→→メインホームページ「T.M.NET」←←

203 初恋 その2

前回「201 初恋 その1」の続き。
彼女はとても気の強い人だったんだ。言葉が強く、はっきりした発言をし、ずかずかと物事を言った。逆にその頃の俺はどこか自信のない、彼女とは逆のタイプの人間だったんだと思う。なにかとずけずけと言われ、勢いにいつも押されっぱなしだったイメージがある。
なんで5年生になって急に好きになったのか、よくわからない。
もしかしたら・・・って思うのが、実は1年生〜4年生まで同じクラスだった他の女の子のことが、少し気になってたのかな?って思う。まぁそうなると今話してる初恋の話が、初恋じゃなくなっちゃうけど、たぶんそれは恋ではなかった。友だちの延長で、なんか気になるっていう。その子も仲がとてもよかったから。
で、その子と5年生になってクラスが変わって、それがきっかけでクラスが変わらなかった彼女のことを、初めて女の子としてみたんだろうな。
あとはクラスの男子にからかわれたからっていうのはかなりあると思う。

それともう一つ思うのは、彼女も俺のことが好きだったんじゃないか?と思うからなんだ。こんなこと言うと自意識過剰なやつに思われるんだろうけど、でもたぶんそうだったんじゃないかな?そう思いたい。もし勘違いだったとしても、それはそれで大きな夢だから、壊しちゃいけないよ(笑)

でも、この頃の男と女は随分と差があって、女の子はとてもませてるから、男はたじろいでばっかりっていうのがあると思う。好きだから、じゃあ付き合うとかって発想にならない。女の子はそういう風に捉えてたのかな?わからないな。

彼女のことはかなり長い間好きだった。小学校卒業と同時にお別れだったけど、中学生の間ずっと好きだったね。

中学受験を俺はしたんだけど、彼女だけが唯一そのことを気にかけてくれて、手作りのお守りをつくってくれたことを今でも覚えている。うれしかったなぁ。
2004年12月30日(木)

202 レゲエ

最近レゲエが熱い!
22日、25日とレゲエライブにいったこともあって、この1週間はレゲエ週間だった。
レゲエはインディーズのレベルが高いと思う。他のジャンルのライブをそこまで知っているわけではないけど、今までそんな大した数じゃないけどいってきたライブとかと比べてみると、そう感じる。
レゲエは日本での認知度が低い。よっぽどのことがない限りメジャーデビューができず、もしもメジャーデビューができたとして、すごく売れたとしても、それがレゲエ界の話であって、ポップスなんかと比べると売れても売れない。まだまだ日本の音楽文化でのレゲエの位置はそんなだから、レゲエで飯を食っていくのは大変だ。
だからなんだろう、インディーズのレベルは高い。プロとして活動していても全然おかしくないんじゃないか?って思えるバンドがたくさんいる。もちろんそれは俺の素人目なわけだけど。。。
レゲエと一言で言っても、ジャンルとしてくくるのがむずかしくなってきてると思う。JAZZ、FUNK、HIPHOP、SOUL、R&Bといった色々な要素が、それぞれのジャンルを行き交い、境界線は次第になくなってきてると思う。
そんな柔軟な発想・姿勢が、それらのジャンルの音楽をよりおもしろく、より深いものにしていると思う。
とっつきにくいジャンルなのかもしれないけど、そういったジャンルの音楽に耳を傾けるということは、聴き手の幅をいろいろな面で広げることになると思う。
レゲエに酔いしれ、体を揺さぶろう!
2004年12月27日(月)

201 初恋 その1

昨日誕生日を迎えました。多くの友だち、そして家族からお祝いのメッセージをいただきました。ありがとう!
Voiceも200回を超え、年輪も新たな輪を回り始めたわけなんで、これからは少しずつ自分自身のことも語っていこうかと思うんで、まぁ興味ない人も暇つぶしに読んでみてください。
そこで、今回は別にスペシャルってわけでもなんでもないけど、今まで実はまったく語っていなかった恋愛について、ちょっと語ってみようかと思う。今までまったく語らなかったのは、個人的な恋愛のことを、ネットを通じて誰でも見ることのできる場で語ることも、語っているのをみることも、あまり好きではなかったから。でもまぁ初恋についてっていうんであれば、過去の笑い話くらいに話せればいいかなって思う。リアルタイムな話なんかは絶対する気ないけどね。。聞きたくもないと思うし。と、いうわけで、初恋について。

