一日後記

2005年01月31日(月) ふんばり。

仕事中、事務所の片付け中に処理済み伝票の入った箱を
何気なしに横に置いたら、視界の隅で何かが動いた。

よーく見てみると2cmほどの、小さいヤモリ。

前にもヤモリは見かけていたから別段驚きはしないけれど、
さてどうしよう・・・ただ外に放しただけじゃ
交通量の多い道路のこと、3分持たずにスクラップになりそうだ。
かと言って庭があるわけでもないので、
社長夫人の許可を得てから厚紙に乗せて近所の公園に放しに行く。

厚紙に乗せたそいつは、
四肢どころか指までふんばってるように見えた。
何となくその様子がいじらしい気がして、早く放してやろうと
思わず足を速めたのが逆にいけなかったらしい。
風に飛ばされ、落下したのを慌てて指でつまみ
手で包むようにして公園まで持って行った。

その間も、ヤツはがっしりふんばってる。


こんなにちっちゃくても、やるこたぁやってンのね。

・・・そんなことを思った、週はじめ。



2005年01月30日(日) 松露。

週末戻ってきたノートをいじくり回す傍ら、
毎年春先になると何故か思い出す『松露』をWebで探す。

松露とは海辺の松林にできる茸の一種で
直径2〜3cmの円形で、切ってみるとスポンジのような感じ。
その食感はシャクシャクして香りもよく、
お吸い物や炊き込みご飯にしていたのを憶えている。

子供の頃、春休みに母方の実家へ行った際に
従兄弟や親戚でこの松露を取るのが行事のようになっていた。
砂浜からぼこりと丸々顔を出しているのもあれば
ちょっとしか出ていなかったり
大きいのを見つけて喜んだのも束の間、触ると傷んでいて
ぐにゃぐにゃだったりだとか。
子供の時分は、食べることより探すことの方が楽しかった。
おまけに人海戦術のせいか、結構な量が採れた。

そんな松露が懐かしくなったのは、数年前。
散々採れたのだから、普通に買えるだろうと思いきや、買えない。
あちこちのスーパーや八百屋さんを当たってみても
松露の名前すら知らなかったところも多々あった。
そうこうしているうちに、昔採れていた松林で
松露は取れなくなってしまっていた。


調べた結果、通販で売っているところがあるにはあった。

が・・・・結構な値段である。
具体的に書いてしまえば、1個100円弱といったところか。


ノスタルジーに浸るには、いささか高い金額だ。



2005年01月28日(金) 過積載。

先日40足以上お買い上げいただいたお客様。

代済みという形で取り置きしておいたまではよかったが、
取りにいらしたのが80歳はゆうに超えていそうな
腰の曲がった小さいおじいちゃん。
ちなみにお買い上げいただいたのは40歳代の女性である。

大きい紙袋7つに分けたそれを『全部持っていく』と
おっしゃるので、てっきり車か何かかと思いきや
店の前にあるのは普通のママチャリのみ。

・・・無茶だよ。

それでもおじいちゃんは『大丈夫、大丈夫。』と
後輪の荷台に袋3つを括りつけ、1つは前カゴに無理矢理押し込み
3つはハンドルにぶら下げて、自転車を押して帰ろうとなさる。
実際積んでいる最中、荷台の方が思い切り崩れて
嫌な予感はしたのだけれど。


案の定、数m進んだところで荷台が崩れて
荷物が道路にブチ撒かれた。しかも車道のド真ん中。
慌てて店から飛び出して荷物を回収し
『絶対無理だから!』と2度に分けて持ち帰ることを勧めた。
これで事故にでも遭われたら、こちらも寝覚めが悪い。

さすがに御本人も無理だと思ったのだろう、
分けて持って帰られたのだけれど
ちゃんと帰れたのだろうかが、妙に気になって仕方がない。






2005年01月24日(月) 臨時出勤。

先週末から腰の具合が思わしくない社長夫人に頼まれ、
急遽出勤になってしまった月曜日。
住居部分の引越しやら閉店準備やらで気ばかり急いてしまい
体の方がついていけなくなってしまったらしい。
年齢も年齢なので、少し心配はしていたが
とうとう腰をやられてしまったという。

仕方ないなと思う反面、ほっとする部分もある。

というのも、私がいない日は現在彼女の知り合いの方に
店を手伝ってもらっているらしいのだけれど
この翌日・・・つまり私が出勤日の時に
本来しなくてもいいはずの雑事が山積みになっていたりするから。
何でこんなことになっているのか、当の社長夫人に
聞いてみても『○○さん(私)が明日来るから』とか
『忘れっぽいから忘れたのよ〜』と、アッサリおっしゃる。
で、結局余計な後片付けをする羽目になる。

今日は、出勤したら『ちんば』の靴が2足増えていた。
どうやら昨日か一昨日、左右サイズ違いの靴を売ってしまった様子。
・・・正直こういうのを見た休み明けは、かなりヘコむ。

それでも、いつまでもヘコんでなんかいられない。
40足以上(何に使うんだろう)一度にまとめ買いのお客様や
常連さんの話し相手やら、在庫のチェックやら
重いものが持てない社長夫人の代わりに使い走りやら
倉庫兼事務所の片付けやらで、あっという間に夜。
最近、ブーツの踵の減りが加速したのも納得できた。


