Comes Tomorrow
ナウシカ



 また自分の足で歩き出せるように…

人から、『いろいろあるのに元気だね〜』と言われる。
確かにそうですね。
意外と元気♪

『いろんなことを乗り越えてきたんだね〜』とも言われるけど、それも冷たいほどに割り切ってきた結果だといえます。

でも、私も悩んだ時期がありました。
自分に余裕がなくて苦しくて、それで子どもに悪影響を与えてるのでは?と考えることも。
でも、私と母は違う、子ども達も私と違う、そういう風に言い聞かせて、一から自分の人生や子育てをやっていくつもりで、その都度、悩みながらも進んできました。

そうやっていくうちに、子ども達が私とは違う育ち方をしてるのを見て、少しずつ自信がついてきたんです。
子育てしてると、自分の子どもの時のことを思い出して辛く苦しくなることもあったんだけど、同じ結果にはならない事実があり(それは良くも悪くもです)、そんなの拘り悩む必要もないかなと思い始めました。
それでも意識はしてしまうんだけどね。

私が一番恐れたことは、私と親との関係で、その歪が子ども達にいくこと。
母と関わり続けることで、私の苦しみはなくならない、ずっとついてまわる、言ってもわからない人です。
私が努力しても、変わらない現実です。
私が心身しんどくなったら、それは即子どもに悪影響を及ぼすと思いました。

私は私のためというよりは、子ども達のために、新しい家族のために、これから来る未来のために、一番何が大切かを考えて、母よりも誰よりも、自分が楽になれる方向、自分の努力がちゃんと報われる方向に焦点を合わせて、それを最大唯一課題としてやってきました。

その結果が今の家庭で、完璧とは言わないまでも、親子関係は良好で、子ども達もイイ子に育ってくれてます。
それが私の心身の健康にも繋がるし、家族全体の幸福も決めると思ってます。

私の考えでは、もう自分は大人なんです、母親なんです。
子ども達には責任があるんです。
もう子どもではない自分。
なら、私を苦しめる親はもう過去の人なんです。
親の力をもう借りなくても生きていける年齢になりました。

子どもに対する責任を果たすために、私は親への責任を放棄しました。
普通は、その両方して当たり前かもしれません。
だけど、それを上手くさせてくれない環境があったのです。
それは誰のせいでもない、親のせいです。

でも今、自分の子ども達に何かあったら…
それは誰でもない親である私の責任です。
誰のせいにもできない。
それが自立した大人の責任であろうと思います。

なので、私には一切罪悪感がありません。
だけど、個人的には私の両親は可哀想だったと思います。
普通に幸福になることができなかった。
でも、それも仕方ないことだと思っています。

子どもでい続けることが困難であるならば、そこは放棄してもいいでしょう。
もしくは、保留して先送りでもいいでしょう。
是が非でも、親のために子どもの役割を担う必要なんかないと思います。

でも、大人になったはずの自分が、自分の中の子どもの部分が泣いている…
癒されず、愛を求め、泣いている…
それは放棄しなくていい。

どうにかして、癒して下さい、愛を与えて下さい、守って下さい。
そこに目をつぶって歩き出そうとしても、それはしんどいし、自分が可哀想です。
自分にとって大切な人が、何よりも大切であるがゆえに、自分のことも大切にして下さい。
また自分の足で歩き出せるように…


2008年09月24日(水)



 『命の別名』

たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みもわかるだろう
けれども人には
笑顔のままで泣いてる時もある

石よ樹よ水よ 僕よりも
誰も傷つけぬ者たちよ

くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を”心”と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

******

これは中島みゆきの『命の別名』という曲の一節です。
名曲ですね。

今日は祭日ということで、子ども達を連れてカラオケに行ってきました。
命の大切さ、伝えていきたいと思います。


2008年09月23日(火)



 これだから嫌なのよ!

「母親の犯行とは…理解できない」 小1殺害、衝撃走る
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080922-OYT1T00299.htm

旦那が帰ってきて、この事件のことをいろいろ話しました。

『犯人、お母さんやってんな。
子ども、障害あったらしいな。
それを苦にしてって言うけど、それやったら自分が死ねばいいのにな』

まぁ〜ここまでは子どもを殺すことはないやろ、それやったら自分が死ぬ方がマシって取れる。
だけど、その後、聞き捨てならないことを言った!

