Experiences in UK
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2005年03月28日(月) 第85週 2005.3.21-28 パットニーのフレンチ・マーケット、ボート・レース見物

先週金曜からのイースター四連休を終え、英国はいよいよ待望のサマー・タイムに切り替わりました。

(パットニーのフレンチ・マーケット)
パットニー・ブリッジの南側(パットニー側)のテムズ河沿いは、古い英国と新しい英国が共存したなかなかお洒落な街並みになっています。
橋を中心にして西側は、古い英国の街並みが続いています。河沿いにボート・ハウスがずらりと並んでいて、休日には自家用ボートを漕ぎ出してレジャーを楽しむ人々がいます。桟橋もあって、遊覧船も発着しているようです。ボート・ハウスを横目に河沿いの道を進むと児童公園があるので、我々は時々こどもを連れて出かけます。干潮時には、川の畔まで下りて水鳥と遊ぶこともできます。
東側の河沿いは、近代的な街並みに開発された地域となっており、こちら側はパットニー・ウォーフとちょっと格好いい名称で呼ばれています。日没後にブルー系のライトが灯る高級マンションがこの界隈の新たなランドマークです。マンション近辺はここ数年で急速に開発が進み、とりわけポッシュな(お上品な/ハイソな/お高く止まった)雰囲気に満ちています。しゃれたパブやレストランが出店していて、きれいに整備されたテムズ河沿いの遊歩道は、カップル、家族連れ、老夫婦などで休日はいつも賑わっています。

そんな東側の一角では、月に数回の頻度でフレンチ・マーケットが開かれます。先日、冷やかしに出かけたところ、パン屋、チーズ屋、ソーセージ屋など十店ほどの屋台が出ていました。
私はいの一番にワッフル屋さんに立ち寄って注文しようとしたのですが、売り子の気の良さそうなおばちゃんに、最初の”Excuse me?”を完全に無視されてたじろいでしまいました。このおばちゃんは、わざわざ英国まで出稼ぎに来て英語を無視する偏屈なフランス人だったわけではなく、単純にわからなかったようです。その後、ぎこちないやり取りの挙句に支払を済ませ、別れ際に「メルシー」と言ってあげると、にっこり笑って「メルシー」と返してくれました。最後くらい「サンキュー」で返せばいいのに。

一番の人だかりだったクレープ屋さんで我々の目を引いたのは、クレープと共に売られていたガレット(Galette)なる食べ物でした。私は初めて目にするものでしたが、一回り大きなクレープ生地のようなものの中に野菜やらチーズやらを入れて焼く食べ物で(見た目は少し大きなクレープ)、製作過程を見ていると英国ではとても見られないような繊細な作り方をしていたので、試しに食べてみました。生地はもちもちした食感で、味もやはり英国的なるテイストから遠くかけ離れたフランスらしい繊細なおいしさでした。
こういう食べ物はこの国にはないよなあ、と改めて強く実感した次第です。

(パットニー近辺のポッシュな店)
パットニー・ウォーフは、パットニーでもっともポッシュな地域のひとつですが、パットニーとその隣町のウィンブルドン自体が「ポッシュな地域」だ、とよく英国人に言われます。確かに、白人が非常に多い地域ですし、とくにウィンブルドンは瀟洒なお屋敷がたくさん立ち並んでいます。

近所にある代表的なポッシュな食材店のひとつであるBayley & Sageは、うちから車で10分のウィンブルドン・ヴィレッジにあります。こだわりの食材(肉、野菜、ケーキ、ワイン等々)や惣菜類だけを取り揃えて売る店で、どれをとっても値段も大変にご立派なのですが、私はここで売っているベーグル(£3)にすっかり魅了されてしまっています。朝10時半頃に店頭に並ぶベーグルと飲み物を買って、天気のいい日に筋向いのウィンブルドン・コモンでブランチをとるというのが、最近のちょっとだけ贅沢な休日朝の定番になっています。

もうひとつ、つい先日、パットニー・ハイストリートに出店してきたフランスのケーキ屋さんMaison Blancもパットニーのポッシュ度を引き上げました。我々がロンドンに来たばかりの頃、サウス・ケンジントンにある同店のケーキを時々堪能していたのですが、この店が近所に出来たのは我々にとって予期せぬグッド・ニュースでした。
親しくしている近所のフランス人家族も大喜びで、早速、パンやらなにやら買い込んでいたそうです(うちもですが)。

