沢の螢

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効率と人の命(2)
2005年04月30日(土)

前のエントリーに触れたあざらしサラダさんの記事に関して、
<こうした事故を結果的に起こさせたのは我々ユーザだったのでは?
と言うコメントがあった。
私も、同感である。
バスや電車を待っている時の、時間通りに来ないイライラ感は、正直、私の中にもある。
特に、約束の時間があって出かけた時、しかも、出かけるのが、ぎりぎりだったりすると、そんな自分の余裕の無さを棚に上げて、バスや電車を責めたくなるのである。
でも、交通機関を利用するのが、いつも元気で、敏速な人ばかりではない。
足の弱い高齢者、車椅子の利用者、怪我や病気を抱えている人、赤ちゃんを抱いた母親。
その対応のために、遅れることもあるので、5分や10分、待ってもいいという気持ちにならないと、やさしい社会とは言えない。
電車に飛び乗ろうとして、階段を駆け下りてきた人に、突き飛ばされた妊婦が階段を転げ落ち、胎児共々、亡くなった例が過去にあった。
これは、まさしく暴力である。
私も、階段を昇り降りする時は、なるべく端に寄って、手すりにつかまる態勢で歩くが、時に、コワイ思いをすることがある。
また、朝の通勤時間帯に、電車に乗ることがあって、コンコースを歩いていたとき、走ってきた若い女性が、盲人にぶつかり、白い杖を飛ばしたのを、目撃したことがある。
彼女は、ちょっと振り返ったが、急ぐ気持ちが先に立ったのか、そのまま行ってしまった。
幸い、すぐ近くの人が杖を拾ってあげたので、よかったが、これも、時間に縛られたゆとりの無さが生んだ、ひとつの暴力であろう。

私が利用する駅には、道路から駅に通じる階段の脇に、狭い昇り用のエスカレーターが付いている。
広いエスカレーターなら、右側を急ぐ人のために空けておくが、そのエスカレーターは、一人分のスペースしかない。
そこを駆け上ったりすると、前に立つ人は、イヤでも歩かねばならなくなる。
最近、エスカレーター内を歩くのは、禁止になった。
本来、足の弱い人、年配者などが多く利用するエスカレーターで、後ろから急かされると、無理して歩くことになるし、危険も伴うからと言うことであろう。
当然の処置である。
元気な人、急ぐ必要がある人は、広い階段を使えばいいのである。

ゆとりの無さは、交通機関だけでなく、日本社会全体を覆っているようである。
39才になる息子が、家に来た時、いつも言うのは、経済効率を上げ、経費を減らすために、ぎりぎりの人数で、目一杯働いているという、職場の環境である。
実情を訴えても、上層部は、理解がなく、それこそ精神論を振りかざして、説教するだけだという。
「全く、どうしようもないよ」と、時に無力感に襲われるが、そうも言っていられないので、自分の中で、つじつまを合わせて、仕事をこなしているが、まともな時間に帰れるのは、週のうち、1日か二日、時には、土日も、出なければならないという。
あまりのことに、ストライキのつもりで、10日程休み、出勤した日に、直属上司を飛び越して、社長に訴えた。
その結果一人人員を増やしてくれたが、適性を配慮しない配置だったために、「あまり役に立たなくてねえ」と、嘆いていた。
聞いている私たちは、息子が、健康を害さず、何とか気持ちよく、仕事が出来るようになってほしいと願うだけで、何も、手伝ってやれない。
「体だけは大事にしなさい」といいながら、そんな言葉が、何の役にも立たないことを知っている。
この連休、息子夫婦は、休暇を調整して、1週間のハワイ旅行に出かけていった。
成田から電話を掛けてきた息子の声は、明るかった。
久しぶりに得られた、束の間の自由時間。
存分に愉しんで、無事に帰国してくれることを祈りたい。


効率と人の命(1)
2005年04月29日(金)