うちの娘と旦那が話していて
『お母さんが殺しちゃったん?』
『そうや、イイ子にしてないと、殺されちゃうねんで』

私は、脳天に挙がる非常に不快な感情を必死に抑えた。
悩ましいのは、この旦那、全然悪気もなく、こういうことを深く考えもなしに言っていること。

こういうこと、今回が初めてのことじゃない!
何度も何度も、それはおかしい!と言って咎めてきた。
ああ〜もう…堪えられない!

どんなに普段優しくてイイ人でも、働き者の子煩悩でも、私はやっぱりこんなことをポロッと言う人とずっと一緒には暮らしていけない。
子育てが一段落したら…


2008年09月22日(月)



 イラムカ危険注意報解除

これでもね、私、昔は穏やかに人の話を聞く方だったんですよ。
聖徳太子って程じゃないけど、いろんな人の悩みや愚痴もウンウンと聞いて慰め励まし、相手が元気に歩み出せるように…

でも、それで自分が鬱病になってしまったのでね。
これではイケンと!
まぁ〜でも自分の感情を我慢せずストレートに出せるようになって、逆に助けられることの方が多くなりました♪

やはり言わないとわからないこともある。
人を大切にしようと思ったら、自分のことも大切にしないといけない。
それができると今度は、人に必要以上に依存してしまう心も無くなりました。

人と人との距離感がわかるようになってきたというか…
私は共依存症だったので。

下の子はまだ5歳だけど、躾は肝心ですからね〜
折れる訳にはいきません。

まぁ〜今回はたまたまいろんなことが重なっただけに見えますが、私のキレ方が尋常じゃないと察した上の娘は、食後サッサと宿題を済ませ、旦那は下の息子をなだめすかしながら夕飯を食べさせ、風呂に入れてくれ、今は皆、リビングでTVドラマを観てますわ。

私はその横でこうしてPCパコパコ。
感情をあらわに出すって、そんなに悪いことじゃないと思っているのは…私だけか♪


2008年09月21日(日)



 イラムカ危険注意報

こういうことって続くとほんと、キレやすくなりますね。

妹の方の諸事情とか…今飼ってる犬を何とかせんといかんのです。
着々と良い方向に動いているのに、妹の頭の中では大ごとになってるようです。
同じ説明をするのも疲れました。

小3の上の子は、昨日の時点で『明日宿題するから、友達とも遊べへんから』と言うので、TVを観ることを許したのに、今日は午前中も宿題をせずTVを観てて、午後からは友達と遊びに行き、夕方は疲れたのか『宿題、明日するぅ〜』とゴネまくり…

日曜は家族で出かけたり、何かと宿題ができない誘惑があるし、どうせ夜は疲れてできないし、『自分からした約束をアンタはできひんのか!』と言って、ゴネる子の宿題を見てやりながら夕飯の支度。
夕飯ができて、『取り合えず、先に食べ』と食べさせてると、玄関がピンポーン。

近所の婦人部の人が来て公明パンフを差し出し、『また選挙があるから、お願いね』
いつもなら適当にハイハイと言って受け取り、すぐゴミ箱行きだけど(もう議論し尽くして疲れたから)、今日はねもう〜『これは要りません、もう応援してませんから。公明党のやってることはめちゃくちゃだし、だいいち信仰を絡めて支援させてること自体、私は嫌だし。どこに入れるかは決めてないけど、その都度考えて入れます!』と言って、さようなら〜

夕飯できて、今度は保育園から帰ってきてすぐ寝てしまった下の子が起きてきて、『ご飯食べ〜』と言うと『これ嫌い、食べられへん〜』とまたゴネまくり…

そうこうしてると、妹からまた電話。
昨日と今朝した話をもう一度、電話で説明。
もう堂々巡りでね…甘え・依存心が出てきてるのよね。

私は、子どもを罵りながら甘えさせて依存させる親みたいなことはしたくないので、手伝うことは手伝う、できることは本人にさせる、責任を持たせるというスタンスで接してるので、キチンと言うべきことは言って…
でも『私は障害があるのに…』何たらかんたら言ってきたので(一時が万事そうなのです、私にだけじゃなく誰に対しても甘えが出てしまうのです)、もうキレてしまいましたわ。

