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2001年04月30日(月) 若草物語

1982年4月30日、
女優のキルステン・ダンストが生まれました。
「インタビュー・ウィズ・バンパイア」
「ジュマンジ」「ウワサの真相」
最近では「ヴァージン・スーサイド」
「チアーズ!」などに出演していましたが、
私にとっての彼女は、いつまでもこの映画の中の、
おしゃまなエイミーそのままかもしれません。

若草物語 Little Women
1994年アメリカ ジリアン・アームストロング監督

ルイザ・メイ・オルコット【若草物語】
複数の出版社から、多くの翻訳が出ています。


ルイザ・メイ・オルコットのこの原作は、
文学少女の必須科目的なお話ですし、
何度も映画化されています。
私はテレビ映画と、この94年版しか見ていないのですが、
キャサリン・ヘップバーンやジューン・アリスンの次女ジョオも、
リズ・テイラーの三女エイミーも見ずに敢えて言います。
絶対、この94年版が一番いい出来だと思います。
母親役のスーザン・サランドンも含めて。

まずは、ウィノーナ・ライダーのジョオが大成功でした。
「私はどうせブスでがさつだし」と嘆くには
嫌みなほどの美貌の持ち主ですが、
個人的には、この映画がつくられる前から、
彼女こそジョオにぴったりだと思っていたほどです。
賞は逸したものの、オスカーにもノミネートされ、
アカデミー会員もなかなか健全な目を持っているじゃないの、
と、偉そうなことを考えてしまいました。

ところで、先ほど「三女エイミー」と書きましたが、
本当の三女は病弱でピアノのうまいベスですね。
リズ・テイラーのときは、
映画的演出の必要から役柄を入れ換えたそうですが、
94年版のベスを演じたのは、あのクレア・デインズでした。
美しい長姉、活発で文才のある次姉、
おしゃまで画才のある妹を立てるような、
控え目で心優しい役を、
くしゃっと崩す表情も厭わず好演していました。

キルステン・ダンストが演じた四女エイミーは、
あの有名に「洗濯ばさみで鼻をつまむ」を披露してはいましたが、、
非常にあっさりとした、見落としそうな扱いでした。
ところで、あの洗濯ばさみで鼻を……というのは、
まともにその辺のプラスチック製のでやると、痛いですよ(経験談)。
昔ながらの木製で、
しかも「支点」になる部分の金具は緩めた方がいいようです。

私がこの映画を特に評価したい点の1つとして、
ジョオがボストンで知り合うフリッツ・ベアー先生役を、
ガブリエル・バーンがやっていたこともあります。
この人本当に、アイルランドの女子校で
教師の経験があるそうですね。
情熱的で知的な眼差しは、
「ミラーズ・クロッシング」や
「ユージュアル・サスペクツ」みたいな役も
はまっていましたが、
あくまで物静かに見えてキメるときはキメるのプロポーズのシーン、
最高でした。
この間、NHK教育で放送していたとき、
あのシーンだけで泣けました。
あの場面に関しては、
ウィノーナの手柄でもありますが……。

母役をスーザン・サランドンが演じているだけあり、
どことなく現代的なアレンジは感じますが、
確実に品のいい映画です。
ふだん、このジャンルをごらんにならない方にこそ、
お勧めします。


2001年04月28日(土) 素晴らしき哉人生!

1878年4月28日、ライオネル・バリモアが生まれました。
このおじいさま俳優は、決して愛すべき役ではなかったものの、
次の「世界で最も愛されている映画の1本」に出演しています。

素晴らしき哉人生!It's a Wonderful Life
1946年アメリカ フランク・キャプラ監督


この映画については、細々と愚にもつかない解説をするのには
ためらいがあります。
とにかく見て、いい意味でのアメリカ映画の「おめでたさ」を味わえたら、
それだけで、自分がこの世に生をうけたことの意味を、
自分なりにつかめたような気分になる、
そんな作品なのです。

不動産会社を経営する善良なジョージ・ベイリーの
子供の頃からの様子を、ある半人前天使が観察し、
彼が死にたいほどのトラブルに陥ったとき、
ある方法で救うのですが、
自殺を思い止まらせたその方法とは?
その方法のためだけに、
冗漫ともいえる彼の半生に付き合わされますが、
いわば、「逆クリスマス・キャロル」ってところです。

主演はジェームズ・スチュワートでした。
同じくキャプラと組んで熱演した「スミス都へ行く」よりも、
もっとずっと素直に感動できます。

といっても、映画の数だけ人の好みがあるのも現実で、
なんと欺瞞的な話だろうと感じる人もいるかもしれません。
だから私の望みは、クリスマス(やその直前)になったら、
BSなどだけでなく、地上波の、それこそローカル深夜でも、
この映画を取り上げてくれたらいいのになぁということです。
クリスマスには、ぜひこの映画を思い出したいからです。
そして、まだ見たことがなかったという人が、
ちょっとした好奇心から見ているうちに、どんどん引き込まれ、
ボロ泣きになっているかもしれないなあと想像しながら、
私も泣きたいと思います。

私がこの映画を見たのも、本当に偶然でした。
仕事の昼休み中に、職場近くのデパート内のCD店で、
聞いたことのないレーベルから出ている廉価版ビデオを手にし、
「フランク・キャプラ/ジェームズ・スチュワート」
の組み合わせだけに惹かれ、
ジャケットに書いてある粗筋も、ろくろく読まずに買いました。
これがまれに見るお買い得だということがわかったのは、
皮肉なことに、少々眠気が来始めたころでした。
(夜中に見ていたものですから……)
思うさま泣いたら、すっかり眠れなくなりました。

すべての映画ファンにお勧めします。
見た後、自分の中の映画ベスト作品ランキングが変動する人が、
結構いらっしゃると思いますよ。


2001年04月26日(木) ギルバート・グレイプ

さて、きょう26日は毎月1回の「風呂の日」です。
全国的に、銭湯料金が安くなったりするのでしょうかね。
私の実家の裏と、通っていた高校の隣に、なぜか銭湯がありました。
(ちなみに、両者の間は徒歩10分強ってところでした)
今はどちらも廃業していますが、
ゆっくりとつかりたいとき、よくお小遣いで入った覚えがあります。
「スイカの香りの全身シャンプー」
というけったいなものを雑貨屋さんで買い、
それで全身洗って、ゆっくり手足を伸ばして湯船につかり、
フィニッシュはコーヒー牛乳で決まりです。

というような、銭湯にまつわる映画が全く思い浮かびません。
これは、邦画をあんまり見ないせいでしょうが、
昨日、26日の作品は何にしようと思って、「お風呂」をキーワードに
頭の中で検索したら、一番最初にヒットしたのが、
「お風呂で兄に体を洗ってもらう少年」の姿でした。
(…出来過ぎに聞こえるでしょうが、そういうことにしておいてください)


ギルバート・グレイプ
What's Eating Gilbert Grape

1993年アメリカ ラッセ・ハルストレム監督

ピーター・ヘッジズ【ギルバート・グレイプ】二見書房

映画ファンならば、ぜひこの映画を「ディカプリオの出世作」と
言いたいのでは?と思います。
彼が演じたのは、知的な障碍を持つ18歳のアーニーでした。

ギルバートお兄ちゃん(ジョニー・デップ)は
アーニーをかわいがるし、本当に一生懸命面倒を見ているけれど、
時にはアーニーをうっとうしく思うこともあるし、
ちょっとしたミスから、1人でお風呂に入るのも覚束ない彼を
浴槽に放置し、凍えさせてしまうこともありました。
そのことで、あの風船のようにふくよかなママにひどくなじられるけれど、
自分の大チョンボを認めれば認めるほど、
「どうして自分だけがこんな貧乏クジを引かされるんだ〜」と
理不尽に腹が立っても仕方がないでしょう。
映画を見ていたお客さんは、あのシーンで、
風邪引いちゃったアーニーをかわいそうだと思いつつも、
みんなギルバートの味方だったんじゃないかと思います。

目を離すと、すぐ高いところに登って、
「『アーニーはど〜こだ』って言って」とウルサイし、
食料品店で、知り合いの子供がママにお菓子を買ってもらうとなると、
「キャンディにしなよ、キャンディがいいよ」と
よけいなお節介口を挟むし、
心が優しいのはいいけれど、
自分でバッタを面白半分にもてあそんだくせに、
「死んじゃったー」と、この世の破滅みたいな顔して泣くし、
演じるレオ君のベイビーフェイスのせいもあり、
どうしても、背の高い5歳児にしか見えません。
(差別的に不愉快に響いたら、申しわけありません)