先日、JP西日本福知山線で起きた列車転覆脱線事故。
亡くなった人たちは106人と言われ、予想以上の大きな惨事となった。
この事故の原因については、車両やレールなどの物理的問題、スピードの出し過ぎとブレーキのかけ方などの人為的問題など、いろいろなことが考えられるが、その究明には、多くの専門家が携わって、結果が出るのは、時間が掛かることであろう。
また、テレビやインターネットなどの関連記事を読むと、日が経つにつれ、事故に伴ったいろいろなことが、明らかになってくる。
事故の詳細については、ここでは、あらためて、繰り返すことはしない。
ブログでも、いくつか取り上げられて、中には大変しっかりした記事、たとえば、あざらしサラダさんの関連記事を参照されたい。

このところ浮上してきたのが、経営的立場から、効率を第一に考える会社の論理と、過密ダイヤの中で極度の緊張とプレッシャーを抱えながら、日々、運転席に立っている、現場の運転士や車掌達の、勤務状況である。
JR西日本では、ダイヤを正確に運行することが、最優先されていて、列車の遅れは、秒単位で、報告しなければならないとか、遅れを取り戻すために、120キロぐらいのスピードで列車を走らせ、ブレーキのかけ方も、神業に近いやり方でするのが、日常的になっていたとか言う話を、覆面で語る現役運転士達の言葉を聞くと、この事故の誘因のひとつには、そうした現場を取り巻く「安全よりもダイヤ重視」という、雰囲気と環境にもあったのではないかと思えてくる。
過去に、列車運行が50秒遅れたために、「日勤教育」なるものを受け、自殺した運転士。
管理職が見張る中で、一時間毎に反省文を課され、その遣り取りの中で、追いつめられていく課程が、日誌に残されている。
今回の、23才の運転士も、一年足らずの勤務の中で、オーバーランなどを起こして、日勤教育を何度か、受けていたらしい。
25日は、40メートルというオーバーランを起こし、遅れた1分30秒を取り戻すために、かなりのスピードを出していたようだ。
1分30秒という時間は、命を賭けるほど重要だったのか。
マンションに激突するまでの、数秒の間に、物理的な原因が生じたのか。
運転士の技術的未熟さだけだったのか。
本人が亡くなってしまったいま、その瞬間の状況は、わからない。
ただ言えるのは、「いつ事故が起こってもおかしくない」と、現役運転士の妻が話していた状況が、長いこと続いており、その中で、運転士達は、綱渡り的な勤務状況をしているという現実である。
もし、今回の事故の原因が、運転士の人為的ミスにあったとしても、運転士一人を責めて済む問題だろうか。
オーバーランを起こしてしまったのは、確かに、ミスであろう。
しかし、1分30秒遅れても、安全な運行の方が大事だという思想が会社の中にあれば、この運転士も、無理な運行はしなかったかも知れない。
経済効率と安全は、両立しがたい面があるようである。
日本の鉄道の、正確なことは、世界に類を見ない。
それは誇ってもいいことであろう。
だが、それが、現場に働く人間の、危険と隣り合わせの操作と判断に委ねられてのことだったとしたら、手放しで誇れるだろうか。
南米で暮らしていた時、電車はおろか、テレビの放映時間も、約束事も、時間通り、予定通りに行かないことが普通になっていたので、日本ではこんなことはないと、よく嘆いたものだった。
子どもが楽しみにしているアニメが、なかなか放映されないので、「なぜ、ここのテレビは、時間通りに始まらないの」というと、「でも、そのうちに始まるんですよね」と言う答が来て、唖然とした経験がある。
しかし、慣れてくると、時間に管理されている社会というのは、ひどく人間的でないと思うようになった。
日本に帰ってきて、厳しい社会だなあと、感じることのひとつは、時間で動いているという感覚である。
その一つの例を、以前ブログに書いたので、リンクしておく。
「待つ」
106人という命、一瞬のうちに奪われた人生と、遺された家族の涙。
「効率よりも安全」と言うことを、社会全体で、考え直さねばならないと思う。


