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2002年02月28日(木) かなしいことは

きみがここにいて、
ぼくがここにいる。

きみがここにいなくて、
ぼくはここにいる。

きみはここにいなくて、
ぼくもここにいない。

きみがここにいて、
ぼくがここにいない。

いっしょにいるとたのしい。
ひとりでいるとさみしい。

いっしょにいるとあんしん。
ひとりでいるとふあん。

でもぼくはきみのことがすきで、
きみがぼくのことをすきなら、

ひとりでいてもひとりじゃなくて、
ひとりでいてもふこうじゃない。

ひとりでいることはさみしい。
ひとりでいることはかなしい。

きみにあいたい。
きみがこいしい。

きみをだきたい。
きみのえがおがみたい。

せつなくて、
なきそうになるけど、

きみはそこでいきていて、
ぼくをおもってくれている。

ぼくはここでいきていて、
きみをおもっている。

それは、しあわせ。

ひとりでいることと、
ひとりになることは、

ぜんぜんちがう。

ぼくはひとりでいるけれど、
きみもひとりでいるけれど、

ぼくらはふたり。

2002年02月27日(水) ひとりごと

好きなものを好きだと言うように、

嫌いなものを嫌いだと言えたら、

どんなに楽だろう。

2002年02月26日(火) 悲観的肯定と「マトモ」であること

マトモであるってことは、どれだけマトモなフリをできるかで決まるんだよ。

何気なく、話の流れで僕はぽつりと呟いた。
すると、すぐ横にいた彼女はそれを聞き逃さずに
「そうですよね!そう思いますよね!」
と言った。

その娘は僕の後輩で、理系の研究室に属しながら文芸部にも所属していた。
まあ、僕も物書きのようなことをしているし、実際のところ文系とか理系とかいう区別は無意味この上ない。文系にも論理的思考や数学的分析力は必要だし、理系にもイマジネーションや文章力は必要だ。
結局は自分の得手不得手を説明するために、どちらかに属しなければ安心できない分類癖がそういう区分けを作っているに過ぎない。

彼女は自分の持っている「負」の部分をよく知っていた。
そしてそれに、言葉という手段を用いて真っ向から立ち向かい、分析し、時には実行に移し、時には現実とのギャップに落胆し、それでも自己の深淵に切り込むことを止めなかった。
その行為は彼女自身を苦しめ、彼女に近い人間をも巻き込んで傷つけた。
それでも彼女はそれを止めなかった。

僕は直接的にそれに関わったわけではなく、後からその事実を知った。
そして、なんの不思議も感じずにそれを受け入れることができた。
自分の中にも、よく似た部分があることを感じたからだ。

ただ大きく違うのは、彼女は「言葉で表現する」ことに絶対的なこだわりを持っていたことだ。
僕は、言葉で自分のイメージを具現化することを強く恐れていたので、違う手段を求めた。
僕にとっては、イメージをイメージのままで放出する手段として音楽を見つけ、それで自分の感情を放出することを覚えた。

言葉は暴走する。
まるで吐き出した瞬間、それ自身が意志を持つかのように。

そこにもハイゼンベルグ的な僕の観念が登場するのだが、やはり言葉にも不確定性がある。
彼女もそれを感じていたようだ。
が、彼女は「だからこそ」言葉で表現することを求めた。
僕は「だからこそ」イメージを保存しつつ放出しようとした。

その違いはとてつもなく大きく、それでいて根本はあまりにも似ている。
それに僕らはお互いに気付いていた。

そのために仲違いもした。
でも、今は平和に、建設的に議論を楽しむことができる。
お互いに変わったと思う。

それが年を重ねたせいなのか、あるいはそれぞれの思考過程が成熟したというか、ある程度の止揚に達したということなのかはわからない。ただ、彼女と議論することはとても楽しく、僕が避けてきた「言葉による具現化」を弊害なくすんなりと実現してくれる。

言葉というのはイメージの乗り物だ。

僕は以前、そう表現していた。
イメージをイメージのまま伝えることはできない、だから言葉に置き換える。
しかし、言葉はイメージを100%表すことができない。
だから僕らは、言葉を発するときに「その言葉」だけではなく、イメージを「託して」いる。
そこに使われている無機物としての記号には、何らかのイメージが乗っている、と。

そしてその言葉は、受け手の中でまたイメージに変換される。
それが完全に元のイメージと同じなのかどうかは、実は誰にもわからない。
ただ、それを期待するしかない。または、信じるしかない。

分かり合っている、という感覚すら、実は幻想に過ぎないのかも知れない。
なのに僕らは、悲しいくらいそれを求めている。

相互理解の不可能性は、同時存在の不可能性に等しいと思う。
いや、厳密には、それを「知る」ことが不可能なんだ。

僕らはとてつもなく孤独で、あらゆるものから切り離されている。
だから求める。叶うはずもない共有を、融合を、存在を。
そして、それは信じることでしか達成されない。

そもそも基準がないのだから、寄る辺ない実存は基準を自己設定することでしか存在できないという矛盾を内包している。更に、共有しようのない「個」の関係性を定義するにはやはり仮定が必要になる。存在を定義した上でもまだ、相互作用を信じるという作業が残される。

なんと曖昧な僕の存在。
なんと曖昧な僕らの存在。

でも、たとえそれが夢だとしても、覚めない夢なら現実と同じだ。
だから僕は、この現実を肯定する。
僕が今いるこの世界を信じる。
そして、他者との関係性を定義し、逆説的に自己存在を定義する。
つまりは社会の存在を信じ、その中での自分を肯定するということだ。

この日記の紹介文にある、「悲観的肯定主義」というのはこんなところに基づいている。

とにかく、僕はいまここにある社会という現実を肯定している。
そして、その中で生きていくことを肯定している。
だから、その社会規範に則った「マトモ」な人間でなければならないのだ。

「僕自身」は「社会」ではない。
社会とは、「無数の個の最大公約数」だと思っている。
まあつまり、ちょっと洒落も入っているのだが「割り切れる」ところが大事なのだ。
もっと言えば、「共通項」ということか。

その「共通」の部分というのは、決してその「個」が持つ本質でなくてもいい。
社会という共同幻想を維持するために、「作られた共通項」が必要なのだ。
それが社会規範というものであり、時に「常識」と呼ばれるものだ。

