秋雨の朝 - 2002年09月07日(土) 早いうちにいい人に巡り会って、大事にされてきて、妻となり母となるひとって本当に羨ましい。全て私が経験したことがないことだもん(大いに苦笑とちょっと涙)。いくらしっかり者で高学歴でも私生活が幸せかというとそれは別(しゃーないからブルドーザーよろしく大掛かりに幸せ建設工事するしかないのである)。ったく、自分の幸せになれる能力を信じるしかない(苦笑)。 自分を振ったオトコに、奥さんを愛してあげてね、なんていっちゃう自分にもいい子なんだか心が広すぎるんだか、苦笑しちゃうけど、 少なくとも、オマエに人心を察する気持ちがあるのなら、 私がどんな気持ちで「幸せになってね。奥さんを愛してあげてね」って 言ってるか分かれよ! と、いつもひとりだったふるのわかこさんは朝の雨に思うのでした。 - 戦中派 - 2002年09月06日(金) わたしの青春は、ある意味で戦争でした。 静かな、そして衣食住に飢えることはない、冷たい戦争でした。 っていうほど波乱万丈ではないんだろうけど、ちょっと今日は愚痴こぼすね。 フツーにベタなおつきあいしたかったなぁ(涙)。 旅行はほんと行きたかった(これ又涙)。お前アホかっていわれそうだけど。気は楽なんだけど、いつもA子とばっか旅行ってのも(そしていつもこれがあんたとは最後になりそうな気がする、ってA子がいうのに)ね、でも彼女のおかげで私は自分が人に好かれやすい(って、人としてッて意味で恋愛対象としてッて意味ではないよ)人間だって思えるようになれたんだから、彼女には感謝してるよ。 フツーに指輪とか欲しかったなぁ。 だって男の子達が私にくれるのって本ばっかだもん。花とかもらったこともあるけど、 あれはばらまかれてたしね。 え、学生チックでいい?でも色気なさすぎ(苦笑)。 そりゃ自著とかはかっこいいし、私も鼻高いけどさ。 女としてはもっとねぇ、なんかもうちょっと、こっちを配慮したものが嬉しいわけよ。 なんかさ、いかに「おんな」としてみられてこなかったかっていうさびし〜い、というかさむ〜い学生生活だったんですけど。え、それもキョウトっぽい? オマエ、それでよくいうな、ッて? いいよ〜〜〜だ、ど〜せわたしは1年の時はバンカラに憧れてたから下駄はいてましたよ。超マイペースな学部生やってましたヨッ。 今回はその念願の「かれしいますゆびわ」が、あと一週間くらいで貰えそうだったんだけど(苦笑)、、、 ま、もう終わったんだし、そういうみみっちいことは考えるのはやめよう。 でもね、あんた達がオトコとして扱われていい思いしたいのと同じく、 あたしだってたまにはオンナとしていい思いしたいわけッ。 なんか悪いッ?悪くねーべ、オトコ達よ。 そんなにさ、肩の力入れなくても、それを弱いとかいうんじゃなくて、 生きてける人もいるだろうさ。 でもさ。私のことなんか誰も守ってくんない!!!んだから、強くならなきゃならないのよ! でも同時に、いつも強いのは疲れるんだ!!!!!! なんか悪いかッ! あと、母と妹は私が小さい頃から私が太いとばかりいってた。 この服は着れないわね、ッて。 身なりを整えることは社会生活上相手に不快感を与えないから大切だと思うけど、その身なりが私を縛った。 母といもうとが太いという私は、どんなにどりょくしてもじぶんはブスで お洒落しても無駄なのだと、お洒落で身綺麗な女であることを早晩捨てていた。そしてそれは長い間続いた。 母は、女も自立してなきゃダメよ、私がしてあげられるのはあんた達に教育を受けさせることだけなのよ、と盛んに主張していたが、 同時に身なり云々(容姿とは微妙に違うが、私にとってはたぶんに重なりあう言葉に聞こえた)ということで容姿がどうのというダブルスタンダードで縛っていたような「気」がする。気がする、というのはあくまで気のせいなのかもしれない。 こころを癒す、というか整えていくのは、10年ものかもしれない。 6年前よりあとの思い出: イラン旅行、韓国一人旅、ベトナム旅行、、 教員時代は必死だったから、充実してたとは言えるかな、いい経験だった、 医大合格直後のカンボジアとタイ旅行、人材派遣をとおしての初仕事(生活費ならば何やってもかせいでいけるという自信がもてた。