愛妻無罪
2005年04月21日(木)

今日はウン十ウン年目の結婚記念日。
夫が現役の頃は、洒落たレストランで、フランス料理とか、それなりの過ごし方をしたものだが、最近は、家で、ワインで乾杯する程度。
時に、ふたりとも忘れていることがある。
「どこか、食事に行く?」と相談したが、どちらも、あまり積極的ではない。
夫は花粉症で、加えて先週風邪をひき、私も、貰い風邪で、同じ医者におなじ薬を貰って、今朝まで飲んでいた。
そんなことで、出かけるのも億劫ねえと、家で通常に過ごすことになったのである。
夫は、数日前に新しいノートパソコンを買い、それを使いこなすのに夢中で、部屋に籠もっている。
「パソコンは、買ってきた時点では、メーカーが造ったものだけど、自分の手が入った時から、自分のものにしていくんだ」と、可愛くてたまらない様子。
私は、通常の家事をし、最近、気が向いて可愛がっている、鉢植の花に水をやり、食事を作り、午後大学の講座に行った。
帰りに、また、綺麗な鉢花を見つけて、3個ほど買ってきてしまった。
私のは、一つ120円くらいだから、パソコンとは桁違いだが、これも可愛いのよ、あなた。
夫はリタイアして、毎日が日曜日。
「蕎麦を食べながら有意義な話をする会」だの、「シニアが若手を説教する会」だの、「痛飲せず天下国家を論じる会」だの、いろいろな名目を付けて、出かけていく。
「オレの関係は、女がいないから安心しろ」と言う。
そんなこと、わかるもんか。
私は、目下、趣味の連句に掛ける時間が一番多いが、平均週に一度の会合の外に、ネット連句も二つばかり。
連句で出かけていくと、終わってからの2次会にも進んで出るので、そちらの付き合いも、多い。
「オトコも混じってるのよ」というと、「まあ、よく面倒見てもらいなさい」と夫は気にしない。
夫婦で、別々の楽しみと、交友関係を持っているので、お互いのことには、干渉しないようになっている。
「ウン十年もよく続いたわね」というと、「俺は、そんなに長かったような気はしないよ」と夫。
「そうね、昨日結婚したばかりの気分だわね」と返すと、「それはいくら何でも、ないだろう」と夫。
そんなバカ話をしながら、ステーキを食べ、巨人戦を見て、結婚記念日の晩餐は終わった。

今、家では、面白い言葉が流行っている。
昨年のことだが、夫が、私の大事にしていたものを壊した。
勿論、過ちだから、責めることではない。
しかし、「こんなところに置いておく方が悪い」と夫が言ったことに、私はカチンと来た。
「自分の不注意は棚に上げて、それはないんじゃない」と言ったが、夫は、黙って、部屋に行ってしまった。
ずいぶんな人と思い、壊れたものを片付けながら、私は涙をこぼした。
そのまま、気持ちのどこかに、そのことが引っかかっていた。
そこで、今日その話をした。
「あのとき、あなたは私のせいにしたけど、ワザとじゃなくても、まず、ゴメンねくらい言ってもよかったんじゃない」と私は言った。
すると夫は、「謝る先に、君が咎めたから、ああなったのさ」と言いながら、にやりと笑い、「愛妻無罪」と言った。
中国で、反日デモがあり、日本関係の建物や商店が、破壊されたと言うことは、テレビで見た。
おびただしい、石や、瓶や、ペットボトルが投げ込まれ、日本大使館の庭は、すさまじい状況になっている。
見ていると、よくこんなコトできるわねえと、腹が立つ。
当分あのまま、片付けずに、むしろ、全世界に映像を流したらいいのだ。
デモの群衆が、いろいろなスローガンや主張を書いたプラカードや、横断幕を掲げて行進する中に、「愛国無罪」と書かれたプラカードがあった。
「国を愛するが故の行為は無罪である」という意味らしい。
夫は、それに引っかけたのである。
じゃ、あなたはワザと壊したの?
ちょっと、意味が違うんじゃない?
第一に、「反日」に相当する理由がないじゃない?
ヘンな言葉を便宜的に使わないでよ。
あなたは中国人じゃないでしょう?
日本人は、人の物を壊したら、とりあえず謝るのが文化でしょう?
いいながら、内心、おかしかった。
「愛妻無罪」。
やっぱり、この場合の使い方は間違っている。


