気ままな日記
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2003年11月29日(土) 悪口を言う

わたしは隣の席の同僚と相性が悪い。彼女が隣に座るととても緊張する。
職場の1階に○浜銀行さんの出張所があり、そこの女性職員も彼女のことを苦手としている。なので、彼女に対する怒り、つまり悪口で話題が盛り上がることがある。
「今日、(彼女)来てる?」と顔をしかめあうのが、朝の挨拶代わりになっていた時期もある。
ひとの悪口を言ってはいけませんと言われてきたせいか抵抗は感じる。でもこれも、今思えば、相手のためというより、悪口ばかり言ってるイヤな女だと他人に思われたくない、自分が悪者になりたくないだけだという気もする。
それだったら、心の中にうっぷんを溜め込まず「そう、そう、信じられない!」「ちょっとこうなのよ、勘弁してほしいわ!」と彼女の口癖をおおげさに真似たりしてしばし盛り上がってガス抜きしてもいいかな、と手前勝手かもしれないがそう思うのだ。
巡りめぐってこの悪口が当人の耳に届くことをどこかで期待してもいる。
「わたしだって黙ってばかりいるわけじゃないのよ」ということを示したいのかもしれない。
ただ、共通の敵を持っているというだけで結びついた関係も、それはそれで危うい。
「わたしたちは味方よね!」という妙な連帯感が生まれてしまうので、相手にとってはいい人でなくてはいけない、ことさら愛想を良くしておかなくてはいけないというプレッシャーを感じるのだ。ちょっとでもこじれたら、「わたしたち味方じゃなかったの?」と一気に敵になりそうな危険をはらんでいるような気がする。
だから、その場ではどんなに同調しようと、盛り上がろうとも、出張所とこちら側を仕切る透明のプラスチック板1枚分の距離は持っておいたほうがいいのかもしれない。


2003年11月24日(月) 占い

朝出勤前の時間にテレビで5分ばかり今日の運勢を放送している。
そもそもわたしは占いを信じていない。死後の世界も、霊界も、催眠術も、なんだか信じられない。
昔、派手に催眠術をかけられる女優さんがいたけれど、胡散臭いという思いは消えない。
それでもやはり心のどこかで、今日1日を気にしている自分がいて、「おひつじ座」というところでちょっと耳が反応する。
朝出かける直前のこの時間というのは、その日1日に起こりそうなことが心に重くのしかかっていたり、自分で自分に予言されたりしているので、それに偶然ヒットするアドバイスなんかが出てくると、気になるのだ。
いまひとつな運勢で嵐のマークが出てたりすると、ああ、やっぱりね、とため息が出、意外に良さそうだとほんとかなあ?とちょっと不信感を抱く。
信じているのかいないのか、見たいところだけ見て、信じたいように信じているのかもしれない。
ラッキーカラーはオレンジ、ランチにはスパゲッテイを食べるとぎくしゃくした関係が持ち直すでしょう・・・そう言われても、わざわざオレンジの小物を探し出して持って出かけたりしないし、昼にはあまのじゃくにもラーメンを食べに行ったりするのだけど。


2003年11月18日(火) 忘年会

先日女友達A,男友達Bと、ひと足早い(ふた足ぐらい早い)忘年会をした。
40才にもなると、会って早々それぞれの体調の話になるところが怖い。

Bは今、行きつけのお店の女性にぞっこんである。
彼から彼女へは、200本近い花束のプレゼント。
週に数回のメールのやりとり。
彼女からの優しいメッセージ・・・。
でも、彼の目下の悩みはその優しさのどこまでが「営業」で、どこからが「本音」なのかわからないところ。
よくわかるわ、それ。
人は自分の信じたいように信じようとするものだけど、ちょっと意地悪く疑いをさしはさんでみたくもなる。
気の利いた言葉なんて見つからず、せつないね・・・としか言いようがなかったのだけど。


2003年11月10日(月) 阿修羅のごとく

映画「阿修羅のごとく」を観た。
白黒つけずに曖昧にしておいた方がいいのか、それともはっきりけじめをつけたほうがいいのか―。
女性同士の間で無言のうちに交わされる棘。
描かれているのは「修羅場」なのに思わず笑ってしまう。
同じ雰囲気で語るのでも、父親役の仲代達也さんのは、淡々と静かに、そして寂しさがにじんでいて、ひとことひとことにとても重みがあった。
原作者の向田邦子さんは、こういうお父さんがいたらなあとそう思って書かれたのだろうか。
姉妹にはまだまだひと波乱ありそう。もう叶わぬことだが、「続 阿修羅のごとく」を観てみたいものである。


2003年11月05日(水) 表彰式

職場にて。
食品衛生や、献血事業に貢献したお店や企業、個人の方々への表彰式が行われた。
普通、表彰式っていうのは、受賞者が前に出てきて賞状を受け取るものだが、時間の都合か、所長が受賞者ひとりひとりに賞状と記念品を渡して歩く形式である。
わたしは、人数分の賞状のはいったお盆を捧げもって授与者の前を静々と歩く役なのだが、お盆を持って右に左に歩くもんだから、なんだか表彰状を配っているというよりも、お茶かなんかを配っているような感じだった。

 こういうふうな厳粛な空気に身を置くと、わたしは、なぜだかむずむずと面映くなってくる。普段、軽口たたいたり、所内をうろうろ散歩ばかりしている上司が、こういう席では、(当然なことだが)たちまちまじめくさった顔になり、もっともらしいことを壇上でしゃべったりするのを見ると、こちらが照れ臭くなってくる。
 不謹慎なようだが、自分とは関わりの薄い方の、通夜の席でも同じである。
受付なんかを頼まれて、しかつめらしく、どうぞこちらへお名前をお書きくださいなどと言うのだが、どうもしっくりしない。緊張感が高じすぎて噴出したくなったり、そういう役目に身を置いている自分を晴れがましく思っている、もうひとりの自分を感じるのだ。

 こういうのは自意識過剰というのかしら。わたしが受賞したわけでもないし、誰もこっちなんぞ見てやしないのに、今日なんかはお盆持って歩きながら、やっぱり内心晴れがましいような、ひとことで言って、「こっち見て〜っ」ていうような気持になったのだった。

 


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