(ボート・レース見物)
日曜、パットニー・ブリッジを起点にして、オックスフォード大学とケンブリッジ大学との学生間で競われる伝統のボート・レース大会が開催されました。昨年は残念ながら見に行けなかったのですが、今年は見物に出かけてみました。
オックスフォードとケンブリッジのスポーツ対抗戦では、ボートに限らず、両校メンバーはそれぞれのシンボルカラーであるダーク・ブルーとライト・ブルーのユニフォームを着用します。そして、両校の対抗戦に出場した選手には「ブルー」の称号が与えられます。ラグビーの世界では、元神戸製鋼・主将の林敏之氏が、オックスフォード大学への留学中にケンブリッジ大との定期戦(バーシティー・マッチ)に出場して「ブルー」の称号を得ています。
この日、パットニー・ハイストリートの街灯にはそれぞれの色の風船が飾られ、お祭りムードを盛り上げていました。

このボート・レースは今年が151回目の大会で、テレビ中継も入る国民的行事になっています。実際、パットニー・ブリッジの上とテムズ河沿いには鈴なりの観衆が集まり、沿岸には大画面テレビまで設置されていました。
オックスブリッジとは縁もゆかりもなく、ボート・レースへの興味も薄い我々は、単なるお祭り見たさの野次馬でしたが、たかだか大学対抗のボート・レースにこれだけの人々が入れ揚げている様は不思議なものでした。両校の関係者は、せいぜい観衆の数%程度かと思うのですが・・・。

今年は、ダーク・ブルー(オックスフォード)の通算72回目の勝利で大会は幕を閉じました。勝ったクルーは、恒例ということでテムズ河に飛び込んでいましたが、寒いなか、お世辞にもきれいとはいえないテムズ河に飛び込むのは(もう数マイル遡るときれいなのですが)、見ていてちょっとぞっとするものがありました・・・。


2005年03月21日(月) 第84週 2005.3.14-21 ブラウンおなじみの経済自慢、ブラウンが語るブリティッシュネス

今年のシックス・ネーションズはウェールズの全勝優勝(グランドスラム)で幕を閉じました。ウェールズの優勝は94年以来、同国の全勝優勝は78年以来の快挙です。また、これでシックス・ネーションズにおける優勝回数がイングランドに並びました(35回)。
この後、英国では、ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ(アイルランド共和国を含む英国選抜チーム)のメンバーが選出され(メンバー発表は4月11日の予定)、七月にニュージーランドで遠征試合を行います。

(ブラウンおなじみの経済自慢)
16日、ブラウン蔵相が議会で予算演説を行いました。予算の発表に合わせて経済の状況や新しい予算の中身を説明するもので、今年は過去2番目に短い演説だったそうですが、それでも50分あまりの時間をかけて同蔵相が一人でしゃべり続けます(最短は19世紀にディズレーリが行った45分間の演説らしい)。英国の蔵相は、毎年12月にも同様のプレ予算演説を行います。

例年、ブラウン蔵相の予算演説は経済状況のレヴューから始まるのですが、これが毎度おなじみの経済自慢話で、自慢の度合いが年を追うごとにエスカレートしています。この間野党のやじと与党の拍手・歓声が交じり合い、長い演説の格好の「つかみ」にもなっています。
03年12月のプレ予算演説において、ブラウン蔵相は「現在の英国の景気拡大は、過去100年以上のなかで最長」と述べたのですが、翌04年3月の予算演説では、「私は下院に対して謝らなければならない。財務省のスタッフに調べさせたところ、現在の英国は、過去200 年以上の中で最長の持続的経済成長を享受していることが判明した」として、議場を沸かせていました。
そして今回、財務省スタッフの歴史研究はさらに進んだようです。「現在の英国経済は、記録を取り始めた1701年以降で最長の景気拡大を持続している」とブラウンは述べました。これ以上遡ることは出来ないみたいです。ほとんどネタですね。

ただ、実際に近年の英国経済は、まさに今年の演説でブラウン蔵相が指摘したとおり「低インフレ、高雇用、生活水準の向上」を達成しています。「低インフレ、低失業率、高成長」を鼎立させたとして、当時のクリントン政権がニュー・エコノミーと自賛していた90年代後半の米国経済に少し似た状況です。
個人的な見解としては、世界的なITブームを先導して過熱気味だった当時の米経済と比べて、安定性にすぐれた現在の英国経済の方がよりヘルシーなようにも感じられます。