「北」に帰った日本人妻
2005年04月20日(水)

昨日、いささか胸の傷むニュースがあった。
北朝鮮から脱出、一旦は日本に帰国しながら、2年後に北朝鮮に戻った日本人妻のことである。
彼女は、1959年、在日朝鮮人の夫と共に、北朝鮮に渡った。
21歳、帰還事業で「北」に渡った人たちの中で、いちばん若かったという。
昭和34年という年は、日本に在住する朝鮮人、韓国人にとっては、親の世代から続いて、まだまだ苦労の多かった時代である。
朝鮮籍、韓国籍の人と、日本人との結婚には、困難が伴った。
私の知人にも、そう言う人がいる。
今では、考えられないことだが、明治以後の歴史がもたらした事実である。
それに関して、細かく触れるのは省くが、ともかく、彼女にとっては、日本で暮らすより、北朝鮮での夫との新生活に、希望を抱いたであろうことは、充分想像できる。
どういう風に聞いていたのか知らないが、彼女の話によると、3ヶ月後に里帰りが出来るということだったらしい。
しかし、それは叶わず、ふたりの子供も生まれ、北で暮らすうち、10年後に、夫が政治犯としてつかまり、亡くなった。
幼い息子と娘を抱え、女手一つで生活していくのは、さぞかし大変だったと思われる。
子ども達が成長し、孫にも恵まれて、時が過ぎた2002年冬、彼女は北朝鮮を脱出、中国に渡った。
「日本に一度帰りたかった、日本のきょうだいにも会いたかった」と語っていたという。
そして、どういう経路で、どういう人たちに助けてもらったのか分からないが、2003年1月、44年ぶりの、日本への帰国を果たした。
それから2年あまり、国や支援者の助けを得ながら、生活していたが、突然、北京から、北朝鮮に帰るという話になった。
北朝鮮の当局と思われる人が主催したらしいその会見では、彼女は日本語を使わず、朝鮮語で、「悪い人たちに騙されて、連れて来られた日本から、将軍様の胸に帰るのはうれしい」といいながら、涙をこぼし、最後に「万歳」と言った。
北朝鮮に置いてきた息子は、40何歳という若さで、昨年病死している。
娘や孫と一緒に暮らしたいという気持ちは、本当だろうが、「北」に帰るのは、本当に彼女の意志なのだろうか。
聞けば、中国で、北朝鮮の家族に会わせると言われて、一人で赴いたという。
その結果、何があったのか、北京では期待した家族との再会はならず、「北」に帰ることになってしまった。
曾我ひとみさんのケースを思い出す。
勿論、彼女は、拉致されて「北」に行ったのではない。
しかし、拉致家族の話からもわかるように、あの国で、夢に描いていたような生活が出来なかったであろうことは、充分想像できる。
それは物質的なことではなく、人間の心の自由の問題である。
日本にいる家族との行き来も出来ず、おまけに夫は、良くわからない状況で死亡している。
子どもや孫を残して一人、北朝鮮を出たのは、余程の決意だったと思われるが、それは単なる望郷の思いからだけだろうか。
ともかく「北」を出たい、そして自分の生まれ故郷である日本に帰り、いずれは、子どもや孫達も、日本で一緒に暮らしたいと願っていたのではあるまいか。
中国から、北朝鮮の関係者にしっかりと両手を捕まれて、空港内を去っていく彼女に、何とも言えない複雑な感情を抱いてしまった。
彼女が2年間暮らしたというアパートの部屋は、きちんと整頓され、5,6人が使えそうな数の食器があり、冷蔵庫には、トマトなどが入っていた。
家族に会えると言われて、北京に行った彼女が、間もなくアパートに帰るつもりで出ていったことは、想像できる。
もし、はじめから、北朝鮮に帰るつもりだったら、冷蔵庫のものは処分していくだろう。
部屋には、息子の位牌があり、遺影の写真だけが無くなっていた。
彼女を支援していた人たちには、何も知らされていなかったらしい。
日本での、安全で自由ではあるが、孤独な生活。
置いてきた家族のことが、日夜胸を痛めたであろう。
「覚悟を決めたんだよ。向こうで、自分の家族と一緒に暮らす道を選んだんだよ」と夫は言う。
でも、選ぶと言うことが許されない国で、いわば、家族を人質に取られ、息子の命も犠牲にして、やむを得ず、採らざるを得なかった選択ではなかったか。
むごい話である。
北朝鮮にいる日本人妻は、少なくない。
みな、老境期を迎えている。
その人たちが、どんな状況で暮らしているのか、とても気になった。


