うなごと
nyauko



 【本当の気持ち】のコト。

本当に親しい人の思い出は
降ってくるモノではなく 
ジワリジワリと染み出て来るモノだと思う

日常の中で ふとした場所で

祖母の引出を片付けていた時
金婚式の時に 私が出した電報や 
今までに私があげた お年玉の袋が何枚も出てきて 
胸が苦しくなる

大事に取っててくれたなんて 知らなかった


冷凍庫にいつも 買い置きしてくれていたアイス
小学生の頃 夏休みに毎日 祖母と見たハイジの再放送
剣道の稽古に行く前に作ってくれた 味噌のおにぎり

祖母にしてもらったことは 沢山覚えているのに

深夜の姉からの電話 祖母の訃報を告げる掠れた声
納棺の時 「こんなことしたくない」と泣き崩れる母の姿
私よりも艶やかな肌 寝顔のように綺麗な冷たい祖母

そういう全てのことも たぶんいつか薄れていく
忘れてしまう 時間の経過と共に それが一番 辛い


結局 祖母にはもう逢えないという事が 真実で

それ以外は 私自身 私の気持ち次第でしかない
残された者は 生きていかなければならないから


人の文句や愚痴を 決して言わない人だった
怒ったりした事も 見たことがない
穏和で いつも自分のことより人の心配ばかりしていた

通夜・葬儀には 570人からお悔やみを頂き
参列して下さったみんなから 惜しまれた


私は 姪や祖父や母を看ながら
どうして此処にいるのか 誰の葬儀なのか
はたまた葬儀ごっこなのか 違和感を感じながら

不思議な気持ちで 祖母の遺影を見つめてた


誰の死も 辛くて 良いモノなんてないけど
自宅で 誰にも迷惑を掛けずに 苦しまずに
あっという間に 亡くなったのだから
良い死に方だったのかもしれないとか

81歳でしたというと 「大往生だったね」と
色んな方から言われて 言われまくって
「そうですね」なんて微笑んでも

本当の本当は そんな訳ないじゃんって
おばあちゃんが死ぬ訳ないじゃんって
大往生って なんだよって 心の中で思ってた

だって元気だったんだから

痴呆もなく 病気もなく
正月に逢ったばっかりで 電話でも話して
いつものおばあちゃんだったんだからさ


頭では解ったつもりでいて 心が 気持ちが拒んでいる
本当の本当は 生きていて欲しかった

祖母の80年の生涯に 私が関われたのは30年だけ
もっと沢山 一緒に居たかったのに な

しつこい性格の私は たぶんずっと
祖母の死を 受け容れられないかもしれない

東京に帰ってきて 写真立てやお香や
祖母が好きそうな 綺麗なグラスを選びながら

なにやってんだろうね なんて


2006年01月25日(水)



 大切な人を失いました

一生忘れられない 1週間になってしまいました。

1/1 私の実家でのお正月。厄年のお札を受取。姉と初売へ。
1/2 夕方帰京。年賀状の返信等。
1/3 21時、祖母から電話。夜中の2時、祖母の訃報。
1/4 実家へ帰省。祖母に逢う。
1/5 祖母の化粧。親戚・来客の応対。
1/6 祖母密葬。
1/7 祖母の家で片付け。来客の応対。夜帰京。


時系列に並べると、上記のようにしか書けません。

まだ正月が明けていないので
通夜・葬儀は 来週12・13日に行う事になり
来週に再び 帰省することになりました。

仕事始めも、そんな訳でまだ始められずにいて。
日記を書こうと思っても、何をどう書いて良いか解らず。
滅茶苦茶な文章で、すみません。

実際に布団に横たわる 祖母に逢っても
部屋の中が お線香の匂いで一杯でも
冷たい祖母に 化粧をしてあげても
旅支度をして 入棺して 煙を見送り
お骨を見ても

家族同然だった 大好きな祖母が
もうこの世に居ないという事が 信じられない。

茶の間のいつもの席に 笑顔で座っている祖母が居ない。

人が一人居ないだけで こんなにも状況が変わってしまう。

状況を受け容れなくてはいけないと
家族全員が皆 必死で毎日をやり過ごしている。

それが今の現状です。

病気もせず、手術も入院もなく
年末年始、毎日逢って話をした祖母が?
1/3の夜21時、私に電話をくれた祖母が?

何もかもがいつも通りで、おかしな事なんてひとつもなかったのに。

検死の結果は「急性致死性不整脈」で
私に電話をくれた、その20分後に こと切れていた事が解りました。

泣いても泣いても、涙は幾らでも出るんですね。

「あの時ああしていれば」という仮定は、キリがないのですが
家族みんながそれぞれに、それぞれの想いで 自分を責めていて。
家族みんながそれぞれに、祖母への想いを持て余しています。


1/3に電話での訃報を受けてから、
ほとんど眠れず 泣くことしか出来ない私を
会社を休んで日帰りで、実家へ送り届けてくれた 夫に感謝しています。
年末年始に 夫婦別々に帰省したいと言った私の我儘を
快く許してくれた事にも。

もし年末年始に実家に帰って
元気な祖母に逢っていなければ
私は一生 後悔したかもしれない。

最後に祖母と話したのが私だと言う理由は 祖母にしか解らないし
そしてそれはとても 重いことだけれど
祖母の声を出来るだけ 忘れたくないなと思うのです。
写真は残っても 声は残せなかったから。


皆様には年始のご挨拶が出来なくて、ごめんなさい。
来週通夜・葬儀を済ませるまでは、祖母を正式に送り出すまでは、
ぐずぐずかもしれませんが、今年もよろしくお願いします。

2006年01月08日(日)
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