(ブラウンが語るブリティッシュネス)
さて、そのブラウン蔵相、予算演説を前にした14日にBBC2のドキュメンタリー番組に出演しました。残念ながらその番組は見逃してしまったのですが、後日の報道をみると、かなり興味深い内容だったようです。
ブラウンがブリティッシュネス(英国のアイデンティティ)に関してどのような考え方を持っているのかというテーマで、数ヶ月にわたって同氏を取材したものでした。

まず、ブラウンは、ブリティッシュネスを「制度」(王室とか英連邦などの形式的なもの)としてではなくて「価値観」として考えているとしたうえで、「我々には、英国を形作ってきた共通の性質や価値観がある。例えば、英国の歴史を通じてはっきりと見てとれる寛容や自由への信念、公平性やフェア・プレイの精神、市民としての義務感などである。」と述べています。

この後、以上を踏まえて、かつての「帝国(主義)」に関連したかなり踏み込んだ次のような発言をしているのが注目されます。
「私は、英国が過去に行った植民地政策に対して謝罪すべき時は終わっていると思う。我々は前へ進むべきだと思う。我々は自身の過去のことを謝罪するよりも、もっと称賛すべきだろう。とりわけ『英国の価値観』についてきちんと話すべきだと思う。」
"I think the days of Britain having to apologise for our history are over. I think we should move forward. I think we should celebrate much of our past rather than apologise for it and we should talk, rightly so, about British values."

次期首相候補とも目され続けてきた現役の大物閣僚が、自国の負の歴史に関してここまで踏み込んだ発言するのはなかなかすごいことだと、とくに日本人としては思えます。
番組では、ブラウンの見方に対して、ある労働党議員による以下のような強い反論を紹介していたようです。曰く、「ブラウンの植民地政策に対する見方は、あまりに楽観的でありかつ一方的な見方である。ばかげているばかりか、かつて植民地でひどい目にあった人々に対する侮辱でもある。」
この反論は、日本の大物政治家がブラウンのような発言を公然とした場合に沸き起こると想定される典型的な反論でもあるでしょう。日本の場合、近隣の諸外国からも強い反発を受けて、件の大物政治家が嵐のようなバッシングにあうことは必定だと思えます。
英国では両論が平然と並立されており、上記ブラウン発言が英国で政治問題となる様子はまったくありません。ごく一部のメディアでは、大胆な発言として小さく取り上げられていましたが。

(ブレアとブラウンの異なる「英国観」)
番組の中では、ブラウンとブレアの英国観の違いについても言及されたようです。
BBC2ウェッブ・サイトによると、「彼(ブラウン)は、ブレアがかつて提唱していた『クール・ブリタニア』という考え(カッコイイ英国というブランド・イメージを世界に広げようという戦略)を否定した。さらに深刻なことには、英国は欧州と米国との架け橋たるべしというブレアの考え方に対して批判的である」とのことでした。
ブラウンは、両大陸の単なる架け橋として英国の自己イメージを限定することに異議があるらしく、英国固有の価値観を前面に出したいようです。そのために、歴史教育の見直しまで提言しています。
両者の間に見解の相違があるというよりも、イメージとか国際関係の現実に直面して英国の立場・戦略を考えるブレアに対して、自国内の問題としてより精神的な観点から英国観の再考を促しているのがブラウンであるようにみえ、異なる次元での役割分担という見方も出来るでしょう。

ブラウンといえば、英国労働党における押しも押されもせぬナンバー2ですが、ライバルのブレアと比べると、ニュー・レイバーの中においては伝統的な左寄りの考え方により近い政治家です。日本の感覚では、上記のブリティッシュネス発言は非常に保守反動色の濃い政治家という印象があるため、一見すると奇異に感じる面があります。
ただし、この背景には日本人の思考パターンでは解釈しきれない英国に固有の事情があると考えるべきでしょう。つまり、英国はかつてイングランドを中心とした大英帝国という特殊な国家形態での繁栄の歴史を有し、現在も国家の成り立ちとしてはその延長線上にある国であり、国としての統一性を模索し続けているという事情です。分権化が進む方向にあるイングランドとその他の地方(スコットランド、ウェールズなど)との関係、さらにプレゼンスを増し続ける移民と従来からの英国民との関係などにおいて、国内的に英国としてのアイデンティティを維持・確立するということが、近年の英国ではますます重要な課題になっているようです。