帰り道、青白く光る月がきれいで
少しだけ歩く速度を緩め、空を見上げながら帰宅。



2005年01月23日(日) 週末。

昨日は調子の悪くなったPCの前に、ほぼ一日中座っていた。
『バックアップも取ったばかりだし、リカバリーしちゃおう』
そう思った矢先、ついうっかりバックアップを消去してしまい
一からあれこれやり直し。
いつの間にか椅子の周りにソフトの山。


今日は相方が仕事で留守。
寒いわ曇っているわで外出する気も起きず、とりあえず
掃除を済ませてさてどうしようと考えた末に台所に立つ。
時間に追われず包丁を握っている時は
結構私にとってはストレス解消になるのだ。

買ってきたけどはずれてしまったリンゴ4個とレモン汁を
これでもかと鍋に放り込み、リンゴジャム。
ゴボウと大根の皮と冷凍しておいた鶏皮に人参を加えてキンピラにし、
鶏レバーの生姜煮、秋刀魚のオイル漬け、
アサリの炊き込みご飯の素、エトセトラ。

3つあるコンロはフル稼働し、気付いたら4時間近く経っていた。
冷凍できるものは小分けにして冷凍したのだが、
それでも冷蔵庫の中は『ストレス解消の結果』がいっぱい。


・・・ま、今週は仕事が忙しくなりそうだから作ってる
暇もなさそうだし、いいか。



2005年01月20日(木) おしらせ。

新しい方のPCがどうも調子悪いため

かなり後記の更新が滞っております。

ご了承下さい。



2005年01月12日(水) おでんと湯豆腐。

「お父さん(義父)が風邪で食べられないって言うから、
 食べるの手伝ってくれる?」
そう言う義母から小鍋に入れたおでんのおすそわけ。

拙宅では殆ど、おでんと湯豆腐は冬場
食卓に上ることがない。
個人的にはどちらも好きなのに、相方が嫌がる。

別に嫌いなわけでもないが、
『おでんと湯豆腐は酒のツマミで、おかずじゃない!』
というのがその理由らしい。
たまに今日のようにおすそわけがあれば、食べるけれども
結婚前からずっとそう言っていたので
さすがにそこまでして作ろうとは思わなくなってしまった。


そういえば冬場、実家の石油ストーブの上で
よくおでんが入ったお鍋が湯気を立てていた。

だし汁の中には、ちびて削れなくなった鰹節。
そのせいかどうか、実母の作るおでんは
とてもダシの味が強かった気がする。



2005年01月11日(火) 呼ばれ方。

今の職場に勤めて早10年。
10年もいたにも関わらず、今日初めて
お客様から名前で呼ばれた。というか、憶えられた。

従業員といったって、70を超えた社長夫人と私だけだから
お客様にしてみれば名前を憶える必要もない。

よって

「若い方の方」 (別に若くはないが、もう片方が70過ぎでは
          この呼ばれ方とて不自然ではない)
「背の高い方」 (見たそのまま)
「もう一方の方」(消去法)
「お嬢さん・娘さん」 (実の娘と勘違いされることは日常茶飯事)

と言われればそれは私のことを指している。
特にネームプレートなんてものも存在しないし。

ところが今日、閉店後駅へ歩いている時
いきなり背後から『○○さーん!!』と声をかけられた。
びっくりして振り向くと、数m後ろに常連のお客様。
どうやら社長夫人に私の名前を聞いたらしい。

あまりにも突然でもの凄く驚いたけれど、
驚いた反面、少し嬉しかったりもする。




2005年01月09日(日) 血筋。

週末送られてきた、愚妹挙式の時の集合写真。
あまりよく見ていなかったので、改めて見てみると
やっぱりなと思う。

父方のおじ・おばの目はあまり大きくなく、
少しタレ気味で何となく小難しいような目をしている。
私は写真でしか知らないけれど、祖母がそんな目をしていた。
伯母は祖母にそっくりになってきたし
実父は祖父にそっくりになってきた。

一方母方は、祖父の目が大きいせいで皆パッチリというか
はっきり言ってしまえばギョロ目というか。
こちらはどういうわけだか(恰幅の良さを除けば)皆祖父似。


小さい頃、目だけでも母方に似たかったと何度も思ったことがある。
それだけ私は父方の顔をしているし、今でも自分の目は
あまり好きではない。
ちなみに愚妹は母方の顔だと周囲から言われてきた。
確かに(少しタレているとはいえ)目の感じは、実母に似ている。

ところが先日、写真を見た愚妹のお姑さんが
「あなたはお父さん似なのね」
と愚妹に言ったそうで、ショックだったと言っていた。


・・・おいこら、待て。

私が父そっくりなのを忘れてないか。妹!