自分の中で「これが初恋だったんだろうな〜」って自覚しているのが、小学校5年生の時に好きになった、同じクラスの女の子。彼女とは3年生の頃から同じクラスで、ずっと仲がよかったんだ。でもその頃はまったく恋愛として好きとか、そういった気持ちはなく、ただ友だちとして仲がよかっただけだった。女の子の中ではとりわけ仲がよく、下の名前で呼んでいたんだ。でもいつごろか、ある頃男友だちに、下の名前で彼女のことを呼んでいることをからかわれ、それからは名字で呼ぶようになった。
今思えば馬鹿だな〜って思うことだけど、小学生にとっては重要なことだからね。恥ずかしかったし、「おめぇ好きなんじゃねぇの〜?」なんて言われると、「好きじゃね〜よ!あんなやつ!」なんて、心にもないことを言って反発して、下の名前も呼べなくなっちゃうんだから。
俺は背が小さくて、男の中でクラスから2番目。彼女は一番小さい女の子だった。男女背の順で2列に並んだりするじゃない?で、どこか社会科見学なんかにいったりすると、「男・女・男・女・・・・」って背の順で並ぶんだ。そうすると彼女の次が俺になる。そのせいで俺はそういったイベントごとになると、必ず彼女と隣になったんだ。

まぁそんなこんなで、あるとき、いつの間にか好きだった。

話し始めるとこういった話は長くなるんで、続きは次回に持ち越しで。
2004年12月26日(日)

200 手紙

ついに200回か〜・・・。100回から200回までは随分とかかったなぁ。更新の頻度落ちてるから。でもまぁ、今くらいが一番マイペースでできてるんじゃないかと思うんで、こんなんだけど見守っててくださいな。もうちょいあげようか、とも思ってる。
さて、200回、300回と区切りがつくごとにその感想を述べてても進展がないんで、今回は「手紙」について。
少し前から、静岡に住む友だちと手紙のやりとりを始めた。大学生の頃、カラオケ店の店員をやっていたときのバイト仲間で、今は帰郷している友だちだ。
なぜいまさら手紙なのか。別にメールアドレスを知らないわけじゃないんだ。これまでもメールで連絡を取り合っていたし、それで特に不自由を感じたこともない。
きっかけは村上春樹著「ノルウェイの森」を再読したことだった。この小説には手紙をやりとりするシーンが多く出てくる。メールのない時代で、伝達の手段はもっぱら電話か手紙。そんな小説でのやりとりを読んでいて、なんかとても特別なもののように感じられた。ずっと手紙を書きたいという気持ちはあって、このことがきっかけで「書こう!」と思った。
今でこそメールがあるから手紙を書くことはなくなっちゃったけど、数年前までは手紙が当たり前の伝達手段だった。メールが普及して、確かに便利にはなったけど、便利さと同時に手紙の良さは失われてしまった気がする。
字を書くということ。宛先を書く、相手の名前を書く、最後に様をつける、そんなこと。そして手紙を投函し、また、手紙を待ちわびるということ。
いざ書いてみると、手紙を書くこと自体がとても楽しかった。これは新鮮だから、ということもあるけど、それとは関係なく、ただ「手紙を書く」という行為が前から好きだったことに気が付いた。そういう人は少なくないはずだ。
手紙を書く相手として、静岡に住む友だちがまっさきに思い浮かんだ。彼女(友だちは女の子です)とはバイトを辞めてからも連絡をとりあっていたんだ。でも実際バイトだったり、大学だったり、仕事だったり、そういうリアルタイムの関係を続けている人でないと、時間に追われて連絡を取り合う必要っていうのはそんなにない。携帯のメールが当たり前のこのご時世に、そんなリアルタイムの関係が途絶えたときに、そのまま関係が途切れてしまう人も少なくない。でもそんなのはイヤだから、そんなとき手紙っていうのはちょうどいいと思うんだ。(現実的な距離が離れているのなら、なおさらいいと思う)
これが進化の逆をたどっているとするなら、それも大事なことなんじゃないかと思う。
2004年12月15日(水)