そこにどれだけ歩み寄れるか。それが「マトモ」を定義すると思う。
話が冒頭に戻るが、それをぽろりとこぼしたら、彼女が反応した訳だ。

ちょっとした驚きだった。
その瞬間、僕が今こうやってだらだらと冗長に説明している「イメージ」が彼女の中に喚起されたのだろうか。

この時のこの感覚が間違いでなかったことは、その後長く続く彼女との議論の過程でどんどん明らかになってくる。情報量が増えるにつれ、その「イメージ」から生まれるイメージが補完され、元のイメージが確かに共有されているであろう可能性を高めていく。限りなく100に近づいてゆく、しかし決して100にはならない。「収束」というやつだ。永遠に達成されないのに、いつまでも近付き続ける。これは実に楽しく、実りある時間だ。

きっとこれからも、彼女とのこういう関係は続いていくだろう。
変な言い方かも知れないが、彼女は「戦友」のようでもあり「同志」でもある。

そして、きっと「コイビト」とは全く違う意味において、僕は彼女をとても大切に思っている。
おこがましいかも知れないが、彼女も僕を大切に思ってくれていると信じている。

何より、こんな関係を持てるこの「現実」を、僕は深く深く愛して止まないのだ。

2002年02月25日(月) 愛してる

よかった。
今日も君のことを愛してる。

昨日もそうだったように、今日も君を愛してるよ。

きっと明日も、こんな風に思えるといいな。
今までそうだったように、君を愛してるといいな。

誰もそれを知らないからこそ、僕だけはそう思っていたいな。

きっと、君を愛してるよ。
きっと明日も、

きっとこれからもずっと。




2002年02月24日(日) 寂しがり屋の自己満足

飲みかけのコーヒーカップをテーブルに置いて、僕は言った。

「たまにね、」

君は読んでいた「花とゆめ」から目を離して、僕の方を見た。

「なに?しんくん(仮名)」

「たまに、何もかもをさらけ出してしまいたくなるんだ。」

「それがどうかしたの?」

君はまた「花とゆめ」に視線を落として、あまり関心がないといった風に答えた。やっと再開した「ガラスの仮面」の先行きが気になって仕方ないらしい。しかし美内すずえは今や白泉社の社長よりも偉いというのは本当だろうか、と僕もどうでもいいことを考えながら続けた。

「本当に、何もかも、なんだ。」

「いいことじゃない、私たちの間には隠し事なんてマ、マヤ!気付いてしまったのね真澄さんが紫のバラのひとだったって」

「そんなの気付かない方がアホじゃがふっ」

言い終わる前に君の後ろ回し蹴りを延髄に喰らって、僕は軽い脳震盪を起こした。

「・・・な、なつみ(仮名)」

まだぼんやりとした頭で、僕は君の名を呼んだ。

「なに?しんくん(仮名)」

君は何事もなかったように僕のコーヒーをぐびっと飲み干して、ようやく「花とゆめ」を読み終えた。

「なにもかもっていうのは、僕の持ってる汚いところも全部っていうことなんだよ」

「誰にでも汚いところはあるものよ、多かれ少なかれ」

「それはわかってるんだ、なつみ(仮名)。問題なのは、僕がそれを、後先も考えずに吐き出してしまいたい衝動に駆られるっていうことなんだ」

「それはつまり、(削除)が(削除)なのに(削除)だったとか、本当は(削除)したいのに(削除)たりとか、普段は(削除)なフリしてるけど(削除)したいとか、(削除)と(削除)に(削除)で(削除)な(削除)を(削除)(削除)(削除)(削除)(削除)ってこと?」

「ずいぶんはっきり言ってくれてありがとう、なつみ(仮名)」

「どういたしまして、しんくん(仮名)」

「それはわがままなのかい、なつみ(仮名)?」

「それはわがままなのよ、しんくん(仮名)」

「わかってもらいたいのとは違うのかい、なつみ(仮名)?」

「わかってもらいたいのとは違うのよ、しんくん(仮名)」

「そうか、なら理性的に振る舞うように努力するよ、なつみ(仮名)」

「そうね、理性的に振る舞うように努力してね、しんくん(仮名)」

「ところで、なつみ(仮名)」

「なにかしら、しんくん(仮名)」

「どうしてなつみ(仮名)は僕が本当は(削除)が(削除)なのに(削除)だったとか、本当は(削除)したいのに(削除)たりとか、普段は(削除)なフリしてるけど(削除)したいとか、(削除)と(削除)に(削除)で(削除)な(削除)を(削除)(削除)(削除)(削除)(削除)ってことがわかるんだい?」

「適当に言っただけよ、しんくん(仮名)。あなたは本当に(削除)が(削除)なのに(削除)だったとか、本当は(削除)したいのに(削除)たりとか、普段は(削除)なフリしてるけど(削除)したいとか、(削除)と(削除)に(削除)で(削除)な(削除)を(削除)(削除)(削除)(削除)(削除)ってことを考えてたの?」

「ああ、それどころか(削除)を(削除)じゃ飽き足らなくて(削除)とか(削除)とか(削除)たりとか、その上(削除)(削除)で(削除)(削除)な(削除)が(削除)(削除)(削除)を(削除)(削除)(削除)、更に(削除)(削除)(削除)な(削除)を(削除)に(削除)、(削除)な(削除)は(削除)して(削除)して(削除)(削除)して(削除)(削除)してついには(削除)(削除)(削除)みたいなことまで考えてたよ。もちろんその後(削除)(削除)を(削除)するし、(削除)なら(削除)して(削じょがはっ!!」

僕は君の渾身の右ストレートを顔面に喰らって床に崩れ落ちた。

「そこまで聞いてないわよ、しんくん(仮名)」

君はそう言い放つと、何事もなかったように「なかよし」の今月号を開いた。

薄れてゆく意識の中で、ああやっぱりなつみ(仮名)は僕のことをよくわかってくれているなあと、僕は感心していた。


それが君をあれほど追い詰めていたなんて、あの頃の僕には思いもよらなかったんだ。
そう、君が突然僕の前から姿を消すまでは。


2002年02月23日(土) 過ぎたこと

知らないうちに恨んでいる。

許してあげたつもりだったのに。


許す、なんて言ってるうちは許しちゃいないんだろうけどね。





2002年02月22日(金) 別れの情景

君は、こころで笑いながら僕にとどめを刺した。


結局のところ君は、自分が寄りかかるために僕を立ち直らせてくれていた。
あなたがしゃんとしていないと、私が寄りかかるところがないじゃないの。

僕が君を支えるために、どれだけ自分を磨り減らしていたか君にわかるかい?
それがつらくてつらくて、一人で涙を流していたのを知っているのかい?