2005年03月14日(月) 第83週 2005.3.7-14 ラグビー・イングランド代表の苦境、オフサイドはなぜ反則か

(ラグビー・イングランド代表の苦境)
ラグビーのシックス・ネーションズ大会は、全日程のうちあと1週を残すのみとなりましたが、今年のイングランド代表は一勝三敗という惨憺たる結果となっています。先週ようやくイタリアに快勝しましたが、それまでは僅差の敗戦が続きました。やはり現在のイングランドは、チームとしてのリズムが完全に狂ってしまっているようです(2月14日、参照)。
三試合目のアイルランド戦の後は、レフェリーの誤審によってイングランドの2つのトライが失われたのではという疑惑が大きな話題になりました。私もテレビ観戦していましたが、かなり微妙(もしくは不透明)な判断でした。

とくに惜しかったのが1本目の幻のトライです。ハーフウェイ・ラインあたりから相手陣内深くのオープン・スペースに蹴り上げたボールを、走りこんだバックスの選手が見事にキャッチしてそのままトライをするという非常に美しいトライ・シーン(のはず)だったのですが、審判の判定はバックスの選手が「オフサイド」の状態だった(ボールがキックされた時点でボールより前にいた)ということで、トライ不成立となりました。
テレビ画面では、キックの時点でのバックスの選手の位置ははっきり分からなかったのですが、かなり微妙だったことは確かで、私としては普通はオフサイドととらないのではと考えられるような位置関係だったように見えました。

(呪われたイングランド代表チーム)
現在のイングランドは運にも見放されているということなのでしょうが、試合後に監督のアンディ・ロビンソンが今回の誤審問題を糾弾する姿勢をみせたことが、イングランドの泥沼状態をいっそう際立たせたともいえます。
一部メディア等からは、試合後の公式インタヴューの場で審判批判をした同監督の姿勢は不適切であると非難の声があがりました。BBCのウェッブ・サイトでは、かつてのオーストラリアの名選手デビッド・キャンピージーが、「誤審問題をいつまでもごちゃごちゃ言うのはみっともないからやめろ」という厳しいコメントを出していました。

アイルランド戦では、本来のキャプテンであるジョニー・ウィルキンソンの負傷欠場でキャプテン代行を務めてきたジェイソン・ロビンソンが負傷してしまい、シックス・ネーションズの残り試合を欠場することになるというおまけもつきました。踏んだり蹴ったりですね。
さらに、先週末、新キャプテン代行マーチン・コリーのもとでようやく一勝をあげたのは良かったのですが、さらなるバッド・ニュースが飛び込んできました。負傷欠場が続いているジョニー・ウィルキンソンが、久々に地元のゲームに出場したのですが、痛めていた左膝を再び悪化させて途中退場したそうです。ウィルキンソンは、2003年11月のW杯決勝戦の延長試合終了間際に伝説的な決勝ドロップ・ゴールを決めてから以降、国際試合には一切出場していません。

(オフサイドはなぜ反則か)
さて、ラグビーやサッカーなどにあるオフサイドというルールは、ちょっと分かりにくいルールです。
最近、「オフサイドはなぜ反則か」(中村俊雄、平凡社ライブラリー)という興味深いタイトルの本を日本から取り寄せて読みました。初版は1985年に上梓された本で、ラグビーなどの世界では古典的な名著とされてきた本です。スポーツのルールが形成されてきた過程を時代や社会の変化に関連づけて考察するという立場から、フットボールにおけるオフサイド・ルールに焦点を当てた本です。
オフサイドというのは、ボールを相手陣に運んで得点を競い合うのが目的の競技であるにもかかわらず、プレーヤーはボールの前に出てはいけない(したがってボールを前方にパスすることを禁じる)という、ある意味で不自然なルールです。このような不自然かつ不合理なルールが、なぜどのように形成されてきたのかというのが、本書の背景にあるそもそもの問題意識でした。

