Comes Tomorrow
ナウシカ



 物には思い出がある

ふと思い出したことがある。
私が中学生か小学高学年ぐらいの頃だったと思う。
母が、私と妹に焼物で出来たブローチをくれたことがあった。
旅行のお土産だったと思う。

私の気持ちはというとビックリしたのを覚えている。
(なんで、こんな物くれるの?)
嬉しい気持ちもなかった。
いつも私に辛く当たる母が、なぜ、そんな物をくれるのか不思議でたまらなかった。
でも何も言わず、ニコニコ笑っているだけの母には何も聞けなかった。

そして、それを持て余していた。
ブローチなので服に付けるべきかどうか…
付けると母は喜ぶのか?
付けた方がいいのか?
付けるなら毎日?
それともお出かけの時だけでいいかな?
ただ母の顔色を伺っては悩む日々…
結局、貰って嬉しい気持ちも湧かず、気を使うだけの重荷…

でも、他の人から貰った物は嬉しくて、いつまでも大事にした。
近所のおばちゃんや祖父から貰った物は、どんな些細な物でも宝物のように大事にした。
壊れた物(貯金箱)でもセロテープで修繕してまで使ってた。
キーホルダーも壊れて外れて、どこかに無くしてしまうまでカバンに付けてた。

でも、母から貰った物は使わないので、いつまでもキレイなままだったが、宝石箱の中で浮いていた。
使うに使えず、捨てるに捨てれず、どことなく寂しげな…疎ましい物。

あれは、まだあったかな?
もう捨てたかな?
まだ、あったりして!?

母がどんな思いで、あれを買い、私たちにくれたかはわからないけど、何の温かみもない、良い思い出もないそれは、私には重い鎖の付いた鉄の玉のようです。
貰って嬉しいのは、くれた人の気持ちなんだよね。
自分を大事に思ってくれる、好きでいてくれる人からの贈り物だからこそ嬉しいんだよね。

普通に無邪気に喜びたかったな…

2003年11月23日(日)



 『死なないで生きて』

ふと『死なないで生きて』で検索してみた。
すると詩集を買って読んでくれた人たちの読書感想などがあり、すごく嬉しかった。
(感動した)とか(お勧め)とか(一気に読んだ)とかあると本当に嬉しくて、詩集を出して良かったなって思う。

途中、仲間が自殺したり、この詩集を出す意味はあったんだろうか?とか、自分は何がしたかったのか?と思ったり、詩集を出す意義が見出せないでいたけど、少しは世に訴えることができて良かったと思う。

同じ痛みを持った人も、そうでない人も何かを感じ取ってほしい。
それが作者の願いです。
こんな風に偉そうに書いているけど、私はただ書き溜めていた詩のいくつかを提供させてもらっただけ…

これからも詩は書いていこうと思う。
楽しい詩も、吐き溜めの詩も、いろんな詩を。
その時々の感情をありのままに。
自分のために。


2003年11月06日(木)
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