しかし今年の夏は、さすがにコールセンターのは咽にきつくて、派遣通してのしごとも当たりがよければいいけど、そうじゃなかったら医学部マトモにでた方がよさそう、と思うのに一役買った) 初めの二つは、論文があるのに、という後ろめたさが付きまとっていた。 あそっか、そういえば、修士で学術交流会的サークル立ち上げてたこともありました。 その時はちょっとやり手だったのかな。 まじで研究室全部回りそうな勢いでビラ配って挨拶して回ってたしね(あほか)。 3年間くらい、けっこうマトモに機能してたよね、楽しかった。 自分の研究やりながらコミットできればもっとよかったけど。 それも遠い思い出だな。 ++ ちょっと場慣れし過ぎ?? 本業もがんばろ〜。 - 20s - 2002年09月05日(木) 私の気持ちの整理みたいな日記です(全体がそうですが)、 よかったら適当に読み流しておいて下さい。 そして、ほぼこれは、好きだった人に宛てたメールの引用です。 ++ 私も自分の20代をもっと肯定できるようになれたらなぁと思いました。 ++ 去年の今頃、某氏に「自分の過去を認められない、 年令を4、5歳さっぴきたくなる」みたいなメールを送りました。 したらば、厳しいことを言うかもしれないが、 「過去や今の自分を認めてあげなければ、いつまで経っても成長できない」 「過去のことを言い訳にし過ぎている(だったかな?)」と、返事が来ました。 その時、初めて、私は自分の実年令を受け入れられるようになりました。 そして、この話から発展して、どぶに捨てた捨てたと思っていた、その4、5年は、 実は贅沢につかっちゃったんじゃないか、と別の友人に指摘され、 あったことを認めたくなかった文学部の修士時代も、 教員免許も留年したからとれたではないか、 と履歴書上の存在を認められるようになりました。 このようにキャリア上は「修士=暗黒時代」を認められるようになったのですが、 お話したように、情緒面でのその期間を、いまだ肯定できていません。 楽しかった思い出は(ここ1、2年はまだ現在なので未整理。まぁまぁ楽しいのかな) 6年前の夏と秋でストップ(鴨川でのバーベキューや花火と、音羽山ハイキング)。 あとは、過食とウツと図書館で一人で勉強していたことと(すすまなかったことと)、 ・・教職単位は掻き集めていたので教職授業にはまあまあ出てたはずなのですが・・ そんな毎日の思い出ばかり。研究室は敷居が高くて行けなかったので。 人を羨んでも、その人なりの苦労や大変さがあるし、 私がその人になれるわけではないので、せいぜいその人のいいところを 自分も取り入れよう、と思うにとどめるべきなのですが、 ほんとうに、若くてこころが素直な時期に、 自然体で自分が好きな男の子と付き合って、 楽しい時間を過ごしたかったなぁとしみじみ思いました。 彼氏との夏休みとか、旅行とか、経験しときたかったなぁって。 わたしなんて、文学部いた時は・・ってのはどうてもいいとして、 そして、友人とも話すのですが、 今さら言っても仕方ないけど、さっさと彼氏作ってれば今頃結婚して 精神的に大分楽になってただろうねって(ほんと言っても仕方ないけど)、 そして、バランス感覚持って研究も遊びも友情も恋も楽しめた方がキット 院生時代も楽しく勉強もできただろうなって今頃思うのですが(苦笑)、 恋愛は、今も30代になっても40代もそれこそ80になってもできるけど、 子ども産んだり育てたりしたかったら、タイミングに任せて恋愛するより、 結婚目標に相手探しする方が確実なんだよね。。 いくら40まで大丈夫と言っても、女はリミットがある。 (おまけに、研修は休める場合もあるとはっても、 医学部にいる私にとって、忙しくなる時期はある程度読める) もう時間はかえって来ないから。 戦中に青春を送った人間が、戦後の若者を眩しく思うのに似ているかもしれません。 恋愛のプロセスは楽しめないかもしれないけど、 そのかわり、自分の望む生活を明確にしやすいかもしれない。 ++ あと、私はずっとずっと自分が(性格は大学入ってから人好きがするらしいと思えるようになったけど)不細工だと思ってました(女子には小さい時からシビアな問題)。 だから、日記にも書いたことあるけど、6年前、サークルやってて、男の子に ふと「普通ですよ」と言われただけで凄く肯定された気がして嬉しかった。 ここ数年です。親しい人に可愛いと言って貰えるのに慣れたのは。 だから、あなたが可愛いとか美しいだとかおっしゃるのは、甚だ過分でして、、 ++ ただ、やっぱ、暗い院生時代があったから(成果がこれだけだと空しく感じるけど) 「結婚は人生の墓場」と高校生の時言い張ってて、学部時代も キャリアウーマンになるんだ、子どもなんて産みたくねー、と思っていた私が 結婚したいと願うようになり、ついに孤独にたえかねたのもあり、 気遣いあったり、支えあったりすることを素晴らしいと思うようになり、 結婚したい、育児したい、と素直に公言できるようになったかもしれません。 ++ 自分のことばっか書いて長くなってごめんね。 ・・・・・・ その他の事項。 ・今日、相当遅刻していて単位が不安だったので、すでに時数不足のものが何人かいると宣告する英語実習の担当教官に "Sir,may I ask you ..am I already failing this class?" と尋ねたところ、 "It depends on your work..the grade depends on both test and attendance..do you have any reason on being late..I think your English is good.."と。 "Thank you, sir"と答えながら、あたしいちお、高校で英語教員やってたんですけどぉぉぉぉ、と思ったワタクシでした。。 ・久しぶりに学校に来た友人と話せてよかった。 彼女に大分テストの採点バイトを手伝ってもらった。感謝です。 ・日記本体に関連して。母は、そして父も、院生時代私が電話で泣きごとをいう度に「あんたは大学入ってから弱くなった」「ヨーロッパは一人で旅行するんだろうが!海外旅行は勝手に出かけるくせに!」と私を弱虫と責めた。そんなに高校生/学部生の時の私は「強かった」んだろうか。 でも。弱虫と親が罵った私も、責められることではない、とようやく思えるようになった。 ・9月3日の日記中のBMIについて。 健康的な理想値が22らしいです。だからAV女優さんは健康的体型! ・学生しか住んでいないと思っていた我がマンション。 昨晩、50代過ぎと思しきサラリーマンが帰宅する姿を発見!びっくり! - びっくり! - 2002年09月04日(水) ちょっと面白い出来事アリ。 - 女性である事の挿話 - 2002年09月03日(火) 午前中、またもやめまい、学校を休んで眠る。 ほんと、体力つけなきゃ。 夕方起き出してnina ricciのファンデとメイベリン(瀬戸朝香がCMに出てるやつね)のチークでツートーンばかり顔色をアップさせて・・(つるつる素肌を誇って来た??私ですが、さすがに前の誕生日あたりから顔色が気になるようになりました。汗)図書館に行く。 ドアの前に立っておっしゃ、レポート一本カクゾ、と透明なドアの前で足を踏み出したところ、、ふみ所が悪いのか開かない。数秒これを繰り替えしたあと見ると、、なんとなんと休館日ではないか。がーん。 ++ 唐突だが、私は自分が女性である(というかオトナである=成人女性である)ということを受け入れるのに大分時間がかかった。 だから、ナイスバディ−と私を誉める大学院の時の女友達の出現は、ちょっと貴重だったと思う(註:若干ワタクシは下半身が太めで、美人とかそういうタイプではありません)。 確かに、思い起こせば、中三の時、友人が「和歌子、男子が、”古野さん、いい線いってる”っていってたよ」とこっそり耳打ちしてくれた事もあったが、その時私は性格の可愛くないブスなやつと学年の主だった男子に嫌われていると思い込んでいた(真偽の程は分からない)ので、私を嫌ってると思っていたやつらが「いい線いってる」というのはちょっと意外だった。