必要がないのなら、そう言って冷たく突き放せば良かったのに。
君の安寧は、僕が君を必要としていることによってのみ存在していた。
だからこそ、僕を飼い殺しにしていたんだろう?


君は自分の場所を一人で見つけて、それから僕に別れを告げた。
ただ言い訳を探すように、何でもないひとことを致命傷に仕立てた。

あなたのやり方で私をつなぎ止められると思ってたの?
あなたは私をわかってないわ。
だから一緒にはいられない。
それに私には、もう次の場所があるの。

ごめんなさい、私は待てなかったわ。
あなたを待てなかった。

そう言って君は涙を零して、自分の罪悪感も一緒に洗い流した。
あなたは悪くないわ、ただ私が待てなかったのよ。
さっきは僕のせいだと言っておきながら。

そうやって僕の気持ちを宙ぶらりんにしたまま、君は去った。


僕はただ、
僕が君にそうしたように、
何も聞かずに、僕を抱きしめて、
大丈夫だよって言って欲しかったんだ。

なんの根拠もなくても、
私がいるから、ずっとそばにいるから大丈夫だよって。


約束と理由なんてものが、君にはそんなに大事だったなんて。
そんなことは一度も言わなかったじゃない。
言葉にしないと伝わらないことがいっぱいあるわ。
君はいつもそう僕に言っていたじゃない。

僕はむしろ呆気に取られて、君を見送るだけで。
最後まで傷付いたフリを忘れない君を、見送るだけで。


君は、寒さから身を守るために厚いコートが欲しかったんだ。
ほつれた糸を繕いながら、君は僕に隠れた。
春を見つけた君に、必要のない僕は脱ぎ捨てられる。

僕は精一杯君を包んでいるつもりだったけど、
そうだよね、所詮コートは着る人を選べない。
季節が変わるように、君が移ろっただけ。



想いとか、誇りとか、痛みさえ君は僕から奪った。
僕は、抜け殻。

そこから奪える全てのものを奪って、君は去った。

2002年02月21日(木) 言葉の不確定性

2月19日の日記を読み返して思ったことだけど。

僕の思考はやっぱり、不確定性に支配されているらしい。
とてもハイゼンベルグ的なことを言っている。

僕は常々、言葉というのは量子的な多重性(*)と不確定性を持っていると思っていた。
頭の中にあるのはあくまでも「イメージ」であって、思考過程において言語的な認識が為されているとは僕には思えない。それが言語化(具現化)されるにあたり、そのイメージに「焦点」を当ててしまうと「波動関数が消滅」してしまう。実在の形が確定されてしまうのだ。そしてその実在は、元の「イメージ」の「一側面」でしかない。

だから僕は、実は「イメージの言語化」に恐怖していた。
ココロの欠損を埋めるために感情を放出しようとしても、そのために言葉という手段を借りることは僕にとっては危険なことだった。

もともとネガティブな思考回路を持つ僕は、言語化する際の焦点がどうしても「負」のモードになってしまう。そこから連鎖的に生まれる言語化の流れは、とてつもないマイナス思考の無限ループ。不安、恐怖、絶望、羞恥、後悔、劣等。そこに陥ってしまうと抜け出せない。

だから僕は、おそらく無意識のうちに、イメージをイメージのまま放出する術を探していた。そして「音」を見つけた。(これについてはいずれ書くことになるだろう)

そうして「言葉」からしばらく遠ざかっていたのに、何故かまた今こうして言葉を綴っている。
以前よりは自分を客観視できるようになったということもあるだろうし、生活に若干ゆとりができたせいで考える時間が増えたということもあるだろう。でも、一番大きな原因は「吹っ切れた」ということだ。

ひととひととのつながりの中で、何かが変わってきた。閉じた世界で鬱々とこねくり回していた理屈が、現実の中に晒されて止揚されたのだろうか。環境がここ数年目まぐるしく変わり、それが僕にとってはとてもいい方向に働いたようだ。

こうして変化し続けていたい。外殻は移ろっても、自己という構造を「進化させつつ保持できる」実存でありたい。それは「受け入れる」ということなのだろう。

不確かなものは不確かでいい。そこにあることを知っているなら。
そして、「受け入れる」ことの一つとして「観測して具現化する」ことが必要なら、それをも受け入れたい。

僕の彼女との関係は、現実の中での実存を他者との関係性に見いだす上で重要だ。相反する感情が交錯することもある。愛情っていうものの定義なんて誰にもわからないから、それすら自分たちの中に構築していかなければならない。そしてその過程全てが、僕の構造になっていくのだ。そのいびつな道筋を手探りで辿るためにも、例えそれがほんの部分に過ぎなくても「残す」必要があると思った。

その一環として、2月19日の日記はある。
書くときには何も考えずに、思いつくことをそのまま書いたのだが、読み返してみて、やっぱり自分にはこういう思考をする癖があるんだな、と納得してしまった。


なんとも支離滅裂な文章になってしまった。
でも自分の中では、勝手に満足しているのでよしとしよう。



*厳密に量子力学を論じるならばこれは波動・粒子の「二重性」なのだが、対象が言葉なので敢えて「多重性」とした。ご容赦を。

2002年02月20日(水) 想い出と呼ぶには

遂げられずに終わったことは、何故かいつまでも、

汚されることなくここにあり続ける。



2002年02月19日(火) 気持ちの在処

好きな気持ちって、どこにあるんだろう?

僕は君が好きだと思ってるけど、君は本当に僕が好き?

君の過去、
僕の過去、

僕らはお互いにどれくらいのことを知ってるの?