が、その5歳児演技が最も説得力を持ったのは、
実は、風船クジラママが亡くなった後のシーンでした。
村一番の美人が、ストレス等からぶくぶくに太っていき、
子供たちがおもしろがって覗きにくるような姿になってしまい、
ある朝、眠るように死んでいたのですが、
葬儀に当たり、みんなの好奇の目にさらされるのをよしとしなかった
グレイプきょうだい(ほかにギルバートの上に姉、末に妹あり)は、
「ある思い切った行動」に出ます。
それがまた、ただのバカガキならはしゃぎそうなシーンなのですが、
レオナルド“アーニー”ディカプリオは、神妙な面持ちで見守っていました。
ふだんははしゃぎ屋の5歳の少年だって、
ここ一番で、あんな顔をすることがあるものです。
知的な障碍がある→精神年齢が低い→子供みたいに振る舞えばいい、
というのは短絡で、実際の子供って、
もっと知的で複雑なものですよね。
そういう演技になったのが、
監督の手柄なのか、レオ君の資質によるものかはわかりませんが、
あのときの知的な瞳は、
「演技派」の彼のお仕事の中でも一番ではないかと、
密かに思っています。

この映画、ギルバート役のジョニー・デップの抑えた演技もすばらしいので、
未見の方は可及的速やかにごらんになることをお勧めします。
ジュリエット・リュイスも、
(少し化粧が濃かったけれど)
存在がさわやかで、本当に感じのいい役でした。




2001年04月25日(水) ディアボロス・悪魔の扉

1945年4月25日、
92年度「セント・オブ・ウーマン」で7度目の正直でオスカーを受賞し、
それを境に貫祿がついた感じのアル・パチーノが生まれました。
この人、80年代はぱっとしなかった気がしませんか?
思いつくのって、せいぜい83年の「スカーフェイス」くらいです。
(ほかにも出てはいたのですがね)
これにはあのミシェール・ファイファーも出ていて、
かなり重要な役をこなしていましたが、そのときは、
あんなにいい女優になろうとは、思いもよりませんでした。

でも、きょう取り上げたいのは、
どのジャンルに入れたらいいかわからん怪作
「ディアボロス」です。
一応オカルトに入れてもいいのかもしれませんが、
そう言い切るにはためらいもあります。
個人的には、ラストの30分くらいは笑いがとまらず苦労したのですが、
もちろんコメディーではありません。
地上波でもちょっと前に放映されたので、
ごらんになった方も多いかもしれませんし、
結構話題にもなっていたのでしょうか?
私がこの(いつもなら見ないタイプの)作品を見たのは、
たまたま招待券が当たったのと、
パチーノが出ていたからで、
周りの評価・評判などは、全く意識していなかったのですが……。

ディアボロス The Devil's Advocate
1997年アメリカ テイラー・ハックフォード監督


ちょうど、キアヌー・リーブスが、「スピード2」への出演を蹴り、
インディーズの「死にたいほどの夜」で、
ファンが見たら死にたくなるような
ぶったるんだ体をさらした前後でしたか、
この「ディアボロス」では、すっきりしたハンサムぶりで、
負けなし(当然、すっごい嘘つき)の弁護士を演じていました。
彼の妻役だったのが、最近絶好調のシャーリーズ・セロンです。
「ノイズ」「サイダーハウス・ルール」「セレブリティ」
「バガー・ヴァンスの伝説」(見ていませんが…)に出ていますね。
個人的な感想を言わせていただければ、このころの彼女って、
顔と体がきれいなだけの安っぽい美人という印象でしたが、
最近は女優としてだけでなく、彼女自身の人となりも評価が高いようで、
こういうギョーカイに愛された人は先々強いので、要注目でしょう。

マイアミのやり手弁護士キアヌー君は、今日も今日とて
駄弁を弄してセクハラ教師の無罪をかち取り、
ちょっと後味の悪さを感じつつも、仲間たちと祝杯を上げました。

その彼をヘッドハンティングしたのが、NYの巨大法律事務所を運営する大物、
ジョン・ミルトンでした。それがアル・パチーノの役どころです。

成功した者だけに与えられる、都会のリッチな生活の始まりは、
そのまま若夫婦の地獄への近道でもありました。
シャーリーズ演ずる妻は、だんだんに精神を病んでいき、
NYは悪魔の棲むまちだと言って忌み嫌っていたものの、
シャーリーズを心配して駆けつけたキアヌーの母親(つまり姑)は、
そこでジョン・ミルトンの姿を見て、キアヌーに衝撃の告白を……!

全体に、トム・クルーズが主演した「ザ・ファーム/法律事務所」を
オカルト風味にしたという風情でした。
でも、あんまり怖くなかったなあ。
ところどころ、ひぇっとなるシーンもありましたが、
ラストは妙に道徳的に流れていくこともあり、
一体何が言いたかったのか全く理解できないままに、
映画が終わってしまいました。
いや、メッセージ色は強いのですけど、
映画としてつくった意義がわからないというか、
狐につままれたような気持ちとは、こういうことを言うんだろうと思いつつ、
劇場を後にしました。
訳のわからなさが、笑いにつながってしまったようです。

この訳のわからなさ、ぜひとも皆さんと共有したいと思います。
なので、未見で、なおかつこの手の話が嫌いでない方、
ぜひともビデオショップで探してみてください。


2001年04月20日(金) 『ライフ・イズ・ビューティフル』

さて、今日の映画は、悩んだ末、
「ヒトラーの影が見える映画」にしました。
1889年4月20日、ヒトラーの誕生日だそうです。

もしも歴史を変えることができるなら、
ヒトラーが受験した画学校の試験官になって、
「君には才能がある」と受け入れ、
立派な画家として成功させてやりたい……
と言った少女がいました。
といっても、アンネ・フランクではありません。
私が個人的によく知っている子です。
「画家になれたら、ヒトラーはあんなことしなかったでしょう」
というのが彼女の意見です。
大体、戦争ってやつは、世界中の空気を悪くするものだし、
ヒトラーがいなくても、他の人間がもっとえげつないことを
していたかもしれませんが、
そんな「仮説」を立てたくなるほど、
あのチョビひげのチビおやじの影響力は強いというわけです。


ライフ・イズ・ビューティフル La Vita è bella
1999年イタリア ロベルト・ベニーニ監督

ロベルト・ベニーニ【ライフ・イズ・ビューティフル】角川文庫

事前知識ほとんどなしで見るに限る……の
典型と言いたい作品だった気がします。
私はこれを見るたび、泣き始める時間が早くなるのですが、
(次に何が起こるかわかってしまうので、逆に涙腺が緩みます)
「世界中で絶賛の嵐!」「今世紀最高の感動作!」
といった評判を聞いた後だと、
ハスに構えてしまい、素直に感動できないか、
期待のし過ぎがアダになるかの
どちらかという可能性が高いと思います。

思えば、映画の舞台になっているこの当時のイタリアは、
ドイツと同盟国だったのですね。そして、日本も……。

収容所を舞台にしつつ、R.ベニーニのあのはじけ方は何なんだ!とか、
ナチスの犠牲になった人々を冒涜する気か!等々の批判も、
ないわけではなかったようですが、
ビクトール・エミル・フランクルの「夜と霧」を読んだ後、
多くの人が感じたであろう(と思いたい)、
不思議なほどのさわやかさ、
すごいモノをくぐり抜けて来た人々の強靱さ、
観察者としての驚くべき超然たる証言、に類するものが、
この映画にはあったと思います。

ほかにも、
*最後の子供の台詞がふるっている
『戦場の小さな天使たち』
*どうも評価のされ方がホラーじみていた気がする
『ブリキの太鼓』
*「あのシーン」を入れたウディの洒落っ気に拍手!な
『カメレオンマン』などを思い出しました。
不親切な、解説とも言えない解説ですけど、
いずれもまず見ていただきたい作品ばかりです。
(特に「カメレオンマン」)


2001年04月19日(木) クイズ・ショウ

1824年4月19日、詩人のバイロンが亡くなりました。
「愛に国境はない」などの名言を多数残した、
詩にあまりなじみのない私やアナタにも、
どこか「おなじみの」詩人ではないでしょうか。
彼の残した有名な言葉で、
「事実は小説より奇なり」というのもありました。

そこで本日は、実際の八百長事件がベースになっているという
ロバート・レッドフォード監督作品「クイズ・ショウ」で、
最も私の印象に残っているシーンについてお話ししたいと思います。

クイズ・ショウ Quiz Show
1994年アメリカ ロバート・レッドフォード監督


この作品が特に好きというわけではありません。
史実に基づいているといっても、映画化された以上、
演出や創作もあるだろうなと思う程度で、
正直言って、その線引きがくっきりできたとしても、
「あのシーンには感動した」「感銘を受けた」ということも、
実はほとんどない作品です。
ただ、恐らく映画ファンなら見ていて辛いだろうなと思うシーンがあり、
それがいつまでも頭に残っているのでした。

