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194 メール

今はメールで連絡を取り合うことが多いと思う。多くの人がそうだ。電話のようにお金は高くかからないし、手っ取り早く、また相手の状況を気にすることなく一方的に連絡ができる。
だからこそ、メールでの連絡にある程度共通理解というものが必要なんじゃないか?と思う。ここまで浸透してくると、なかなか「性に合わない」とかでは厳しくなってくる。
俺がいつも思うのは、明らかに返信してくるのが遅すぎる人、だ。1〜2時間でどうこう言うつもりもなく、その日というつもりもなく、次の日には!というつもりすらない。もちろんそれは連絡の内容にもよるものだけど・・。
ただ2日、3日と月日が経つと、いくらなんでも連絡してくれてもいいんじゃないか?と思う。それで連絡がしばらくあとになって来た時に、なんでこんなに遅かったのかと聞くと、ほぼ必ずこうだ。
「ごめん、ちょっと忙しくて」
忙しいのはわかる。みんな時間を惜しんで忙しく生きている。そんな人が周りには多い。でも残念ながら一言のメールを返すことができないほど忙しいなんてことはありえない。
結局のところこういうのは習慣なんだ。忙しくて返せないというのは、忙しいとメールのことが頭から消えてしまい、余裕がなくなるってことだと思う。メールを返す1〜2分の時間がないわけじゃない。もちろん内容にもよるけど、その1〜2分を寝る前に使ってメールを返すことで、相手が助かるわけだ。
だから俺は提案というわけじゃないけど、せめてこうしたら?と思うのが、忙しくてちょっとわからないとか、ほんとに一言「うん」とか「無理なんだ」とか、そういうことで伝えるってこと。。
忙しくも、相手に迷惑はかけたくないし、別に凝ったメールをする必要なんてものはないわけだし、その状況に応じたメールを返すべきだと思う。
俺は多くの人間にメールをおくって返信を待ち、その返信状況によってその後の行動が決定する、ということをする立場に置かれることがしばしばある。例えばそれはフットサルのキャプテンであることでそうだし、なんかの幹事をやるときなんかもそう。もちろん逆の立場のこともよくある。そうして両方の立場にたつと、みんなの連絡を集めるっていうのはやっぱり大変だ。なぜかほとんどの人がしっかりと連絡を返してこないから。連絡を返さない人っていうのは毎回決まっていて、そのたびに「ごめん」と言って遅れて返事を返す。習慣なんだ。間違いなく。
だからやっぱりそういう人は、短くてもいいから返事を返すような心がけをする必要があるんだと思う。それはその人が携帯電話をもって、その携帯のアドレスを人に教えてるわけだから。
2004年10月31日(日)

193 小中高生の読書傾向

爆発的ヒットになった「世界の中心で、愛を叫ぶ」の影響などにより、小中高生で本を読む人が増えているらしい。最近は芥川賞を若い女の子が受賞するなど、本に関する話題が若い世代の間でも多い。

俺が小さいころはなにを読んでいたかな〜、って考えた。今みたいに流行でみんなが読むっていう本は特になかったから、読むとしたら個人的に読んで終わりって感じだった。もしそれが漫画みたいに、読んでいる友達が他にもいっぱいいて、読んだあとの感想なんかを語り合えたりしたら面白かったんだろうな。
小学生の頃に一番好きだったのが、歴史人物の本。シリーズ本で、織田信長、徳川家康、坂本龍馬、源義経、などなど・・・。とにかくむさぼるように読んでた。風邪で小学校をしばらく休むことがあって、母親がつまらないだろうからって、そのシリーズの本を2冊買ってくれたんだ。2冊とも1日で読んだんだ。母親はあきれてた。1冊は源頼朝だった。もう1冊は忘れた。でもとにかく好きだったんだ。
中学生の頃は赤川次郎と星新一を手当たり次第読んでた。おばさんが大量にくれて、読んだ量は結構なもんだったと思う。赤川次郎はミステリーで、星新一は不思議ストーリーって感じでなんでもあり。どっちもストーリーテリングに優れていて、中学生にはちょうどいい読みやすさだった。

そんな小さいころにもし海外の文学なんかに目覚めていたら、いっぱしの文学少年になれてたんだろうな〜なんて思う。でもまぁ、世界の中心であれなんであれ、本を読むきっかけがあるっていうのはいいことだと思う。近年日本人の国語力が低下していると嘆かれているみたいだけど、やっぱり本を読まないことには、語彙は増えないし、表現の幅も広がらない。このままの勢いで、子供達が本を読むっていう習慣があたりまえのものになってくれると嬉しい。
2004年10月27日(水)

192 青春

以前やっていたドラマ『オレンジデイズ』が大好きな友達が、DVDを全巻貸してくれた。1巻、2巻とちょっとずつ見、今日3・4・5巻と最後まで一気に全部見た。とてもよかったよ☆
見ていて、また見終わって一番感じるのは、青春っていいな〜ってこと。なんか青春が過ぎてしまった人間が、過去を振り返って懐かしむようでいやなんだけどね。
青春ってどうも学生時代のことってイメージが強いけど、別に学生時代じゃなきゃいけないわけじゃないよね?
もちろんいつまでも青春してらんないっていう面もあったりするけど、ドラマを見てってわけじゃなく、やっぱりいつまでも青春してたいよ。
オレンジデイズみたいにドラマチックなもんじゃないけど、俺のこれまでにあった青春の日々を思い出してみた。断片的な記憶ではあるけど、それなりの青春はあったと思う。こういうドラマを見ちゃうと、後悔することも多いけど(もっと日々を一生懸命生きられたんじゃないか?もっといい恋愛ができたんじゃないか?ってね)、でもこれまでの楽しかった記憶は、自分の中では一つ一つのドラマだね。
これから学生が終わってからの人生に、どうしたら青春を絶やさず生きていけるかな?いつもそんなこと考えるわけじゃないけど、たまに思う。過去の記憶だけでしかありえなくて、ガムを味がなくなるまでかみ続けるように、薄れていく記憶をひたすら探って生きていくのは切ないからね。
青春したい!青春しよう!
2004年10月25日(月)