199 鳩と戦う日々

最近、というかここ数年?もういつ頃からなのかよくわからないんだけど、うちのベランダが鳩の棲家と化している。
最初はかわいいもんだったんだ。たまに1羽やってきて、ベランダの手すりにとまっていると、ちょっとのどかな景色〜くらいに思っていたら、まったくあいつら調子にのりやがって!・・・失敬、言葉が過ぎましたね。
とにかく今はもうすごい状態で、いくら追い払っても、しばらくしたらすぐ戻ってくる。数も3〜4羽くらい1度にいる。夜は寝てる・・・。とにかく本当に困っていて、悩みの種。ベランダでのちょっとした物音にもすごく敏感になって、神経が疲れるくらいなんだ。
で、まぁその話は置いておいて。それとはまったく別の話なんだけど、「スターシップ・トゥルーパーズ」って映画知ってる?って言ってる俺が実は見たことはないんだけど(今度近いうち見ようと思ってる)、これが近未来なのかな?虫の勢力がすごくて虫に支配されそうなんだか、そんな感じに俺は捉えてるんだ。で、実際そうなったらどんなに恐ろしいだろうってよく思う。たまに小さな羽虫がうじゃうじゃいることがあって、最近そんなのが増えて気がして、そうすると実際地球は虫に占拠され始めてるんじゃないか?と考えることがある。こわいでしょ?それを昨日もたままた考えてたんだ。なにか妄想の連想でいきついたんだと思う。
その二つの話の前置きがあって、その二つのせいで悪夢をみたんだ。
夢の中の舞台は俺の部屋。時間の設定はよくわからないけど、わりと明るい時間。普段はベランダで俺に迷惑をかけるやつら・鳩が、なんと!部屋の中まで侵入してきてるじゃないか!なぜに?しかもその数が半端じゃない。狭い部屋の中をばっさばっさと飛び交い、しかも部屋のいたるところに卵が産みつけられてる。でもなぜか卵なのにそれは鳩の形をしていて、それが産みつけられてるって感じでそこにある。じゃあ卵じゃないじゃん!って思うかもしれないけど、夢の中の俺はそれが卵だってわかってるから、たぶん卵なんだ。夢の中って不思議だね。まぁ、とにかく地獄絵図のような世界が繰り広げられてるわけだ。そこで俺はベランダに出てみると、外は鳩が何万羽も何十万羽も空を飛び交っているんだ!泣き声とかはしないけど、羽の羽ばたく音ですごくうるさい。そしてベランダの手すりには鳩の赤ちゃんがとまってる。その赤ちゃんはなぜか目玉がバカでかく、ものすごく気持ち悪い宇宙生物って感じの生き物なんだ。しかも背中にも鳩の形をした、まるで鳩の死体のような卵がびっしり。とろうとしてもなかなかとれない。足掻いて、足掻いて、足掻いて・・・。疲れきった俺は、やっと目がさめた。。。
どう?悪夢じゃない?たまんないよ。疲れをとるために寝たのに、寝たことでもっと疲れたね。
何が言いたいかっていうと、今の俺にとって、鳩は平和の象徴なんかじゃなく、悪の権化だってこと。
みなさん、鳩にご注意を!
2004年12月09日(木)

198 我はっきりと物申す

俺は結構はっきりと言いたいことを言う方だと思う。自他ともに認めるってやつで、実際よく言われるし、自分でもわかってる。
言いたいことをはっきり言うっていうことは、自分で心掛けてしていることで、理由があってしている。自分の考えをわかってもらうことで、自分を知ってもらいたいと思うし、そのやりとりの中で相手のことも色々とわかる。
今、自分を取り巻く人々と、できる限り深くつきあっていきたいと思ってる。出会った人全てと深く付き合うことは難しい。というより無理だけど、少なくとも今一緒にいて楽しい友達だったり、これからも長くつきあっていきたいと思う人とは、できるだけ深くつきあっていきたい。
例えば人付き合いがあって、その人のこんな部分がよくないんじゃないか?って思うことがあったときに、そのことを黙っていてやり過ごすと、あとあと自分が苦しむことになるし、その人との関係がぎこちないものになっていく。それはどんどん二人の間に浸透していって、やがては関係が切れていくことにつながると思う。ましてそれが二人だけの関係ではなく、もっと大きなグループでの付き合いだったりしたら、グループ全体にも広がりかねない。そう思うなら、もしかしたら喧嘩になるかもしれなくても、言ったほうがいいこともあると思う。頑張って乗り越えることができれば、その先、もっと深い関係になることができる。それはより信頼が強くなるってことだったり、心を開けるってことだったり。
そうやって相手のことがわかっていくと、「この人はこういうところがあるから」と、その人が言う言葉や行動だったりで、それが害がないことだってわかっていれば流せるようになったりする。そうやって長く、深くつきあいを続けていくうちに、相手のことがわかり、だんだん言う必要のあることが少なくなってきて、そんな中でたまに言うべきことを言うっていう間柄で成り立つようになるんだと思う。
友だちが言うことっていうのは、とても力がある。親よりも自分のことをよく見ている自分以外の人間なわけで、その人が気付いた自分の一面ってやつは、それは違う!と決定的に跳ね除けるには難しい信憑性がある。まぁ自分の一面に「信憑性」っていうのもおかしな話だけど。
だから自分の間違いを指摘してくれる友だちは感謝してる。ときにへこむけど、俺のためを思って言ってくれることなわけだし、それを何かしらで活かしたと思う。もちろん言われたこと全てにそんなすんなり納得できるわけじゃないけど。少なくととも言ってくれることはありがたいと思う。言ってくれる人って、実際少ないから。沈黙が美学なわけじゃないんだろうけど、言わぬが仏とでも言いたいのか、言わないにこしたことはないっていうコトナカレ主義が日本人には特に多いから。数少ないはっきり物事をいってくれる友だちは貴重だ。だから俺もそうありたいと思う。
2004年12月07日(火)

VOICE / マッキー

My追加