一緒にいることで見えなくなってしまうものがいっぱいあって、
僕はそれが恐いんだ。

近づけば近づくほど、
君のことがわからなくなってしまいそうで。


それに目をつぶって、幸せだと囁けば、
何もかも溶けてなくなってしまうのかな。


疑えば壊してしまうし、
信じれば壊れてしまう。



僕にとって君の存在は、そんな風に曖昧。
だけど一つだけ確かなこと、


僕には君が必要。






2002年02月18日(月) 僕の好きなあのひとは

ばあちゃんが死んだ、って聞いたのは、おふくろからの午前5時の電話でだった。
霊感の強いおふくろは、例によって何か嫌な予感がしたらしいけど。

僕は急いで飛行機のチケットを取って、つい2週間前に「何かあったら困るでしょ?」と言っておふくろが買ってくれたフォーマルと黒いネクタイをクローゼットから取り出した。

おふくろの霊感も大したものだ。
そう思いながら、空港行きのバス停へと急いだ。


ばあちゃんは、僕にはいつもやさしかった。
少ない年金からいつも小遣いをくれようとして、欲しいものは何だ、と何度も何度も聞いた。あまり何度も聞かれるので、逆に僕は答えにくくなってしまったけど。

僕がものごころつく頃には、もう腰も曲がっていたし、目も相当悪く、耳も遠くなっていた。それでも明治生まれの女性というのはとにかく丈夫にできているらしく、病気らしい病気はほとんどしなかった。

一年のうち、3ヶ月から半年は我が家で過ごしていた。僕はばあちゃんが来るのがすごく嬉しかった。親父は末っ子だったけど、その割にはあまりばあちゃんに甘えたりせずに育ったらしい。兄弟が多かったこと、そして畑仕事があまりにも忙しくて時間がなかったというのがホントのところだろう。それについては、おふくろが少しだけ話してくれたことがあったけど、親父は家族のことをほとんど話さなかった。あまり居心地のいい場所じゃなかったみたいだ。

とにかく、ばあちゃんは苦労人だった。
最初に結婚した人とは2人の子供を設けたが、死別。その弟とその後再婚。つまりそれが僕のじいちゃんだ。じいちゃんとの間には4人の子供がいて、その一番下が親父だ。

じいちゃんは何と言っても、働かない人だったらしい。
いつも本を読んでいたり、何か書き物をしていたり。
インテリだったそうだが、ばあちゃんにしてみたら全ての仕事を一人で請け負っていたわけだからさぞつらかったろう。朝から晩まで、泥だらけになりながら畑に出ていた。春も、夏も、秋も。

それでも4人の子供を育て上げ、隠居したはいいが今度は居場所がない。親戚の間をたらい回し。自分たちをここまで育てたのは他ならぬばあちゃんなのに、一体どういうことだ。

親父だけが、いつも何も言わずばあちゃんを受け入れた。
そしておふくろが、一生懸命世話をした。
4人子供がいるにも関わらず我が家にいる期間が長かったのは、他の子供たちがばあちゃんを家に置きたがらないからだと知ったのはずいぶんと後のことだ。
いつのまにかばあちゃんは、実の子供たちよりもおふくろを頼るようになっていた。

「ここにいるときがいーちばん落ち着くねえ」

ばあちゃんは口癖のように言っていた。
苦労して苦労して、ようやくたどり着いたその場所は、血のつながっていないおふくろのぬくもりだった。

耳が聞こえなくなって、どんどんぼけていくじいちゃんを見ながら、ばあちゃんが言ったことがある。

「あたしゃあねえ、この手のかかるじいさんが死んだらゆーっくり暮らすの。」

じいちゃんは耳が聞こえないから、当然わからない。
なんだか自分の話をしてるらしいぞ、というふうに、にこーっと笑っていた。
なんとなくかわいそうな気もしたが、ばあちゃんの気持ちは痛いくらいわかった。


そんなばあちゃんが倒れた。

ある日の早朝、トイレに行った帰りにめまいがして転び、柱に頭をぶつけた。
おふくろがその音に驚いて飛び起きて、こぶができたばあちゃんの頭をさすっていた。

そしてその日の昼間、意識がなくなった。

それは頭をぶつけたせいではなくて、そのめまいそのものが脳血栓によるものだった。
長いこと意識は戻らず、それっきり、僕の大好きだったばあちゃんはどこかに行ってしまったんだ。

ようやく目を覚ましたばあちゃんは、少女になっていた。
記憶がないのだ。苦労して苦労して苦労した時代の、記憶が。
ばあちゃんは、自分が一番幸せだった時代の記憶だけを残して、あとの全てを消し去ってしまった。

それは、まだばあちゃんがおそらく20才前。結婚する少し前だろう、とみんなが話していた。親父の顔を見て、「兄さん」と呼びかけていた。あんなに頼っていたおふくろの顔を見ても、訝しげに「どちらさまですか・・・」と言う。
あの時のおふくろの寂しそうな顔が、忘れられない。

当然、僕たちの顔を見てもわからない。
ただ一つ、ばあちゃんが自分で付けた僕の姉の名前を除いては。
余程嬉しかったのだろうな、と思う。本人のことはわからなくても、その名前だけはばあちゃんは消さなかったのだ。

ばあちゃんの「幸せだった時間」に、僕といた時間は入っていなかったんだろうか。
それが、悔しくもあり、哀しくもあった。

その後ばあちゃんは一度我が家に引き取られたが、やはり在宅介護は当時パートで働いていたおふくろに負担がかかりすぎ、結局札幌の老人病院に入院することになった。
おふくろは1年に3,4度は札幌まで足を運び、ばあちゃんを見舞った。
僕はと言えば、僅かに2回くらい会いに行った程度だった。
ばあちゃんに会うのがつらかった。

僕の好きだった、そして僕を好きだったばあちゃんは、あの時記憶と共に死んでしまったのだ。僕はそう思っていた。

ばあちゃんが倒れて以来、じいちゃんは急速に痴呆が進んだ。
体も弱った。
そしてある秋の日、風邪をこじらして肺炎であっけなく死んでしまった。

親父は涙一つ流さなかった。

そして、それぞれがそれぞれに忙しい日々を過ごす中で、少しずつばあちゃんのことを思い出すことも少なくなってしまっていた。たまにおふくろから、見舞いに行った時の話を聞く程度だった。


