a Day in Our Life


2004年07月17日(土) 眩暈。(横雛)


 その日は確かに気分が優れないな、と思ったことが多かったのだけれど、夜、家に戻った村上は、ふらりと眩暈に襲われた。初めは気のせいかと思ったのだが、何か動くたびにくらりと頭が回る。症状はじょじょに強まっていき、風呂から上がる頃には立っているだけでも眩む有り様だった。
 「こら、アカンわ」
 一人ごちた村上は、やるべき何もかもを放棄してさっさとベッドに入る。翌日も仕事があるのだし、ここで無理をして明日、使い物にならなくても困る。特に明日は予定が比較的詰まっていて、そうでなくとも、体調不良を訴えることは出来なかった。寝て起きたら直っているのか不安はあったけれど、とりあえず、寝れば多少なりとも改善はされるだろうと、安直に考える。
 ベッドに横になり、目を閉じると今度こそ強烈に頭が回った。
 閉じた視界の中、一面の闇が平衡感覚を失う。見えない天井が回っているような、体ごと落ちていくような浮遊感に襲われて村上は、暗闇の中、無意識に眉を寄せた。もともと重力には強くない。小さな頃は、乗り物酔いをする子供だった。特にカーブが嫌いで、山道など走られた日には泣いて喚いたこともあったという。だから、眩暈のようなこの感覚にも慣れていなかった。じっと耐えてやり過ごすものの、少し頭の位置をずらしただけで何度も同じ感覚に襲われる。吐き気にも似た、気色悪い気分を抱えながら村上は、ひたすらに耐えた。
 すぐに眠ってしまえればいいのに、こういう時に限って眠気は襲ってこない。ゆるゆると目を開けて、暗闇の先に天井を見た。また少し、ぐらりと頭が回る感覚がして、布団を握り締める。
 何か、違うことを考えよう、と思った。意識を別の所に飛ばせばあるいは、僅かでも気は紛れるかも知れない。ゆっくりとまた、目を閉じて、瞼の裏に浮かんだのは横山の顔だった。今一番、意識の近しいところで横山を思う。それで不思議と気分が和らいだ自分を知った。知らず村上は、笑みを浮かべる。むしろヨコが俺のマイナスイオンって、アホらしい。

 気がつけばいつの間にか、眠りに落ちていた。



*****
目を閉じてすぐ、浮かび上がる人。

2004年07月12日(月) エクスタシー。(横雛)


 「おまえは俺を気持ちよくさせるばっかりなん?」
 「…はぁ?」 と、あからさまに眉を顰めた村上は、素早く左右を確認した。
 「何を言い出すの、アンタは」
 こんな所で!と声を潜める村上は、何か誤解をしているようだった。横山はそんなことには気にも留めず、俺ばっかりなん?と繰り返す。
 「おまえが気持ちようはなられへんの?」
 「だから、何をいきなり」
 ますます声を潜める村上は、ブース外のスタッフの動向を気にする。確かに会話だけを聞けば何やら穏やかではない話で、村上にしてみても、横山の質問の真意が読めない。
 「そら気持ちよぅして貰えるんは嬉しいけど、俺かって、おまえを気持ちよぅさせたりたい思うやんけ」
 「いやそれは別に、」
 俺も気持ちええけど、と誤解したままの村上とは、上辺の会話は成り立っていても、根本的に噛み合っていない。
 「俺がアカンのはおまえだけのせいやない言うてんの」
 「ヨコはアカンことないやろ…?」
 そこで、会話の食い違いにやっと気付いたらしい村上が、横山の言いたいだろうことにようやく思い当たった。要するに、さっきの自分の発言が引っ掛かっているのだろう、と当たりをつける。まるで横山の全てを容認したような村上の言い方が、横山は気にかかったのだった。
 「まるで義務みたいに言いやがって」
 「そういうつもりはないですよ」
 「足らんとかそんな言い方すんな」
 「すんません」
 横山の機嫌を損ねるような言い方はしていないと思うのだが、何をそんなに拘っているのかと、村上は小首を捻る。とりあえず謝っておけ、的な適当さは伝わったのだろう、脊髄反射のように出た謝罪の言葉に、横山がすぐ食いついて来る。
 「そうやってすぐ謝んな」
 「ほな、どうしたらええんよ?」
 横山に対して、どう向き合えば彼が喜ぶのか。放置すれば拗ねるし、持ち上げれば嫌がる。そもそも、自分のあり方の問題なのかも知れない、と村上が思い至った時。
 「おまえも気持ちよぅなればええねん」
 「…どうやって?」
 真顔で聞けば、そんなもん知るか、とそっぽを向かれる。その横顔に、そろそろ自らの一方的な言い分を認めて、照れと後悔の色が浮かんで来ていたので。
 村上は内心苦笑いを浮かべながら考える。そうは言っても横山の性格上、自分に対するスタンスが変わるとも思えないし。つい言葉が過ぎる、それが気持ちいいかどうかは疑問だと思う。(というか、それが気持ちいいなら自分はエムだと思う。いやちょっとは…そうかもしれないけど)
 と、いうことは。
 「しゃーないから実践で気持ちよぅさせて貰うしかないなぁ」
 ぽつりと呟いた村上の言葉に、意味を考えた横山が口元を抑えたのを、指さし笑った。