そんな中、旦那が帰ってきて、旦那が犬のことでいろいろ知り合いに当たってくれてしてくれてたので、話をいろいろして、そうして気を取られてるうちに、『ご飯、食べたくない』とゴネてた下の子が、ポテトチップスを勝手に出して食べていて…

『!?…だ・れ・が、お菓子食べていいって言った!』
キレの連鎖は続く…誰か、助けてぇ〜


2008年09月20日(土)



 ナゾの病気「氷食症」

【コラム】 君はバリバリ食べていないか!?ナゾの病気「氷食症」に迫る
http://news.goo.ne.jp/article/r25/life/r25-1122008091208.html

ズバリ私はこれでしょう!
夏でも冬でも、氷は欠かせないという感じ。

最近は、スパークリングウォーターを冷凍庫で凍らして食べています。
これがおいしいのだ♪

私の場合、明らかに鉄欠乏性貧血だし、本当は薬を飲まないといけないほどの貧血なんだけど、副作用で便秘になるのが嫌なので飲まずに頑張ってる。

口内の温度が高いというのも本当。
口の中が熱くて、冷やすために氷を食べるというのも当たってます。
真冬の寒い日でも、氷を入れたお茶を飲んでいたり、氷を食べたりしてますよ。
ちょっと重症かな?

でも、それで水分をよく摂ってるせいか、お肌は年齢よりも随分若いと、こないだお肌のチェックをしてくれた化粧品販売員の人が言ってくれました♪

同じ年齢の人よりも肌のキメが細かく、毛穴もほとんど目立たないと。
それに、皮膚表面のバリアー機能もバツグンにいいと出ました♪
ただ貧血があるせいで、ハリは少ないと出たんだけどね。
それと油分不足。

私は脂っこい食事が苦手で、肉類もあまり多く摂らない方。
食べるには食べるけど、その分、野菜とか多く摂ります。
それがお肌にはいいのかもね。
だから、ニキビなんてほとんど出来たことないし。

ただ、若い頃から日焼け対策はあまりしてこなかったので、シミやホクロが…
若いうちは出ないんだけど、年を重ねると出てくるね、過信してました。
でも化粧で何とか隠してますけどね〜
いつまでも綺麗なお母さんでいたい!
ダイエットも頑張ろう!


2008年09月18日(木)



 トラウマを見つめる作業

最近、子ども時代のこととか、いいことも悪いことも冷静に振り返れるようになったかな。
以前は、それがしんどいこともあった。
なんか現在進行形のような印象があって、頭の中ではそういった場面が何度も再現されてた。
悪夢を見る回数は減っていたけど、不快な感情が渦巻いていて、どうも過ぎ去った出来事のように感じなかったんだよね。

でも今は、もう終わったことなんだな、これからどうするかを考えていけばいいんだなと思えるようになった。
やはりそれは、母が亡くなったことが大きいと思う。
父も3年前に亡くなり、父のこともその時に解消したし。

妹は、今でも時々精神症状が出るみたいだけど、母が生きてた頃よりは自己回復ができているんじゃないかと思う。
重症になる前に、早い段階で回復できているみたい。
そうやって少しずつ回復し、自立・自律へと向かってほしいと思う。

いろいろと書きたいことがある。
思い出したことや、今まで私が知らなかった事実も出てきたりして、こういうことを整理していくことが、これからの私の生き方のヒントになるかなと思うので、少しずつやっていきたい。

まぁ〜ちょっと疲れたので、今は気晴らしをしたい気分だけどね。
疲れやすい季節でもあるし、ここは無理をせず…


2008年09月16日(火)



 忘れられないキャラ

最近よく思い出すのが3歳から10歳まで過ごした街。
大阪の中でも都会の方で、梅田に近かった。
私の両親は喫茶店を営んでいて、1階が喫茶店、2階が住居になっているところに住んでいた。