もう何年会っていないだろう。
おそらく、7,8年になるだろうか。

飛行機は、まだ風の冷たい北の街に着いた。
霧雨がそぼ降る中、斎場に向かう。

遺族の控えの間。
扉を開けると、ずいぶん長いこと会っていなかった親戚の顔が目にはいる。
みんな年を取っていた。

僕はそんな懐かしい顔を眺めながら、知らないうちにずいぶんと時間が過ぎていることに改めて気付いた。そして、ばあちゃんを忘れかけていた薄情な自分にも。


一番奥に、ばあちゃんが眠っていた。

「顔、見るかい?」

おふくろが言う。

「うん。」

と僕は答える。

ばあちゃんの顔にかかった白い布を、おふくろがそおっと外す。


とても安らかな顔だった。

もう何年も見ていないばあちゃんの顔。
きっと、とても年を取ってしまっているのだろうな、と思っていたけど。


僕の好きだった、あの頃のばあちゃんの顔に、戻っていた。

「ねえ、いい顔してるんだわ・・・」
おふくろが涙をこらえながら言う。


やっと時間がつながった気がした。
不思議と、悲しくはなかった。
自分勝手だとは思ったけれど、僕の中では、ばあちゃんはあの頃のままで止まっていて、今こうしてそのままの姿で僕の前にいた。

声には出さなかったけど、僕はそっと呟いた。



おかえり。おつかれさま。






出棺の時、親父が泣いていたような気がする。記憶が確かではないのだけれど。
きっと誰よりもばあちゃんに感謝していたであろう親父にとって、ばあちゃんの死はとてもとても重いものだったと思う。



そしてこの涙は、僕にとって初めて見る親父の涙でもあった。

2002年02月17日(日) 続けること

自由に書こうって考えてたのに、なんだかそれがとても難しくなっちゃった。
何ていうか、プライベートなことを伏せながら書こうとすると、結局は自分に制限がかかっちゃうんだよね。
何もかも晒け出して書くのはちょっと気が引けるし、じゃあどうするかっていうと脚色することになる。
うまくぼかして、直接的な表現を避けて・・・

そうやって考えちゃうから自由じゃなくなる。
なんだか振り出しに戻ってるな。

でも、よくよく考えれば当たり前のことなんだけど、プライベートなことじゃないとココロはそんなに動かない。書こうと思うほどの気持ちの動きは、とてもプライベートな、ココロの核心に触れてしまう。
それを晒け出そうとすれば、自然と抵抗が生まれる。

ああ、自由にはなれない。

それでも書かずにはいられないから、こうして書いている。
こうやって書いていること自体が既に袋小路なんだな。

表現しようとする人間は常に、その選択を迫られているのかも。
何もかもを晒け出してしまえば、衝動に身を任せて思いを放出できる。
でも、それはとても危険だし、第一自分を削ることになるわけだからいずれやせ細って、使い果たされてしまう。そしていずれきっと、ネタのために自分を動かさなきゃならなくなる。それは本末転倒。瞬発力はあるんだろうけど、続かない。

かといって制限を付ければ、まず衝動に任せてコトバを吐き出すことができなくなる。
どこかでブレーキをかけながら、客観的に自分を眺めながら、コトバを紡いでいく。
そしてどこか素直じゃない、色つきの虚飾がついてまわる。

でも僕は、やっぱり制限付きの表現を選ぶと思う。
いつも「もっとできるはずだ」と思いながら、制限と感情の高揚の狭間で揺さぶられている方が僕らしい。

僕のポリシーとして、「続けていく」ことがある。
僕は終わりが恐い。
何かを終えることが、とても切なくて悲しい。
だから、続けていたい。

書くことも、コトバを紡ぐことも、考えること自体も、ずっと続けていくことに意味があると思ってる。
続け続けることが、目標であり夢でもある。そして、永遠に達成されないからこそ価値がある。

いつも追い続けていられることはシアワセだ。
前にも書いたけど、追いつ追われつの、収束しないスラップスティックを繰り返す。
その中で、少しずつ自分なりの「何か」が生まれてくればそれでいい。

2002年02月16日(土)

あなたは幸せですか?
こんな息子を持って、本当に幸せですか?

僕が知る由もないあなたの人生は、どんなものだったのですか。
僕はあなたの人生のほとんどを、実は知らないのですよね。

まだ僕は、自分のことだけで精一杯です。
あなたのために何ができるのか、わからずにいます。

せめて、声を聞かせてあげることくらいは惜しまずに。
そんなことであなたが、ほんの少しでも幸せになれるのなら。


また、電話します。

どうか、どうか元気で。






2002年02月15日(金) 夢を見た

恐い夢を見たんです。

君が、いなくなってしまう夢を。

真っ暗で、手を伸ばしても何もつかめない。

歩き出そうとしても足が重くて、

耳を澄ましても何も聞こえなくて。

ただ、

恐くて恐くて、

泣きそうになって、

「これはきっと夢なんだ、そうなんだ」って

自分に言い聞かせて。

ひたすら目が覚めるように祈っても、

意識はどんどんはっきりしてきて、

どうにも取り返しがつかないことばかりが

こころに浮かんでくるんです。

どうして、

あのとき、

ぼくは。

君の手を離してしまったのかと。

あの時感じたほんの少しの不安が、

今、こんなに大きくなってぼくを飲み込もうとしてる。

あがいてあがいて、

一体どれくらいの時間が経ったのかわからない。

苦しくて苦しくて、

後悔に焼かれて、

胸をかきむしって。



ふと、

目が覚めて。

一瞬、何が現実で何が夢なのかわからなくなって。

そして、君が僕の隣で、いつものように、

やすらかに寝息を立てて、

しあわせそうに眠っていることに気がついて、

やっとあれが夢だったことに気がついたんです。



ああ、

どうか、

この安らぎがずっと、

ずっとずっとずっと

この先も、

続いてゆきますように。

そっとそう呟いたら、

何故か泣きそうになりました。

そんなことをもう何度繰り返したことか。

ただぼくは、

もうなにも

これ以上、

失いたくないのです。


君だけは、

君だけは、

いつまでも、

ぼくのそばに。


そしてぼくは、そっと君を抱き寄せて、

眠っている君の頬に、

やさしく、

愛おしむように、

キスを





しようとしたら、

「いやー!!」

って寝ぼけた君は突然叫んで

ぼくを払いのけました。くすん。

2002年02月14日(木) 自分の時間軸

ばれんたいんでーとかいうやつみたいです、今日は。
でもそれに言及するべきかどうかって結構迷ったけど。


僕にとっては、妹の誕生日っていう印象の方が強いんだよな。
いや、それは言い訳でバレンタインのイベントに縁がなかったからだとか、そういうもっともらしいことはおいといて。<図星