1958年。
より視聴者受けを考え、クイズ番組のメーンの解答者を、
魅力的な青年レイフ・ファインズに入れ替えたいと考えた番組スタッフが、
連勝を続け、飽きられ始めたジョン・タートゥーロに負けてもらうため、
「ある問題」で故意に間違えるように支持されます。
それは、映画の問題でした。
「1955年、アカデミー作品賞を受賞した映画は何か」
これ、かなりトリビアルな問題だし、
もし日本のクイズ番組で出るとしたら、
「ミリオネア」の、それもかなり高額賞金のところでしょう。
が、彼にはわかっていました。
何度も見ていて、好きな作品だったのです。
好きというよりも、
「共感できる」といった方がよかったかもしれません。
答えは、デルバート・マン(監督賞受賞)の『マーティ』でした。
アーネスト・ボーグナイン(主演男優賞受賞)は、
太目で余りルックスに恵まれていないがゆえに、
女性に対して消極的になりがちな男「マーティ」を演じていました。

「クイズ・ショウ」でジョン・タートゥーロが演じたのは、
見るからに野暮ったい男でした。
(演出したのがコーエン兄弟ではなくレッドフォードなんだから、
彼の個性が変な方向に使われたのは仕方ないとしても)
そんな男が、
「同志」のように思って見ていたであろう「マーティ」の問題を
間違わされる屈辱は、想像に難くありません。
クイズに興味のある人もない人も、
映画好きなら、ちょっと避けたい状況ではないかと思います。
知ったかぶりをするために映画を見るわけではないけれど、
好きなものに関しては、
周りが呆れるくらいに微に入り細をうがつように、
何でもいつでも話していたいと思うのは、
私だけでしょうか?
  
ところで……
映画の中では要するに、
「3年前のアカデミー賞受賞作を答えろ」と
言われているわけですが、
皆さん、3年前のアカデミー作品賞受賞作って言われて、
すぐに頭に浮かびますか?
実は、『タイタニック』でした。
某FM局で、「リカレント・ヒッツ」の名称で、
ほんの少しだけ古い曲のリクエストにこたえてくれる番組がありますが、
(最近聞いていないのですが、まだやっているのでしょうか?)
3〜4年前のことって、一番思い出せませない気がします。


2001年04月17日(火) 転校生

1982年の4月17日、大林宣彦監督による「尾道三部作」の
記念すべき第1作「転校生」が公開されました。
ということは、19年前の今日は土曜日だったのですね。
ごくまれに、祝日などが初日という場合もありますし、
一時期あった「金曜日封切り」も、今は話題にすらなっていませんし、
この当時はまあ、土曜日が主流だったでしょう。

転校生 1982年年日本 大林宣彦監督
山中恒【おれがあいつであいつがおれで】旺文社文庫

原作は、その昔テレビ放映されて人気を博した
「あばれはっちゃく」の原作者としても有名な山中恒さんの、
「おれがあいつで、あいつがおれで」でした。
映画化より少し前、講談社刊行の月刊少女マンガ誌「なかよし」で、
当時としてはかなりスタイリッシュな絵柄だったいでまゆみさんが、
「なんとかしなくちゃ!」というタイトルで劇画化していたものを、
結構熱心に読んでいた記憶があります。
だから正直言って、
お目々きらきらで、毎日服をとっかえひっかえしている
主人公に慣れていたせいか(
コミックでは「私服の中学校」に通っていました)、
映画の中の小林聡美と尾美としのりが、地味に制服で通学し、
何より2人があの「なごみ系」のお顔なのに、
ちょっと違和感を覚えたものです。

コミックの方で、サイトウカズミ(映画での聡美→としのり)には、
レイフ・ギャレット風ヘアの(古いなあ)美少年の兄が登場しますが、
映画にも、今は亡きロック歌手中川勝彦さん扮する兄が登場しました。
セリフはほとんどなくて、
縁側でスイカ食ってただけかも……という印象が
なきにしもあらずなのですが、
1994年9月17日、
白血病のため32歳の若さで亡くなったこの中川さん、
私、結構好きでした。
ただきれいなだけじゃなく、不思議な雰囲気のある人で、
ちょっと変な歌を歌っていたような……
頭が切れるおもしろい人で、今でいえば及川光博さんあたりと
キャラが被るかと思います。
いずれかのファンの方で、
気分を害した方がいらしたら済みません。
私は及川ミッチーも好きです。

ここに書くに当たり、「中川勝彦」で検索したら、
未だにバリバリに機能しているBBSを有するHPを見つけました。
忌日と、一体何歳だったのかも、そのHPで知り得たのですが、
今の私と同じ年齢だったのだなと知り、ある種のショックを受けました。
享年27歳でやはり白血病で亡くなった
女優の夏目雅子さんの年齢を追い越したときにも感じた、
そういう感覚です。
神様も、美しく才能のある方を傍に置いておきたいのでしょう。
「ああいった人たちを創造し、
この世に一時期でも存在させてくれたこと」には
感謝しないでもありませんが、
早々と連れ去るくらいなら、
最初からいない方がよかったのかも、
恨めしくも思います。

長くなりましたが。
未見の方に、ストーリーを障りのない程度に解説すれば、
幼なじみの男女(サイトウカズオとサイトウカズミ)がいまして、
女の子の方は一時期他地に行ってしまったのですが、
その後、また以前住んでいた町の戻ってきまして、
男の子は照れもあり、彼女に邪険にします。
それでも女の子は屈託なく彼にまとわりつき、
石段の上部で揉み合いになっているうちに、
2人は「蒲田行進曲」のヤスよろしく派手に転げ落ちてしまい、
気がつくと、お互いの中身が入れ替わっていたのでした!
というところから発生するさまざまな騒動を、
ちょっとスラップスティックに描いていました。

今や三谷幸喜夫人の小林聡美の自転車めちゃ漕ぎなどが印象的で、
尾美君(最近見ませんね)のオカマ演技が何かとかすみがちでしたが、
2人ともすごく頑張っていましたね。
今思うと、大林監督にしては下品な映画だったのですが、
不愉快な下品ではなく、
「まあ、いやあね」と、
にやにやしながら言いたくなるようなタイプです。
(↑男性にも尾美君気分でこんな言い方をしてほしい!)

この映画にまつわる最大の思い出はというと、
高校1年の5月ぐらいだったと思いますが、
体育の時間、なぜかビデオを見ることになったのでした。
いつもの担当教諭A氏が出張のため、
ピンチヒッターのS先生がいらして、
「A先生から、これを見せておけと言われたんだ」
と、1本のソフトを再生機に入れますと、
そこに映し出されたのが、「転校生」でした。

最初は「なんで〜さ」と思いつつ、
まあちょっとラッキーかなと、
そのまま見ていたのですが、
あるシーンで、
S先生が慌ててビデオをストップしてしまいました。
それは、2人の中身が入れ替わった後、
カズオがカズミに電話をかけるシーンでした。
カズオは、
あの男性の第一次性徴であるところの「ノズル」を使って
排尿をしたことがないので(そりゃそうだ)、
し終えた後どうしたらいいかわからず、紙で拭いたと言います。
そこでカズミはこう言い放ちました。
「ばかやろ。二、三遍振り回しときゃいいんだよ。
紙なんか使う奴があるか」
ここで“ぶちっ”でした。
「こ、こんなの見せられるか!」
くらいのことは、おっしゃったかもしれません。
その後のことは覚えていませんが、こわもてのS先生が
真っ赤になっていたのはよく覚えています。

少々カマトト的なことを申しますと、私はこの映画のおかげで、
そうか、男の人は「小」の後には紙って使わないのかと知りました。
こういうことは、保健体育のテストでは出ないので……。
(ちなみに、うちは女子校でした)

ここまで書いておきながら、とってつけたように響くかもしれませんが、
日本映画史に残る傑作青春映画の1本であることも、
ぜひ申し上げたいと思います。


2001年04月16日(月) 街の灯

今まで取り上げた映画のタイトルを見ると、
自分で思っていたよりも、
世間的に「コメディー」として認識されている作品が
少ないことに気づきました。
もちろん、どんなジャンルにせよ、必ずどこか笑えるような、
コミカルなところのある作品が好きなのですが、
ビデオショップで「コメディー」に分類されていそうな作品となると、
そうたくさんはないのでした。

今日御紹介する作品は、1889年4月16日生まれの、
「コメディーの王様」という見方をするセクトも存在するであろう、
1人の「偉人」がつくった映画です。

街の灯 City Lights
1931年アメリカ チャールズ・チャップリン監督


サイレント期の傑作の1本ですね。
相手役のバージニア・チェリルも可憐でした。
「幸運のウサギの足」が出てきたのは、
この映画だったでしょうか?