勿論、彼等が「いい線いってる」といってたのは性格じゃなくて身体の方なんだと思うけど。。 実際、この前も初対面のさる殿方に「オトコには美味しい体型デス」と素で言われたように、そこそこメリハリがあると言うか、繁殖向き体型なんだと思う。 とはいえ、繁殖体型だからといって、オトコが引っ掛かるわけじゃない。 性格、行動パターン、その他いろいろなファクターが絡んでくる。 ちなみに、bmiという指標(体重÷身長の二乗)でモデルさん体型は17、女優さん体型は19、AV女優の平均が22というから、男性と女性の好む体型がいかに乖離しているかというのが分かろうというもの。私で20.1ほどなので、さすがAV女優さんはプロ(??)体型だ、負けたっ。 というわけで、すくなくとも概観上は女性だと思うが、身体の変化を受け入れ、心もオトナになるのは時間がかかりましたよ。まったく。 まず初潮なんて、嬉しいどころか、うっとうしいものの始まりでしかなかった。生理なんて、存在を認めたくなかったもんね。中3の時似たような体型の友人が「自分の意思で生理を止めてる女の子」の出て来るマンガの話をなぜかひそひそ私にしてきたことがあったが、彼女の気持ちも何となく分かる。 なんたって、「汚物いれ」とか「汚れる」とかいう関連用語が好きじゃない。血に綺麗も汚いもないですよ。 まあ、今ほとっくにちょっとしたリズムになってるけど。。 これで、始まるのが遅いと、「女の子の日がない!」とか思うわけだから、複雑なものである。 おまけに、うちの妹なんか(今でこそ普通の身長があるが)ずっとちびだったから、子宮その他の成長が遅かったらしく、すっかり成人女性になってから「ずっと子どもの時身体が小さかったから子宮が成長してなかったんだって」と婦人科にかかったあと泣いて電話して来たくらいだ。 だから、うっとうしいものがフツーに始まるのはまぁ有り難い事ではあるのだが、、 ともあれ、身体の変化に加え、自分がオトナの女である事を認める、いや、受け入れてない事に指摘を受けて気付いたのが昨年の秋であり、 そんな私が結婚したい育児したいとそれでも2000年冬あたりから主張し始めたのも妙な事であるのだが、 そして、昨日今日みたいにめまいがして寝込んで学校も行かずに昼間のラジオなんか聞いてていかんなぁと思いながら、 それでもまぁ学生だし、と思い直し、 atmでお金にお金を預けながら望む生活にまでいったい何マイルあるのだろうと秋空に思う、 (というか、昔の同級生が私が結婚育児したいと騒いでるの知ったら仰天するだろうな。。180度方向転換ですよ) 他に何か書くことがあったような気がするが、、 つまり女性性というのは洋服とか容貌とか、、 それはまた後日にしよう。 - non title - 2002年09月02日(月) ちょっと動いただけでめまいがしてぶっ倒れるように眠ってました。 体力つけなきゃ。。 - (non title) - 2002年09月01日(日) バイト日和。午前中家庭教師。飼い猫が雀を捕まえて大変だった。 帰宅してから模試の採点の続き。 うっかり眠ってしまって、夕方新聞社の入力開始10分前に飛び起きる。5分遅刻。。(汗) (今日がこれはラストだったが、辞めるのは勿体無いくらい、じつは美味しかったかも。。実動時間が半分程度だし。。定期の使える範囲内だったし、職場まで自転車でも15分あればいけたし。。) ++ 早くも2回生で調子を崩すのはまずい。 今日も胸が締め付ける悲しみに襲われて、電車の中でぼろぼろ泣いてしまった。さしあたり投薬。ゆくゆく結婚することが答えになるのか分からない。 まずは学校のことをこなす事(やる気無さの証拠か、夏休みがあけてから、まだJRの定期を作ってなかったりする)。 そして、現実逃避か、ほとほと一人がいやなのか(気楽だけど、少なくとももういい、時に危険も感じる、から、理由はどうあれゴ−サインでいいんだろう)、家庭を築けるようになりたい。 家族に限らず、ほどよく人と接するって大事だと思う。 (なんて、小学生の時の引っ込み思案な私なら言わなかった事かもしれない。一人暮らしを経たから心底そう思えるんだろうな。一人は気楽だけど、分かち合う喜びがない) ベビーカー押して買い物したりしたい、フツーの人だよ。 