この日に限らず、なんというか「作られた」イベントにみんなが乗っかってお祭り騒ぎになることって結構多いんだよね。クリスマスだってある意味そうだし、ひなまつりとか七夕とか、正月ですらそうだよね。
時間はただ普通に、いつもと変わらず流れ続けているだけなのに、人のココロだけがいつもと違う。それが「ただの一日」を「特別な一日」に変えたりする。これも宗教や国家っていうシステムに似た共同幻想の一種なのかな。まあ、でもそういう「約束事」が社会を作ってるんだからもちろん否定はしないけど。

何事もなく過ごそうと思えばそれは簡単で、ただいつものようにやればいいわけで。
普通に起きて仕事して、普通にゴハン食べて、普通に寝る。それで終わり。


最近はそれでいいような気もしてきた。
正月も働いてたし。そもそも週末とかいう概念もないし。<うわー淋しい


意味を作るのは自分。
世間の流れに乗っかって一緒にハレを迎えるのもよし。
自分の定義でやり過ごすのもよし。

だから僕のイベントは、僕の時間軸で起こるんだ。
実を言うと、僕のバレンタインは先週、一足先に終わってるのです。




彼女が来てくれたときにね。ふふふ。

2002年02月13日(水) 追いつ追われつ

トムとジェリーを見ていて思ったんだけどさ。


昔はジェリーが好きだったんだよね。賢くて、余裕でトムのアホな攻撃をかわしてせせら笑う。「頭の良さ」に憧れてたのかなあ。

今はトムの方が好きだなあ。人間らしくて。<ネコだってば
ネズミや鳥を本気で食べようとするその姿は、実際のネコを想像すると本能そのものである意味グロテスクですらあるけど。


こいつらはいつまでも、追っかけて追っかけられてしてる。
でもそれって、よくよく考えれば当たり前の構図。


ネコがネズミを追うっていう事実がある時点で、この設定はもうどうしようもなく決定してるわけだな。
トムがジェリーを捕まえて、ホントに食べちゃったらそこで話が終わるもんね。

サザエさんが年を取って老衰で死んじゃうことが決してないのと同じで。

ふーじこちゃ〜んが何十年経ってもダイナマイトバデイなのといっしょで。

のび太くんが365話以上のエピソードを経ても進級しないのと同じで。


永遠のマンネリ。でもだからこそ、愛すべき存在。
何か普遍的なことって、つまりは「飽きないマンネリ」なんだよなあ。

結局は、それこそが何かを続けていく秘訣なのかも。
関係性の中に「永遠のマンネリ」を定義して、そこから逸脱しないように繰り返すこと。


変化っていうのは何かを捨てて生まれることもあるけど、絶対的な基礎があってこそその上で自由に遊べるとも言える。そういう形の変化を常に続けていければ、きっといつまでも、いつまでも一緒にいられると思わない?



永遠に収束しない関係性の真実。
それって、つまるところ「お約束」なのかもね。





2002年02月12日(火) escape

いろいろ理屈をつけて僕らの世界から逃げ出したあんたが、何を今更そんなに偉そうなことを言ってるんだか。もう世の中を知り尽くしたつもり?いい加減にしてくれないかな。

自分だけは安全なところに隠れて、物陰から石ころを投げつけるような卑怯なことをあんたは「正論だから」と正当化する。でもね、僕から見ればその正論が空回りしてるんだよ。だってあんたはあんたの言うようにできてないんだもの。それってつまりは、自分が届かなかったモノに対しての負け惜しみじゃないの?

自分はここのやり方では成功しなかった。それは自分のせいじゃなく、環境が悪いからだ。運がなかったからだ。みんなが面倒を見てくれなかったからだ。自分が本当の実力を発揮できる世界はここじゃない。違う世界で自分は成功して、あんたたちを見返してやる。

どう思っても勝手だけど、この世界であんたが成功できなかったのは、単純にあんたが努力しなかったからだよ。そんなこと、みんな気付いてるよ。大体、この世界に入ってきたときだってあんたは「自分は成功できる」って思ってたんじゃないのかい?

成功してる人間はみんな、それなりに努力をしてるんだよ。運とか環境がどうとか言ってるけど、それを努力で補って這い上がってきたヤツもいっぱいいる。あんたはどうした?まわりに愚痴ってただけじゃないの?

そうやって自分以外の人間を見下しながら生きていくのは楽しいかい?
誰も尊敬できず、自分より劣った人間に囲まれて得る優越感に価値があるかい?

くだらないね。
ほんとにくだらない。

こうやってあんたに対してコトバを吐き出すことすらくだらないよ。



まるで鏡を見てるみたいで。

2002年02月11日(月) キッチン・その後

もう数日、食器を洗ってない。
なのにあんまり困らない。

スプーンもフォークもまだあるし、
皿もカップも足りてる。

あれ?
なんでだろ?


あ、そうか。

君が帰ったからだ。





2002年02月10日(日) 水を一杯

「水を一杯、飲ませてくれませんか」
ボロ布を纏った男はそう言って帽子を取ると、女を見つめた。

「水、ですか」
シケモクを銜えた女は、低い塀の向こうで面倒臭そうに呟くと、無精髭に覆われた男の顔をまじまじと見つめた。
「そう、水、です、喉が渇いているのです、もうからからに」

「なぜですか」女は訊ねた。
「なぜ、私はあんたに一杯の貴重な水を施さなくてはならないのですかね」

「水が貴重なことは」男は答えた。
「重々承知しているのです。しかし、私は喉が渇いていて、もう死にそうなのです。そこであなたの家を見つけた。だからこうして頼んでいるのですが」

女は煙草に火を点けると、ふううっとゆっくり上に向けて紫煙を吹き出した。
片手に持ったウオッカの瓶を、ほらほらほらと呷ったかと思うと、簡単に一瓶が空になった。

「こんなご時世ではねえ」
女はここでげふうっと大きなげっぷをし、更に続けた。
「親切は命取りなのさ。ただ一杯の水をあんたに施したところで、私に何か見返りでもあるというのかい。あんたはその一杯の水に一体いくら払うことができるのかねえ」