男女7人花物語
2005年04月11日(月)

昨日は新宿御苑に花見に行きました。
前日、コイズミさんが園遊会を開いたところです。
急に気温が高くなって、桜が一斉に開花した週末です。
同世代の夫婦5組で、「男女10人××物語」みたいな会を作って、時々いろいろなことにかこつけて、一緒に遊んでいますが、昨日のお花見は、先月から日にちが決まっていました。
春は行事の多い時。
それでも、午後2時、6人が御苑の新宿門に集合して、花見と相成りました。
花見のあとは、近くでいっぱいやりましょうと言うことで、この時間になったのです。
日曜日とあって、家族連れや、若いカップル、グループなど、ものすごい人です。
入場券売り場で並び、やっと入ると、あちこち、シートが広げられています。
まず、温室の熱帯植物を見、それから広い芝生に出て、場所を探しました。
大きな桜の木の下は、すでにいっぱいです。
真ん中の比較的ゆったりしたところに陣取りましたが、昨日は風がものすごく、遮る物のないその場所は、風がもろに吹いてきて、乾杯のビールも、巻きずしも、吹き上げられた芝の葉で、塗された様になってしまいました。
これも風流の内と、みな、芝の葉の入ったビールを飲み、つまみものを食べて、ひとしきり花吹雪を浴びました。
それから広い園内を散策。
行きずりの人たちと、写真を撮ったり、撮られたり。
午後5時、スピーカーが閉門を告げると、花見客達は、シートを片付け、出口に向かいます。
テレビで見たどこかの公園の、夜の風景の様に、酔って狼藉を働くヤカラも居ず、ゴミもポリ袋に入れて、ちゃんと所定の場所まで持っていき、あれだけの人の波なのに、平和で行儀の良い、都心の公園風景でした。
そこから歩いて、予約してあった庶民的なレストランの個室に移りました。
そこに、一人駆けつけて7人。
ほどほどに食べ、ほどほどに飲み、いい機嫌で帰ってきました。
もう更に2次会というトシではありません。
帰宅したのが8時過ぎ。
シャワーで、頭から被った芝生の埃を落とし、さっぱりしたら眠くなり、そのまま夢の中に入りました。
今日は雨。
花はもう半分くらい散ってしまったかも知れません。


ここにもひとり花の客
2005年04月07日(木)

昨日今日の暖かさで、今まで咲き渋っていた桜が、ほころびはじめた。
今日から新学期が始まる都心の大学の、夜間講座に行くために、家を出たが、郵便局に行く用事があるので、いつもより1時間早く出た。
窓口が混んでいると、間に合わなくなるからである。
ところが今日はすいていて、すぐに順番が来たので、用事が済んでも、大分時間が余ってしまった。
そこで、バスのルートを遠回りして、駅より一つ前で降りた。