いや、クボジュン的に、何でも手に入れたいのかな。 独りの時間が長かった分、わたしは何か得たのだろうか、優しくなっただろうか。寂しいだけの人生かもしれない。 そんな9月の初め。 - 八月末日。 - 2002年08月31日(土) 今日で八月も終わり。 バイト、家庭教師一件指導最終回。 模擬試験の採点バイト、頼んだ枚数の倍来ちゃったぞ。。 ++ 平岩正樹「がんで死ぬのはもったいない」(講談社現代新書)は興味深い。 - 揺れ・・てる? - 2002年08月30日(金) 朝、昨日から引き続き憂鬱だった。涙がどんどん出てきて、 今日はコアな授業が3つあるから行こうと思いながら動けなくて、 品がないと思いながら調子が悪いのを八つ当たりメールを打って・・そんな日が時折あって気がつけば一月程になる・・ 薬を飲んで眠ってしまった・・(昨日は疲れていたのかなぁ) ++ せめてあと6時間早く動こうよと思いながら、有機化学のレポートを抱えて学校へ。 ++ 電車の中でやんちゃな男の子がいて、ふと涙ぐんでしまう。 愛されてるんだな、と思って。暫く薬で抑えていたのに。 ゆっくりゆっくりでいいから、学校へ行こう。 ++ 孤独力を欠いた若者たち。。私もある意味(??)そうかもしれない。。 一人きりでゴロゴロしている私、そんな私のことも、認めてあげよう。 ダメなやつとかじゃなくて。 そんな時間もきっと貴重なんだ、多分。 わたしはひとりでもやっていける、多分。 でも、何かを誰かと共有したい事だってある、 支えてほしい時もあるし人を支える事もある(甘えてる方が圧倒的に多いのかもしれないけど)。 そう思うのは贅沢だろうか? 友人や周囲の人たち広く含めて、 一緒に過ごせる人を、できうる限り、大切にしていきたい。 それが、一人を辛いと思ったことのある、 弱っちいだけかもしれない私ができる、最高のことかもしれない。 大した事はできないけれど。でも、その分、いろいろな事が大切になる・・ ことを祈って(i hope so) - あなたは何を学びましたか? - 2002年08月29日(木) 試験日程発表、カウンセリング、美容院。 試験日程は結構楽な感じ。 ああ、9月いっぱいで前期パラダイス生活も終わりだ。。 ++ カウンセリングでは、甘えのことなどが話題になった。 それから、甘えたいけど自分の心の中でブレーキをかけてしまう私は、結婚して社会的・法的に甘えられる人を確保しようとしているのではないか、だが、それで本当に心の奥深くで結び付けるかはわからない、心の底で通じ合え無いかもしれないではないか、と問われた。 そうかもしれない、そういう懸念はある、 ただ、結婚という形と、自分が子育てをしたいという点を満たすことならまだたやすいと思う、と答えた。 いろいろ、むつかしい。 いや、難しくない、かもしれないけれど。 ++ 思いが去来して、ふと涙ぐんだ。 暗かった文学部の修士時代(楽しい時期も5分の2?くらいはあったけど)。 恋もなく、うつうつと論文と自分の容姿(本業などで力をふるえていないことが、自分の容姿が醜いという考えに固着してあらわれたのだった)、そして漠然とだけど先行きが気になり、過食とウツと自責の連続。 火事に遭ったというアクシデントは乗り越えられたかもしれないけれど、 論文がダメだった。 常に雲が覆いかぶさるように「論文やらなきゃ」とは気になるから、 ほぼ何ごとも楽しめなかった。 教員免許が取れたのと励ましあえる友人との出会いが収穫だったかな。。 そんな過去の私を急に愛おしく思って「楽になってよかったんだよ」と 抱き締めたくなったのと同時に、 果たして、私は、その経験から一体何を得たのだろう、何を学んだのだろう、どんな成長をしたのだろう、とふと思った。 成長したのだろうか?時間が止まっていただけなのだろうか? 私は人に優しくなったりしたのだろうか。 ++ ダメだ。もうイヤ。独りはいやだ。 カウンセリングで気疲れしたのか、 今日は涙が久々に止まらない。 -
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