ちょっとした広告活動。

手元には群馬大学医学部のパンフレットが二枚。
(昨日の昼休みに配られたヤツ)
(一人ノルマ二枚だってさ)
……
…………
………………欲しい人、います?
もしいたらタダで差し上げますー。
某G高校の人なら実家帰った時に持って帰りますんで一声を。
2007年07月31日(火)


ちょっと後ろ向きというか、自己整理というか、そんなカンジの話。
苦手な方はバックプリーズ。

私の積載量は大して多くない。
それが家関連なら尚更。
何処かで抜かないと、溜まってどうしょうもなくなるから、
だから、ごめんなさい。



大学を四年で卒業しなきゃいけなくなった、という話。

心の何処かでは「留年してもいいかな」とか思ってたんだと思う。
留年したならあの人達が私に抱いてる幻想もやっと壊れるだろう、って。
でもそんなこと、自分が許せなくなるのは目に見えてるのだけども。

妹はあそこにいたらそのうち潰れてしまうと思った。

六年私に向いてた物が妹に向いて
あの家の歯車は徐々に徐々に壊れてきていて

だから「オカシイ」んだって、何度も何度も言ったのに。

妹はあそこにいたらそのうち潰れてしまうと思った。
妹はあそこにいたらそのうち壊れてしまうと思った。
実家から地元の大学に通うだなんてコトになったら、
確実にそのうちに潰れて壊れてしまうと思った。

「一緒に住もうか」
そう言ったのは、妹だけが「特別」だからかもしれない。
妹だけは、大丈夫。
一年だけ一人暮らししてもらって
私が就職先を千葉から通える場所にして
千葉に住もうか、なんて、未来の話を昨日した。
母親には「長電話やめなさい!」だなんて怒られたけど。

しんどい、ってワケじゃない。
自分で決めたことだし、妹なら多分大丈夫。
ただもやもやが消えないだけ。














あのまま甘やかしたら駄目だって馬鹿だった私は喚き散らした。
結局それは一度たりとも聞き入れられることはなくて
それなりに遺恨だったり人格形成に関わってたりするんだろうけど
やっぱり思ってた通りになった。

散々甘やかした我が子に手を噛まれて
今更のように慌てる両親の近況を聞いて

「ざまぁみろ」

なんて、思った。
でろでろに甘やかしてその結果がそれかよ、と。
今更のように言葉で暴力で従わせようとしても遅いんだ、と。
良い気味だ、と。
そんなことを、思った。


だからあの時「オカシイ」って、何度も何度も言ったのに。
2007年07月30日(月)


仮免受かりました。
多分来週あたりから路上に出るんじゃないかと。
……まぁがっつりテスト期間中なのですが。

前橋は星が見えない。
夜でも闇が薄い。
夜が薄い。

何か、気を抜いたら、一気に持ってかれそうな気がする。
現在進行形で結構向こう側、なんだろうけどさ。
多分此処が一番深淵なんだと思う。
2007年07月23日(月)


一番怖いのはこの感情が薄れて消えることだ。

薄れて

薄れて

薄れて

いつか思いだせなくなって



あのひとたちにこころのそこからわらってせっせるようになることだ。
2007年07月21日(土)

当面の目標。

取りあえず月に一回は必ず更新するとして、

これからそのペースを引き上げていこうと思います。

目標は今のところ週一での更新。

……出来たらいいなぁ。


あと、

前期を一つの単位も落とさずに終えたいです……
外国語系統がヤバいです……

以上、走馬でした。
2007年07月16日(月)

きっと今だから気付けた。

久しぶりに妹と話した。
とは言っても月に一回は電話してるのだけど
毎日話してた四ヶ月前に比べれば頻度は落ちる。

「真人がいなくなってからお母さんがウザくなってきた」

些か憤慨したように妹は言ってた。
思わず苦笑した。
同じ高校だけど妹は文系に進むらしく
地元校か関東校かで悩んでいたけど
関東校は母親が「何考えてるの無理に決まってるでしょ」と言ったらしく、
それが著しく妹は気にくわない、らしい。

思わず苦笑した。
三年前をまた繰り返してる。
何も進歩していないんだ、あの人達は。
あのひと、は。

同じことを言われた私がどうなったのか
どんなことをしたのか
忘れてしまうほどだったらしい。
鼻で笑えた。

三十分くらいの他愛のない会話。
夏休み前橋に来れば?とか。某ネズミ王国行ってくるわ、とか。
言えたのは、「お前も関東に来れば?」だけだった。
多分言わなくてもいいことなんだろうけど
「家を出たくて地元の大学は選ばなかった」
「盆に家に帰りたくない」
そんな本音は言えなかった。
流石に妹には、いえねぇよなぁ。
そう思った。

悪気が無いのは重々承知。
愛しているのも重々承知。
許容は、出来ないだけで。
きっと気付いていないんだ。
あの人達は、自分の言葉が子供の首を絞めることを。
あの人達は、自分の子供の言葉を聞いていないことを。

今は、「どうしようもないなぁウチの親は」とか思う。
昨日の晩とかは酷かったけど
今は、それだけ。

きっと妹も家を出たら
弟は圧死して死んでしまうね。
何よりあの人達は弟が大切で
弟は私以上に耐性がなくて、私以上に歪んでたから。

早く梅雨なんて明けて、夏が来ればいい。



……梅雨時は言葉が腐臭を伴うから。
2007年07月06日(金)


どうしたら笑えるのか

誰か教えてください

痛みなんて無視して

何でもなかったかのように

笑える方法

誰か

教えてください



笑ってただいまと言える方法を、誰か。
2007年07月05日(木)

「しょうがないよ」

「しょうがないよ」「しかたないよ」
この手の言葉は
時と場合によっちゃ
とても残酷になると思うんだ。

「しょうがないよ」の一言で片付けられるほど
「しかたないよ」の一言で括られてしまうほど
物事は簡単じゃないと思うんだ。

言葉は時たま凄く重くなるから
言った方は大したことが無くても
言われた方はそうじゃない時だってあるんだ。

例えば鋭い言葉が放たれて
例えば言われた方が傷ついたとして
例えば言った方に悪意が無かったとして
例えば言われた方が後に言った方を糾弾したとして。

「しょうがないよ」、だなんて
「しかたないよ」、だなんて
言われたら
それは 酷く悲しいと思うんだ。

あの痛みは何だったのか
卑下された自分は何だったのか
分からなくなると思うんだ。
それは 酷く辛いと思うんだ。

言葉は人間が標準的に使えるモノの中で一等扱いが難しいものだと思う。
だから気をつけなきゃいけないのに。
年をとるとそんなことを忘れてくんだ。
偉くなるとそんなことを忘れてくんだ。

某ニュースを見ながら思う、そんなこと。


「しょうがないよ」、だなんて。
なんて卑怯な言葉。

「しょうがないでしょ」

あのニュースを見てフラッシュバックしたのは、その声。
困ったような顔。
なんて卑怯な言葉だろう。
そう思ったんだ。
白い傷跡と胸が痛んだ、いつかの夏の日。

「何時までそれに拘るの」
そうやって記憶の外に投げ出してしまえるほど軽かった言葉を
何時になったら忘れれるのかなんて分からない。
ただ、これが事実なのか分からない。
この胸にわだかまる感情が痛む左腕がじくじくと疼く何かが
私にとっての『過去』が、本当に、事実なのか
言われる度に分からなくなるんだ。

また夏が来る。
……あの家に戻らなきゃいけない、夏が来る。
2007年07月04日(水)

AGO。 / 走馬真人

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