気ままな日記
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2001年12月31日(月) |
年末といっても・・・ |
年末年始のこの”特別”な雰囲気に、ついていきたいのについていけない自分。
黙々とひたすらな大掃除と部屋の整理、買出し、たくさんの甘いもの、ちょっぴりのお酒、好きな本や雑誌・・・気持ちの隙間をこれらのもので埋めることはできないけれど、とりあえず、時間の隙間は埋めることができるかもしれない。
銃撃戦で負傷しなくても、誰かをかばってケガをしなくても、平日夕食の支度をしなくても、仕事で有能でなくても、見栄を張らずとも、まんまで私には価値がある―そう思いたい。
ランチを食べにはいったファミレスで、女性たちのおしゃべりが耳に入ってきた。好ましい男性のタイプについてあれこれ話していたが、年配の女性が一言、 「顔なんて付いてりゃーいいのよねー。」と言い放った。 大胆な発言!なんだかいいわー、その発想!!
2001年12月27日(木) |
「あなたの庭では遊ばない」(落合恵子著) |
再びこの本を読み返す。 自分に向けられた敬語をそのまま繰り返して人に話したり、自分のことを「先生」「重役」と呼んだりする人に、わたしもとても違和感を感じる。 母との距離、他人との距離、そして自分のことを考えるとき、何度も何度も読み返したい本だ。
今日も朝から貴女は荒れていたわね。 「またやってる。」わたしは関係なさそうに、同僚とあきれて見ているフリをしていたけれど、本当は内心苦しくてとても笑えませんでした。 貴女がからだの周りに張り巡らせて、周囲に噴射していた棘は、わたしの持つ棘そのものだったから。 ただ違うのは、それを貴女は自分の外側に向け、わたしは自分の内側に向けている、ただそれだけだったから。
今年の私へのクリスマスプレゼントは、敬愛している某S先生からのメールの返事。 「そうですね」・・・いつものことながらとてもあっさりとした返事だったので、少し笑い、おかげで心に刺さっていたトゲが1mmぐらい抜けました。 でも、この簡単なひとことが、わたしにはとても重たくて、せっかくの助言なのになかなか実行できそうにありません。
最近時間をもてあました父と母が、せっせと餌付けをするもんだから、今日も近所のノラ猫たちがわいのわいのやってきて、エサをせがんでいった。 その中の母子猫。 子猫が食べ終わるまで決して母猫は口をつけようとはせず、その余りを母猫は食べている。 ずっと見ていたい気分だった。
今日は終業式。 最近の通信簿は、所見欄のところに、子供の「良いところ」を発見して記入するようにしているらしい。 1,2,3,4,5といった露骨な評価もない。
「消極的です」と、わたしは子供の頃しょっちゅう書かれたが、「控えめです」とわたしの子供はよくそう書かれる。 ものは書きようで、「控えめ」のほうが、なんとなく長所っぽく聞こえる。
中学校の制服の注文表が配られた。 あ〜、もうそんな時期なのね。 保育園の卒園式の時は、涙で子供たちの姿がかすんじゃったけど、小学校の卒業式では、わたしはきっと泣くだろう。 (そう書いているだけでこみあげてきちゃったわ。)
「他人に幸せにしてもらおうとすると、自分の可能性を閉ざすことになる」 「人に愛されたいと思うのは自然な感情だが、他人と比較するということを始めると、嫉妬や妬みが生まれる」という話を今日聞いた。
わたしの可能性って何だろう? 「すごいね」「気の毒ね」他人のそういう評価で、自分の幸、不幸感を確認したがっている自分がいる。
念じれば通ずというけれど、「比較しない」ためには、「比較しない」と心に決めるしかないのだろうか。 確かにこうであったらいいのにっと念じて実現したことだってあるのだ。
お昼休みになると、他の誰でもないわたしのところへやってきておしゃべりして行く彼女や、隣の席の雑学の友。 たわいのないことを話すことのできる相手が職場にいてくれるってことは、わたしにとってとてもありがたいこと。 今までだって、ほんの少し心をひらけば得ることのできた関係かもしれないけれど、あまりにも自分を守るのに精一杯だったから。
あ〜、それにしてもまたやってもうた! 通勤途中に会うおばあさんとの会話の中で、「いいえ」と言うべきところを、反射的に「はい」と言ってしまった。
「さんまのからくりテレビ」というテレビ番組の、「ご長寿早押しクイズ」に登場するお年よりのユーモアセンスにはいつも感心?させられる。 どこまで冗談でどこまでが「地」なのかわからないが。 今夜も大笑い。 わたし自身、10代、20代、30代、と年を積み重ねるごとに、楽になったかどうかは定かではないけれど、ずうずうしくなってきたことは確かだ。
とても久しぶりにスイミングスクールへ行く。 あいかわらず平泳ぎの足の形は進歩がない。 わたしは背泳ぎが好き。 手を動かさずに、足だけの動きでゆっくりと前へ進む。 聞こえるのは水のゴボゴボいう音だけ。 余計な音も声も聞こえない。 まさに「漂う」という感じ。
毎朝出勤途中に会うおばあさん。 未だに名前は互いに知らないが、たまたま降りるバス停が同じなのでお話するようになった。 毎朝YMCAに泳ぎに行っているという彼女は、ひ孫さんがいるとは思えないほど若々しい。 一部の同僚の間では、わたしと彼女がどういう関係なのかナゾになっていたらしい。 知り合った馴れ初め?については、話せば長くなるけど、とにかくほんの5分ほどの彼女との会話が、朝の1つのアクセントになっている。
隣の席の同僚から聞いた話。 マンホールは、人(=MAN)が入れる大きさだからマンホールと言い、ハンドホールは手(=HAND)がやっと入れる大きさだからハンドホールというのだそうだ。 知りませんでした! これって常識だったのかしら?
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