気ままな日記
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2007年10月28日(日) クワイエットルームへ

 映画『クワイエットルームにようこそ』を観に行く。
物語は、とある精神科病棟で繰り広げられる。クワイエットルームというのは、閉鎖病棟のこと。
 大量服薬によってこの閉鎖病棟に担ぎ込まれた明日香は、そこでさまざまな症状(個性)を抱えた人々に出会う。
 ずいぶん前に見た洋画「カッコーの巣の上」も確か、場面設定は同じだった。あの映画は、後味がなんだかやりきれなくて、その分強烈な印象が残ったっけ。
 物語の前半はなんだか楽しそうで、わたしも少しこういうところに身を置いてみたい、と思わせるほど。しかし、入院が2週間という短い期間だったにかかわらず、退院した明日香を乗せたタクシーがどんどん病院から遠ざかっていく様を見て、なんともいえないすがすがしさや開放感を感じた。
 社会に適応するために仮面をかぶり続けるのもしんどいけれど、あまりにも剥き出しにされた人間の本性や欲望をさらしたり、それを目の当たりにし続けるのも、きついものなのかも。
 入院中に親しくなった人たちが、寄せ書きの色紙をくれたり、似顔絵をくれたりするのだが、明日香はそれらを、病院を出るとすぐにゴミ箱に捨てる。そして、一足早く退院していった、同じ「匂い」のする女性がメモして渡してくれたアドレスもタクシーの中から捨てる。
 精神科病棟という特殊な世界の中、親しみを感じたり情が移ったりしても、それはその建物の中だけのこと。心の中にだけとめておくものであって、決してその人間関係を外にまでひきずってはいけない、というメッセージがこめられているようだった。


2007年10月26日(金) しあわせな作家

 先日いただいた図書カードで、早川茉莉著『森茉莉かぶれ』という本を買った。早川氏(茉莉というペンネームはきっと、森茉莉さんに因んだのだろう)から森茉莉さんへの書簡という形で物語がすすむ。
 わたしは特に森茉莉ファンというわけではない。以前、群ようこさんが書いた「贅沢貧乏のマリア」を読んで、室内のゴミが土と化するほどのすごい部屋に住んでいたというのを知り、うっすらと興味はもっていた。
 その後、何冊か彼女の小説やエッセイを読み、なんとなく気になる人になっていたのであった。
 良くも悪くもなんとなく気になる、それがわたしが抱いた森茉莉さんの印象。
 毎日カフェに通い、そこで原稿を書くといった生活スタイルに対する純粋な憧れは大きい。昭和初期のレトロなカフェは、今どき滅多にお目にかからないので、ドトールコーヒーとかそのあたりで手を打つ。しかし、ポーズだけまねてみてもだめ。特になんの発想も浮かばず、コーヒーやらケーキやらに散財してしまったというちょっぴりな後ろめたさとともに店を出るのが、わたしのいつものパターン。
 森茉莉さん曰く「楽しむには能力がいる」そうだが、それを実践しているのが、彼女のエッセイを読むとよくわかる。
彼女は、うぬぼれが強いことも含め、自分のことをとても客観的に観察している。そして、そういう自分を「受け入れよう」などと気負わずに、ごく自然に自分と仲良くやっている。まずは自分と仲良くすることから始めよう、という癒し系の本に書かれているようなことを、そうした本がない時代にすでに実践していたのだ
 初めに彼女の小説を読んだとき、その「修飾語」の多さには辟易した。その上、文章があっちに飛びこっちに移り、脈絡が頭にはいってこない。
「イタリアの運河のような深く暗い色」って一体どんな色なわけ??と腹をたてながらも、なぜか引き込まれてしまうのは、いろんな意味で「しあわせな人」だったからなのではないかという気がする。


2007年10月21日(日) 不在の在

 ここしばらくの間、職場の親睦会がらみの宴会は欠席続き。はっきりとした理由は自分でもよくわからない。もともと酒宴の席での身の置き所のなさ、立ち居振る舞いのぎこちなさについては、たっぷりと自覚していた。それでも今までは、年に何度もないことだし、料理も楽しみだし、となんとなく出席していた。
 ところが、欠席するのが癖になると、これが病みつきに。「不在の在」というわけではないが、「全く出席しない人がいる」という話題を酒のつまみに提供するってことでいいのではないか、と開き直り気味。
遠くさかのぼって、学生時代。文化祭だの体育祭だの、「教育的見地」という名目のもと、欠席という選択権さえないような感じで駆り出されていたあの頃その頃の恨みが、ここにきて一気にわきあがってきたのかもしれない。
 そうした小理屈をわざわざこねて、自分の行動を正当化しようとしているところが、まだ十分に割り切っていない証拠ではあるのだが。