そこから駅までは、大きな公園に面していて、花見時は、格好の場所になる。
駅まで、歩いて10分ほどだが、そこでも、遠回りして、公園の中を歩いていくことにした。
バス通りから、坂を下っていくと、公園の中に入る。
平日だが、子ども連れの人たちや、買い物がてら花見に来た感じの女性達などで、結構人がいる。
公園の中程には大きな池があり、そこには、桜が大きく枝を伸ばして、満開の時は見事な風情だが、今日はまだ、3分咲きと言うところ。
しかし、池を取り巻く桜の木は、全体がピンク色にふくらんで、開花に向けて、準備が整った風情である。
カメラを向けている人もいる。
多分、満開と思われる今週の土日は、花見の客で、立錐の余地もないほど、賑わうことだろう。
飲み物を買い、時々口に含ませながら、半時間ほど散策し、駅に向かった。
電車に乗り、都心の大学に行く。
大通りを渡り、大学正門に向かって歩くと、右手は、桜の土手である。
ここは五分咲き。
土手の上に植わった桜は、その下の鋪道をアーケードのように被って、ここも、満開の時は見事な眺めである。
土手の上の方から賑やかな声が聞こえるのは、学生達が、早めの花見を愉しんでいるのだろう。
夕方五時。
講座開始には30分早いが、学内にはいる。
教室は正門脇の建物の4階である。
ベランダからちょうど見えるところに、先程の土手があり、見下ろすと、土手に若い人たちが沢山集まって、花の宴を張っているのだった。
下から見るとさほどに見えなかった花が、上から見ると結構な咲き方であるのがわかった。
遠目に、私も、ベランダから、花見の相伴をさせて貰い、教室に入った。
暖かい一日だった。


花冷え
2005年04月04日(月)

「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、春のお彼岸もとっくに終わったのに、まだ朝晩の寒さがあり、暖房が必要なことがある。
世知辛い話で恐縮だが、我が家は15年前の建て替えの時、東京ガスのTESを採用した。
火災の心配のない、給湯式の温熱暖房に切り替えたので、灯油を買ったり、ガスの消し忘れに神経を使うということがなく、快適に過ごせることになった。
当時すでに高齢者の仲間入りをしていた私の親たちが、冬場のストーブの管理に、結構ストレスを感じていたのを、聞いていたので、私たちも、いずれは老年期にはいるし、家は度々建て替えるわけにいかないから、この際将来を見越してと、最先端のやり方を取り入れたのである。
床暖房と、天井からの冷暖房機とで、ストーブのような瞬間的暖かさはないが、直火が出ないので、安全だし、燃料の補給が要らない。
しかし、一つの問題点は、暖房費がかかることで、それは覚悟の上だったが、実際に使い始めて、そのあまりの高さにビックリした。
1月2月の厳寒期は、ガス代だけで月に何万円にもなる。
これではたまらないので、いろいろ工夫して、少し抑えたが、冬は電気代も高いので、合わせると結構な額になり、寒さが続くと、家計に及ぼす暖房費が、気になるところだ。
私は寒さには耐えられる方だが、長年サラリーマン生活をしてきた夫の方は、オフイスの全館暖房に慣れているので、家の中は、寒いと感じるらしい。
暖房を入れるか入れないかで、時々ケンカになる。
しかし、寒さを我慢して風邪を引いても困るので、夫の書斎は暖房フル回転もやむなし、私のいるところはけちけち使うというやり方で、凌いでいる。

