2002年夏⇔1996年初夏。 - 2002年07月30日(火) 1996年の5月29日は、greatな日だった。いや、dreadfulな日だった。 (以下、続く) - ひとり。 - 2002年07月29日(月) 他の人はこんなことは気にせず、 私がどん底を見てしまうからかも知れないけど、 一人でいることの恐ろしさは、 つまり見ている人がいないことの恐ろしさは、 いつのたれ死しても誰も気付かず、 そしておかしくなっても、自己管理がしっかりしていない限り、 気付くのがおくれてしまうということである。 誰かといると楽しいとか、プラスになるとか、 あるいは安心感があるとか、甘えられるとか、 そういうこと以前に、 一人でいることは、 どこか生命の危険と裏腹で(だからといって人といれば安心だと言い切れないのだが)、 それが一番恐ろしい。 - お母さんへ。 - 2002年07月28日(日) (後で) - 親の承認/チャンスが与えられる時のために - 2002年07月27日(土) 今日も、バイトの帰り、京阪特急の中で涙がぽろぽろこぼれてこぼれて、止まらなかった。 何に泣いているのか分からなかったけれど。 涙がこぼれてこぼれて止まらなかった。 (以降かきかけ) - 病んでいる。 - 2002年07月25日(木) カウンセリングに行った。 再考を促す意味だと思うけど、 「そんなに甘えたいのか」云々と問われた。 たしかに、私は、自分の人生を前向きに生きることより、 時として甘えたい願望が強くなっていることがある (それでも自分の人生を生きているわけではあるが)。 でも、私が甘えたいとか精神的な安らぎを得体って思うことは 間違ってるわけ??? 無理だ、それより自分でしっかり生きなさいよ、勉強でもしたら、 という声ばかり私には聞こえる。 「猫の恩返し」でも自分の時間を生きろと言っていたけど (しかしそれはかけ声だけで、単に夏休みのアトラクション映画だったように思うけど) バイトしてるくらいしか能がないのかな、 自分の家庭っていうのは無理なのかな(あんたみたいなお子さまには無理だ、と誰もが言いそうな気がする) 私には無理なことなのかな、と思うと、 泣きたくなって、自分を責めてしまう。 甘えても仕方ない人に甘えようとする、そんな私は病んでる。 大人になりきれないだけなのかもしれないし、 他のことで忙しくすればいいのかも知れない(しかしそれは根本的な解決にはならない)。 なんかねぇ、空が青くって、夏休みだな、と思うと、 自分の夢を青い空に描いていようとはもう思わなくて。。夢はどこか日常でしかない、実現/実行するものである、私は平凡に子供の手を引いてお出かけしたい人なんだけどなぁと思うのです。 いえ、それは単に、自分が子供に戻りたいだけなのかも知れません。 子育てしてる時期なんか短いから、 それだけじゃぁ、あと行き詰まる(社会復帰したくなる)だろうことは分かってるんですが、 いったい私の人生って。。。 なにしてるんだろ。 - 猫の恩返し・iBook - 2002年07月24日(水) (後日書きます) - 2002年夏←→1995年夏 - 2002年07月23日(火) 少し前向きな事を。 カルテの翻訳。 前を向いて歩いていれば、きっと、良いことも運も集まってくるさ。 +++++ 6年前、と思いきや、数えてみればもう7年前の事になる。 夏。毎日大量の文献を積み上げて図書館で過ごしていた。 しかしひたすら眠るばかり。 ひたすら素振りをせねばならぬと思想を吸収しようとし、 活動せねばならぬと動き、 結局なにも・・研究という意味で・・形になっていなかった。 茫漠としたようにみえる研究に取っ掛かりがつかめず、 かといって研究への熱意もなく、ただ焦りだけがあった。 もう、どうしたら良いのか分からなくなって、 そして余りにも自分が情けなくて、 つるんでいたひとを前に、わんわん泣いた。 彼は、呆然としながら吐き出す言葉もなくおろおろとしていた。 この人を前に泣いても意味がない、と思いながら、 涙が止まらなかった。 