さらさらと乾いた風が吹いた。男は呆れたように言った。
「あなたは見返りを求めるというのですか。この見るからに哀れな男に対して、たった一杯の水すら恵むことができない、と」
「あんたにそんなことで私を責める資格があるのかい。あんたは自分が生きるために必要なものを自分で調達することができないじゃないか。私があんたに施さないからと言って、あんたに責められる覚えはないよ」
女は5本目の煙草に火を点けると、じゅうっと音を立てて一息でそれを灰にした。

「世の中ってのは、何かを手に入れるためには何かを失う必要があるようにできているんじゃないのかい。あんたみたいな腐れた野郎にだって、何か引き替えにできるものが一つくらいあるんだろう?」
女はどこからともなく二本目のウオッカを取り出し、男の方へ向けてコルクの栓をぼんと抜いた。コルク栓は男のおでこにかあん、と派手な音を立てて当たり、仰け反った男の足下にぽてんと落ちた。
「あいたた、ひどいじゃないですか」
「あんたを狙った訳じゃないよ、栓が飛んだ先にたまたまあんたがいただけのことさ」
「だからあなたは悪くないというのですか?」
「ああそうさ、私はワザとやった訳じゃないからねえ」
と言うが早いか、女はごぼりごぼりと二本目のウオッカを空にした。

「一体どうしたら、あなたは私に水を恵んでくれるのですか」
男はおでこにできた痣をさすりながら言った。
「自分で生きるだけでも精一杯なのに、この上他人に何かを恵むほどの余裕なんて持ち合わせちゃいないよ」三本目のウオッカを流し込みながら、女は答えた。
「あなたはそんな風にウオッカを好きなだけ飲めるほどには余裕があるではないですか。そんなあなたが私にたった一杯の水を施すことがどうしてそんなに難しいのですか」

いつの間にか六本目に突入したウオッカが、既に空になろうとしている。
「誰が難しいなんて言ったんだい?私ゃ、そうすることに意味を見いだせないだけだよ。コップ一杯の水を飲ませること自体が難しい訳ないだろう、水なんて腐るほどあるんだから」
女は足下に積もった煙草の山を蹴散らして、67本目の煙草に火を点けた。
「どうしてあんたは、ここ以外で水を手に入れることを考えないんだい」
女の銜えた煙草がじゅうっと音を立て、女は空になったウオッカの瓶を無造作にぽーんと空中高くに放り上げた。
「ですから最初にも言ったように」
そこまで言ったところで、男の頭にウオッカの空瓶が降ってきて、ぐわしゃんと嫌な音を立てて瓶は粉々になった。

「あいたたた、ですから最初にも言ったように、喉が渇いて彷徨っているところにあなたの家を見つけたのです、ですからこうして頼んでいるのです」
男はガラスの破片にまみれて、ところどころから血を滲ませながらそう言った。

「だからそうすることに意味を感じないと言っているでしょう」
女は27本目のウオッカの栓を、またぼんと抜いた。男は咄嗟に飛んでくるコルク栓を避けた。コルク栓は男の真後ろにあった木の幹に当たり、まっすぐに跳ね返って女の額にこおんと当たった。その拍子に女は飲みかけのウオッカを全部、頭から足の先まで丁寧にかぶってしまった。
「ごふっ、なにするんだいこの馬鹿野郎!」
「わざとやった訳じゃありませんよ、跳ね返った先にたまたまあなたがいたんじゃないですか」
「いや違う、あんたは私が水をあげないものだから私を嫌っている。わざとやったんでしょう、正直にお言いなさい。正直に言うなら許してやってもいいわ」
「そんな無茶な話がありますか。私が額に痣を作って、ガラスで血塗れになっているというのに私が悪いと言うのですか」
「たくさん傷ついている人間が必ずしも被害者であるなんていう思いこみが私ゃ大嫌いなのさ。強くなる努力を怠った輩は、その力に応じて野垂れ死ねばいいのさ」
「私にだって生きる権利はあるでしょう、こんな私でもです」
「こんな私だなんて言うだけの頭があるなら、自分一人で生きるために使ったらどうだいこのくそったれ!」

女は男の横っ面を、28本目のまだ中身の入ったウオッカの瓶で張り倒した。
男の頬骨はぐしゃりとおかしな音を立てて砕け、男は地面に叩きつけられた。
男のちょうど頭の位置には握り拳ほどの石が転がっていて、男のこめかみに直撃した。

「ええい、忌々しい。折角の酒が不味くなるじゃないか」
そう吐き捨てて女は93本目の煙草を銜え、マッチを擦った。

その途端、女の身体に染み込んだウオッカに火が移り、女は炎に包まれた。
「うああちちち!おい!こら!お前がやったんだろう!寝てないで火を消せ!おい!」
男はぴくりとも動かない。
女は転げ回りながらひとしきり男を罵ったが、そのうち言葉にならなくなり、ついにはごぼごぼと呻きながらぶすぶすと燻る黒い固まりになった。







2002年02月09日(土) 束の間の

数日出かけていたので、日記の更新も滞ってしまった。

でも、ふとカウンターを見るとほんの少しだけど回ってる。
この日記を見に来てくれている人が何人かはいるんだ。

ありがたいことだ。


出かけていた、というのは、まあ休暇を取って近くの某Big Townに行っていたっていうことなんだけど。ここ数日分の日記もアップするつもりなのですぐにわかると思うが、遠距離恋愛をしている彼女が会いに来てくれた。

彼女も仕事が忙しいのに、何とか休みが取れたようだ。

久しぶりにゆっくり彼女とふたりの時間を過ごして、精神的にすごく落ち着いた。最近仕事の方が殺人的に忙しく、かなり疲れが溜まっていたから、とてもいいタイミングで彼女は来てくれた。

短い休暇も今日で終わり。
また明日からは、現実の時の流れに引き戻される。
でも、がんばれる気がする。

ちょっと今日は、プライベートなことを書いてしまった。

ま、たまにはいいか。


(ちょくちょくとそれを臭わすコトバが僕の日記には出てくるので、気付いた方もいるかも知れないが、僕は今海外に住んでいる。この3月で帰国する予定。)


2002年02月08日(金) 君が帰る

またすぐに会えるから、泣かなくてもいいよ。
忘れたりしないよ。

君の笑顔も、やわらかい身体も、つないだ手のあたたかさも、甘い声も。

大丈夫、今度はずっと一緒にいるから。
もうきっと、絶対に離れたりしないから。

ねえ、

だから待っててね。
すぐに君のところへ帰るよ。

そしたら、君に伝えたいことがあるんだ。
ずっとずっとずっと、君と一緒にいるために、
君に言いたいことがあるんだ。

ねえ、

僕と、

けっk



とか言うくらいの時間くれよ!
いや、空港にもセキュリティとかいろいろとあるのはわかるけどさ。
こっちにだって都合ってものがあるじゃない!ね!?

