蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2012年05月21日(月) 人生で2回目

小学校1年生か2年生のとき、金環日食を見たことがある。向かいのマンションの入口に近所の子どもとお母さんたちが集まって、みんなして不気味に薄暗い空を見上げた。当時は日食グラスなんて洒落た物は持っていなかったから、母が急ごしらえで作ってくれた煤をつけたガラス片をかざして、小さなオレンジの輪っかを見た。これが太陽だ、と言われてもいまいちわからなかった。太陽は丸いものだと思っていたけれど、本当の姿は真ん中に穴の開いた輪っかだったのかと勘違いした気もする。ガラス片を持つ指先は煤で真っ黒になるし、ずっと見上げていたから首は痛いし、目はチカチカするし、大人たちはいつになく興奮しているし、あれはいったい何の騒ぎだったのだろう。

あの時、金環日食を観測できたのは沖縄だけだったと知ったのはつい最近のことだ。「世紀の天体ショー」を前にテレビではいろんなことを放送してくれるもので、1980年代に沖縄で金環日食が見られたといっていたから、その頃沖縄に住んでいた私が見たのはまさにそれだったのだ。連日テレビではこうも繰り返す。肉眼で太陽を見てはいけません、焦点を合わせて0.2秒でも見れば「日食網膜症」になってしまいます、カラー下敷きも、サングラスも、煤をつけたガラスもいけません、必ず専用の日食グラスを用いましょう、ない場合は木漏れ日を見るなどして観察する方法もあります。

煤をつけたガラスごしに思いきり太陽を直視していた私は日食網膜症にはならなかったのだろうか。目がチカチカして、しばらくはどっちを向いても太陽の残像がうるさかったあれは、日食網膜症ではなかったのだろうか。

今回は日本の太平洋側の広い地域で観測できる金環日食、東京は午前7時32分がピークだけれど、それよりも前から部分日食は始まっていて、朝起きたときにはもう太陽の端が欠けていた。テレビの中継映像と、寝室の窓から見る太陽とを見比べながら、日食というのは太陽よりも月の存在が際立つなと思った。月がじわじわと太陽の前に入り込んでくることで、たしかに太陽と地球の間に月が存在するということがあの大きな黒い丸によって示された。いや、知ってはいたけれど、でもね。

秒読みで大騒ぎのテレビの中とは打って変わって、我が家の周りはいつもと変わらない朝の静かな時間が流れている。ここから見る限りでは他の部屋のベランダや窓に人影はなく、おもてに出て空を見上げる人もいない。ときどき横道から駅に向かって足早に歩く人が出てくるくらいで、おもむろに胸のポケットから日食サングラスを出してちらっとかかげたのはサラリーマンひとりだけ。斜め向かいの日当たりのいいベランダも雨戸がきっちり閉められたままだ。

ときどき雲に隠れながらも、きれいにリング状になった太陽を見る。子供の頃に見たのより、やや大きく見える気がする。2回目だと思うせいか感動は少なく、あのときの、肌がぞわっとするような奇妙な感覚もない。


2012年05月20日(日) ある発見

新幹線の行き帰りに何か本をと思って、金井美恵子『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』(朝日文庫)を持って出たのが木曜日で、3日間かけて読んだら、他の目白四部作も読みたくなり、うちには『タマや』(河出文庫)しかないからエイヤ!とアマゾンで残りを全部買った。

ところで、目白四部作って、結局どれのことだろうと思って、うろ覚えだから調べてみたらウィキペディア(四部作)にはこうあった。

---引用ここから---

四部作(よんぶさく、Tetralogy)は、四つにそれぞれ分かれていながら、同じ一つの主題を持つ作品群のこと。

(中略)

・金井美恵子
 ・目白四部作 -「文章教室」、「小春日和」、「タマや」、「道化師の恋」

---引用ここまで---

そうだよね、だって桃子ちゃんとかおばさんが出てくるから、てっきり『彼女(たち)について・・・』も含むかと思って数えてみたら5作品になるし変だなあ、と思いながら読んでたのだ。『小春日和』と『タマや』は何度か読んだ記憶があるけれど、『文章教室』と『道化師の恋』はたぶん一度は読んだはずなのに、ほとんど何も覚えていない。

ところでなんでウィキペディアのわざわざ(四部作)を引用したかといえば、肝心の(金井美恵子)のページには、目白四部作はこう書かれているからだ。

---引用ここから---

目白四部作 [編集]

1980年代から発表された、金井の近年の代表的作品群。それまでの作風の転換点でもあり、金井の私淑するフローベールのように、徹底した客観にもとづいて、様々な職種や関係の絡み合う群像を描いている。

それぞれの作品は独立しているが、物語は目白という同一の舞台で繰り広げられ、主人公及び脇役のキャラクターがそれぞれの作品にゲストとして登場している。『小春日和』の10年後を描いた『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』、『道化師の恋』の登場人物も併せて登場する『快適生活研究』と併せ目白シリーズと呼ぶ事もある。

---引用ここまで---

で?

