Comes Tomorrow
ナウシカ



 松原市立病院廃止へ、背景に医師不足

お隣の市だけども、ここんとこ近所で病院が潰れるという話をよく聞くね。
うちの病院も産婦人科が廃止になり、産科外来も産科病棟も工事が入り、分娩室も新生児室も一般の病棟にリフォームされちゃいました。

ああ〜うちの子2人もここで産んだのに…
悲し過ぎる。

フランス料理にクラシック演奏も聴けるという近所のセレブ産婦人科医院は、高額にも拘らず妊婦さんが殺到していて断られている人もいるとか。
高額でも仕方ないもんね、産める病院がないんだもの。

それに加え、橋下知事の打ち出した改革で、私立中学・高校の授業料値上げもあり、ますます子どもを産み育てていくのが厳しくなってきました。
どないやねん、大阪…いや全国か?


http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008112701000954.html

以下転載
******

赤字累積の松原市立病院廃止へ 本年度中、背景に医師不足

 大阪府松原市が市立松原病院を本年度中に廃止する方針を固めたことが27日、分かった。
施設の老朽化や医師不足から患者離れを招き、病院の経営を圧迫。
約39億7000万円の累積赤字を解消するめども立たないことから存続を断念した。

 中野孝則市長が28日に記者会見し、廃止を発表する。
今後、同病院に入院中の患者約110人の受け入れ先を探す。

 松原市などによると、市立松原病院は1947年、旧松原町に創設された国民健康保険組合直営診療所が前身。
病院本館は62年の建設で、老朽化が進んでいた。

 2001年には38人いた常勤医師の一部を、派遣していた奈良県立医大が引き揚げたことが響き、ことし1月には27人に減少。
内科と小児科で行っていた24時間の救急診療をやめた。

(共同)


2008年11月28日(金)



 初スキャンダル

おお〜出たね、コブクロ小渕さん。
まぁ〜有名になってきたら、いろいろあるもんですわ。
しかも一緒にいたの布袋さんでしょ。
ただでさえ目立つっちゅうの!

小渕さんも、今年は結婚したいアーティストNo.1でしょ?
目つけられるよね。

ほんとのところはどうなのかわからないけど、彼も男だしね。
何とも言えないところ。

20歳という若さで同郷の同級生と結婚したんでしょ。
それで今31歳。
女は奥さんしか知らないなんて…

いいんじゃない。
小渕さんLOVEの私だけど、これも芸のこやしよ〜ってな感じで、私は許せるけど。
いろんな経験して、色恋沙汰もあって、音楽談義もあって、それをまた楽曲作りに生かせたらいいよね。
一ファンとして、私はそう思うけど。

それにしても、シャンパン10杯で酔っちゃったの?
私なら、その3倍はイケルけど♪


2008年11月22日(土)



 今日、妹に会ってきました

入院してから2度目の面会だけど、だいぶ落ち着いてるみたいでした。

入院して数日もしないうちに何度も電話があって、お金を持ってきてほしいとか、着替えを持ってきてほしいとか。
お金も十分に持たせてるし、着替えも何組か持たせてるのに、それでもすぐに電話してきて…
ほんと私のイライラも募ってきました。

(こんなんだったら、カードや通帳預かる意味なかった)
(自宅のカギ預かるんじゃなかった)

あまりに電話が頻繁にあるので、すぐにでも妹に届けて、せっつかれることから解放されたかったけど、結局週末になると、子ども達が順番に風邪引いて熱を出すので行けず。
旦那もずっと仕事が忙しいし、無理だし。

それでようやく今日行ってきたわけですが、随分落ち着いているようで良かったです。
普通に穏やかに話ができました。

親のこととか話しました。
妹はもう冷静になっていたので、『良くしてもらったことしか覚えてない』とは言ってませんでしたね。
こうだったんだよ、ああだったんだよと話して、性的虐待のあったことも、ほんと幼い頃からずっと精神的虐待があったこと話しました。

