上着を着て、マンションのゴミの片づけのお手伝いをいたしました。私も散らかしてるから声をかけられたのに、逆にジュース代を頂いてしまってよかったのかなぁ。。 それからカウンセリングに行った。今日は話をひたすら聞いてもらうという感じだった。 帰り、テストに備えて文字盤付きの時計を購入。時間感覚が復活することを祈りつつ(ちなみに、頂き物のブランド物の時計たちは、数回にわたる修理にもかかわらず哀れな姿と化しております。。。。)。 それとお気に入りの緑メガネを直してもらったが、どうも今はやりの5000円くらいでできるメガネは、1年くらいしか持たないようにできているらしく、保証期間が切れないうちに、早めに持って来て新調するように勧められた。むうう。 - how to make up my life-style - 2002年09月09日(月) イカン、と思いながら、昨日今日と生理痛を理由にごろごろ眠っている。 学校に行こう。 春クールのドラマ「春ランマン」は、ルームシェアする若い男女の話だった。 一人暮らしが長過ぎたといったら、ルームシェアはどうかといわれ、そしてそれはアイディアだと思うが、もういやだと泣いてしまった。 二度友人と話ガ持ち上がって実現しなかったのと(二回目は実際に不動産を借りかけたのだけど、どう考えても、部屋割りと家賃が私に不利だった。こういうことは、うまく話し合って条件を詰めておかないと。そして問題が生じた時、どう解決するか向き合えるルームメイトじゃないと難しい。)、 二軒間借を経験して、二軒目では大家さん含めて凄くいい関係作れたけど、その時の面子は結婚してるので法律だの愛情だので縛らないとみんないなくなるという恐怖がある。 いや、所詮法律だの愛情だの信頼だのいったところで、永続するもの、それもいい状態で続くもの、ではないかもしれない。ルームシェアで一年だの二年だの区切っての生活を、波乗りするように、その時々楽しめばいいのかもしれない。 何してるんでしょ、私は。 とにかく明日は病院に行こう。 - 週末。 - 2002年09月08日(日) 友人のお引っ越しのお手伝い。大学院生(文系)は資料や本がほんと沢山あるから大変だ。よくぞコンパクトに収納してたなぁと感心する。 家庭教師。文法力をつけようと一から始める気になったらしい。喜ばしきかな。 メーリングリストのオフ会。久々に会う友人達も。 参加の赤ちゃんがこれまた可愛い。そして妙にお姉ちゃんに似てるのだ。 Mr.ドーナッツの景品「先取り秋バッグ」のストライプのトートをゲット。三次会の居酒屋でなぜか集中して採点バイトを終わらす私。 気付けば試験期間がどんどん迫ってる。 北海道旅行で中断した有機をそろそろ再開だな。 - 秋雨の朝 - 2002年09月07日(土) 早いうちにいい人に巡り会って、大事にされてきて、妻となり母となるひとって本当に羨ましい。全て私が経験したことがないことだもん(大いに苦笑とちょっと涙)。いくらしっかり者で高学歴でも私生活が幸せかというとそれは別(しゃーないからブルドーザーよろしく大掛かりに幸せ建設工事するしかないのである)。ったく、自分の幸せになれる能力を信じるしかない(苦笑)。 自分を振ったオトコに、奥さんを愛してあげてね、なんていっちゃう自分にもいい子なんだか心が広すぎるんだか、苦笑しちゃうけど、 少なくとも、オマエに人心を察する気持ちがあるのなら、 私がどんな気持ちで「幸せになってね。奥さんを愛してあげてね」って 言ってるか分かれよ! と、いつもひとりだったふるのわかこさんは朝の雨に思うのでした。 - 戦中派 - 2002年09月06日(金) わたしの青春は、ある意味で戦争でした。 静かな、そして衣食住に飢えることはない、冷たい戦争でした。 っていうほど波乱万丈ではないんだろうけど、ちょっと今日は愚痴こぼすね。 フツーにベタなおつきあいしたかったなぁ(涙)。 旅行はほんと行きたかった(これ又涙)。お前アホかっていわれそうだけど。気は楽なんだけど、いつもA子とばっか旅行ってのも(そしていつもこれがあんたとは最後になりそうな気がする、ってA子がいうのに)ね、でも彼女のおかげで私は自分が人に好かれやすい(って、人としてッて意味で恋愛対象としてッて意味ではないよ)人間だって思えるようになれたんだから、彼女には感謝してるよ。 フツーに指輪とか欲しかったなぁ。 だって男の子達が私にくれるのって本ばっかだもん。花とかもらったこともあるけど、 あれはばらまかれてたしね。 え、学生チックでいい?でも色気なさすぎ(苦笑)。 