*****
ちょっとした意思誤疎通。レコメンネタ。

2004年07月07日(水) Milky Way。(七夕横雛)


 7月7日。

 今日が七夕だということを教えてくれたのはマルだった。願い事を書いた短冊を笹の葉に吊るすんですよって、マルには年の離れた弟妹がいるから、もしかしたら本当にそういうことをしてるのかもしれない。
 今日がアイツのドラマの初回だということを教えてきたのもやっぱりマルだった。信五さんのドラマ、今日からですよ、もちろん見るんですよね?とちょっと挑戦的な目つきをしたマルに、もちろん見ぃひんわ、って吐き捨てるように返した。実際、見るつもりはなかったし、やって、なんか変な感じやん。人のドラマって。
 随分と前にアイツがドラマに出た時も、やっぱり俺は殆ど見んかったと思う。ドラマって、毎週その時間に見なアカンっていう、一種の強迫観念?そういうんがなんか窮屈で、毎週同じ時間に家におれるわけと違うし、ビデオなんか録った日には録ったことに満足してしまって、まず見返さへん。
 なんやけど。
 あの時とは出るドラマの種類も、アイツの心構えも違うみたいで。妙にリキ入れて撮影に挑んでいるらしいと聞いた。らしい、というのはそのドラマの撮影で忙しくて、最近はろくに顔を合わしていなかったので。もちろん、週一のラジオで毎度顔は合わすけど、打ち合わせもあるし、本番中は当然、個人的に会話を交わすことは少ない。レギュラーの番組もロケが多くて、全員が揃うわけじゃないし、そうなると、バランス的に自分たちが一緒にされることは殆どなかった。仕事は増えているのに顔を合わす機会は減っている。変な話だとは思うけど、それだけ個人の場が広がっているというのは、本来歓迎するべきことなのだろう。
 けれど。
 随分とまともに顔を見ていないな、と思った。横顔や後ろ姿を見ることはあっても、正面からきちんと顔を見ることは少なかった。アイツの顔の配置とか、うっかりすると忘れてるんちゃうのって、冗談が冗談にならないような気がして、笑えなくなった。
 「・・・」
 7月7日。今日の仕事は、早くも終了した。
 この後はロケもない打ち合わせもない取材もない撮影もない。身軽な体。を、どこへ持っていこうと自由だった。
 ふと、思いつく。
 七夕って、織姫と彦星が一年で一度だけ会える日やったんよな。
 最近の自分たちは、まるで遠距離恋愛みたいで。会いたいのに会えない、そんな状態だから、今日くらい会いに行ってもええんちゃうの。
 無理矢理こじつけるようにして、頭の中で理由づける。気持ちを納得させる。
 「…なんでもエエわ」
 自分で自分に言い訳をしても仕方がないのだと悟った。諦めたように横山は、立ち上がった。