主にターゲットは私で、特に妹の方へ移ったのが、私が准看護師の資格を取った頃。
24歳で資格とって病院で働き始めて、ほどなく病院の看護師寮に移って。
その後、私は難聴の手術のため1ヶ月ほど入院して、退院してからは実家に戻ったけど、上の進学コースに進み、午前中は病院勤務、午後から学校、週末は夜勤で泊まり。
そんな感じで、家にいる時間はご飯食べて寝るだけ。

その頃でした。
妹が統合失調症を発病したのは。
私が忙しくしてて全然関われなかったことと、徐々に親や家から自立しつつあったことで、虐待のターゲットが私から妹にシフトしていったんですよね。

私はもう完全に親のことは見限ってて、自分の将来のことに目を向け頑張っていたんだけど、そんな中で妹が犠牲になったみたいです。
一緒に住んでいた母からは、酷い言葉の罵り。
離れて暮らしていた父の所に泊まりに行くと、いかがわしい行為をされる。

『もう、パパのとこには泊まりに行かんとき!』

そうやって、妹は逃げ場を失っていったんですね。
私は、まだ学校や仕事や逃げ場所はたくさんありました。
だけど、身体障害のある妹は仕事しても続かず、リハビリも調子悪そうでほとんど行けず、ほっと安心してくつろげる場所がなかったのかもしれません。

宗教活動の場でも、やれ宿業転換だ、人間革命だ、福運を積むんだetc言われる。
そりゃ〜病気にもなるってもんですよ。

妹が
『姉ちゃんも、私にこんな(脳性マヒ)障害があったから、小さい時からしっかりしなさいとか親から言われたりしてしんどかったやろ?
いろいろ我慢させられて嫌やったやろ?』
と言うので

『いや、それはなかった。そんなことは苦に感じたことはなかった。
それより、小さな時からずっと親からイジメられてきたことがな…虐待やよ。
昨日今日、親がおかしくなって、関係が悪くなったんじゃない。
ず〜っと前から、昔からそうやったんやよ』

『そうやったん?そんな親やったん?』
『そうや、そんな親や』

父が書いた同人誌の中身がどんなものであったか…
私が結婚した旦那の方の親に母親がしたこと…

新婚当時、母は姑さんに電話して、散々私の悪口を聞かせました。
そのあまりに酷い言葉ぶりに、姑さん、完全に怒ってしまわれ、『お宅とは縁を切ります!今後一切お付き合いしません!』と言われてしまう。

姑さん、私を庇って…
アルツハイマーになって認知症が酷くなっても、私に母のことでグチグチ言わない姑。
母や父のことで、私は一度も舅や姑から責められたことはなく…
本当に義理とはいえ、初めて味わう親のありがたみでした。

そんなこんなを、かいつまんで妹に話し、まぁ〜調子がいいのか、妹も冷静に受け止めているようでした。
この調子だと、まぁ〜回復してくるでしょう。

『まぁ〜仕方ないよ。あんな親だったのは仕方ないよ。
どうしようもなかったことだし。
これからのことを考えたらいいねん。
過去を振り返ることも時には必要だけど、それは元気になった時に。
気持ちの整理つけるために、吐き出して振り返るのは必要。
だけど無理はせんでいい。
そのことが義務になったらアカンよ』

そんなことを話して帰ってきました。

”仕方ない”という言葉も使いようで、自分がダメだったんじゃない、自分が頑張れなかったわけじゃない、なんで自分はこうなんだろう、じゃなくて、仕方なかったことなんだと認識することで、自分の本来持ってる力を引き出せる。
自分の自信を引き出せる、そういうことが大切で。

だから、現実を見つめ、引き受けて、それで前を向いて進んで行く、そういうことが大切なんです。
どうしようもないことを、どんなに頑張っても報われないことを、自分の責任として背負ってしまわなくてもいいんです。

いらない積荷は捨てる。
いらない重荷は下ろす。
そうやって、自分の力で立ち歩けるように…生きていけるように…

世間の理想に合わせなくてもいいのよ。
誰かと比べなくてもいいのよ。
自分として、どうしていくか?
それを考えて生きていけばいい。

妹はどこまでわかってくれたかな?


2008年11月05日(水)
初日 最新 目次 MAIL


My追加