家の近くに最近、園芸の店が出来、鉢花などをきれいに並べている。
私は花を眺めるのは好きだが、自分で土いじりをするのが苦手である。
鉢花を見るとほしくなって、買ってきたりするが、面倒見が良くないので、そのうちに枯れてしまう。
そんな空の鉢が庭にごろごろしている。
その園芸の店の前を通るたびに、鉢植えの花を買ってきて、植えようかと思うが、ためらっていた。
先日、その店の若いおかみさんが、店のコーナーに、小さな花壇を作っているところに通りかかった。
色とりどりのパンジーやビオラを、うまく配置して植えている。
つい話し掛けたくなり、「家も、こんな風にしたいんだけど、土いじりがダメで、、、」というと「アラ、植えてあげますよ」という。
材料を決めてくれれば、サービスで植えますという。
1週間ほど考えて、先週頼みに行った。
とにかく家の鉢の状態を見に、来て貰った。
花を植えたい場所を示し、空いたままの鉢を8個ほど集めた。
「わかりました。任せて下さい」と言って、帰っていった。
そして、おとといの土曜日、店の主人が、車に鉢花の苗を積んでやって来た。
その日の午後、おかみさんが来て、鉢にアレンジして植えてくれた。
昨日も、夕方近くにやってきて、今度は庭の2カ所に、花苗を配してくれた。
土をほぐしたり、肥料を混ぜたり、大分手間が掛かったようである。
全部で80個くらいの花苗を植えたらしい。
「最初の約束だから」と手間賃は請求しなかったが、気持ちだけ加えて支払い、南米で買ってきて残っていた銅製のコースターを、一枚プレゼントした。
大きな木ばかりで、彩りのなかった庭と玄関先が、すっかり綺麗になった。
おまかせで、一切手も口も出さなかったので、若いおかみさんも、この家の女主人は、余程こうしたことがダメらしいと、内心あきれたことだろう。

今日は風が強く、やはり少し寒かった。
花冷えである。
プロ野球のシーズンが始まった。


万愚節
2005年04月01日(金)

今日は万愚節、四月バカとも言う。
エイプリルフールといった方が、いいかも知れない。
昨年、贔屓にしているあるサイトが、面白いトリックで、みんなを騙した。
トップページをクリックしたら、「ページが見当たりません」という警告文。
ハテ、削除したのかと思ったが、どうもおかしい。
一見、真っ白なページによく見る警告文ではあるが、どことなく文調が違う。
そのサイトの管理者が、そういうページを作って、その日だけトップに据え、まんまと訪問者を煙に巻いたのだとわかった。
よく読めば、いかにも、ユーモラスに書かれてあって、通常の無味乾燥な警告文ではないから、わかることなのだが、最初はビックリした。
半日ほどして、もとの画面に戻り、掲示板で「ビックリさせてごめんなさい」とあったので、それで一件落着。
質の良いサイトで、訪問者もユーモアを解するレベルの高い人たちだから、シャレで済んだ。
来年は私も、そんなことをしてみたいと、その時は思ったが、私の場合は、ユーモアになりそうにないから、真似するのは止めた。
今の殺伐とした時代、そんなことが、ユーモアにならない可能性もある。
でも、参考のために、あのページのソースをコピーしておけば良かったと悔やまれる。
案外と難しそうで、ちょっと再現できそうにない。
今年も、そのサイトに、何か仕掛けがあるのかと覗いてみたが、二番煎じはやらない考えらしく、いつもの画面のままである。
 
  上官を殴打する夢四月馬鹿   沢木欣一
 
万愚節は季語にはなっているが、あまり良い句がない。
その中で、光っているのが沢木のこの俳句。
太平洋戦争で、悲惨な軍隊経験のある沢木の心に、深く影を落としたものを読みとることが出来る。
平和日本では、戦争による大量死はないし、兵役もない。
その代わり、人を簡単に裏切ったり、騙したり、身近な人を殺したりする事件が多くなり、人の痛みを自分の痛みとして感じることが、少なくなったような気がする。
こんな時代には、万愚節の出番はないのである。



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