そこに来る客層は実に多彩で、子どもの私でも知ってるような芸能人がたくさん来ていた。
お笑い芸人がやっぱり多くて、事故で亡くなった林家小染さんとか中田カウスボタンとかB&B(島田洋七・洋八)も来てたね。

私にとっては喫茶店が自宅の玄関で、学校の行き帰りは喫茶店から”いってきます’ただいま”を言っていた。
なので、学校から帰ってくると、そのまま店のカウンターでジュースやおやつをもらったり、そこで座ってお絵かきしたり、常連客に遊んでもらったり、なかにはマジックを見せてくれる人もいたり、ほんと楽しい思い出がある。

あの頃の両親は…
父がDVで、2階の自宅ではよく母を殴って泣かせていたけど、店では客から慕われているマスターだった。
母も、私と妹の手があまりかからなくなると、店に出て手伝っていた。

そんな感じではあったけど、まだあの頃の両親は友人・知人に囲まれて、幸せそうに暮らしていたかな。
特に、父が機嫌よく出迎える親友と呼ぶ人がいて、それが佐藤蛾次郎さんだ。

父は昔、俳優をやっていたことがあって、その頃の同期なんだとか。
父の方はモノにならず、すぐに辞めてしまったらしいけど、蛾次郎さんは寅さんの映画にも出て、もう有名でしたね〜
TVとかでも、よく観てたような気がする。

だけど、店には度々来てくれてて、あのモジャモジャ頭とあの憎めない笑顔で、店内がパ〜っと明るくなってた。
蛾次郎さんが来ると、いつも店の角の方でおとなしく遊んでいる私を『お嬢ちゃん〜お嬢〜』と言って呼んで、『パパママには内緒やで〜』と言って、私の手に100円玉を握らせてくれてた。
『ありがとぉ〜』と言うと、に〜っこり笑って頭をなでなで撫でてくれてた。

実は、私は天パ(天然パーマ)で子どもの頃は特にモジャモジャ頭でね〜
『おっちゃんと一緒やなぁ〜』と言って可愛がってくれた。
でも当の私は、そのモジャ頭がコンプレックスで…でも蛾次郎さんもモジャ頭だし、こんな頭イヤヤとも言えず、引きつった笑顔になってたかも。

今でも時々、蛾次郎さんのことは思い出す。
ネットで見ると、蛾次郎さん、今は銀座でバーをやっているんだね。
先月、東京に行った際に銀座の辺りをうろちょろしてたんだけど、行ってみたい気もする。
たぶん、私の顔を見てもわからないと思うけど、あの時の子どもだって言えば思い出してくれるような気がする。

なんか懐かしさが込み上げてくるなぁ〜
うちの家族が、まだ家族らしかった頃を思い出して…


2008年09月11日(木)



 眼科医がしたがらない手術(オペ)

ある日の午後、午前の診察を終え、うちのドクターは溜まっている病名付けをせっせとこなしていました。
私は、その終了したカルテを片付けていたわけですが、そこで先生がボソッと…

『霰粒腫ね…霰粒腫のオペは誰もやりたがらないのよ〜
霰粒腫のオペは4000円、1割負担で400円。
オペするのに機械も使うし、人件費もいる。
そんなのやればやるほど赤字なのよ。

開業医の先生は、まずやりたがらない。
だからといって大学に送っても怒られる。
でもやれば赤字…病院がつぶれちゃうよ。

日本の医療は本当におかしいよ!』

そうだったのかぁ…
先生のボヤキはご尤も!

それで私もネットで調べてみたんだけど、霰粒腫の保険点数は確かに低い。
低いがゆえに、自費診療で高額取るとこもあるみたい。
なぜに、そんなに低く設定されているのか?

どうも美容のために、霰粒腫ってことでオペする人(医療機関)がいるみたいで、保険を使って美容形成外科手術をしてるわけ?
そういう保険請求が多かったのかな?
それで霰粒腫のオペは点数が低くされちゃった?