 ドアを開けて横山を出迎えた村上は、あからさまに驚いた顔をした。
 「え…ヨコ、なんで?今日、仕事は?」
 もう、お互いのスケジュールも把握しきれていない、そういう小さな事実に気付いて少し傷付く。休み、とだけ言った横山が、本当に休みなのか、それとも自主休日なのか、それすら村上には分かりかねた。
 「まぁええわ…入って」
 多くは聞かずに部屋に通す。突然に押しかけて村上の体が空いているのかどうか、それすらが賭けではあったけれど、タイミングがよかったのか、それともそもそも今日は撮影がなかったのか、とにかく、村上は部屋にいた。久しぶりに目にする顔を、じっと見る。
 「…何?」
 「や。久しぶりやなぁ思て」
 「ついこの木曜に会いましたやん」
 「まぁ、せやけど」
 会う、と逢う、は違うんじゃないかと思う。けれどそんな小さな違いを言葉にして伝えるのは難しくて、結局横山は、ただ黙ってしまう。村上も、全く分からないわけじゃないのでそれ以上は聞かず同じように、静かに口を噤んだ。
 要するに顔が見たかったのだと、それだけなのだ。
 そうすることに理由があるのか、と思う。七夕にかこつけて発作的に来てみたけれど、そんな言い訳も、バカバカしくて言う気にはなれなかった。毎日を忙しく過ごす村上が、今日が七夕だということに、気付いているのかすら怪しいと思う。
 「まぁええわ。折角来てくれたんやし。俺も今日は後なんもないから、ゆっくりしよ」
 言って笑った村上が、腹減ってへん?と聞いてくるのに、言われてはじめてそういえば減っていたかも知れない、と思い当たった。そんな横山にまた笑った村上が、ほななんか作るから待っとって、と立ち上がるのを遮って、
 「おまえに任せたら何出てくるかわからんから、俺が作るわ」
 台所に立とうとする横山の後ろ姿を、若干ムッとした顔で眺める。
 「バカにすんなよ。俺かって料理くらい出来るちゅーねん」
 「出来るんと上手いんとは違うやろ。おまえより俺のがウマイもん作れる」
 「それがバカにしてる言うとんの」
 正直なところ、どっちが作ろうがどうでもよかったのだが、そんなやりとりも楽しくて、ムキになってやりあった挙げ句、結局は二人で台所に立った。最近は番組の仕事で料理をすることも少なくなくなり、触れる機会が増えた分、それなりに様にはなってきたらしい。貧相な冷蔵庫のありあわせだけで、それなりの料理を作り、二人で食べた。テーブルに向かい合って、盛り上がるわけでもなく、淡々と現状報告にも似た互いの話をする。話の端々に出る自分ではない誰かの名前を気にしても、それを言葉にすることもない。
 「ヨコ。今日は帰らんの?」
 ふと窓の外を見遣った村上は、暮れた空を見て、時計を見た。気がつけばもう、8時を過ぎていた。これから家を出たとしても終電にはギリギリ間に合うか、のんびりとしている横山は、今日は帰るつもりはないらしい。
 「明日の入、遅いから。朝イチの新幹線で帰るわ」
 どうせおまえも朝早いんやろ?と問えば、村上は黙って頷く。また、離れ離れの生活に戻るのだ、と声には出さず互いが思った。
 「そういやおまえのドラマ、今日からなんちゃうん」
 まるで今思い出した、というように横山が言えば、あぁ、とか微妙なトーンの返答が返る。
 「折角やから見たるわ」
 言って横山は、もう椅子から立ち上がる。始まりまでは少し時間があったので、テーブルに放置されたままの食器を流しに運びだす。一瞬、何か言いかけた村上は、僅かに逡巡したけれど結局、何も言わないまま横山に続いた。流れ作業で洗って、拭いて、食器を戻す頃にはちょうど、短針が9時を差す所だった。台所を離れてリビングに向かう。それでやっとリモコンを手に取り、テレビを点けた。チャンネルを合わせてリモコンを戻す。クッションを背に座り込む横山を見遣って、その隣に腰を下ろそうとした村上の、腕を掴んだ。
 何?と聞くより先に、腕ごと引っ張られる。勢いのまま横山の体一つ前、足の間に入り込むような形で座らされた。腕は解放されて、そのまま横山の両腕が体に回りこんで来る。
 だって、顔が見たいと言って来たけれど。
 実際に顔が見れたなら、触れたいと思うのは当然のことでしょう?
 後ろから抱きしめるような形で、横山は村上の肩に顎を乗せ、テレビに目を向けた。熱心に見たことはないにしろ、聞き覚えのあるテーマソングが流れて、ドラマが始まる。
 「ぅわなんか、こん中に入っとるん、おまえ」
 聞けば17年もの歴史があるというドラマの、完成されたその場所に、今、腕の中にいる村上が入り込んでいるというのがなんとなく、横山には信じられない気がした。そんな風に言ってみれば、まぁね、と短く返って来る。きっと実際この目で見ても不思議な感じなんやろうなぁ、とぼんやりと待ってみても、いつまでも村上の姿は見えない。
 「…出て来んやん」
 「…まぁね、」
 やって俺、今日、出ぇへんもん。
 サラリと返された。
 「え?」
 「出番。来週からやねん。予告には出るけどな」
 「そぅなん?」
 「ぅん、そう」
 「…なんや」
 わざわざ見に来たのに、と小さくボヤいた声は、至近距離のせいで余さず村上に届く。しまった、と思った時には気持ち後ろを振り返った村上が、驚きの声を上げていた。
 「…そぅなん?!」
 「…………。そぅや」
 こうなっては誤魔化しても無駄か、と横山は、正直に認めた。代わりに腕に力を込めて、完全に振り返ることを許さない。そんな横山の行動に内心で微笑った村上は、前を向いたまま、満足げに笑む。
 「そぅなんや」
 「出ぇへんなら出ぇへんてはよ言えや」
 今までの30分(以上)は何やってん、と顔一つ分後ろで横山がボヤくのに、やっぱり笑った村上が、
 「これ、来週に続くねん。前編見たら後編も見よ思てくれるかな、と思って」
 「アホか」
 そう答えるのにため息交じりに吐かれた横山の呟きは、照れ隠しにも似て。
 「…なぁ、ヨコ」
 「ん?」
 「ホンマはなぁ、嘘か思ったんよ。ドア開けて、ヨコがおった時」
 「何で」
 「やってな、願い事しててん。ほら今日、七夕やろ?やから、」
 天の川に、ヨコと逢えますようにって。
 言った自分の言葉に珍しく照れた村上が、俯くのに顔を寄せた。互いに今、顔を見られたくないのは同じで。だから、必要以上に頬を寄せて。その熱さを実感しながら。
 「・・・・・会いたかった」
 「俺も」
 素直な言葉が口に出る。だってきっと、同じように思ってたから。
 互いの腕と、体の温もり。確かにここにいると感じる。そんなことが、こんなにも嬉しいだなんて。

 
 気がつけばもう、ドラマは終っていた。

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