二つのチームのプレーヤーがフィールド内の自陣と相手陣に入り乱れて競技が行われる代表的な球技について、オフサイド・ルールが厳しく適用される順に並べると、ラグビー、ホッケー、サッカー、アイス・ホッケー、アメリカン・フットボール、バスケット・ボール、となります。ホッケーとサッカーは、相手陣内にいる時だけオフサイド・ルールが発生しますが、ラグビーでは相手陣でも自陣でもオフサイド・ルールが適用されます。
一方、アイス・ホッケーは相手側の氷域内にパックを持ち込む際だけオフサイド・ルールが適用されるそうで、アメリカン・フットボールはゲーム開始時のスナップバックの際のみです。そして、バスケットボールに至っては、ルールの中にオフサイドという概念はまったくありません。
前者三つの競技は欧州(英国)で生まれて、欧州を中心に発展してきたスポーツであるのに対し、後者三つの競技は米国を中心に発展してきたスポーツです。

(ゲームの過程を重視するために導入されたオフサイド・ルール)
さて、本書の結論ですが、英国で生まれたとされるフットボールの由来や、それがサッカーとラグビーに分化した経緯、そしてオフサイド・ルールの起源についても、現段階ではっきりと分かっているわけではないそうです。ただ、これらの歴史を子細に追っていくなかで著書が得た仮説は非常に興味深いものでした。
英国で中世以降に行われていたフットボールは地域の「祭り」としての性質を強く持っており、ゲームの勝敗よりもその過程をなるべく長く楽しむことに主眼を置かれていました。「祭り」としてのフットボールが「競技」に転化したのは18世紀半ばから19世紀半ばにかけての頃らしいのですが、この間、『「勝利志向的な、したがって競技を早く終了させる、行為」は、フットボールの醍醐味を破壊する「汚い」プレーとして指弾ないしは禁止されるように』(同書・解説より)なり、オフサイド・ルールが定着していったそうです。
ゲームの結果よりも過程を重んじるために、不自由なルールであるオフサイド・ルールが制定されたというのは、とても面白い視点だと思いました。

20世紀以降、なるべく得点が多く入るような華やかなスポーツを好むアメリカ人は、オフサイド・ルールの制約から解放された新たなルールのスポーツ(アメフト、バスケットボールなど)を開拓したようです。


2005年03月07日(月) 第80-82週 2005.2.14-3.7 ブレナム・パレス、コンプリート・アングラーでのアフタヌーン・ティー

2月後半のロンドンは寒さが厳しく、毎日のように雪が舞いました。ただし、寒いといっても氷点下前後の気温であり、雪が積もることはありませんでした。3月に入って日が長くなり始めるにつれ、寒さも次第に和らいできています。

(ブレナム・パレス)
大学で有名な街オックスフォードを訪れる人は必ずブレナム・パレスまで足を伸ばし、英国内で数ある豪邸の中でももっとも有名な邸でありユネスコ世界遺産にも登録されているブレナム・パレスを訪ねる人は必ずオックスフォードの街に立ち寄るという具合に、これら二つの観光スポットは、観光者にとって双子のような存在です(単に地理的に近いだけですが)。
先日、そんな典型的な観光コースを我々も回ってきました。

ブレナム・パレス(Blenheim palace)は、オックスフォードから車で20分程度の小さな街ウッドストックにある「英国が誇る広大で優美な私邸」(観光パンフより)です。一貴族である初代マールバラ公に対して、スペイン継承戦争(1702-1713)におけるブリントハイム(英語名ブレナム)の戦いでの軍功により当時のアン女王から下賜されたのが、このブレナム・パレスでした。現在も第11代マールバラ公が所有しています。
初代マールバラ公であるジョン・チャーチルの末裔(スペンサー=チャーチル家)には、第二次大戦時の英国首相ウィンストン・チャーチル(正式名をウィンストン・レオナード・スペンサー=チャーチルというらしい)がいます。ブレナム宮殿は、チャーチル元首相が生まれ育った邸宅としても有名です。また、故ダイアナ妃はスペンサー家の一員でした。
スペンサー=チャーチル家は、イングランドに現存する10の公爵家のうちのひとつであり、英国を代表する名門の家です。