そりゃ自著とかはかっこいいし、私も鼻高いけどさ。 女としてはもっとねぇ、なんかもうちょっと、こっちを配慮したものが嬉しいわけよ。 なんかさ、いかに「おんな」としてみられてこなかったかっていうさびし〜い、というかさむ〜い学生生活だったんですけど。え、それもキョウトっぽい? オマエ、それでよくいうな、ッて? いいよ〜〜〜だ、ど〜せわたしは1年の時はバンカラに憧れてたから下駄はいてましたよ。超マイペースな学部生やってましたヨッ。 今回はその念願の「かれしいますゆびわ」が、あと一週間くらいで貰えそうだったんだけど(苦笑)、、、 ま、もう終わったんだし、そういうみみっちいことは考えるのはやめよう。 でもね、あんた達がオトコとして扱われていい思いしたいのと同じく、 あたしだってたまにはオンナとしていい思いしたいわけッ。 なんか悪いッ?悪くねーべ、オトコ達よ。 そんなにさ、肩の力入れなくても、それを弱いとかいうんじゃなくて、 生きてける人もいるだろうさ。 でもさ。私のことなんか誰も守ってくんない!!!んだから、強くならなきゃならないのよ! でも同時に、いつも強いのは疲れるんだ!!!!!! なんか悪いかッ! あと、母と妹は私が小さい頃から私が太いとばかりいってた。 この服は着れないわね、ッて。 身なりを整えることは社会生活上相手に不快感を与えないから大切だと思うけど、その身なりが私を縛った。 母といもうとが太いという私は、どんなにどりょくしてもじぶんはブスで お洒落しても無駄なのだと、お洒落で身綺麗な女であることを早晩捨てていた。そしてそれは長い間続いた。 母は、女も自立してなきゃダメよ、私がしてあげられるのはあんた達に教育を受けさせることだけなのよ、と盛んに主張していたが、 同時に身なり云々(容姿とは微妙に違うが、私にとってはたぶんに重なりあう言葉に聞こえた)ということで容姿がどうのというダブルスタンダードで縛っていたような「気」がする。気がする、というのはあくまで気のせいなのかもしれない。 こころを癒す、というか整えていくのは、10年ものかもしれない。 6年前よりあとの思い出: イラン旅行、韓国一人旅、ベトナム旅行、、 教員時代は必死だったから、充実してたとは言えるかな、いい経験だった、 医大合格直後のカンボジアとタイ旅行、人材派遣をとおしての初仕事(生活費ならば何やってもかせいでいけるという自信がもてた。しかし今年の夏は、さすがにコールセンターのは咽にきつくて、派遣通してのしごとも当たりがよければいいけど、そうじゃなかったら医学部マトモにでた方がよさそう、と思うのに一役買った) 初めの二つは、論文があるのに、という後ろめたさが付きまとっていた。 あそっか、そういえば、修士で学術交流会的サークル立ち上げてたこともありました。 その時はちょっとやり手だったのかな。 まじで研究室全部回りそうな勢いでビラ配って挨拶して回ってたしね(あほか)。 3年間くらい、けっこうマトモに機能してたよね、楽しかった。 自分の研究やりながらコミットできればもっとよかったけど。 それも遠い思い出だな。 ++ ちょっと場慣れし過ぎ?? 本業もがんばろ〜。 - 20s - 2002年09月05日(木) 私の気持ちの整理みたいな日記です(全体がそうですが)、 よかったら適当に読み流しておいて下さい。 そして、ほぼこれは、好きだった人に宛てたメールの引用です。 ++ 私も自分の20代をもっと肯定できるようになれたらなぁと思いました。 ++ 去年の今頃、某氏に「自分の過去を認められない、 年令を4、5歳さっぴきたくなる」みたいなメールを送りました。 したらば、厳しいことを言うかもしれないが、 「過去や今の自分を認めてあげなければ、いつまで経っても成長できない」 「過去のことを言い訳にし過ぎている(だったかな?)」と、返事が来ました。 その時、初めて、私は自分の実年令を受け入れられるようになりました。 そして、この話から発展して、どぶに捨てた捨てたと思っていた、その4、5年は、 実は贅沢につかっちゃったんじゃないか、と別の友人に指摘され、 あったことを認めたくなかった文学部の修士時代も、 教員免許も留年したからとれたではないか、 と履歴書上の存在を認められるようになりました。 このようにキャリア上は「修士=暗黒時代」を認められるようになったのですが、 お話したように、情緒面でのその期間を、いまだ肯定できていません。 楽しかった思い出は(ここ1、2年はまだ現在なので未整理。