Comes Tomorrow
ナウシカ



 今年は書く気がしない

もうクリスマスも済んだというのに、まだ年賀状を用意していない。
いつも自分個人の年賀状だけでも、最低100枚は用意するのに、今年はまだ買ってもいない。
そんなだから、旦那の分も用意してません。

毎年この時期になると、年賀状を書くためにアドレス帳を開いてみるんだけど、仲良かった友達と1年以上会っていないことに気づいてしまったり、全くの疎遠になっているのに、アドレスにはしっかり残っていたりと、物悲しさがふと込み上げてくる。
…と言うと大袈裟だけど、昔みたいに、しょっちゅう会って、おしゃべりしたり遊びに行ったりということが、本当に減った…と言うより無くなった。

年賀状だけの付き合い、それすらもない付き合い(出しても返事なし)、そんな形だけのものでいんだろか?と疑問に思い始めてる。
せっせせっせとマメにやってきた方だけど、年賀状しかり電話しかり、会おうと誘ったり…
でも年々疲れてきました。
何のために私は、人と繋がろうとしてきたのだろう?
本当に仲良くしたかったのか、会いたいと思ってきたのか、それすらもわからなくなってきて…

自宅にも、よく友達家族を呼んで食事なんかもしたけど、最近はめっきりしなくなった。
お呼ばれも減った…当然。
好きな飲み会も行かなくなった、行けなくなった、楽しめなくなった。
だからといって、家で飲む訳でもなし。

社交的に過ごしてきた私はなりを潜めてしまったね。
一人で過ごすことが増えてきました。
買い物、映画、たま〜に行くスイミング、どれも一人…
さすがにカラオケは一人では入らない。
実は入りたいと思うんだけど、その勇気がないだけ。

世界の中心で何を叫ぶ?…状態かな。


2004年12月27日(月)



 どうせ生きる一日なら…

『どうせ生きるなら…どうせ同じ生きる一日なら、楽しく仲良く、おもしろおかしく生きな…なっ!』

私が訪問すると、いつもその言葉通り、調子いい時も悪い時も変わらず、酒焼けした赤ら顔で爽やかな?笑顔を向けてくれる人がいます。
72歳には、とうてい見えない10は若く見えるMさん男性。

うちの旦那とは、一字違いの同姓似名で、しかも誕生日も旦那と一緒!
妙に親近感を覚えました。

築何年だろう?かなり古そうな文化住宅の2階に独りで住んではります。
1Kの部屋で、玄関を入るとすぐ台所で、いくらそ〜っと歩いても、ミシミシ…ガタガタと畳が鳴り、食器棚が音を立てる…私が重い訳じゃないよね?

午前中に訪問したら、朝から(ここは居酒屋か!?)と思わせるようなご馳走がテーブルに並び、グラスには冷酒が…
ヘルパーさんが、Mさんの好みに合わせて料理を作りはるねんけど、これがプロ級!
ほんと感心してしまいます。

午後に訪問した時は、そんな訳で(息してる!?)と思われるぐらい、グッスリ酔いつぶれてお休みです。
ほんと毎回ヒヤヒヤもんなんですよ、これが…
ある日なんか、血圧80/40の時があって、『Mさ〜ん!Mさ〜ん!わかりますかー!?』と焦って揺すり起こしたこともありました。
『……ん”…あ”…う〜ん…寝てた…』
そして、また深い眠りに…

結局、この時はDr.コールして、『…様子みよか?』(酔いつぶれて眠ってるのは、いつものこと)ということになり、そこをあとにして、しばらくしてからMさん宅に電話して、起きて電話に出るかどうか確認を取りました。
少し酔いが覚めて電話に出てくれたMさんは、『ああ〜すんませ〜ん、すんませ〜ん…』…やれやれ。

このMさん、楽しいお酒なのはいいけど、アルコール依存症で肝臓を悪くし、私はいつもお酒の匂いのプンプンする腕にブスッと肝臓の薬液を注射するのでした。
これって〜何だかなぁ〜アルコールが常に流れてる血管に少しばかり、お薬入れてもなぁ〜と思いつつ、でも、その人らしい生き方というか、晩年は本人が承知してるんなら、体にはいけないとわかってても、ある程度は目をつぶって、できる範囲内の健康管理をしてあげたらいいのかなと思いながら、訪問しています(これが病院なら絶対ダメなんだけど…)
これでも、食事時にコップ2杯冷酒を飲んでいたところを1杯には減らしてくれたんですよね〜


『どうせ生きるなら…どうせ同じ生きる一日なら、楽しく仲良く、おもしろおかしく生きな…なっ!』

でも、Mさんのこの言葉、ただの飲んだくれの言い訳めいた言葉かなと思いきや、何度か訪問させてもらううちに、すごく深い意味のある言葉なんだということがわかりました。

Mさんの部屋のタンスの上には、二人の年老いた女性の遺影が立てかけてあります。
聞くと、奥さんのものではなく、どちらの方も一緒に暮らしたことのある友人なんだそうです。
内縁の妻なのかな?と思ったけど、そうでもなく本当に同居人だったそうです。

若い頃は、出来たての船に乗り、テスト航海をする仕事をしていて、1年のほとんどを海の上で過ごしたそうです。
日本で航海したことのない海はないとのこと。
テスト航海というだけあって、常に危険を伴うので、給料は当時にして普通の会社員の3倍は貰っていたとか。
だから当然、家を空けることが多く、家賃を払うのも勿体ないということで、自分が航海でいない間、知り合いの女性に貸していたんだそうです。
Mさんが航海から戻ると、その同居人?(実際は違うけど)は一時的に自分の実家に戻ったりしてたそうです。

