沢の螢

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罪なき鳥
2004年03月03日(水)

家の庭には、種々の野鳥が来る。
私は、人間が飼っている生き物は、あまり好きではないが、野生の動物たちは、好きだ。
特に野鳥は可愛い。
冬の間は食べ物がないので、彼らのために、餌を置いてやり、春になって、食べ物が探せるようになると、彼らの生活力を低下させないために、餌台を片づける。
そうやって、野鳥とつきあい始めて、15年になる。
しかし、最近餌をやるのをやめた。
このところの鳥インフルエンザ騒ぎである。
まさかとは思うが、万一、うちに来る鳥たちが、インフルエンザにかかっていた場合、餌をやっていた人間は、責任を免れないだろうと思うからである。
渡り鳥からうつると言われる鳥のインフルエンザが、どのような経緯で鶏に感染し、それが人間にまで、感染するのか、そのメカニズムは、よくわからない。
死亡率も高く、今では、恐ろしい病気になっている。
先日も、京都の養鶏場の鶏が、多数感染して、大問題になっている。
この責任者の、無神経というか、鈍感な態度というのは、ちょっと理解しがたいが、かなりの範囲で、広がりそうである。
まだ人間に被害は出ていないものの、そのうち、そうした例も出てこないとは限らない。
私は、熱い御飯に生卵を掛け、醤油を垂らして食べるのが好きである。
しかし、最近はそれをやめた。
信用できる店で買っていても、その卵が、鳥インフルエンザにかかっていた鶏から生まれた物でないという保証がないからである。
流通手段が進んで、今や、食べるものは、世界中のどこからでも手にはいるようになったが、その分、安全性は、むしろ低くなっている。
生産者にとって、自分たちの作った物が、どこの誰の口にはいるか解らないと言うのは、一体どういう気持ちなのだろう。
私は、食べるものを作る人たちを尊敬するし、そのお陰で、日々お腹を一杯にしていられることを感謝している。
しかし、同時に、顔の見えない消費者に対して、その人達が、どのくらい人間的な気持ちを持てるのかと言うことに、少しばかり、心配をしている。
ある行事に招かれて、ある地方に行ったときのこと。
その地方の人たちは、精一杯私たちを歓待してくれた。
帰るときになって、駅までのマイクロバスに乗り込んだとき、ひとりの奥さんが、箱に詰めたトマトを持って、バスにやってきた。
そしてこういったのである。
「今、畑で採ったばかりのトマトだから、バスの中で食べてください。出荷とは別に、うちで食べる分として作ってる物だから、大丈夫だから」。
みんなは感謝して、その心づくしのトマトを食べた。
もぎたてで、水で洗っただけの丸ごとのトマトは、とても甘くおいしかった。
次々と手が伸びて、駅に着かないうちに、箱の中は空っぽになってしまった。
そして私は、先程の、奥さんの言葉を思い出したのである。
出荷するトマトは、おそらくこれとは違うのだろう。
虫が付かないように、たっぷりと農薬が掛けられ、形が整えられて、出荷される。
それが、どこの誰の手に渡るのか、作った人たちは知らない。
しかし、自分たち家族は、別の場所で、農薬もなるべく使わず、手を掛けて作り、形は、揃っていなくても、安全なものを食べる。
食べる人の顔がわかり、それが大事な家族であってみれば、手間は掛かるが、安全性を考えるはずだ。
私たちは、そのトマトを振る舞って貰ったのであった。
正直で、善良な奥さんは、図らずも、いつも自分たちがしていることを、わたしたちに教えてくれた結果になったのだった。
自分のお客さんには、家族と同じ物を食べて貰おうと思ったのだろう。
今回の京都の養鶏場の人たちも、どこの誰かわからない人の手に渡る鶏だから、あんな風に無責任でいられたのだ。
うちに来る野鳥には、何の罪もない。
「そろそろ餌も探せるだろうから、大丈夫だよ」と夫は言った。
そうあって欲しい。


弥生
2004年03月01日(月)

朝から雨混じりの日。
昨日とは打って変わって寒く、冬が戻ってきたようだ。
昼から霙になってきた。
先週クリーニング屋さんが来たとき、厚めのコートを出した。
「2月がこんなにあたたかいときは、あとからまた寒さが戻りますよ。
こーとなんか、いっぺんに出してしまわない方がいいですよ」と言っていたが、その通りになりそうだ。
寒がりの夫は暖房の部屋にいる。
私は、暖房は点けないが、厚めの靴下をはいている。
庭の紅梅は満開だが、この雨で、かわいそうである。
昨日の梅見が、あたたかい日で良かった。
ともあれ、3月。
花も葉も、色が増していく時期。
今まで風邪も引かずに済んできたが、油断大敵。
人に遅れてウイルスを背負い込まないようにせねば・・。



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