191 素敵なもの

槇原敬之の最新シングル「僕が一番欲しかったもの」の詞がいい!
内容は、自分がとても素敵なものを拾って喜んでいるんだけど、隣にはもっとそれを必要としている人がいて、惜しい気もするんだけど、僕はそれをその人にあげるんだ。その人はありがとうといって、嬉しそうに笑う。いずれもっと素敵なものが見つかると思っている僕なんだけど、そんな風にしてまた拾った素敵なものを、またあげてしまう。そんなことを繰り返していたら、結局何も見つけられないままここまできてしまったんだ。僕は振り返ると、僕があげたもので喜ぶ笑顔が見れた。それを見た時の気持ちが、僕が欲しかったものだったんだって。
この詞はかなりシンプルなもので、とくに難しいことも言ってはない。でもこの詞で言っていることはとても意味が深いと思う。
なかなかこういう風に思えないのが人間なのかな〜って、ね。どうしても何かあげると見返りを求めてしまったり、自分に形として何かが残っていないと、自分には何もないように思えたり。
でも、この詞にあるように、自分が素敵と思うものを、より必要だと思う人にあげたときに、「ありがとう」という気持ちの入った言葉と笑顔に大きな価値が感じられるのなら、それはとても心が豊かなんだと思う。その結果自分の手元に何も残らなくても。
ここで言う「素敵なもの」っていろんなものが当てはまると思う。もちろん「物」であったり、もしくは「労働力」であったり、「時間」であったり、「お金」かもしれない。
自分にとって大切と思える「素敵なもの」と天秤にかけて負けないくらい、人々の笑顔やありがとうの言葉が素敵と思える心の豊かさがほしいね。
別に偽善的なことを言うつもりはないけど、こういうことを思う気持ちってとても大切だと思うんだ。たまにはこういうのもいいでしょ。槇原敬之の詞はいいよ♪
2004年10月13日(水)

190 歳と共に生きる

先日、友達と「女性が自分の年齢を隠すことについて」討論というか、口論になった。
一般的に女性が25歳を超えたあたりから、年齢を聞くのは失礼だという風習があり、そこら辺の歳の人には、女性に限り年齢を聞いてはいけない、という暗黙のルールがある。
これはこれで文化として、また日本人の割りと多くの人が礼儀として捉えている事実であることとして理解できることで、俺もそれはその考え方も受け入れている。
でも、例えば一般的に自分の年齢を気にするであろう30歳を超えた年齢になった女性が、例えば「30歳である自分」を誇りに思って生きているという姿というのはとても素敵であると思う。
自分の年齢をコンプレックスに思うなんて、とても馬鹿げていることだ。それは自分に対して失礼だと思うし、思ったところでどうなるものでもない。そんなことに暗くなるくらいなら、その点に関してはもっと前向きに、自分の歳とうまくかっこよく生きる生き方があると思う。
ちょっと話が変わるけど、俺の友達に太っている女の子がいる。こういっては失礼だけど、誰が見ても太っている。けど、その友達はそのことを隠すわけでもなく、そんな自分を冗談っぽく笑い、ダイエットが大変なのよとはにかむ。そんな彼女はとても素敵だと思うんだ。変に周りに気を使わせることもなく、自分のコンプレックスになるべきものともできる限りうまく前向きにつきあう。
これって同じことなんじゃないかな?周りが、世間が、習慣として年齢を隠している女性を映し出すものだから、30歳を超えた女はいけないのかと勘違いをしてしまっているんじゃないのか?とはいえもちろん俺は女じゃないから、「あんたは女じゃないからそんなこと言えるのよ」と言われてしまうだろう。隠さなくてはいけない年齢になった女性には、俺には分かりえない苦労や苦悩があるのだと。もちろんそれはあるだろう。俺にはわからないことだろう。でもだからといって、まるで当然のように聞くのは失礼だと決め付けてしまうのはどうだろう?
人によっては年齢を聞くことをためらうこと、聞いてはいけないんじゃないか?と思ってる人に対して逆に、「なんでそんなに聞いちゃいけないと思われなきゃいけないの?私の年齢っていけないの?」と思う人もいるに違いない。
年配の方々が、そういった風習の中で生きてきて、そういった習慣をもっていることはわかる。でもできれば今の若い、これからそんな年齢に突入していく人達には、どうかそういう考え方はやめてほしい。もちろんこれは俺の意見であるわけだけど、そのほうが全然かっこいいと思うから。
またまた話は変わるけど、結婚した女性にたいして、「赤ちゃんはまだ?」ということを聞く人が多い。俺が思うに、こっちのほうがはるかに失礼なんじゃないか?と思う。それはそんなつもりはなくても、確かに夜の情事についても触れているわけであり、また事情によっては子供を産めない人もいる。そんな意味もあり、その質問はとても相手がイヤに思うことも多いのではないのか?と思う。でもやはりその質問を考えなしにする人が多い。なぜかと言えば、みんながそーゆー質問をするから、これはしてもいい質問なんだと勘違いをしているんだろう。
これも同じことだ。なにが本当にいいことで、本当の意味で失礼なことか、もっと深く個人で考える必要はあるんじゃないかな?
2004年10月05日(火)

VOICE / マッキー

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