-殻-

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2005年04月25日(月) 架橋

いつもは一人で見るこの景色。
今夜は君が助手席に座っている。

他愛のない会話は、テールランプと一緒に流れていく。
ふとした沈黙にも重さを感じることはなくなった。
急ぐでもなく、立ち止まるでもなく、
呼吸をするのと同じ速さで僕等は言葉をこぼす。

トリコロールのトリトン。
向こうの空には満月。

君のいるところに、僕は向かっているのかな。
そうだといいけど。そうであってほしいけど。


2005年04月19日(火) 葉桜

ついこの間まで薄紅色に染まっていた景色は、
いつの間にか新緑の芽吹く勢いに押し流されそうになっている。

北国育ちの僕には、桜はそれほど馴染みの深いものではない。
ソメイヨシノを初めて目の当たりにしたのは、二十歳を過ぎてからだ。

僕にとっての春というのは、5月のことだった。
雪が融け、気温がゆっくりと持ち上がって、閾値を越えたその瞬間、
ありとあらゆる芽が、花が、葉が、一斉に吹き出す。
その色彩の混沌こそが、僕にとっての春の原風景だ。

入学式が桜の木の下だったことなどない。
卒業式は雪を踏みしめながら、折角の靴が濡れないように歩いた。

知識でしか知らなかった4月の桜は、
それでもなお、その散り行く哀しさを僕に感じさせてくれる。
何故にこうも儚く、一炊の夢のように風に流されてしまうのか。
一花咲かせる、というのは、まさにこういうことを言うのだろうな。
その後、潔く散って行くことを、知った上で咲き誇るのだろうな。

武士が桜を尊んだ理由が、なんとなく分かる気がした。


僕は、葉桜が好きだ。
木の枝から直接花が咲くという、ある種グロテスクな遷移状態から、
生きてゆく本来の姿が形成される過程が、葉桜だと思うからだ。

美しさというのは、アンバランスなものだ。
つまるところ、失われることにその意味がある。

散るために咲くのではなく、咲くものは散るのだ。
死ぬために生きるのではなく、生きるものは死ぬのだ。
それがきっと自然というものの理屈で、だからこそ僕等は、
美しく、グロテスクに咲いて、そうして閉じてゆくことで意味を為すのだ。

散り際に潔くあるには、悔いてはならない。
心ある限り咲き尽くすことは難く、
突然の雨風に開いたばかりの花弁を散らすやも知れぬ。

ならばせめて、今日の暖を幸いとして、

咲き狂え。




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