 さて、先日行われた宴会も欠席したのだが、毎月の会費は支払っているので、代わりに図書カードをいただいた。2時間余りの間、気を張りながら過ごすよりも、好きな本を買ったほうが、やっぱりわたしにはいいかも、と納得。
 


2007年10月13日(土) 楽しい番組

ふと気が向いて、夕方テレビを付けた。
チャンネルを回す(リモコンの場合、チャンネルを回すと言わずに、なんと言うのか)。
テレビショッピングの番組に目がとまる。ファッション界はすでに冬。毛皮のついたコートを着た女性がひとりふたり、しなしなと歩いている。
「なあんと、3万円を切るお値段!」とは、こうした番組の常套句。さていくらなのかと、耳を澄ますと29,925円也。確かに3万円きってるけど、そんなに驚くほど、きってるわけでもなし。申込みの電話をかけたり、コートに合うバッグなんか買ってたら、軽く3万円超えるね、これは。

 次に登場したのはコスメ。某有名写真会社が開発したという化粧品のセット。その会社の開発担当の女性と、番組の司会者との掛け合いで売り込みが進む。これがまたすごい。
「へえええええ」
「はああああああ」
「ほおおおおおおお」と大げさな感嘆詞。
「大丈夫ですか、あなた。しらふですか」思わず声をかけたくなるほどのテンションの高さ。
「ずわあああっと美容液が肌に浸透していくのがわかるのって、すごくないですかああ」と大はしゃぎ。
多分彼女たちにしたって、この掛け合いも、見せ場のうちと割り切って演じているのだろう。確かに、いったいどんなふうに、ずわわわあああ、と浸透していくのか、試してみたくなったもの。
 でも、人工的な液体がみるみると肌に食い込んでいくのって怖くないか。
 実際に買って試してみた人の声がそれに追い打ちをかける。
「毎朝、鏡を見るのが楽しみになりました」。
……それも怖い。


2007年10月06日(土) 居心地のいい場所

 先日、映画「めがね」を見に行った。TSUTAYAに入会以来、家で気軽に映画鑑賞できるようになったため、映画館に足を運ぶのは、久し振りである。
 キャストは、小林聡美さんや、もたいまさこさん。都会からふらりとやってきた、小林聡美さん扮するタエコが、なにかにつけ「わたしは結構です」とぴしゃりとはねつける場面。丁寧な物言いなだけど、しっかり拒絶しているようなところ、なんだかわたしみたいだなあ〜と思いつつ見る。
 最後まで、タエコの引いた境界線そのものは変わらなかったけれど、「何なの! この人たち?」という違和感が、段々に「気になる人々」に変わっていき、そしていつのまにか、自分なりのスタイルでその場に溶け込んでいく様が、丁寧に描かれていたと思う。作品全体の口数も少なく、とりたてて大きな事件は起きないだけに、こういう少しずつの変化が印象的だった。

 小林聡美さんの、きりりとした話し方や、もたいまさこんの、なあんともいえない表情がとても気にいったので、帰りがけにやっぱりTSUTAYAに寄って、同じ監督の作品である「かもめ食堂」を借りて帰った。

 「めがね」も「かもめ食堂」も、出てくる料理が本当においしそう。
「コーヒーは自分でいれるよりも、ひとにいれてもらう方がおいしい」。
もともとは、「ひとり」から始まったその場所に、ひとり、またひとり、と人が増えていく。言葉使いや、挨拶が、少しずつ親密になっていく。
こんな居場所があったら……と思いつつ、2度繰り返して見た。
 


2007年10月03日(水) ご長寿

 福島県の双子の姉妹がそろって100歳を迎えたそうだ。きんさんぎんさんの時は、彼女たちの縁起のいい名前で、一層話題になった。
 今回のご姉妹の場合。先に生まれた方が「サキ」さん、あとに生まれた方が「ツキ(次)」さんだという。
 昔の人々の名前のつけ方は、明快である。

 彼女たちへのインタビュー記事を見ると、好きなテレビ番組に、相撲と水戸黄門とある。これは、お年寄りへの質問でよく耳にする答えだ。日本人というもの、年を重ねると、国技と時代劇が好きになるものなのだろうか。わたしたちの世代、あるいは、海だの星だのという名前がついた、今どきのお子様たちが長老と呼ばれる年になったら、やはりこうした番組が好きになるのだろうか。
 さて、もうひとつの質問として、長生きの秘訣。その答えは、「クヨクヨしないこと」。どなただったか、長寿日本一の方も、こう答えていたような気がする。彼女たちが口をそろえてそうおっしゃるところを見ると、やはり「クヨクヨしない」というのは、確かに健康に良いらしい。それが本当なら、クヨクヨ器質のわたしは、長生きは望めないかも……。クヨクヨ。


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