そうなの!好きになったら、その人のお役に立ちたいの。
傍から見ると、何もそこまでってことまでしちゃう。

お酒の上でのヨタ話は、過信しちゃだめなんだよー。
あ〜あ、言わんこっちゃない。
……でもまあ、あのO.ヘンリーだって、
投獄経験があるわけだし。

そうか。彼女、手術うまくいったんだね。
え?その表情(かお)はどういう意味?
なになになに〜 なんなのぉー。

と、私はこの映画をビデオで見たので、
かように突っ込みながら堪能しました。
もともと独り言の多いたちですが、
ビデオを見ているときのソレはまた格別です。

大ざっぱに言えば、盲目の娘に恋したチャップリンが、
彼女を助けたい一心で東奔西走し、
ひょんなことで酒を酌み交わし、意気投合した……はずの
金持ちに裏切られ、警察の御厄介になったりする、
なかなかにぎやかなストーリーです。
何とか手術費用ができ、娘は目が見えるようになるのですが、
自分を助けた男を立派な紳士だと信じていたら、
浮浪者も同然のチャップリンの手を握って、
この人が私を……?と気づくというストーリーです。

このラストシーンの感動が
映画史上語り継がれているわけですが、
私の頭は「?」でいっぱいになりました。
だって、バージニア・チェリルの表情が、私には、
どうしても落胆しているようにしか見えないのです。
サイレントなので、
せりふではなく「You?」という飾り文字の字幕が
出てくるだけなのですが、
同じ「あなたなの?」でも、
その前に「え〜っ」がつきそうな感じです。

百歩譲って、
ただただV.チェリルが感極まっていただけとしても、
とにかく、彼女が自分の恩人を知り得たのは、
手の感触によるものでした。
みすぼらしいチャップリンの姿を、
働いている店の中から見た彼女は、
ガラス越しに、「あの人、私に気があるのよ」と、
せせら笑うような調子で言いました。
ちょっとした同情からチャップリンに手渡した花が、
手の感触を確認させたわけですが、
少なくとも、このシーンを見ていると、
彼女が急にチャップリンという人を「見直す」というのは、
どうも考えにくい気がしました。

私はひょっとして、
とことん性格がひねくれているのでしょうか。


2001年04月15日(日) 菊次郎の夏

長女がサッカースポーツ少年団に入りました。
結団式が昨日の午前中にあり、午後から早速
3時間ほど練習に参加してきたのですが、
「結構楽しかった」そうです。
が、月3000円を4期に分けて(つまり9000円ずつ)
払い込むための諸経費の袋を受け取ったとき、
正直、「さっさとバテて音をあげないかな…」と、
ちらりと思ってしまいました。
公立の小学校なので、
過激に金がかかるとは思っていませんでしたが、
「3000円×3カ月」と、
事も無げに予告なく言い渡してくる神経が、
ちょっと許せない気がしました。
保険料、入団料などで、既に4000円払ってあります。
よくよく考えると、やたら高い方が、
「こんなに払えません」という理由で
入団を取り消せるのに、この中途半端な負担感ときたら…

お金のことばっかり書いちゃいましたが、
もう1つ気になるのは、このクラブに入ったおかげで、
「長女との週末」がなくなったことです。
練習は、御丁寧に土日の午後行われるからです。

今はどうしても、小さな次女に合わせた生活をしていますが、
私と長女は、以前はよく一緒に映画に行きました。
子供向きの作品のみならず、大人向きの映画の試写会などにも、
しょっちゅうつき合ってくれました。
大抵は居眠り&中座の王者ですが、
「ムトゥ 踊るマハラジャ」のような長尺ものでも、
気に入れば、喜んで見ていたものです。
次女がもっと大きくなり、今よりも身動きがとれるようになっても、
今度は長女が自分の予定で手いっぱいになることでしょう。
彼女が好きで始めたことを応援したいと思う反面、
手前勝手な寂しさと、懐の痛みを感じる春であります。

2年前、まだ小3だった彼女を連れて見にいった映画には、
実にかわいらしく印象的な、天使のマスコットが出てきました。
それをつくったゲージツ家篠原勝之さんは、
今日4月15で59歳になるそうです。

菊次郎の夏 Kikujiro
1999年日本 北野武監督


正直申し上げて、この映画が大好きというわけではありません。
たまたまほぼ同時期に、非常によく似たシチュエーションの
ブラジル映画「セントラル・ステーション」を見ていて、
こちらの映画が非常にツボにはまった感じがあったので、
「菊次郎…」の方は、映像表現はきれいだけど、
プロットはベタベタだなあ、などと、
ナマイキな感想を持ったほどです。
けれど、ビートたけし(役者名はこちらでした)と
旅をする正男少年(関口雄介君)が、
おせじにも美少年とは言えない顔で、
静かに静かに泣くシーンなどは、
今思い出してもぐっと来るものがあります。

前述の「天使のマスコット」は、
映画に登場するバイクツーリストの2人組、
グレート義太夫と井手らっきょ(のどちらか)が、
「彼女にもらった」んだと言って、
お守りがわりにバイクに提げていたものでした。
繊細なガラス細工でしたが、
「ああいうの欲しいなあ」とぼんやり見ていたら、
後日、そう思った観客が多かったのか、
限定数をインターネットで販売するという
ニュースを見た覚えがあります。
が、サッカークラブの払い込み金9000円にガタガタ言う私が、
5けたプライスの品物にほいほい金を出すわけもなく、
その天使は、私の手元にはなく、頭の中だけの思い出となりました。

また、この映画には、もう1つ思い出があります。
かなり終盤の海岸のシーンで、小さな黒い影が見ました。
どうやら、蝶や蛾のような羽の昆虫が飛んでいるシーンのです。
すごいなあ、あんなあざやかな影、よく撮ったなあと思っていたら、
実は、映写機の前をひらひらと飛んでいた蛾が、
影絵の要領で、北野映画への無断出演をしていたのだとわかりました。
平生昆虫が好きな長女はすぐに反応し、
暗闇の中でニヤニヤと私の方を見ました。
映画の上映が終わり、帰りのバスの中で最も盛り上がった話題は、
蛾の影絵のことでした。

実は、この映画を見て思ったことは、
「私、北野映画はここどまりかな」ということでした。
ほかの作品は、レンタル店でもどうも手が伸びなかったのですが、
いよいよ手が伸びなくなるような予感が、残念ながらありました。
優れた監督だということと、好きになれる監督だということは、
悲しいかな、違うんですよね。


2001年04月14日(土) フル・モンティ

1961年4月14日、
ロバート・カーライルが生まれました。
気がつけば非常に多作な人なので、
「これ」を「代表作」と言い切ってしまうことに、
葛藤がないでもないのですが、
とにかく御紹介します。
本当は、1912年、タイタニックが沈没した日でもあるのですが、
私はもあの映画について語れるほど思い入れがないのです。
ファンの皆様、申しわけございません。
でも、ケート・ウィンスレットの演技はすばらしかったし、
“不沈のモリー・ブラウン”こと
キャシー・ベイツもよかったですね。
決して嫌いな映画ではありません。

フル・モンティ The Full Monty
1997年イギリス ピーター・カッタネオ監督


最近では舞台ミュージカルにもなったという、
イギリス映画としてはまれに見る大ヒット作品ですが、
「すっぽんぽん」を意味する“Full Monty”は、
アメリカ英語にはない表現なので、
どういう意味なのかわからないまま見ていたアメリカ人も
多かったとか。
注・本来“Full Monty”自体には“すっぽんぽん”そのものの意味はなく、「全部」「一切合切」の方が近いそうです。Montyは、第二次大戦でドイツ陸軍のロンメル将軍を負かしたモンゴメリー元帥の愛称。この人の、何でもとことんやる性質に由来しているそうです。
そういえば、『テイラー・オブ・パナマ』の中で、ピアーズ・ブロスナンが、スーツの仕立てを「フル・モンティで頼む」と言っているシーンがありました。
「あの映画以来、本来の意味が勘違いされているがね」とも。


ロバート・カーライルは、鉄冷えの町シェフィールドに住む
バツイチの失業者で、愛息ネイサンの養育費を支払えないため、
親権を妻に奪われそうになっている男ガズを演じています。

ネイサン役のウィリアム・スネープは、イギリスに多そうな、
「大人になってもカワイイ顔してそう」な美少年です。
彼の賢そうな表情を見るためだけに見るのも悪くない気がします。
そのネイサンのため、
「好きでやってんじゃない、親だからやるんだ」
との名台詞を生んだガズの金策行為は、男性ストリップでした。

ストリッパー仲間を演じている役者さんは、
元鉄工所の上司に当たるジェラルドが、
「恋におちたシェイクスピア」や「ラッシュアワー」でも見られる
トム・ウィルキンスン、
ガズの親友デイブ(冗談のようですが、太っています)
が、「フリントストーン2」のマーク・アディーでした。
また、車中でガス自殺を図ろうとしているところを
ガズとデイブに助けられるロンパーを演じていた
スティーブ・ヒューイソンは、
「マイ・スウィート・シェフィールド」で姿を見ましたが、
ほかの2人(ヒューゴ・スピアーとボール・バーバー)は、
残念ながら、私はほかでは確認しておりません。
でも、本国では、皆さん人気がある役者さんだとのことです。