まぁ〜そういうのは困るけどね。
でも、真面目にやってる医療機関はどうなるんでしょうか?
必要なオペなのに、やれば赤字。
赤字をたくさん抱えるオペなんか、誰もしたくない。

病院がつぶれたら、それこそどうすんの?
しわ寄せは患者さんに行きますよ。
困りましたね〜ほんと。


2008年09月09日(火)



 偶然という名の運命

2001年夏、私は家族と和歌山のマリーナシティーにいました。
そこで、たまたま遭遇したコブクロライブ。
メジャーデビューしたてで、すごい人気がありましたね。
私もTVでよく観てたから知ってました。

1歳になったばかりの長女を連れて、友達の家族(私と旦那を引き合わせてくれた人)と共に訪れたのでした。
あの時に食べたイクラ丼の美味しさは忘れないし、夜空に打ち上がった花火の音と映像は忘れない。
そして、あそこでコブクロに出会ったことも。

あの頃、私は結婚して4年目で鬱病も克服して、子どもにも恵まれ、やっと1歳の誕生日を迎え、家族でお出かけができるまでになり、ああ〜幸せって、こういうことを言うのかなぁ〜としみじみ思っていたんだよね。

それから和歌山マリーナシティーに行く機会はなかったんだけど、この2008年の夏にコブクロのファンフェスタで再び和歌山を訪れることになるとは!

あれからいろんなことがあって、長女は8歳になり、長男も生まれ5歳になり、私の父が3年前に亡くなり、母が先月亡くなり、今はすっかりコブクロにハマり。

新曲の『時の足音』も歌詞全部覚えてるわけじゃないけど、なんだか今の私の心境にぴったりくるなぁ〜という感じで…感慨ひとしお。
小渕さんも曲紹介でいろいろ言われていたけど、私も本当にそうだよね〜と共感できて、深く染み入りました。

また明日からいろんなことがあるだろうけど、日々大切に生きていけたらいいなと思いました。
妹も、実はちょっと今、病気(統合失調症)が出てきていて、いろいろと大変で…
私は実家の方の学会員さんから責められ…また目の痙攣が始まった!

だけど、負けないんだって…
自分がつぶれないように、妹もつぶれないように…
なるようになるさ、なるようにならないこともあるさ、なんて思いながら…

でも今日、妹から少し落ち着いたと電話があって、やれやれ良かったと…
案ずるより生むが易しって感じで、ほんと良かったです♪
ヤイヤイ言ってくる無理解で無知な学会員さんには、『妹は大丈夫です!』と強い口調で言いました、私。
正直、内心はどうなるかと思っていたんですけど、でも本当にその通りになってホっとしました。

妹を信じてあげよう、妹の力を信じてあげよう、妹は妹の人生がある。
私には私の人生がある。
何かあっても、何がなくても、それは運命なんだ。
今さらね〜右往左往しても、しょうないのよ。
周りがぐちゃぐちゃ言うんじゃねぇ〜

…とボヤいてしまいましたわ。

『偶然という名の運命〜そんな出会いだからこそ〜』
生で初めて聴いたぁ〜良かったぁ〜♪


2008年09月08日(月)



 おっニュースになってる♪

コブクロ10周年、凱旋に2万5千人
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080907-00000023-dal-ent

行ってきましたがなぁ〜和歌山♪
チケットも現地会場でちゃんと頂き、やれやれでした。
でも、チケットが無事もらえるかどうか不安だったので、ポルトヨーロッパとか寄っていくどころではなかったけどね〜

でもまぁ〜今までにないぐらい感動したライブでした。
私の大好きなインディーズ時代の曲をたくさん歌ってくれて、『手紙』→『心』→『遠くで・・』の辺りでは、涙がホロリ。

最近の歌もいいけどね、やはりコブクロは路上出てた頃に歌ってた曲が本当にいいね♪
みんな、しんみり聴いてたね。

この日は、バンドを外して2人だけで歌うことも多く、シーンと会場が静まりかえる中、2人だけの歌声とギター、ハーモニカが響く。
ほんと嫌なことも何もかも、吹き飛ばしてくれました、元気をもらいました!