2005年01月08日(土) 発酵。

去年の暮れ、実母が手配して送ってくれた
市販の『ごさい漬け』に重しをしておいたのを取り出した。

(『ごさい漬け』は塩漬けにした生の秋刀魚か鰯のブツ切りを
 大根や聖護院と一緒に漬けたお漬物。
 千葉や茨城の太平洋沿岸地域では昔からあったらしい。)

市販品のそれは、届いた頃はまだ秋刀魚も本当に生で
背骨も食べられないほどではないにせよ
どうしても口の中に残ってしまう。
大根も何か秋刀魚の味が馴染んでない。

2kgの漬物に7kgの重しをのせ、時々水を捨てながら
冷暗所に放置しひたすら我慢すること約2週間。


そろそろかなと思う頃には、ものっっっすごい匂いになる。
2重にしてあるビニール袋を開けた途端、
わっと魚の発酵した匂いが部屋に充満してしまう。
急いでお玉である程度の量を密封できるタッパーに移しかえ
(服についたら洗わないと落ちないくらいの匂いなので)
再びビニール袋の口をギチギチに閉める。

発酵して背骨まで柔らかくなった秋刀魚を口に放り込んで
ニンマリする私を、今年も相方は怪訝そうに見ていた。
ちなみに拙宅でこのお漬物を食べる人間は、私一人だけである。

去年は少し忙しくて、自分で市販品に足す塩漬け秋刀魚を
用意できなかったことが今更ながら惜しかったと思う。



2005年01月03日(月) 何故だろう。

1日2日と新年の挨拶やら何やらで、バタバタしたまま
過ごしてしまっていたためか『休んだ』という気がしない。
やっと今日になって散歩がてら隣町の神社へ
散歩がてら初詣に行くことができた。

決して大きい神社ではないけれど、時期が時期だけに
お賽銭箱の前にはズラリと列ができている。
時々この神社の前は通るが、こんなに賑やかなのは
初詣とお祭りと・・・その程度だろう。
まぁ有名なところでない限り、そんなものかもしれない。


喫茶店で一服しながら相方と
拙宅にあるDVDレコーダーの話になる。
中古で購入したからか何なのか、最近は全くDVDレコーダーとしての
機能は果たしていない。すぐエラーになる。
よって専らCDプレーヤー代わりになっていた。

「セッティングのこととか考えると、
 買いに行くのは来週より今日がいいな。」
とのことで、急遽池袋へ買いに出る。

案の定、人・人・人。
懐が暖かくなった子供もそれに加わって、ボンヤリとなんか歩けない。
ポイントが貯まったついでにCDデッキも購入し
人ごみをかき分けるようにして、帰宅。

三が日の最後一番心がなごんだのは、帰宅後に
ベランダから紅く染まった空を見上げた時だった。







2005年01月02日(日) 殻の裏側。

今日は年始の挨拶も兼ねて、私の実家へ。
実母の手料理と共に出されたタラバ蟹に舌鼓を打ちながら
ふと、テーブルの上にあったその胴体部分の殻に目が行く。
無論内部の身は捌いてあるので、残っているのは殆ど殻。
それでも幅20cm以上はゆうにある。

「コレ、食べちゃっていい?」

別に普通に聞いただけだったのに、そこから
その部分を食べるか否かという話になった。

そりゃ脚の部分も美味しいけれど、個人的には
殻の裏側にへばりついてる白いベラベラしたところも好きなのだ。
(この部分を何と言うかは知らない)
捌いた実父はそれを最初、捨てようとしていたという。

「そんなとこ食ってたら、腹おかしくするぞ!」

実父は信じられないような顔をしてそう言っているが、
「『魚は食べられるところはきちんと食べるのが、供養だ』って
 お父さん、小さい頃から言ってたじゃない?」
そう切り返すと、返す言葉がなくなった様子。
実際家族の中でも私は『猫またぎ』と呼ばれるほどである。


結局、皆その部分は食べないとのことなので一人で完食。

・・・あの白いベラベラって、食べないトコなのかなぁ。



2005年01月01日(土) 新年。

朝方、母方の祖父母のところに挨拶がてら電話を入れたら
寝ていたところを起こしてしまったようで、慌てて電話を切った。
8時半だと思っていたが、1時間早く勘違いしていたらしい。
とんでもない早トチリ。

お昼に相方の弟家族も揃って食事をする予定だったので
1階と2階を行ったり来たり。
義母の足が数日前から調子悪いため、その分気を遣う。

行き来しながら、サーモンマリネと鴨焼きを作る。
マリネは適当に混ぜて漬ければいいだけなので楽だけれど
鴨の下味が思いのほかついていなかった。
大量の長ネギと塩・胡椒で一晩漬けておいたのに
塩味はともかくネギの風味が全然しない。
急遽白髪ネギに塩とオリーブオイルを加えたものを、
焼いてスライスした鴨に付け合せた。
・・・焼き加減はバッチリだったのになぁと、少々残念。

食後、義妹と食器の片付けをしていて談笑しつつ
ふとリビングを見ると相方の弟は酔って既に爆睡。
相方の姿もなかったので2階に上がってみれば
こっちもこっちで毛布にくるまり、やはり爆睡。

夕方、お風呂のお湯を張ろうと階下に降りると
義父母も疲れたらしく、うとうととしていた。


毎年こんな感じの、拙宅の新年。


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