蜜白玉のひとりごと
もくじかこみらい


2009年04月30日(木) 読んだ本≪2009年4月≫

4月は4冊。もう電車通勤でもないし、忙しかったし、仕方ないんじゃないの感たっぷり。


佐野洋子『恋愛論序説』中公文庫(図書館)
一行感想:それにしてもよく幼少期のことを覚えているな。


佐野洋子『私の猫たち許してほしい』ちくま文庫(図書館)
一行感想:忘れてしまった。読んだらすぐに書かなきゃ。猫の話ではなかった、と思う。


佐野洋子『神も仏もありませぬ』筑摩書房(図書館)
一行感想:立て続けに佐野洋子。もうどれがどれだか。でも全ておもしろい。


佐野洋子『ラブ・イズ・ザ・ベスト』新潮文庫(図書館)
一行感想:品川駅で新幹線を待つ間に読んだところがいちばん泣きそうだった。


2009年04月29日(水) 思うところ

怒涛の一か月だった。

4月のはじめ、とうとう父がご飯を食べられなくなった。口からご飯を食べられなくなったら、胃ろう(お腹に穴をあけて直接胃に栄養を入れる)にしようと考えていたのだけれど、そうは簡単に問屋がおろさない。

一般には、胃ろう造設手術はそう難しいものではない。しかし仰向けになると胸が圧迫されて呼吸ができない父にとってはイチかバチかの手術だ。手術の間はどうしたって仰向けにならなくてはならない。そのせいで1つ目の病院では手術は無理と断られていまい、2つ目の病院が在宅往診医の紹介もあってやっとのことで引き受けれてくれた。

4月2週目に術前検査(これだって、相当しんどい)をして、4月3週目に入院と手術(手術室の前で待ってるこっちも生きた心地がしなかった)、その後11日間の入院中に、家族は胃ろうの手技を看護師さんから習う。家に帰って日に3度の栄養を入れてあげるのは家族なのだ。慣れてしまえば大したことないとは言われても、慣れるまではとにかく緊張する。見慣れない器具に、痛々しいお腹の傷。あー緊張する、とか、うー全然わからない、とか言いながらも、母はよくやっている。

入院中は父もだいぶ苦労したようだ。在宅ではできなかったジョクソウができてしまい、一部の看護師さんには冷たくあしらわれ、ご飯を食べられないさみしさも加わって、ますます気難しくなって退院してきた。

つらかろうと思うけれど、そういう父に私は笑顔を向け続けることができない。父の気難しさや不機嫌や苛立ちは家族への八つ当たりにも似た態度に変換される。聞けばきっとそんなつもりはないと言うだろう。しかし、ほとんど言葉を発することのない父からときどき発せられるのは苦情ばかりで、言葉がないならないで、嫌だ嫌だと首を横に振ったり、怒ったような表情で眉間にしわを寄せたり、あきれたようにため息をついたり、すねたように目をそらしたり、どれもこれも世話をする側からすれば八つ当たりのように思えてならない。そういう態度を私に対してとるならまだいい(私は自分がそれほどやさしくないことに気づいているので、反論したり仕返しができる)。母に対してそういう態度をとっている父を見るのがいちばん腹が立って、同時にものすごく悲しい。

病気の人にはやさしくしてあげなければいけないのかもしれない。でも私はいろいろと思うところがあるので、いつでもやさしく、というわけにはいかない。日々の在宅介護はきれいごとではない。実家ではただでさえしんどい病気の人がさらに上をいく病気の人を看ているのだから、なおさらだ。

つらくて苦しいとき、そこばかり見ていたらつらくて苦しいだけだ。当り前だ。不運にも治らない病気になってしまったからには、病気から逃れるのは天地がひっくり返ったってたぶん無理だ。じゃあもう絶対幸せなんかないのかと言えば、それがそうでもないんだと今では思う。つらくて苦しい、不運でムカつく。なんで自分ばっかり。そりゃそうだ。でもその負の思いの向こう側に飛んでほしい、と私は父に対してずっと思っている。いつかそのことに気づいてくれないか、とずっと思っている。テレビばかり見ていて、いつだったか「そんなことは考えたくない」と私の話を突っぱねた父よ。私はあなたのその姿からたくさん学ばせてもらっています。


2009年04月06日(月) 早足30分

4月1日に仕事場の引っ越しをして朝の過ごし方ががらりと変わる。朝ごはんを食べたらお弁当を作って(!)、ざっと家の中を簡単に片づけて、畑の横〜甲州街道〜住宅街を早足で歩くこと30分。これで健康にならないわけがない。さっそく太ももの後ろ側が筋肉痛になる。

困ったのは電車に乗らないせいで、本を読むためのまとまった時間がなくなったことだ。今月に入ってまだ1冊もまともに読んでいないことに気づく。かろうじて相方に頼まれた仕事の本は斜め読みしたものの、これは私の読書ではない。だいたい難しくてよくわからなかった。

4月は佐野洋子とムーミンでいこうと思う。ムーミンは講談社文庫のシリーズをそろえることにしたのだ。ムーミンに限らずトーベ・ヤンソンの作品は読むたびに味わいが変わり、その時々で大切なものは何かを鮮明に浮かび上がらせる。

23日はサンジョルディの日(本を贈り合う日)で、来月になればすぐに誕生日が来る。何が欲しいかと問われて、これがほしい!とすぐに答えられないのはいつものことだ。欲しいものはと聞かれるとしんと考え込んでしまう。はて、私はなにか欲しかったんだっけ?とつきつめていけば、私は欲しいものなどこれといってないのだ。生活必需品で買いたいものはいくつかあるけれど、それ以外の、あってもなくてもどっちでもいいものに対する興味が年々薄れていくのには、自分でも不思議な気持ちだ。この先もっと薄れていくのか、それともいつかまた物欲は復活するのか。


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