余談ですが、ヒューゴ・スピアーという名前は、
20年近く前の「創作童話コンテスト」の
入賞作を集めた本で見たことがあります。
1983年に15歳か16歳の少年だったので、
彼の外見から推し量れる年格好からして、
案外、同一人物かもしれません。

92分というコンパクトで、テンポもよろしいので、
飽きさせないつくりではあると思います。
私は何しろ大好きな映画なので、
もっともっとしつこくお勧めしたいのですが、
(何せ、劇場で2回、ビデオでは30回以上は見ました)
映画好きで、星取表まで作成しているという某女優が、
この映画を最低ランクに入れていたのを見ましたので、
万人受けする映画とは言い切れないのかなあと考え直し、
ビデオショップに行っても、「ハズレだったらどうしよう」を懸念して、
手に取れずにいる方がいらしたら、
背中を押して差し上げたいと思います。「おもしろいっすよ」


2001年04月12日(木) レ・ミゼラブル

1979年4月12日、クレア・デインズが生まれました。
また、今日は、1983年にパン普及協会が制定した、
「パンの記念日」でもあるそうです。
1842年、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍が、
兵糧として乾パンをつくったことにちなんでいるそうですが、
クレア・デインズ……、パン……とくれば、
次の映画はいかがでしょうか。

レ・ミゼラブルLes Miserables
1998年イギリス=ドイツ=アメリカ合作
ピレ・アウグスト監督

ビクトル・ユゴー【レ・ミゼラブル(あゝ無情)】岩波文庫

『あゝ無情』という日本語タイトルでも知られる、
ビクトル・ユーゴーの文芸大作ですね。
何度か映画化されていますし、ミュージカルも有名。
が、私はこの1本しか見ておりません。
でも、比較する必要もないかと思いました。
日本でも人気のある役者が大挙して出てくるというのもありますが、
とにかく見やすく、それでいて手応えもあるのは確かです。

ジャン・ヴァルジャンは、
パン一切れを盗んだ罪で19年間投獄されました。
そのヴァルジャンを演じたのは、リーアム・ニースンですが、
どうしても私には最後の最後まで、
ジェラール・ドパルデューに思えました。
顔が似ているわけでもないのですが、
今にもフランス語話しそうだし。
(全編英語でした。戦時下のドイツを舞台にした
『スウィング・キッズ』とか、
東洋人だらけの『ラスト・エンペラー』
で英語をしゃべっていたときよりも、
個人的にはずっと違和感なかったです)

ヴァルジャンを執拗に追い詰めるジャベール警部は、
ジェフリー・ラッシュでした。
これがまた、ねちっこさがよく出ていて、
本当にはまっています。
子供のころ「まんが世界昔話」※で見た、
「あゝ無情」のジャベールのイメージ
そのままでした。
 ※)名古屋章と宮城まり子が吹き替えていた番組ですが、
   覚えている方いらっしゃいますか?

ヴァルジャンが縁あって引き取る娘コゼットが
年頃になってからを、クレア・デインズが演じていましたが、
そのコゼットの母親フォンティーヌを演じ、
かなり最初の方で姿を消してしまったのが、
あの泣く子も黙る美女ウーマ・サーマンです。
ひどくみすぼらしい女を熱演していました。
女優が醜い女役を演じるのは、
かなりチャレンジングなことなのでしょうが、
いやあ、この映画のサーマンは、本当に醜かったです。
↑もちろん私、褒めているつもりで言っております。

原作は非常に長いものですが、
(フランスでは短編は軽んじられる傾向にあるとか)
私は小学4年のとき、子供向きに翻案したものを読み、
それなりに感動して、感想文を書きました。
それを担任に褒められ、コンクールに出そうねと言われて
いい気になっていたのですが、
あろうことか、担任はその作文をなくしてしまいました。
実は、次の年も、担任こそ違ったけれど、
全く同じ目に遭いました。
さすがに6年生になったら、別な作品の感想を書きましたけど、
今思うと、何も読まずに感想文だけ書こうとした5年時は、
失くされたのは「天罰」だったのかもしれません。

その本で一番印象に残っているのは、
フォンティーヌが、コゼットの里親テナルディにだまされ、
髪の毛や前歯を売ってお金をつくるところでした。
映画的演出としては「体の売る」の意味が大分違っていたけれど、
どちらにしても、悲しい母親の姿に胸が詰まります。
私も母親のはしくれですが、
髪の毛なら、買ってくれる人がいれば(喜んで)売るけれど、
それ以外はちょっとなあ……。
強いて言えば、プライドを安く売って、
ほいほい仕事を引き受けちゃうことはよくありますけど。

映画のテーマは、偏に「愛」という感じでした。
ヴァルジャンとフォンティーヌの間には、
それ以外の言葉で表現できないようなつながりが、
束の間とはいえしっかりとあったし、
ヴァルジャンとコゼットは、出会った瞬間に親子でした。
ジャベールの、職務に忠実たれというパラノイア的こだわりも、
いわば「愛」だったでしょう。

それにしても、この手の文芸ものを見るたび思いますが、
名作と言われる文学って、大抵プロットは通俗的なものですね。
そうでないものは、ただ単に「難解」だし。
そう考えると、「通俗的」って決して悪いことじゃないなと思えます。
すごく乱暴に解釈すれば、受け手への思いやりってことで。
その表現に失敗すると、
いわゆる「ソープオペラ」「昼メロ」系になっちゃいますけどね。

絶対無理だと思いますが、
ケン・ローチ監督、ユアン・マッグレガー主演の
「デビッド・コパフィールド」なんて見たい気がします。


2001年04月11日(水) 1987年度アカデミー賞ノミネート作

1988年の今日、
坂本龍一を含む「ラストエンペラー」音楽スタッフが、
アカデミーオリジナル作曲賞を受賞しました。
ラストエンペラー」は、ちょうど昨年度の
「グリーン・ディスティニー」と同じで、
役者に(感情表現が乏しく見える)東洋人が多かったのが、
キャスト部門で全くかすりもしなかった要因と思われますが、
大きな声では言えないけれど、私個人としては、
ジョン・ローンが見ていて痛々しいというか、
「すごいなぁ」というより「頑張ってるなあ」としか思えなかったし、
女優も、特に印象に残った人がいません。
これも個人的な意見なので、聞き流していただきたいのですが、
キャストを除く幾つもの部門をナメるように受賞する映画より、
受賞はキャストが1,2部門で、下手をすると
作品賞の候補にも挙がらないというタイプの方が、
私は映画として好きです。

この年、「ラストエンペラー」は大本命といってよかったでしょう。
けれども、ほかもなかなか見応えのある作品が並びました。
「サイダーハウス・ルール」「ショコラ」と、
ここ2年連続で監督賞にノミネートされたラッセ・ハルストレムが、
初めて監督賞にノミネートされた年でもあります。

ちなみに、 対象作品だった「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」は、
外国語映画賞を受賞しました。
ハルストレムファンの間では、
「ギルバート・グレイプ」が圧倒的に評価が高いようですが、
私は「マイライフ…」も決して嫌いではありません。

◎「危険な情事」エイドリアン・ライン監督
ホラーじみた映像が満載だったものの、なかなかのドラマでしたね。
「免許証の書き換え時に見る交通安全啓発のドラマみたい」だと
表現していた人がいました。
「どうです、不倫って怖いでしょ」というわけですか。
ちなみに、この映画の主演男優マイケル・ダグラスは、
この作品ではなく、「ウォール街」で主演男優賞をとりましたが、
そんなによかったか?と思ったのは、私だけではないと思います。
絶対この賞は、ロビン・ウィリアムズか、
(「グッドモーニング,ベトナム」)
マルチェロ・マストロヤンニ(「黒い瞳」)のものでした。

◎「ブロードキャスト・ニュース」ジェームズ.L.ブルックス監督
いつもなら、絶対最も好きになりそうなジャンルなのに、
どうも冗長な感じを受けました。大人のラブコメです。
見た当時19歳だった私にビンと来なかったのは、
年齢のせいだけでしょうか。
でも、映画の中の三角関係そのままに、
それぞれ主演男優、主演女優、助演男優にノミネートされた、
ウィリアム・ハート、ホリー・ハンター、アルバート・ブルックスは、
皆さん安心して見ていられるうまさでした。

◎「月の輝く夜に」ノーマン・ジェイソン監督
シェールが主演女優賞、オリンピア・デュカキスが助演女優賞を、
それぞれ受賞しました。
シェールの婚約者の弟役で、まだ若かったニコラス・ケージが
出ていたのですが、
同時期に「赤ちゃん泥棒」なんてオフビートなコメディーもあり、
絶対ニッキーは「来る」と思っていたら、ブレイク遅かったですね。
イタリア系の一家が中心になっているため、
すごくイタリア色の強いドラマでしたが、
オリンピア・デュカキスがレストランで1人で食事をしていたとき、
話しかけてきて、成り行きで彼女の頬にキスをした男性を、
(多分アイルランド系の)ジョン・マホーニーが演じていて、
ちょっと冷たそうだけど、紳士的でいい感じだなあと思っていたら、
この映画以外では、嫌な役多い人でした。
大統領選挙の年でもあった88年、
オリンピア・デュカキスのいとこ、マイケル・デュカキスが、
ジョージ・ブッシュ(もちろん先代)の
対立候補として名前が挙がっていて、
受賞スピーチでオリンピアは、、
「マイケル、頑張って!」と叫んでいました。
結果は、御存じのとおりでしたが……。