『遠くで・・』もまさか歌ってくれるなんて!
これは『蕾』の元歌みたいなもので、小渕さんの亡くなったお母さんのことを思って歌われています。
最近のライブでは聴かれなかった歌。
命日が近かったし、10周年だったからかな?
この日は『蕾』を歌わなかったので、その代わりだったんでしょうか?

私自身、こういう感情を持てないでいるので羨ましくもありますが、でも嫌な感じでもないんです。
それはたぶん、心から正直に母への思いを綴っているからでしょう。
それがTV番組などで、いかにもお涙ちょうだいの”お母さん、ありがとう”番組はほんと好きじゃないんだけどね。

会場には、小学生から60代?70代?と思しき年代の方も来てたので、ほんとファンの年齢層が広いなぁ〜と思います。
私も体の動く限り、行きますわよ!

未だに余韻に浸って、ウルウルしてるけどぉ〜


2008年09月07日(日)



 なぬっ!チケットが届かない!?

いよいよ3日後に迫ったコブクロファンフェスタですが、チケットが届かない!
根気よく2日まで待ったけど、さすがにヤバイんじゃないかと思って、eプラスに問い合わせ。

3日の今日、EMTGに問い合わせするも返答がないと!
えぇー!
EMTGカードは早くから届いていたんで安心してたのにィ〜

で、EMTG側からメールが…
『お客様におきましては、手違いにより、チケットをお届けすることが出来ない状況でした』
えぇ〜?

で、当日会場での手渡しになると…
おいおい、信じていいのか?チケット本当にあるんだね?

ほんと最初から最後までトラブル続きのシステムですね〜
人間のやることだと思って、私も穏便に見守ってきましたが、やっぱりあり得ないですよ、これは…


2008年09月05日(金)



 なんか変かな、私?

私がここんとこ色々書くものだから、心配して下さっている人もいるようです。
生まれてきたことに感謝できていないと思われていたり、生きている喜びを感じてないかのように思われていたり…

私は、この世に生を受けたことを本当に良かったと思っているし、感謝もしているし、生きている喜びも感じています。
決してやせ我慢してるわけでも、無理やり思い込んでいるわけでもなく。

確かに、普通に愛情を受けて恵まれて育った人とは違うかもしれない。
何度も親に罵られ、そういう記憶が見せる夢(親から殺される夢、暴行される夢)を見て、何度となく死のうかと思ったこともあります。

だけど、私は生きていくことを選択したから、こうして生きているわけで。
親の愛情を求め続けて、その幻想の中で生きていくこともせず、現実をちゃんと受け入れた上で、苦しみも喜びも感じながら生きているわけで…

それを生まれてきたことに感謝してないとか、生きている喜びも感じてない可哀想な人と思われているのは、ちょっと違うよと言いたい。
私は私の人生として、全てと言ったらちょっと大袈裟かもしれないけど引き受けて、覚悟と諦めと希望と夢と、そういうものを持って生きているつもりです。

私が他の誰かの人生を生きれるわけじゃないし、他の人が私の人生を生きれるわけがない。
そんなの当たり前のことで…

正直、他の人を見て羨ましいと思ったことありますよ。
だけど、私の人生じゃない。
過去の出来事をなかったことにはできない。
忘れることもまぁ〜私にはできなかったね。

でも、私はそれで良かったと思ってる。
幻想の中で夢見ながら生きていくことも、クヨクヨいじいじ生きていくのも、ちょっと面白くない。
面白くないのは、生きていくのが嫌になりますよね。
どうせなら面白い方がいい。

上でも下でもない自分。
そういう自分、悪くないと思う。
だから面白い。

これから何があるのか、どうやって生きるのか、どうなって死ぬのか、それはわからないけど、不安が全くないわけではないけど、これまで通り、精一杯自分を引き受けながら生きていくのさ。
ジッタバタしながらね〜

なんか変かな、私?


2008年09月04日(木)



 こういう母子関係もあるのです

母が亡くなってから、妹と話す機会が増えた。
実家の整理のこともあるけど、やはり母の存在が私たち姉妹の壁になっていた。
それが取り払われて、私は正直嬉しく思っている。

倉庫の整理をしていて見つけた物で、ちょっと疑問に感じていたことがあったので聞いてみた。
埃まみれの倉庫の中にエンシュア(総合栄養剤)が何缶かあった。
食事を取れなくなった母のための物かと思ったけど、それにしてはなんで自宅ではなく倉庫に?