まぁまぁ楽しいのかな) 6年前の夏と秋でストップ(鴨川でのバーベキューや花火と、音羽山ハイキング)。 あとは、過食とウツと図書館で一人で勉強していたことと(すすまなかったことと)、 ・・教職単位は掻き集めていたので教職授業にはまあまあ出てたはずなのですが・・ そんな毎日の思い出ばかり。研究室は敷居が高くて行けなかったので。 人を羨んでも、その人なりの苦労や大変さがあるし、 私がその人になれるわけではないので、せいぜいその人のいいところを 自分も取り入れよう、と思うにとどめるべきなのですが、 ほんとうに、若くてこころが素直な時期に、 自然体で自分が好きな男の子と付き合って、 楽しい時間を過ごしたかったなぁとしみじみ思いました。 彼氏との夏休みとか、旅行とか、経験しときたかったなぁって。 わたしなんて、文学部いた時は・・ってのはどうてもいいとして、 そして、友人とも話すのですが、 今さら言っても仕方ないけど、さっさと彼氏作ってれば今頃結婚して 精神的に大分楽になってただろうねって(ほんと言っても仕方ないけど)、 そして、バランス感覚持って研究も遊びも友情も恋も楽しめた方がキット 院生時代も楽しく勉強もできただろうなって今頃思うのですが(苦笑)、 恋愛は、今も30代になっても40代もそれこそ80になってもできるけど、 子ども産んだり育てたりしたかったら、タイミングに任せて恋愛するより、 結婚目標に相手探しする方が確実なんだよね。。 いくら40まで大丈夫と言っても、女はリミットがある。 (おまけに、研修は休める場合もあるとはっても、 医学部にいる私にとって、忙しくなる時期はある程度読める) もう時間はかえって来ないから。 戦中に青春を送った人間が、戦後の若者を眩しく思うのに似ているかもしれません。 恋愛のプロセスは楽しめないかもしれないけど、 そのかわり、自分の望む生活を明確にしやすいかもしれない。 ++ あと、私はずっとずっと自分が(性格は大学入ってから人好きがするらしいと思えるようになったけど)不細工だと思ってました(女子には小さい時からシビアな問題)。 だから、日記にも書いたことあるけど、6年前、サークルやってて、男の子に ふと「普通ですよ」と言われただけで凄く肯定された気がして嬉しかった。 ここ数年です。親しい人に可愛いと言って貰えるのに慣れたのは。 だから、あなたが可愛いとか美しいだとかおっしゃるのは、甚だ過分でして、、 ++ ただ、やっぱ、暗い院生時代があったから(成果がこれだけだと空しく感じるけど) 「結婚は人生の墓場」と高校生の時言い張ってて、学部時代も キャリアウーマンになるんだ、子どもなんて産みたくねー、と思っていた私が 結婚したいと願うようになり、ついに孤独にたえかねたのもあり、 気遣いあったり、支えあったりすることを素晴らしいと思うようになり、 結婚したい、育児したい、と素直に公言できるようになったかもしれません。 ++ 自分のことばっか書いて長くなってごめんね。 ・・・・・・ その他の事項。 ・今日、相当遅刻していて単位が不安だったので、すでに時数不足のものが何人かいると宣告する英語実習の担当教官に "Sir,may I ask you ..am I already failing this class?" と尋ねたところ、 "It depends on your work..the grade depends on both test and attendance..do you have any reason on being late..I think your English is good.."と。 "Thank you, sir"と答えながら、あたしいちお、高校で英語教員やってたんですけどぉぉぉぉ、と思ったワタクシでした。。 ・久しぶりに学校に来た友人と話せてよかった。 彼女に大分テストの採点バイトを手伝ってもらった。感謝です。 ・日記本体に関連して。母は、そして父も、院生時代私が電話で泣きごとをいう度に「あんたは大学入ってから弱くなった」「ヨーロッパは一人で旅行するんだろうが!海外旅行は勝手に出かけるくせに!」と私を弱虫と責めた。そんなに高校生/学部生の時の私は「強かった」んだろうか。 でも。弱虫と親が罵った私も、責められることではない、とようやく思えるようになった。 ・9月3日の日記中のBMIについて。 健康的な理想値が22らしいです。だからAV女優さんは健康的体型! ・学生しか住んでいないと思っていた我がマンション。 昨晩、50代過ぎと思しきサラリーマンが帰宅する姿を発見!