◎「戦場の小さな天使たち」ジョン・ブアマン監督
ノミネート5作品の中で、私はこれが一番好きです。
作品賞と監督賞にノミネートされただけでしたが、
役者さんも皆さん達者でした。
それだけに、印象に残りにくかったのが敗因かもしれませんけど。
「かわいい子役はアメリカ、賢い子役はイギリス」
という言葉を耳元でささやかれながら見たら、
「なるほどね」と思うような、
知的な雰囲気の少年が主人公でした。
今は亡きイアン・ヴァネンの
(近作「ウェイクアップ・ネッド!」もよかった)
ラストシーンでの高笑い、今でも忘れられません。
また、「グレート・ブルー」(「グラン・ブルー」)で
ジャック・マイヨール的な役を演じていた
ジャン・マルク・バールが、カナダ兵の役で出演してしました。
そういえば、これは後で知って驚いたのですが、
「グレート…」で、
ジャックのライバルだったエンゾ(ジャン・レノ)も、
実在のモデルがいる役だったのですね。
ちょっと前、何かのテレビ番組で、かなり高齢で御存命と知り、
二度びっくりしました。

この文中に唯一あらわれなかった「助演男優賞」は、
「アンタッチャブル」のショーン・コネリーが受賞しました。
うん、それ自体は依存ないのですが、
彼の映画の中での「最期の」シーンはひどかったと思います。
また、今やノミネートの常連で、
第二のシドニー・ポワチエの呼び声も高いデンゼル・ワシントンが、
南アのアパルトヘイトを扱った「遠い夜明け」で
助演にノミネートされた年でもありました。


2001年04月10日(火) Dearフレンズ

1949年4月10日、当時の厚生省が、
「4月10日は婦人の日」と
制定しました。
1998年に、名称が「女性の日」と改められたそうですが。
それに因んで、デミー・ムーアが自らプロデューサーとなり、
あらゆるスタッフに女性を起用することにこだわった、
「Dearフレンズ」を御紹介します。
大昔のイタリア映画だかフランス映画だかで、
「女だけの都」というのがありましたが、
見ていないものは取り上げない主義なので、
興味を抱きつつも、
「まあ、そういうことで」にさせていただきました。

Dearフレンズ Now and Then
1996年アメリカ レスリー・リンカ・グラター監督


原題は「NOW AND THEN」とのこと。
安直に、「少女版スタンド・バイ・ミー」だと、
公開当時はよく紹介されていましたが、
私は正直言って、「スタンド・バイ・ミー」より好きです。
あの映画も好きは好きなのですが、
誤解を恐れずに言えば、
「あ〜あ、男って気楽でいいわよね」と思ってしまうのです。
逆にいえば、この「Dearフレンズ」は、そういう意味では
あんまり男性にお勧めできない映画かもしれません。
「ウザい」「タルい」と一蹴される可能性が高いです。
それを言ったら、性別を問わず、「スタンド…」が好きという方には、
評判がよくない作品かもしれないのですが

「スタンド・バイ・ミー」と決定的に違うのは、
4人(数まで一緒!)の少女が成人してからの模様も、
かなり重要なウェートを映画の中で占めているところです。
これが「ウザい」原因でもありますが、
ただ昔を懐かしむだけの映画でないということは、
原題「NOW AND THEN」からも察せられるとおり。

ところで、思ったのですが、この4人って数字は重要です。
なぜならば、群像劇であると同時に、「2人と2人」に分けられます。
奇数だと、バランスが難しいんですよね。
私は学生時代、女子生徒が7人(村の分校みたいですが)
という環境にいて、いつも何となくはみ出していました。
もちろん、3人と2人と2人という分かれ方だって可能ですが、
3人だと、うまく自分の身の置き所を確保できないという人間もいるのです。
私が「そう」でした。
で、別に1人でいるのも気楽で苦にならないからと、
何となく単独行動をとることが多かったのですが、
担任教官に、「君はどうも浮いているなあ」と言われました。
他人に合わせてマイペースを崩すよりも、
「浮いている」方が気楽という人間もまた存在するということを、
ぜひわかっていただきたかったのですが、
以後、どこに行っても私が自分のキャラクターとして
自覚するものとなりました。

この映画の4人の場合、
ギャビー・ホフマンとトーラ・バーチ、
クリスティーナ・リッチーとアシュレイ・アストン・ムーアが
何となく「ペア」でした。
ちなみに、それぞれの成人後は、
デミー・ムーア、メラニー・グリフィス、
(町を出て、作家と女優になる)
ロージー・オドネル、リタ・ウィルソン
(町に残って、医者と専業主婦)
が演じていましたが、
まだ細かったクリスティーナ・リッチーが巨体のロージーに、
(最近のクリスティーナって、かなりぽちゃっとしてきましたね)
ぽっちゃりしたアシュレイが細いリタになるあたりに、
妙なリアリティーを感じました。
リタのお産が間近なところに、
町を出た2人が帰ってくるという設定でしたが、
久々の再会で、ぎこちなく接しているのを見て、
「おっ」と思いました。
幾ら仲のよかった友達でも、
そうそう「昔に戻ったみたい」とはいかないのが
普通ではないでしょうか。
「この映画、当たりかもしれない」と思えたのは、このときです。
リアリティーだけが映画の真価ではないし、
ウソっぽいほどのファンタジーも嫌いではないのですが、
少なくともこのときは、細部のリアリティーが
すごく小気味よく覚えたのは事実です。

ところで、4人のうち、成人してからをリタ・ウィルソンが演じていた
アシュレイ・アストン・ムーアの名前が思い出せず、
検索して調べてみたら、
大抵は個人で運営している映画批評のサイトでしたが、
この映画、評判悪いんですね。びっくりしました。
大かた「少女時代だけでいい」というような調子でしたが、
もしもそういう映画だったら、
私がちょっと「アカン」かったかもしれません。
子供のころのきらめきやときめきを振り返る大人、
というのはよく使われる手法ですが、
この映画は、そんな中でも処理がうまいと思うのです。
(劇場版「フランダースの犬」を見にいったら、
ネロのガールフレンドだったアロアが、
修道女スタイルでいきなり出てきたのにはぴっくりしました。
そこまで彼のことを思い詰めていたのね……と、
オールドファンなら思うシーンです)

おバカな70年代ファッションで登場するギャビー・ホフマンの母親役を、
ロリータ・ダビドビッチが演じていました。
州知事とストリッパーが恋に落ちる実話がベースの「ブレイズ」で、
ポール・ニューマンと愛をはぐくむストリッパー役でしたが、
あの映画が大好きなので、その後の彼女の伸び悩みが残念でなりません。
ほかにも案外豪華キャストだったようですが、
「ジャニーン・ガロファロウ※、ハンク・アザリア」と言われても、
「え、どこに出てた?」としか言えないのが残念です。
ハンクは、家を出て行ってしまうギャビーの父役だったかもしれませんが、
本当に、全く覚えていません。
そんな中、出演シーンは長くないのですが、
無精髭だらけのベトナム帰還兵を演じた
ブレンダン・フレイザーのがっしりした首元が、
すごく存在感がありました。
小汚い格好でも、少女たちは「どこかカッコイイ男性」に敏感で、
みんなで大人ぶって彼に接し、吸えないタバコを無理にふかし、
ちょっとはすっぱな口を利いたりする姿がかわいかったです。
実際は、そんなことがあったわけでもないのに、
「私にもこんな日があったんだワ」と、当時28だった私は思いました。
もうすぐ33になる私は、その28歳当時の私を、
「年寄りぶりたい年頃だったからねえ」と冷静に見る始末です。
人間、適当な年齢になると、基本的にはそうそう成長するものではないけれど、
自分の変化に驚いたり、呆れたり、感心したりってあるものです。
実際、映画の中のデミー・ムーアも、お世辞にもうまいとは言えない演技で、
自分は一体大人になったのか?というような戸惑いを、
少しだけ子供に戻って、親友たちに打ち明けていました。

結論。この作品と「スタンド・バイ・ミー」は、結局テーマが全く違います。
並べてどっちが優れているか劣っているかを論じるのは、
お互いの「不幸」につながるだけという、
至極当然なところに帰結しました


2001年04月09日(月) 風の歌が聴きたい

さて、今回は、かなり自慢話率が高くなります。
何といっても、「映画のモデルに会う」という、
非常に貴重な体験をしてしまったので。

まず、その前に。
1962年4月9日、俳優の天宮良の誕生日だそうです。
私がお会いした高島良宏さんという方は、
「自分」の役を演じた天宮さんや監督の印象などを、
手話でお話ししてくださいました。

