Subterranean Homesick Blues...YANG(ヤン)

 

 

雪 - 2003年12月26日(金)

真夜中にベランダにでると、
雪が降っていた。

まるで、新しい街に引っ越してきた
みたいだ。
見知らぬ世界。

かなうなら、
このまま、
すべてを変えてほしい。




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プレゼント - 2003年12月25日(木)

行けつけのレコード屋が
閉店になることになった。
特別セールがこんな日に重なった
のはまさにクリスマスプレゼント。

こんなにいらないよ。
神様!
でもありがとう。

きっと次の人にもっと大きな
プレゼントにして返して見せるよ。


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TV - 2003年12月24日(水)

おしゃべりなTVは話しつづける。

気まぐれで泣いたり笑ったり、
怒ったり悲しんだり。
俺は聞き上手なふりをして、
だまっている。

おまえのわがままな態度には
ほとほとあきれてしまった。
そして、その変わり身の速さにも
嫌気がさしてしまった。

特にこの時期のはしゃぎぶりには
もう手が追えなくなってしまう。
だから、お前のいない国へ行く
ということになるわけさ。






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来る日も来る日も - 2003年12月22日(月)

朝、8時に犬が吠える。
夜、8時また犬が吠える。
新しい朝がきて、また同じ時間に
犬が吠える。
来る日も来る日も犬がほえる。

目覚ましというわけにはいかない。
何かの合図にもつかえない。

なんとかしてほしいという日々が
続いた。
ある日、何の手立てもなかったが、
その犬の家に行ってみた。
小さかった。
小さな目をしていた。
今にも泣き出しそうな目だった。

その日から、その声は生活の一部になった。



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絵 - 2003年12月21日(日)

その画廊には3メートル近い
絵が飾られていた。
画家は絵に囲まれて、
寒さに震えてる感じだった。
画家とはだいぶ長く
友人としてつきあっている。

その絵は混沌としていて、
彼の今をあらわしているようだった。
けっして世渡り上手でない彼は彼なり
にもがいていて、なんとか世間とおり
あいをつけながら、絵を描きつづけている。

彼は絵をとおして、
見知らぬ誰かに叫びつづけている。



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いたずら - 2003年12月20日(土)

ナイアガラのさらに奥、
源流から今も途絶えることなく
流れてくる清らかな音。
手のひらですくって
口に運ぶ。

遠い昔の音。
すべてがクリスマスソングに
聞こえてしまうロネッツのサウンド。
スペクターの創り出した音は、
この時期にあまりに合いすぎる。

俺の記憶をくすぐって、
いたずらをはじめる。




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変わらぬ光景 - 2003年12月19日(金)

貿易センタービルの跡地に
また、巨大なビルができる。
もっと違う活用法はあったはずだ。
アメリカに対する日本、とても
複雑だ。

日本の街角で、西洋人に英語で
問いかけられる、シンプルなことだ、
ここへ行くにはどういったらいいかとか
そんなことだ。
そして、とまどって、恥ずかしがって、
笑ってごまかす日本がそこにある。
あいかわらずの光景に俺は悲しい
気分になる。


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探しにいこう - 2003年12月18日(木)

ヒップホップが蔓延していて、
気分が悪くなる。
もちろん、その中の一部はいいもの
もある。
音楽のコラージュの安直な方法に
見える。
ポップミュージック自体、コラージュと
はいわれることがある。
新しいものはなく、すべては記憶の中に
ある組み合わせによるものだという。
何がいいのかわからなくなってきた。
数年前はもっと心に届く音楽があった。
俺がいけないのか、それとも時代なのか。
まあ、どちらでもいいさ。
探しに行こう。
動き回ろう。
とどまってはいけない。


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秋も冬もなく - 2003年12月17日(水)

この部屋の暖房はもう初日から
最高にきいていて、
秋がこようと冬がこようと
真夏の状態だ。
俺は、部屋にはいった途端に
Tシャツになる。

俺以外の男も女も暑いという格好ではない。
平気な顔でいる。
どういうことだ。
俺は、暑さに強いからだをつくってきた。
寒さに強いからだをつくってきた。
もう何年も。
俺の野性に餌を与えていたといってもいい。
この都市はいつか消えるという思い、
長くは続いてはいけないという思い、
または、ここから違う世界へいくという思い、
それに備えているからか。
よくわからない。

とにかく、エアコンを切ってくれ、
体温は自分で調節させてくれ。


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かわいいやつ - 2003年12月16日(火)

コンピューターは得意気に何でも
やってくれたり、
だだをこねて何も言わなくなったり、
面倒が見きれないがほっておけない
かわいいやつだ。

そして、時にはお前と俺を結びつけたり
洒落たことをやってくれる。


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ナイアガラ - 2003年12月15日(月)

ナイアガラの血とでも呼んだら
いいのだろうか。

大瀧詠一のまわりに集まった
音楽家たちの作り出した音楽は
特別なものがあったことは
間違いないだろう。

十代だった俺は、その真っ只中に
いてラジオから雑誌からレコードから
すみからすみまで吸収していった。
今では彼らから独り立ちをしたつもり
だが、自分にも同じ血が流れていること
を感じる。

自分のナイアガラはどこへ流れていく
のだろうかと思う。




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陽気な冬 - 2003年12月13日(土)

遅い朝を迎えた。
ラジオからニューヨーク、ダコタアパート
からの12月8日の模様が流れていた。
大勢の人がジョンの曲を歌っていた。

忘れていた。
この時期はいつもせつなくさせられてしまう。

重いからだを引きずって
通りへでる。
まるで春の陽気だ。
街はクリスマスを前に
人でごったがえしている。
どうも頭が冴えない。




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都市 - 2003年12月12日(金)

背負っていたバッグをすてた。
擦り切れた靴を脱ぎ捨てた。
両手をポケットにいれ、
すべて投げ捨ててやった。
携帯電話をアスファルトに
たたきつけてやった。

その巨大な口はどこまで飲みこむつもりだ。
その胃袋は肥大化して、最後にはお前自身を
飲みこむだろう。
だまされたりしない。



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