気ままな日記
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2003年08月23日(土) さすがプロ??

わたしの職場は保健所である。
幼児向けの歯科衛生相談や、健康診断、障害者のための生活教室など、さまざまな行事が行われている。
やってくるお客さんも日々さまざまである。
ある日、「電話かけたいのでこの100円を1円にかえてください」という男の人が管理課にやってきた。
こういう時、どう対処していいかわからないのは、事務屋の弱いところ。そもそも1円玉はレジに置いてないし、ましてや100個も!
なので、あくまで事務的に「こちらでは両替はしておりませんので」と答えた。すると保健師さんがすっとんできて、「○○さ〜ん、どうしましたか〜、え?お電話かけるのお、そうなのお、うんうん、でも1円じゃあかけられないのよお」と幼児をあやすように説得にあたってくれてその場がおさまった。
ここでは仕事柄、みんな話し方がとても受容的である。(除:事務屋)
相手の話に大きくうなずき、ここまでやって来た労をねぎらい、帰り道を案じる。
弱い立場にある人々に対して、親切にふるまい世話をやく自分っていうものに酔いしれてない?っていうほどに、いつも「全身これ笑顔」という方もいる。
そんなふうにうがった考え方をしながら、わたしはといえば「お釣を間違えずにわたせればそれでいいんだもんね」とあくまで事務的に、でもまあちょっとは丁寧に
淡々とレジをうっているのである。


2003年08月17日(日) 分析癖

先日友達とすし屋に行った。
大雨の影響で横須賀線がストップ、東海道線も遅れてる、あっちこっちで小さな崖崩れも、なんていうものものしい空気の中、こんな日こそお店すいてるからいいよね、と呑気に食事+乾杯。(今気づいたけど、「呑む」という字は「呑気」の「呑」と同じ字なのね。)
たわいのない話から、価値観の話、人間関係のあれこれなんかを、まあお互いに勝手に語りあった。
「TOMATOさんは、例えば家庭の医学書なんかを読んで、あ、この症状がわたしにあてはまる、どうしよう〜!って思い悩むタイプだよね。」と以前別の人に言われたことがある。
自分の心にひっかかっていることがあると、なぜだろう、相手がこうだからかしら、自分のこういうところがそうだからだろうかと、延々と分析してしまい、結局そのことが頭の中にとりついて離れなくなる。
自分を楽にするための作業だった思考というものが、かえって自分の首を締めるという結果になるわけだ。
外向きに発散させるのが下手なのかな、要するにと、またまた自分を分析してみたりして・・・。

ま、とにかく楽しく過ごせた3時間だった。

最近、会って話したばかりの人とお別れするのが無性に淋しいと感じることが多くなってきた。
こういうのを名残惜しいというか、人恋しいというのかしら。
高校生が、学校に行けば会える友達や、今別れたばかりの友人と長々と電話したりメールしたりしてる気持がちょっとわかった。



2003年08月10日(日) 童顔

中山可穂の「天使の骨」を読む。
現実と幻想の錯綜
余分なものをそぎおとした生き方
時計を一切持たない旅
しがらみと計画からの解放―
相変わらず彼女の作品には惹きこまれる。

中に、「童顔とは、生き方の甘さが顔に出ているということではないだろうか」というフレーズがあった。
 わたしは、高校生の時は中学生に、OLの時は高校生に間違われ、5歳の息子を連れて歩いている時には「お姉ちゃんですか」と聞かれた。
そして今は「とても中学生のお子さんがいるとは思えません」と言われる。
もう慣れっこになってしまったけれど、そういうふうに言われてうれしかったことは一度もない。
なんでかな?まさに「内面の甘さ故の童顔!」を指摘されたような気がしていたから。
ずし〜んと納得する言葉である。


2003年08月03日(日) 保健室

 最近思い出したことがある。
 わたしが小学校5年生の時の保健の先生。短大出てすぐぐらいの、えくぼのかわいい先生だった。
「きん」という名前で、それが全然彼女にふさわしくなくて、子供心にも、気の毒に思ったものである。
わたしはその年頃の女の子にありがちなように、その先生に憧れていた。
でも、保健室というものは、熱を出したりケガをしたりした子しか行けない場所、健康優良児だったわたしには、全く縁のない場所だった。
先生の顔をひとめ見たいといつも思っていた。
そういうわたしの気持ちを知って、同級生のひとりが、クラスの中で具合の悪い子が出ると、いちはやくわたしに知らせに来てくれるようになった。保健係でもなんでもなく、特に他人の面倒見のいい性格でもなかったわたしは、しかし先生の顔をひとめ見られると、その具合の悪い子につきそって、いそいそと保健室へ出かけたものだ。
今でもそうだが、図太い性格の割には、好きな相手には極端にしおらしくなる性格のために、晴れて保健室へ行ったところで、恥ずかしがって先生とはろくに口をきくこともできず、その子を送り届けるとそそくさと教室へ戻ってきてしまったように思う。
 今、保健室登校なんてものがあると聞く。
あの当時そんなものが許されていたら、毎日通ったであろうにとちょっとうらやましくなったりするのである。


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