風の歌が聴きたい
1998年日本 大林宣彦監督


聴覚に障碍を持つ実在のトライアスリートの、
奥様とのなれそめ、恋、結婚、二世誕生までを、
沖縄での実際のトライアスロン映像も交えながら、
端正に、でも堅苦しくなく実に楽しく綴った、
大林監督らしい作品でした。
映画の性質上、全編通してセリフが字幕化されていました。
大林監督は、この仕事のために、手話の猛特訓をして、
非常にお上手に使いこなすまでになりました。
(高島さん談)

主演の天宮良は、果敢にも中学生の役から
自分でこなしていました。
確かにオヤジっぽいのですが、
結構説得力のあるルックスになっていました。
共演の中江有里も、
中学生から母親になるまでを通して演じていましたが、
こちらは全く違和感なしで、大したものです。
実際の高島さんは、背はそう高くないものの、
スポーツマンらしいがっちりした、精悍な感じの方でした。
天宮良は、浅黒い肌とか雰囲気は似ていなくもないのですが、
ちょっとぽてっとしたお腹を引っ込めてもらうために、
一緒にトレーニングをし、体を絞ったそうです。

高島さんは、当地福島の御出身なのですが、
映画の中では「栃木」の設定になっていました。
撮影に当たり、福島県では幾つか許可の取れないことがあり、
お隣の栃木県に変更したのだとか。
めちゃくちゃ地方色が豊かという話でもなかったけれど、
福島県人としては少々残念です。

私が高島さんにお会いできたのは、
地元の劇場でこの作品を上映するに当たり、
高島さんの講演会が企画されたためです。
私は、彼の話を速記・反訳し、
後に劇場のフリーペーパーの載せるための原稿をつくりました。
非常に口話がお上手だということで、最初は高島さんが話した内容を
通訳の方が手話で伝えるということを想定していたのですが、
当日、喉の調子がよろしくないということで、急遽、
高島さんが手話、通訳の方がそれを読み取ることになりました。

通訳さんは、手話の読み取りに難儀されたようです。
(非常に健闘なさったと思いますけど…)
これ、私も速記士としてよくわかります。
たとえ同じ方式の符号だったとしても、
人の書いたものって読めないものです。
ましてや、手話は生きた言語ですから、
決まり事はあったとしても、個々人の癖も強いのでしょう。
映画の中でも、「手話にも方言があるのかな」という
セリフが出てきました。

そんな共通項を感じ取ってくださったのか、
控室となった劇場の事務所で、
速記について聞かれました。
通訳に間に入っていただき、コミュニケートできましたが、
もう少しいろいろお話ししたかった気がします。

当日は残念ながら劇場に来られなかった
高島さんの奥様も、聴覚に障碍があるのですが、
(その辺の事情は、ぜひ映画でごらんになってください)
当時(98年9月)4歳だったお子さん玲音(れお)君は、
惚れ惚れするような手話を使いこなしていました。
ドイツ映画「ビヨンド・サイレンス」の中での、
聴覚障碍者の両親を持つ少女が、2人の通訳を一手に引き受けていて、
父方の祖母に、
「見ていてほれぼれするわ。私なんて蠅を追っ払っているみたい」
と言われるシーンを思い出しました。
4歳にしてバイリンガルで、
それも「自然に身についてしまっている」なんて、
余りにもクール過ぎるじゃないですか!

映画の一番最後で、高島ファミリーが少しだけ映りますが、
実はそれ以外にも、御夫婦が出てくるシーンがありました。
役名を特定できないため、どの人の役とは言えないのですが、
天宮良のトライアスロン仲間としての御出演です。

長さは3時間近いのですが、
別な条件で初見した私、夫、娘が、
見終わったとき、全く同じ感想を言いました。
「そんなに長かったっけ?全然感じなかった」
また、私だけは結果的に3回見ましたが、
何度見ても、やはり同じ事を感じました。
大林監督が、奮闘する若い2人に好意的なのがよくわかる、
本当に微笑ましい好編でした。
ちなみに、夫はビデオ、
娘は24時間テレビ企画の無料上映会で見ました。
そのたび私も一緒に見たというわけです。

大林作品らしく、かなりの豪華キャストです。
というより、「大林組」とでも言いたいような役者さんが、
多数出演なさっていました。
例えば、
「北京的西瓜」の八百屋のおやじさんだったベンガルさんと、
「青春デンデケデケデケ」で先生役だった岸部一徳さんが、
そろって産婦人科医でした。
ベンガルさんの方は、贅沢な、と思っちゃうくらいのチョイ役です。
そういう点でもかなり楽しめるつくりだと思います。


2001年04月08日(日) アメリカの災難

突然ですが、ニコラス・ケージが
パチンコ・マシーンのCMに出ていますね。
この間、「スリーセブン編」を見ました。これが第二弾でしょうか?
戸田奈津子さんまで引っ張り出した
「記者会見編」も強烈だったけれど、
以下、もっとすんごい続編をつくっていってほしいものです。
ニッキーって、きっといい人なんだろうなあと、見るたび思います。
日本のCMにはほいほい出るハリウッドスターは数あれど、
あそこまでやってくれる人は、彼しかいません。

余りにもメジャーになっちゃったので、口にしにくいのですが、
私、「ペギー・スーの結婚」を見て以来、彼のファンでした。
が、そのころ(十数年前)って、比較的目敏いライターさんでも、
ニッキーを「変な顔」「所詮は七光り」という扱いでした。
だもので、昔は別な意味で口にしにくかったのですが……。

某雑誌の映画に関する対談で、
ニッキーの実力を(発揮している作品があったとは確かに言えないけど)
ハナから評価しようともせず、
「コッポラの甥ってだけで出ている俳優」呼ばわりしていた
SキネツTムとか、コサKイKズキに腹を立てたのも、遠い昔です。
彼らは今、ニコラス・ケージという役者を、どう評価しているでしょう。

「バーディ」はよかったです。
鳥になりきったマシュー・モディンには存在感で劣るけれども、
それに、やっぱり変な顔だったけれども、
男の友情で泣かせました。
そもそもの発行部数が少ないらしい、
シネマスクエアとうきゅうで上映されたときのパンフ、
もとが500円だったものを、古書店で1200円で買ってしまいました。
ゲージュツに散財はつきものというわけです。

そんなニッキーは、ある女性に恋をし、
彼女にプロポーズをOKしてもらうため、
数々の無理難題を呑みました。
その中に「隠遁生活を送っているサリンジャーのサインGet」
というのがあって、
それだけでも「まーっ、なんて贅沢なオンナなの」と思っていたら、
その人の名が「パトリシア・アークェット」だということを知りました。
姉(ロザンナ)と弟(デビッド)はすぐ思い浮かぶけれども、
一番ぱっとしないというか、おどおどした女性だなというイメージでした。
そのパトリシアは、1968年4月8日生まれだそうです。
彼女が出演しているコメディーで、好きな作品があります。

アメリカの災難 Flirting with Disaster
1996年アメリカ デビッド.O.ラッセル監督


ベン・スティラー扮する昆虫学者が、
立派に育ててくれた里親に感謝しつつも、
自分も結婚し、人の親になったことで生じた
ある種の「迷い」を吹っ切るように、
実の親を訪ねていく……コメディーでした。

パトリシアの役は、ベンの博物館の同僚にして妻という女性で、
しょっちゅう間食をしているため、産後の肥立ちがよすぎて、
姑からたしなめられるようなありさまでした。
あの少々トロそうなところが、妙にはまった役でした。

実の両親がまだ健在だということ、
どこに住んでいるかというようなことは、
しかるべき団体で調べてもらうと、あっさりわかるのですが、
人違いだったために回り道をさせられたり、
コーディネーターを務めた
美人精神科医ティア・レオーニとベンが
あやしい雰囲気になったり、
パトリシアの高校時代の同級生が、
恋人と一緒に旅に加わったりで、
思わぬ珍道中になってしまいました。
そうしてやっとめぐりあえた実の両親は、
まだまだ現役バリバリのヒッピーでした……。

抱腹絶倒というよりも、
ところどころがそこはかとなくおかしいのです。

例えば、こんなシーンがありました。
パトリシアのもと同級生(ゲイですが)が、
パトリシアのわきの下が美しいので、
なめさせてくれと頼み、パトリシアもOKしたのですが、
その現場を見てしまったベンの言いぐさときたら、
「妻がよその男にわきの下をなめられているなんて! 
目に焼きついちゃうじゃないか!」
まあ、彼がゲイだったゆえでしょうが、
「言うに事欠いて」とはこのことです。
パニクった人間って、案外こんなものでしょうか。

レンタルビデオ店で、ちょっと酔狂な気分になったとき、
探してみてください。
(本当に、勧めているんですよ…)