いや、その人を前にして泣いても意味はなかったが、 その人と会う口実がなければ、それこそ引きこもっていたのではなかったか。 あれは陽光の差すカフェテリアの南側だった。 +++ それから10日ほどあとのことだったと思う。 姉妹三人で富山の祖母の家に行った(わたしは乗り合わせるはずの特急列車に乗りそこなったので、駅で落ち合った)。 岐阜の温泉に泊まりに行ったり、宇奈月に寄ったり、楽しかった。 車中で聞いた我が祖先の系譜は面白かった。 そして、富山在住の友人二人と別々に会った。二人とも、共通して、友達がいないとぼやいていたような記憶がある(この閉塞感がなかなかたえがたいのだ)。 恐らく別々の話をしたと思うのだが、それぞれに私は「結婚したい」といった。 別に何のあてもなかったし、(今だって相当の未熟さ加減に辟易しているが) その時だって十分に大人だったわけでもなかった。ただ、もがいていた。 一人の友人とはお店であったので、さすがにおとなしくしていた(と思う)けど、 もう一人の友人は、友人宅にお邪魔していたので、心置きなく、泣いた。 泣いてどうなるものでもない。しかし、泣いた。泣き続けた。何に対して泣いていたのだろうか。心の安らぎを得たいのに何もない、そういう自分野不安定さに泣いたのだろうか。 そして、涙をぬぐい、洟をかんだ。ティッシュペーパーの箱を空にしてしまうまで。 それから私は教員免許を取り、文学部を出て、教職につき、 フリースクールで非常勤講師をしながら受験勉強をし、医学部に再入学した。 しかし、あれから何が変わったのだろう。 当時、先が見えておらず、ただ不安だった、孤独だった、それが耐えがたく、 またそんな状況にうまく対処できておらず、研究は手につかず・・そんな日々がその後さらに続く事になる。 今も・・耐えがたい孤独とまでは言わないかもしれないが、一人でいるのが(弱虫と罵られてもいい。7年前、母も父も、あんたは学生でしょ、つべこべ言わず、ちゃんと学業に励め、といった。私がさびしいというのは・・自分で何とかすべきだったのだろうが、あんたは学生のひとことで無視された。あのとき、「そうね、さびしいわね。つらいわね」と私は言ってほしかったのかもしれない。・・今朝、母は「いままでどれだけキョロキョロしてきたのよ、自分の選んだ道でしょ、心のよりどころをどこに置くか考えなさいよ」といった。おっしゃるとおりです。おっしゃるとおりです。そして、寂しがり屋なところもある私はもっと早くから手を打っておくべきだったのかもしれない、7年前もそうだったじゃないか、と自分を責める。私が悪い、私が悪い、なにもしなかった私が、そして人間的に欠落していた私が、というようには今は考えなくなったし、いまさら過去を問うても仕方ないのは百も承知だ、けれども、ふと思い出すとやはり私が悪いと自分を責めるのだ。私が悪い私が悪い。私が悪い。手を打たなかった私が悪い私が悪い。勉強もがんばりませんでした。かといって進路も迷いに迷いました。責めるのは生産的ではないのは分かっている、そして、誰も、なにも、悪くないのかもしれない、しれない。 7年前と同様、何かから逃げているだけなのかもしれない。 いや、逃げてる、と思わなくてもいいのかもしれない。わからない。 ただ、どちらにせよ、困る、という事はなにかしら変化が(内面的な事にしろ、外的な事にしろ)必要なわけで、活路を、ということか。 +++ 7年前の夏、あれから何が変わったのだろう。私は前に進んだのだろうか。 私はハイデガーのナチス問題の短い論文をいくつか読み、そして 映画の「シンドラーのリスト」や「ショアー」が話題になった夏だった。 - どうしたらいいんでしょう。 - 2002年07月22日(月) カレーを作った。 バーゲンでベネトンの革のスニーカーを買った(ベージュ×赤)。 買い物で、紛らわせてないかい、と思いつつ。 +++++ 女性セブンの記事「高齢出産おいしいとこどり」を読んでちょっと元気が。。 生物的な年齢は明らかにあるけど、高齢出産の人たち、満足度が高いそうな。 自由を謳歌したあとで、出産・育児をひとつのチャンスと捉える、というか。 ただし、育児・出産をシェアしてくれる人は必須、とか(笑)。 (山下久美子は38歳で離婚、41歳でシングルマザーらしいですが。。) まあ、で〜んと構えて体力をつけなさいってことでしょうか。 +++++ 今日は歩いていたら、涙が止まらなくなったので、 このまま歩いてたらマズイとおもって、そばのマクドナルドに駆け込んで、 涙が引っ込むまでアイスコーヒーをすすってた。 暇暇な学生だからできるといえばそうなんだけど。 わたしは本業は今学生で、そこでがんばるべきなんだけど、 先が長いのもあって(分かって入ったんだろ!といわれるとそうなんだけど、 思い立ったときは実行に移したときより数年前だったから気楽に構えてたんだ)、 公私ともどもいろいろ役割がほしいなぁ、と思います。 お気楽とはいっても、いい加減 一人暮しも(学生生活も!?)飽きてしまいました(苦笑)。 うん。学生生活は今本業で、逃げちゃダメなんだけど。飽きたなんて言っちゃいけないし、きっと専門がはじまったら坂を転げるように忙しくなるんだろうけど。 甘いですが、社会人も、家庭生活も、楽しいだけじゃないけど、 汗をかく甲斐はあるのでは、と思うのねぇ〜。 現在を良く生きる事も大切なんだけど。 そして、私は将来への不安が強すぎるのかもしれないけど。変な具合に。 ピークをずらしたいとか、そんな事を思うのは良くないのかなぁ。 もっと、気楽に気長に構えてもいいのかなぁ。 もう何がいいのかわからない、というか 何がいいのかの前に、現実性があるのはなにかわからない。 優しい友人たちは、私が 現状を打開しようとがんばっているとか、 なんとでもなるとか、言ってくれるけど、 どうしたらいいのかわからない、というか 今を生きるしかないのだけれど。 つまり、今をより良く生きるしかないのだろうけど。 私はすごく楽な生活してるのにね。 でも、楽なのと充実しているのとは違う。 もっと若い頃みたいに、死にそう、とは思わなくなったけど、 でも、何してるんだろ。何してるんだろ。 だからといって、実家に戻りたいなんて、絶対絶対思わない。 そしてそれは答えではない。 そして、こんな私は、一生懸命生きてもいない。 何をしているんだろう。 一体、どれだけ2年前、京都に戻ったときから変わったのだろう。 大きな船がゆっくり動くように、 立派な職業につかならなければいけない、とおもわなかくなった事だけは変わったかもしれない(怠惰に暮らそうとしすぎているかもしれないが)。 何をしているんだろう。 何をしているんだろう。 何をしているんだろう。 - ムーバ生活。 - 2002年07月19日(金) 部屋の片付けをしたりしていたら、結構時間がかかってしまった。 ムーバ生活をしている知り合いが東京に行く、車の同行者募集というので、相乗り。ワゴン車で結構快適でございました! すいすいすいと、運転手交代もあったりして、よかった! 翌朝、朝焼けの空がきれいだった。 - 母。 - 2002年07月18日(木) カウンセリングに行った。 学校の事と、相変わらず在学中に結婚したいと思ってしまう事を話した。 そこから母の事に話が移り、一人でいる事がシンドイシンドイと、何年も何年も 他人と密に関わりたいと思っているのに、ずっと母親の決める枠から自由ではなかった・・ 母は自分が家庭・地方都市に閉じ込められており、自分自身社交的では余りなかったのもあり、子どもの人付き合いにいい顔をしなかった、ゆえに、元来身体を動かすのが余り好きでなく、本を読んだり絵を書いたりしているのが好きだった私はあえてウチから出て外で遊ぼうとしなかった・・ だから、自由になりたくて早く(年齢的には早くないけど) 結婚したいのではないか、と指摘を受けた。 そうかもしれず、そうでないかもしれない。 でも、もっと楽に生きていける道があるのではないか、という気もする。 甘えすぎているかもしれないけど。 結婚がそんなにいいものなのか、とも聞かれた。相変わらず、課題の多い私だが、 実のある話が今日は出来たような気がする。 -
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