『それ、私のやよ』
聞くところによると、妹が母と激しく衝突し、食事を取ることを拒否していた時に(5〜6年前)、精神科から処方されていたものらしい。
そこまで…
5〜6年前というと、私は下の子を妊娠していて切迫早産で入退院を繰り返していた頃…知らなかった。

『最近はすごく調子いいねん。
先生(精神科医)の話では、私はそんなに悪くないらしい。
環境が悪かったからね…』

やはりそうか…
母が生きている時は、何度も精神科に入院していた妹。
言動も度々おかしくなっていたし、救急車で運ばれることもたくさんあった。
精神科医も役所の福祉課の人も保健福祉士も保健師も、みんな口を揃えて言っていたのは『家を出た方がいい』

私も何度も妹に家を出るように説得し、私の家に来るようにとも言ったことあるけど、妹は出れなかったのよね。
母からの呪縛が酷く、出たくても出れなかったみたい。

割と早く死んでくれて良かった。
そうでないと、妹の方が先に死んでいたよ。
死ぬ直前まで、自己反省もすることなく逝ってしまった母。

『死んでくれて、ありがとう』
それだけ言っておくよ。

こういう母子関係もあるのです。
世の中には…


2008年09月03日(水)



 夏休み最後の日

家族でコブクロを食べに行ってき…じゃなかった、焼肉を食べに行ってきました♪
いやいや、コブクロは食べ慣れないので食べなかったんだった。
自分を食べるようで、なんかね、気乗りもしないし。
でも、いつか挑戦してみよう!

そうそう、今日はケーブルTVでコブクロ5296ツアーの模様が21時から放送されるので、ビデオをセットしなくては!
来週土曜には、コブクロのファンフェスタがあるし、ドキドキしてきたなぁ〜♪

2008年09月02日(火)



 医療現場で使う”事故”という言葉

医療の現場で”事故”という言葉を使う場合、たいてい医療過誤の意味合いを持つと思います。
”医療事故”=絶対あってはならない事柄。
だからこそ、徹底した確認作業と技術の鍛錬を心がけるわけですが、それでも起こってしまった場合は事故調査委員会を院内でも持ったりします。
そして全職員に通達します。
勉強会も度々します。

つい最近も、採血針の使い回しが問題になってましたけど、私はそんなことやったことないから信じがたいことなんだけど、使い回してる自覚なくやってたんですよね?
器具の問題もあるけど、これは間違いなく医療事故=医療過誤でしょう。

ありえねぇー!という感じですが、そういう事態を受けて、うちの病院も徹底した消毒・滅菌をしようということで、採血ホルダーを1回1回消毒することになりました(他の病院はどうしてるんかな?ディスポ注射器なら問題ないけど)
採血ホルダーは、直接患者さんに刺す針と違うとはいえ、やはり使い回しは万が一ということがあるから、慎重にするべきでしたね(一般の方にはわかりにくいと思いますが)

うちは特に眼科で”はやり目”の患者さんとか来るし、術後の患者さんも診るので、徹底的に消毒します。
ある病院で、消毒液を何倍にも薄めたものを使ってて、院内感染を引き起こした事件があったけど、これもありえねぇー!

うちなんか、わざわざ消毒液(アルコール)を何倍も濃くして使ってるんですぜぇ〜旦那ぁ〜(時代劇風になってもうた)
そうでもしないと、失明する患者さんも出てくるんで、責任重大です!

こないだも、眼圧測る前にさす点眼薬の細菌培養を出したんです。
私ら看護師がいろいろ調合して作る点眼薬なんで、これで菌が少しでも出たらエライことに!
ちゃんと清潔操作して作ってるから大丈夫だろうとは思っていたけど、結果が出るまではドキドキ!

昨日、その結果が出たんですが、全て(−)ふぅ〜良かった♪
これからも気を抜くことなく、くどいぐらいに慎重にいきますわ。


2008年09月01日(月)
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