そういえば、パトリシアは、ニコラス・ケージと離婚したんでしたっけ?
一度申請し、取り下げて、やっぱり離婚した…とかなんとか聞いたような。

少し話は逸れますが、
私は映画監督で俳優の利重剛さんも好きなのですが、
彼は美人作家の鷺沢萌さんと結婚し、やはり離婚しました。
別に私の呪いではないと思いますが(そこまでの思い入れはナイので)、
パトリシアも鷺沢さんも私も、全員1968年生まれです。
私だけ、「ただそれだけ」なのが悲しいところですが。
「ああ、芸のあるオンナになりたい」


2001年04月06日(金) レインマン

1940年4月6日、
映画監督のバリー・レビンソンが生まれました。
ということで…

レインマン Rain Man
1988年アメリカ バリー・レビンソン監督

リオノーラ・フライシャー【レインマン】早川書房

『ギルバート・グレープ』を見て、L.ディカプリオを
本当に知的障碍者だと思った人もいたそうですが、
「レインマン」ことダスティン・ホフマンが演じた自閉症の男は、
熱演というよりは、「そのもの」でした。
D.ホフマンの奥様ですら、彼を自閉症だと思ったのだとか。

この映画は、製作に当たり、監督の交代劇もありました。
ちょうどそのころ『ミッドナイト・ラン』が評判よかった
マーチン・ブレストとか、
あの大御所スピルバーグとか。
でも、結局は、演出すべき人がした理想的な仕事だったのだなと、
そんな感想を抱かせる秀作となりました。

銭ゲバのようだったトム・クルーズが、
「幻の兄」だと思っていたレイモンド(レインマン)と接することで
人間らしくなっていくさまも、
飽きさせない程度に丁寧に扱われていました。
また、彼の恋人を演じたヴァレリア・ゴリノの
温かみのある美貌も忘れがたいものです。
彼と共演した女優の中では、私はこの人が一番きれいだと思いました。

基本はロードムービーですが、やっぱり「アメリカ横断」というのは
ロードムービー向きですね。
トム演じた「チャーリー」にしてみれば、自動車で移動するのは
不本意だったのでしょうが、
そうせざるを得なかった理由は……?
映画の見せ場の1つです。ネタバレしたくないので、黙っときますが。
チャーリーの運転するビュイックのオープンカーが、
乾いた大地を走る姿も、非常に絵になっていました。

オープニングの「IKO IKO(アイコ アイコ)」から、
全編を通して音楽の使い方もよかったと思います。
そんなわけで、サウンドトラックもお勧めしておきましょう。

自閉症という障碍について、
積極的に啓発しようとしている感じは受けませんでしたが、
必ず何かが残ります。
そんなに後味の悪いものではないけれど、少々苦いものでした。

ちょっと小ネタです。
ちょうどこの映画と同時期に、
トム・クルーズの「カクテル」も日本公開になりましたが、
そのころ
「B21スペシャル(ヒロミ、デビッド伊東、ミスターちん)」のコントで、
バーテンダー志望の青年がワンショットバーに
雇ってくれとやってきて、
「トム・クルーズの映画を見て憧れた」と動機を言うものの、
まねするポーズは「レインマン」の
ダスティン・ホフマンのそれだった……というのがありました。

私はたまたまそれを、実家に帰ったときに父とTVで見ていたのですが、
「これ、おもしろいのか?」と聞かれました。
映画がおもしろかったのか、それともギャグがよくわからなかったのか、
判断がつきかねて、「まあね」などと、曖昧に答えた覚えがあります。
結局父と母は、半年ほどしてビデオが出てから早速借りて見て、
非常に好感触を得たようで、
何かというと「ホ・ホー」とダスティン・ホフマンの口ぶりをまねたり、
下着を買う店にやたらこだわったりしたそうです。
そういう親に育てられると、私のようなイチビリになるのでした。


2001年04月05日(木) ローマの休日

さて、今日は、グレゴリー・ペックの誕生日にして、
「ヘアカットの日」でもあります。
1872年、当時の東京府が発令した、婦女子の断髪禁止令に
因んでいるそうですから、いわば逆記念日でしょうか。
グレゴリー・ペックに婦女子の断髪となれば、
これしかないでしょう。

ローマの休日 Roman Holiday
1953年アメリカ ウィリアム・ワイラー監督


もう、ごらんになった方には説明の要はありますまい。
オーディションで、「ベッドから起き上がるアン王女」は、
恥ずかしげに着衣の乱れを直し、
その初々しい姿が監督のお眼鏡にかなったと言われています。
実際にはそれ以前にも映画出演はあるものの、
新鮮な美しさで世界中に受け入れられた、
オードリーの実質デビュー作でした。
そして、この映画でアカデミー主演女優賞も受賞しています。

私はこの映画を、普通の字幕版ビデオで見ましたが、
何しろTVの洋画吹替全盛時代をくぐってきた作品です。
レッドフォードといったら野沢那智、
モンローといったら向井真理子といった、
タイプキャストもありまして、
オードリー・ヘップバーンの場合、池田昌子さんだとか。
名前でピンと来なかったのですが、
「銀河鉄道999」のメーテル役の人と同じだと知り、
ああ、なるほど美声だわと一応納得したものの、
ヘップバーンはあのちょっと鼻にかかった声も印象に残るので、
どうも想像がつきません。
何度も吹替版をつくられているので、
池田さんとは違うバージョンももちろんありますが、
いずれにしても、見たいような、見たくないようなという感じです。

何ともにぎやかな作品でした。
思い切ってヘアカットし、
くっきりした目鼻立ちがぱっと際立ったシーン、
スペイン広場は、
とうとうアイスクリームの食べ歩きを禁止されるに至るほど、
「アイスクリーム公害」状態になるほどに、
彼女の「ワナビー」族が出てきたとか。
ベスパにタンデムして、大乱闘にはアン王女も加わって、
フライパンという飛び道具をコミカルに使いこなしていました。
グレゴリー・ペックの親友(エディ・アルバート)は
ユニークなカメラで彼女を隠し撮りするし、
グレゴリー・ペックは「真実の口」に手を食われるし、
ジャングルの奥地でなくても、存分に冒険していました。

余りにも有名過ぎて、最も好きな映画は何でしょう?と問われると、
案外出てこなくなってしまう作品の1つかもしれませんが、
理屈抜きで楽しめる娯楽作として大切したい1本です。
かく言う私も……正直なところ、ヘップバーン作品なら、
『昼下がりの情事』や『麗しのサブリナ』のように、
ビリー・ワイルダーと組んだものの方が好みなのですが、
(というか、この2本だけかな)
ティアラに彩られた彼女の高貴な微笑みは、
やっぱり映画的遺産だと思います。


2001年04月02日(月) マチルダ

今日4月2日は、アンデルセンの誕生日に因み、
国際子どもの本の日(1996年制定)だそうです。
そこで、読書好きな子供が大活躍する次の作品を御紹介します。

マチルダ Matilda
1996年アメリカ ダニー・デビート監督

ロアルド・ダール【マチルダはちいさな大天才】評論社

まともな人間ならば、
マチルダ(マーラ・ウィルソン)のような子供を授かることは、
当たりくじだと考えるのではないでしょうか。
かわいくて賢くて茶目っ気もあり、ひとりで食事を摂るときに、
コップに挿した一輪の花を傍らに置くあたり、
見習いたいもんだとさえ思いました。
ラジオフライヤーを引いて図書館に行く姿など、何とも愛らしいこと。
でも、彼女が自分で重い本を運ぶのに、
そんな工夫をするしかないというあたりに、
とりもなおさずバカ親たちの無理解が見てとれます。
ちなみに父親役はダニー・デビートでしたが、
金儲けしか頭にないような俗物を楽しそうに演じていました。

マチルダは確かに生まれつき頭のいい子でしたが、
読書が好きになったのは、
分かり合える人間がいない寂しさ故でした。
こんなふうに、救いを求めるような読書って
結構あるんじゃないでしょうか。
こんな健気な子供を見ていると、
読書が好きだからこそ、
本なんか済まずに読むならどんなに幸せかと思ってしまいます。

書きたいほどが山ほどある映画……だと思っていたのですが、
書けば書くほど暑苦しい印象を与えてしまいそうなので、
とりあえず、未見の方には、
「痛快なサイキックコメディーでしたよ」
とおすすめしたいと思います。

余談ですが、この映画の原作である、
「マチルダはちいさな天才児」(ロアルド・ダール著)の挿絵は、
多分、ごらんになれば「ああ、見たことある」という感じのする絵、
クェンティン・ブレイクの手になるものが使われていましたが、
映画のパンフレットを見たら、
ダニー・デヒートが腰掛けていたディレクターズチェアの背もたれに、
その1カットが描かれていました。
真っ赤な地にかわいい案山子のようなマチルダがコミカルで、
あのいす、マジ欲しいです。


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