結局、目白四部作のタイトルが何なのか、大事なことがわからない。目白四部作から広げて目白シリーズとするなら、『彼女(たち)について・・・』と『快適生活研究』をも含む、ということはわかるのだけれど。日本語って難しいですね。

今日の私の文章がくどいのは当然、金井美恵子を読んだばかりだからなわけだけれど、おもしろいからこのまま書いていくとする。読んだ本の文章の調子に感染するのはよくあることで、これはおそらく私が転校生だったことと少なからず関係あるのではないかとこの頃は考えている。

父の転勤に引きずられて転校ばかりしていた小学生は、行った先で浮かないように(時期を外した10月の転校生はどうしたって浮くのに)、置いてけぼりにならないように、ましてや変人扱いされないように、周りの子の方言やなまりに耳をすませ、注意深く相手の調子をまねた。文脈や状況から推測する力も今から思えばかなりあったはずだ。その積み重ねが今となっては良かれ悪しかれ相手に合わせるのが早く、そのせいでいやだなあと思っていたはずの誰かの変な口癖も気がつくとうつっていたりするからやっかいだ。

まあそれはいいとして、今回もまた『彼女(たち)について・・・』を楽しく読んで、いつ息継ぎしたらいいのかわからなくなる切れ目のない長いセンテンスがこれでもかこれでもかと続くうちに、これは息継ぎではなくて、咀嚼と嚥下ではないかということに気がついた。もぐもぐもぐもぐ・・・・・・、ごっくん。このリズムがぴったりだったわけである。息を吐いて吐いて吐いて吸う、でもなければ、息を止めて止めて止めて吸う、でもなかった。

文章が読点(、)で延々と継ぎ足されていくときの思考が充満した感じは、口の中にまだ食べ物が残っているのに次々と口に入れて食べ続ける感覚に似ているか。一口いただいたら一度お箸を置いて飲み込んでからにしましょう、とダイエット魔に注意されそうな食べ方だ。金井さんの文章を読む限りにおいては太る心配はないけれど。この「発見」というか「気づき」に気を良くして、アマゾンから残り3冊が届くまで『タマや』を読んで待つことにした。


2012年05月10日(木) 喧騒と交感

ロッテとルイーズ再び。

4月の小さな同窓会のような集まりでも会っていたのだけれど、そのときは席が離れていたせいかほとんど話せず、今度はふたりだけで会う。

この頃少し気温が上がってきたから、ぴりりと辛くて野菜たっぷりのベトナム料理はおいしい。相反してべちゃっとした接客にやや引き気味。そんなに何度も聞かなくても、食べたかったら自分から注文するから。通路側に座っていたせいか2回ほど店員に椅子を蹴られるし、まだ食べているお皿を下げられそうにもなる。なんだか騒がしい。目的のフォーまで食べたら、食後のコーヒーは別のところでゆっくりと。

話し始めはポツポツとでも、すぐに調子が戻ってくるから、少し経てば堰を切ったように次々と言葉が口をついて出てくる。会話はなめらかに流れ、満足したのかコーヒーを飲み終える頃には、ふたりともしんと黙っているときもある。何もしゃべらなくても苦にならないのが、彼女といるときに私がいちばん気に入っているところで、きっと頭の中ではさっきの話を反芻したり、それとはまた別のことを考えていたり、でなければ、ただぼーっと周りの人の様子を見ているだけかもしれない。黙っていても何かが交わされている気がするから心地いい。

夏暑くなる前にまた会うことにして、そのときは彼女の確固たる目標の続きの話を聞きたい。


2012年05月09日(水) 犬と竜巻

この前の竜巻で犬小屋ごと飛んでしまった犬が、2日後に無事に帰ってきたというニュース。飼い主の男の子がテレビのインタビューに答える。

テレビ:見つかってどう思った?
男の子:(もう見つからないと思ったから)見つかって、うれしかった。
テレビ:また会えたとき、どうだった?
男の子:前よりきれいになってた。

爆笑。前はどれだけ汚かったんだろうか。無地に帰ってきたからこそ笑えたのだけれど、大人から暗に期待される返答を軽々と飛び越えた男の子のまっすぐなまなざしと、ワシャワシャと喜びをかくしきれない犬のはしゃぎようが、なんとも言えない。テレビで見た感じでは怪我もなく元気そうで、犬小屋ごと飛んでしまったのが不幸中の幸いだったのかもしれない。家ごと飛ぶなんてまるでオズの魔法使いだ。ワン太郎にとってはさぞ大冒険だったに違いない。


2012年05月07日(月) ひらがなのボサノバ

よく耳にするボサノバを小さな女の子と大人の女の人が一緒に歌う。女の子はいっしょうけんめい、大人に負けじと歌い上げる。頼もしさとおかしさと。舌っ足らずなボサノバはどうしてか、ひらがなに聞こえる。

えれ か〜りお〜か えれ かりお〜か

夏用にと珊瑚のネックレスを物色していたお店で流れていたもので、家に帰ってさっそくアマゾンで購入する。

KIDS BOSSA Ola' carioca
キッズ・ボッサ オラ カリオカ

途中で笑っちゃったり、息が続かなかったり、それもこれもご愛嬌。女はいくつだろうと女であって、かわいさの奥に色気があるように感じられるから、ある意味こわい。


2012年05月03日(木) 雨の誕生日は

HAPPY BIRTHDAY TO ME♪

34歳は雨降りで、それでも天気に関係なく予定通り朝から家の片付け。この連休は家じゅうの片付けと、自転車部屋(最近1台増えて計4台に!)と寝室の模様替えと、欲張って衣替えまでを一気にやってしまう計画で、作業は4時まで!の号令とともに始まる。とにかく捨てる捨てる、45Lのゴミ袋がすぐにいっぱいになる。今まで迷って捨てられなかった物がどんどん手から離れていく。今回は不思議なほどどれにも未練がない。

お昼ご飯の休憩をはさんで4時までみっちり働いた。さあ、着替えて食事に出かけよう。

誕生日のお祝いにフランス料理をごちそうになる。ゴールデンウィークの恵比寿を行く人はまばらで、お店も静かで心地良い。高い天井に自然と背筋が伸びる。どうしようかな、これもいいけどあれもいいな、ワインを選んで、すいすい飲んで食べ進み、最後にデザートを選んでおまけもついて、楽しい食事だった。

34歳はいい1年になりそう。夜道、雨にぬれた落ち葉を踏みしめて思う。くすくす笑いが止まらない感じ。


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