初めの頃は、『わしは結婚したことないねん』と言われていましたが、私と打ち解けてくると本当の話をしてくれるようになりました。
『実はな…一度だけ結婚したことあるんや…わしが24歳で、彼女が20歳の時や…交通事故で1歳になる娘と一緒に死んでしまってな…
田舎の道やったからハンドルを切り損ねたんか、崖から転落して…
電話で、その知らせを受けた時は本当に信じられんかった…
わしは、そのまま倒れて入院してしもた…
脳を調べても、どこも悪くなくて、精神的なもんやろうということで精神病院にしばらくおった…

それから女を抱けんようになってしもて…
まだ若いし、再婚話もたくさんあったけど、病院にもあちこち行ったけど、結局はどうにもならんで結婚は諦めたんや…
やっぱり女は結婚するからには子供が欲しいやろ?
わしは気持ちはあっても、いざという時には使いもんにならんで、子供をつくってやることもできんかってな、それで諦めた…辛かったで、そりゃ〜わしも男やしな…

でも、もうこの年になったら、女を抱く年でもないし、一生のうちに一度は結婚もしたし、子供もつくったし、もうええかな…
どうせ生きるなら…どうせ同じ生きる一日なら、楽しく仲良く、おもしろおかしく生きな…なっ!
人に迷惑かけたり、人と争ったり、そんなことしてたらアカン、おもろない!
言いたいことはハッキリ言ったらいいけど、あとは忘れて、皆と仲良くな、やらななっ、自分が損やしな!
みんながみんな、そんな風に生きられたら、この世の中から戦争っちゅうもんもなくなるのになぁ〜』

涙ながらにも、笑みも浮かべながら話してくれるMさん。
そんなMさんを慕っている人はたくさんいます。
近所の住人、デイサービスで行く先の老人たち、介護ヘルパーさん、私もその一人。

そして以前、Mさんが足を悪くして入院してた先で知り合った親子ほど年が離れた同室の患者さん。
この男性は、それ以来、Mさんのことを本当の父親のように慕い続け、戸籍上は他人だけど、親子同然の付き合いをしているとか。
彼には父親がいず、彼本人、障害があり上手くしゃべれないとかあるそうです。
結婚した奥さんは中国人で、あまり日本語も得意じゃないとか。

初め詳しく話を聞くまでは、何か財産目当てか?年金目当てか?と疑いの気持ちも湧きましたが(こんなことは思いたくないけど、独り者のお年よりはよく狙われるので)、聞くところによると、彼は超有名企業の社長で生活には全然困ってないし、本当にMさんのその人柄に惚れ込んで尊敬の念でもって、『お父さんになって下さい』ということになったらしいです。
院長も会ったことがあるそうで、間違いないらしい。
普段のMさんを見ていると、それは頷ける話です。

飲んだくれの独りもんのおっちゃんだったMさんは、おじいちゃんになった今も変わらず、みんなの人気者で、老若男女嫌わず、みんなから慕われ、尊敬され、大事にされ、『こんなおっさん、ほっといたらええのになぁ〜みんななぁ〜ほんまに…』というMさんをよそに、人が集まってきます。

たぶん、Mさんの傍にいるだけで楽しく幸せな気分になるんでしょうね〜♪
私もMさんから、『ちょっと一緒に一回、酒でも飲もうや!』と誘われてるけど、(え〜っと…これって、ええんかいな?)と思いながら、う〜ん…と悩み中。
患者の健康を守るべき訪問看護師が、患者と一緒に酒飲んでてええんかいな!?
うう…酒好きな私を誘惑せんとってぇ〜


2004年12月06日(月)



 何かに飢えている

この頃よくそう感じる。
楽しいことはある。
嬉しいこともある。
泣いてしまうこともあるけど、それでも、泣けば泣いたで、あとはスッキリする。
だけど、何か…何かが足りないと思ってしまう。

私はいったい何をそんなに求めているのだろう?
何にそんなに飢えているのだろう?
いろいろな喪失感が、そうさせているのだろうか?

友人の死、遠方に離れてしまった人、疎遠になってしまった人、わかり合えない人との溝、本音を語れない希薄な関係、表面上を取り繕った浅い人間関係…
そんなものに虚しさを覚えてしまう。

かといって、深い関係も疲れてしまったり傷ついてしまったりする癖に、そんなものを求めつつも、一人になりたいと思ったり、人恋しくなったり…

訪問看護で独居の人のところを回ると、その悲哀は他人事ではないと思う。
私も、心にふと感じていることだったりするから…
それでも、私には家族がいるし、手のかかる子供たちもいる。
毎日、本当に忙しい。
だけど、手持ちぶたさと感じてしまう心の空洞がある。
実際には忙しいのに、心は(なんかないかな?なんかないかな?)と退屈してるような寂しいような…

患者さんのところに訪問に行くのに、ホッとするのは、そんな同じ空気に触れるからだろうか?
顔は笑っていて、それなりに毎日楽しそうに過ごしている風である患者さんの中にも、寂しさがふと漂っていて、それが私と同じ空気であって、変に馴染んでしまう私がいて…

癒し癒され、溶け込む自分…
このまま、ふと消えてしまいたい衝動…
ざわついた雑踏の中に身を置くと、ただの風景に溶け込んだようで落ち着く。
自然の中では?包まれた感覚?

愛と所属の欲求なんだろうか?
何か…何かをしたい。
何を始めよう?
何かに一生懸命?何かに没頭?したいのか?

自分でもわからない…


2004年12月05日(日)
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