これまで数多くの英国貴族の邸宅を訪れましたが、ブレナム・パレスは超ド級のでかさでした。敷地内には移動のための手段として鉄道(!)が敷設されています。
敷地の広さや建物の大きさだけではなく、「細心の注意を払ってデザインされた絶妙な景観美」(ブレナム・パレスのパンフレットより)に圧倒されてしまいます。邸の周囲には、美しく造成されたいくつかのガーデンのみならず、広大な牧草地、立派な橋のかかった大きな湖、森などがあり、敷地の端にある初代マールバラ公の勝利を記念して作られた巨大モニュメントをはるか遠くに望むことができます。これらすべては、著名な庭園設計家のケイパビリティ・ブラウンによって作られた壮大な英国式風景庭園なのです。
チャーチル元首相の母であるランドルフ・チャーチル婦人が、初めてブレナム・パレスを訪れた際の印象を次のように記したそうです。私の受けた印象とも一致するものでした。「アーチ型の入り口門をくぐるにつれ、美しい眺めがどっと襲ってきた。ランドルフは『これぞイングランドきっての壮観な眺め』と鼻高々だけれど、それも過言ではないでしょう。事実、湖や橋、古いオークの木が散在する何マイルもの壮大な庭園の広がりや・・・巨大で壮麗なパレスを目にして、畏怖の念に打たれていましたが、私のアメリカ人としてのプライドがその告白を辛うじて止めたのです。」

邸の内部もウィンザー城に勝るとも劣らないくらいご立派なものでした。
暗い廊下の左右両壁面上部には、一定間隔で鹿の頭部の剥製が飾られています。知らないスキに見開いた大きな目でギョロッとにらまれているような錯覚に襲われます。
それぞれの室内には、巨大な肖像画や極彩色のタペストリーや彫刻等々が数知れず飾られていました。壁、柱、天井、カーペットなどもそれぞれ見応えのある造りで、溜息が尽きません。ロング・ライブラリーと呼ばれる細長い広大な書斎(図書室)も印象的でしたが、とくに一番端にパイプオルガンがでんと置かれているのには驚きました。
このように、ブレナム・パレスでは、我々の物差しでは測れない世界に至る所で触れることができます。

(ヌードル・バー)
英国には、エイジアン・ヌードル・バーというジャンルの食べ物屋があります。主としてアジアの麺類を出す店で、英国人にそれなりに人気があるようです。
英国に来て初めて、オックスフォードの街にあったヌードル・バーに入りました。これがびっくりするくらいにまずかった。フラット・ヌードル(きし麺みたいなもの)を注文したのですが、ぶつ切れの(!)平らなうどんが単なるお湯のように味のないスープの中にてんこもりで盛られて出てきました。そこそこ客が入っている店だったのですが・・・。
ロンドンには、ロンドナーに非常に人気が高い有名なヌードル・バーとして、WAGAMAMAなる名前のチェーン店があります。昨年秋、パットニーのハイ・ストリートにも出店してきたので一度食べてみたいと思っているのですが、果たしてオックスフォードの店とは違うのかどうか。

(コンプリート・アングラーでのアフタヌーン・ティー)
とある週末、当家への来訪者と一緒に(三度目の!)ウィンザー観光を終えた帰途、少し時間があったのでマーロウ(04年8月16日、参照)に立ち寄りました。マーロウを訪れるのも三度目なのですが、今回はテムズ河畔にある超有名ホテルのコンプリート・アングラー(Compleat Angler)にてアフタヌーン・ティーにトライしてきました。
日曜午後にふらっと立ち寄った割には、幸運にも10分程度の待ち時間でテムズ河に面したテラス席に案内されました。窓からはゆったりと流れるテムズ河と共にマーロウ橋や川向こうの教会を望むことができます。
スコーン、サンドイッチ、ケーキという定番セットをお茶といっしょに頂くアフタヌーン・ティーはこれで三〜四回目ですが、一般論として、コスト(約20ポンド=6000円)との見合いで考えると必ずしもペイするものではないなあと感じます。ただし、コンプリート・アングラーでのアフタヌーン・ティーについては、伝統あるホテル(約400年)の雰囲気と素晴らしい眺めを堪能しながらおいしいスコーンとお茶を頂く時間の購入代金として考えると、必ずしも高くないと思いました。
マーロウの散策とコンプリート・アングラーでのアフタヌーン・ティーは、英国を訪れる方にぜひ推薦したい観光コースの一つです。


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