更新履歴 キキ
[home]
2009年11月15日(日)
■肉じゃが 最近煮込む系の料理が失敗続きで、今日こそはと忠実にレシピどおりに作ったつもりが、またもや失敗。しょうがをチューブで手抜きしたら、間違えてニンニクを入れてた。でもニンニクは有。結構いけた。 今日参考にしたのはオレンジページが出している「和食の基本」というムック。じゃがいもが小さすぎでどろどろになってしまったのはわたしのミスとして、この本はちょっと味が濃い気がする。しらたきを入れなかったせいかもしれないけど。それからこのレシピだとたまねぎを最後に入れるのだけど、生煮えで困った。じゃがいもが溶け始めてたので、いもを取り出して再加熱した。普通に他の野菜と一緒で良さそう。たぶん普通に美味しく食べれる範囲だとは思うのだけど、いや、わたしの求めるものはこんなものではない!とかなんとか、ちょっとがっかり。今度実家に帰るので、親に聞いてくる。 肉じゃがは家庭の味なのかも。どのレシピを見てもちょっとずつ作り方が違っていて、本頼みのわたしは困惑。 今度の反省。 �,箸呂い─△笋辰僂蠧�は生姜で。もしくは煮るときにかけらを入れてもいいかも。 �¬邵擇倭管�一緒に。 ��じゃがいもの大きさは大事。 �ず重�と醤油はよく味見してから。 * 今日は上野のチベット展へ。 普段見ることのできない貴重なチベット仏教の仏像や絵画がたくさん展示されていて、もうほんとに「凄すぎる」の一言。ただあれだけ話題になったあとだから、社会的な問題についてもきちんと触れるべき。それから日本の仏教とは全然異なるので、もう少し細かい説明があるといいかも。音声ガイドとか図録で確認しろってことなんだろうけど、それはチケット代に含まれないのね…とちょっと拗ねた気持ちに。 そんなに混んでいなかったので、ひとつひとつじっくり鑑賞。集中しすぎて、途中で結構苦しくなった。わたしたちは人間だから国境をめぐって争ったりもするのだけど、神さまたちも天上で日々勢力争いをしているのかなあと。うーん、なんというか、今回の展示では平安より苦しさが滲み出ていたように思う。標高的には富士山の山頂で暮らしているようなもの。わたしなどは写真や映像でチベットの風景を見るたび、あまりの美しさにうっとりしてしまうけれど、そこで暮らす人にとっては、日々生きることそのものが険しい道なのかもしれない。 * そのあと図書館に行って、ルミネセール最終日に参戦。折りたたみの机買った。カード怖い。
2009年11月14日(土)
トップページの写真を替えた(※ほぼ2009年の詩4篇もUP)。上野動物園のペンギンコーナー前にいたカモメ。すごい至近距離で撮れた。鳥のお尻ってかわいい。 ■ 先週末は渋谷ワンダーサイトで大巻さんのゴミをテーマにした『絶景展』を見てから文学の教室へ。 絶景ということばを、辞書通りの意味ではなくて、文字通りの、ここから先は何もない、という最後の風景を切り取ったもの。暗く狭い空間にとにかく水と大量の砂。 砂はゴミを粉砕し、砂状にしたもので、厳密にはゴミであるが、埋め立てや砂の代わりに再利用されるのだろう。触ってみるとなんとなく砂でないのはわかるのだが、例えばこのゴミの砂の砂場で遊ぶというイメージをしてみると、ちょっと微妙な気分になるのは確かだ。ゴミって何?、まずはそこが起点になっているようだ。 と考えてみると、今回は形のある(大巻さんらしくダイナミックで美しい)展示作品だったけど、この砂を皆でこねくり回してみるのもよいかもしれない。 ■『訴訟』フランツ・カフカ カフカの『変身』は申し分なく面白いと思うのだけど、カフカの熱心なファンではないわたしは、ちょっと飽き気味。でも文学の教室に行ったら、カフカが好きになった。カフカマニアのひとの気持ちも少しわかった。この人が何をしたかったのかもおぼろげにわかった。なんだかカフカという人が好きになった。
2009年11月06日(金)
落ち着いたので…。 ■伊津野重美『フォルテピアニシモ vol.4』 笹井さんの短歌は読む人をも優しくするようで、伊津野さんがこれほど柔らかい空気をまとっていたことはわたしの知る限りなかった。笹井さんの優しさと伊津野さんの悲しみは、彼を知らないわたしの中にも流れ込み、感受性の鈍いわたしはそういうものが共有できると思っていなかったので、前半の終わりの方で(泣き)少しパニックになった。 休憩中に気持ちを落ち着けることができたので、後半はmori-shigeさんとのコラボレーションを堪能。特に高村光太郎の『樹下の二人』が素晴らしかった。今テキストを確認してみたのだけど、やはり自分で読んだだけではあれほどの広がりは感じられないので、声や音、照明などの空気全体でイメージを掴むことのできる朗読のよさをしみじみと思う。 受付の周りには花と岡田さんの写真が飾られており、笹井さんのご家族が寄せたお花が目を引いた。そうそう伊津野さんをたとえるとこんな感じ…と、伊津野さんがそこに座っているみたいで。
2009年11月02日(月)
■ 昨日はいつのさんのイベントに行って、わたしは胸がいっぱいで…といいながらお腹を押さえていたので、いつのさんに胸を触られた(笑)。今回は追悼の会でもあって、その亡くなられた歌人の笹井さんというひとは、ぜんぜん会ったことも交わることもなく、彼の歌を知らなかったわたしにも優しかった。優しいというのはただ温かいということなんだと思った。そしてわたしは悲しみや痛みは共有できないものと決めつけて生きてきたけれど、そういうことではないんだなと漠然と思った。泣いてしまって、わたしは自分の感情を掴みきれておらず、今回はもしかしたら感想は書けないかも。。 ■ この前に使っていた、主に詩について書いていたエンピツさんが消えてしまう。なんでも3ヶ月放置すると予告なく削除されるそうで。5年ぐらいほったらかしでも消えなかったから油断してた。永遠に戻ってこない詩もいくつかあるけど、たぶんたいした詩じゃないハズ。 で、こちらのエンピツくんは死守するべきかと最初の方から読み直していたら、すごい面白くて小学生の頃に書いた日記を読んでいる気分。幼いし、バカだし、それは今もだし。。 それで…このエンピツという日記登録サイトは、他の登録者をお気に入りに登録できるのだけど、ずっと前から『きりんの脱臼』が入っていて、いま久しぶりに見たら、一番最後のページの笹井さんの歌があった。 うーん、わたしはいつのさんに会う前から村上きわみさんのファンで、サイトとかこっそり覗いていたわけで、あれこんな風に繋がっていたのかと、とても不思議。 もうひとひ眠れば初夏になりそうな陽射しを束にして持ってゆく 笹井宏之
|