びっくり! - びっくり! - 2002年09月04日(水) ちょっと面白い出来事アリ。 - 女性である事の挿話 - 2002年09月03日(火) 午前中、またもやめまい、学校を休んで眠る。 ほんと、体力つけなきゃ。 夕方起き出してnina ricciのファンデとメイベリン(瀬戸朝香がCMに出てるやつね)のチークでツートーンばかり顔色をアップさせて・・(つるつる素肌を誇って来た??私ですが、さすがに前の誕生日あたりから顔色が気になるようになりました。汗)図書館に行く。 ドアの前に立っておっしゃ、レポート一本カクゾ、と透明なドアの前で足を踏み出したところ、、ふみ所が悪いのか開かない。数秒これを繰り替えしたあと見ると、、なんとなんと休館日ではないか。がーん。 ++ 唐突だが、私は自分が女性である(というかオトナである=成人女性である)ということを受け入れるのに大分時間がかかった。 だから、ナイスバディ−と私を誉める大学院の時の女友達の出現は、ちょっと貴重だったと思う(註:若干ワタクシは下半身が太めで、美人とかそういうタイプではありません)。 確かに、思い起こせば、中三の時、友人が「和歌子、男子が、”古野さん、いい線いってる”っていってたよ」とこっそり耳打ちしてくれた事もあったが、その時私は性格の可愛くないブスなやつと学年の主だった男子に嫌われていると思い込んでいた(真偽の程は分からない)ので、私を嫌ってると思っていたやつらが「いい線いってる」というのはちょっと意外だった。勿論、彼等が「いい線いってる」といってたのは性格じゃなくて身体の方なんだと思うけど。。 実際、この前も初対面のさる殿方に「オトコには美味しい体型デス」と素で言われたように、そこそこメリハリがあると言うか、繁殖向き体型なんだと思う。 とはいえ、繁殖体型だからといって、オトコが引っ掛かるわけじゃない。 性格、行動パターン、その他いろいろなファクターが絡んでくる。 ちなみに、bmiという指標(体重÷身長の二乗)でモデルさん体型は17、女優さん体型は19、AV女優の平均が22というから、男性と女性の好む体型がいかに乖離しているかというのが分かろうというもの。私で20.1ほどなので、さすがAV女優さんはプロ(??)体型だ、負けたっ。 というわけで、すくなくとも概観上は女性だと思うが、身体の変化を受け入れ、心もオトナになるのは時間がかかりましたよ。まったく。 まず初潮なんて、嬉しいどころか、うっとうしいものの始まりでしかなかった。生理なんて、存在を認めたくなかったもんね。中3の時似たような体型の友人が「自分の意思で生理を止めてる女の子」の出て来るマンガの話をなぜかひそひそ私にしてきたことがあったが、彼女の気持ちも何となく分かる。 なんたって、「汚物いれ」とか「汚れる」とかいう関連用語が好きじゃない。血に綺麗も汚いもないですよ。 まあ、今ほとっくにちょっとしたリズムになってるけど。。 これで、始まるのが遅いと、「女の子の日がない!」とか思うわけだから、複雑なものである。 おまけに、うちの妹なんか(今でこそ普通の身長があるが)ずっとちびだったから、子宮その他の成長が遅かったらしく、すっかり成人女性になってから「ずっと子どもの時身体が小さかったから子宮が成長してなかったんだって」と婦人科にかかったあと泣いて電話して来たくらいだ。 だから、うっとうしいものがフツーに始まるのはまぁ有り難い事ではあるのだが、、 ともあれ、身体の変化に加え、自分がオトナの女である事を認める、いや、受け入れてない事に指摘を受けて気付いたのが昨年の秋であり、 そんな私が結婚したい育児したいとそれでも2000年冬あたりから主張し始めたのも妙な事であるのだが、 そして、昨日今日みたいにめまいがして寝込んで学校も行かずに昼間のラジオなんか聞いてていかんなぁと思いながら、 それでもまぁ学生だし、と思い直し、 atmでお金にお金を預けながら望む生活にまでいったい何マイルあるのだろうと秋空に思う、 (というか、昔の同級生が私が結婚育児したいと騒いでるの知ったら仰天するだろうな。。180度方向転換ですよ) 他に何か書くことがあったような気がするが、、 つまり女性性というのは洋服とか容貌とか、、 それはまた後日にしよう。 - non title - 2002年09月02日(月) ちょっと動いただけでめまいがしてぶっ倒れるように眠ってました。 体力つけなきゃ。。 -
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