どうなんだい、見送りの客がゲートの前で門前払いって。
荷物チェックするんだから中に入れてよ。頼むってマジで。



2002年02月07日(木) この場所から見えたもの

「このへんって、ちょっと恐いイメージあったんだけどさ。」

「うん。」

「なんだかお洒落なお店が多いよね。」

「うん。」

「結構落書きとかあって、きっと夜はあんまり良くないと思うけど。」

「うん。」

「このレストランもおいしいよね。」

「うん。」

「でもさ。」

「あの時にはさ。」

「うん。」

「きっと見えたんだよね、ここから。」

「うん。」

「ついこの間なんだよね。」

「うん。」

「きっとこのへんにも、影が届いてたと思うんだ。」

「うん。」

「今は明るいけど。」

「うん。」

「あ、おいしいねこれ。」

「うん。」

「お店の雰囲気もいいし。」

「うん。」

「見えたのかな。」

「うん。」

「だよね。」

「うん。」

「コーヒー飲む?」

「うん。」






2002年02月06日(水) 楽しむこと

僕は時間を使うのがヘタだ。

休みの日があっても、何をしたらいいのかわからない。
逆に、何かしなきゃ!って焦ってるうちに一日が終わっちゃったり。

休みなんだから、休めばいいのにね。
何も考えずに、気楽に過ごせばいいのにね。


というわけで、今日は何をするでもなく、
街中を彼女と二人でぶらぶらと歩いた。

夜のミュージカルの時間まではまだたっぷりあるし、
ウインドウショッピングをして、
コーヒーを飲んで、
本屋で立ち読みをして。


街を吹き抜ける風はとても冷たかったけれど、
つないだ彼女の手はとても温かかった。
こんな時間がなんとなく贅沢な気がする。

そう、このくらいゆっくりと、
たっぷりと時間を取って、

ただ君と二人で過ごすんだ。
それが僕を安らがせてくれるし、
気持ちを楽にしてくれる。



ただこんなに時間に余裕があるのが、

今日行くはずだった美術館の休館日のチェックを僕が怠ったせいだということは考えないことにして。


2002年02月05日(火) キッチン

君とふたりでキッチンに立つ。

僕はオムレツを焼く。

君はコーヒーを入れようとして、コーヒーメーカーの使い方がわからない。

僕が助ける。

君はベーグルを切ろうとするけど、固くて切れない。

僕はレンジで温めることを提案する。

君は大きな冷蔵庫の上のレンジに手が届かない。

僕が助ける。

君はコーヒーカップの在処がわからない。

僕が教える。

君はハムを切る。

僕はオムレツにケチャップをかける。

君が笑う。

僕も笑う。

君はオレンジジュースを注ぐ。

僕はサラダを盛る。

二人でテーブルにつく。

君が笑う。

そして、僕も笑う。



2002年02月04日(月) 君がきた

待つ幸せっていうの、あるよね。

7ヶ月ぶりの君の笑顔は、何一つ変わっていなくて。

あっという間だったって君は言うけど、

それは今、こうやってここにいるから

言えることなんじゃないのかなあ。

少なくとも、

僕にとってはそうなんだけど。



2002年02月03日(日) ジブンガミエナイ

人の振り見て我が振り直せ


とはよく言いますけど。
これって、人の振りを「見る」ことができる人じゃないと意味をなさないんだな、って最近思うのです。

他人が見えないってことは、自分が見えないってことだよね。
客観っていうものを持ってない訳だから、他人から見た自分ってものを意識できないってことだよね。

つまりは、ひとりよがり。


そういうのって子供っぽいと思ってた。
恥ずかしいことなんだと思ってたんだ。

でもね、周りを見てみるとね、
実はすごくたくさんいるんだよね、そういう人。

自分がコドモの時に考えてたオトナになってみて、なんだちっとも変わってないじゃんって思ったようにさ。意外と世の中って、そういう未成熟な要素が満ち満ちてるよね。そりゃあオトナになったって気苦労が絶えないわけだ。年だけは重ねてるからなおさら厄介なわけだ。



なんて。

偉そうなことを言ってる自分自身が、実は一番見えてなかったりして。

そういうことも、よくある。




2002年02月02日(土) えがおについて

ひとはわらいます。


みんなわらいます。


うれしいときとか、

たのしいときとか。

かなしいときにも、

わらったりします。


でも、


どうせわらうなら

しあわせなかおで

わらってください。


わすれたいことや、

つらかったことや、

とどかないものや、

うしなったものや、


せつなくさせたり、

かなしくさせたり、

きみをきずつけた

なにもかもすべて、

ゆるしてください。


きみのえがおは、

ぼくをしあわせにします。


それをまもるために、

ぼくはここにいます。





2002年02月01日(金) 親ってものは

母親から電話が来る。

なんだか嬉しそうなのが受話器から伝わってくる。
確かに話をするのは久しぶりだな、と言っても一月くらいかな。

以前は滅多に電話に出ることのなかった親父までが、わざわざ母親から電話を代わってまで僕と話したがるようになった。
これは何とも言えず、くすぐったい。


二人ともどんどん年を取っていく。

なのに、僕はまだこんなところで、あなたたちに心配をかけてばかり。


それでもあなたたちは、こんな僕を誇りだと言ってくれる。



ああ、

違うんだ。


僕こそ、あなたたちを誇りに思ってる。
僕こそ、あなたたちに感謝しなければ。

あなたたちに何もしてあげられないのに、素直に「ありがとう」さえ言えない。


こんな僕が誇りですか?

こんな僕なのに、どうしてそこまで愛せるのですか?


親だからですか?

僕も親になったら、わかるのですか。

あなたたちのような、大きな大きな、無償の愛情を持てるのですか。


わからなくて、
わからないからこそ、

あなたたちに恥じない生き方をしようと思うんです。




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しんMAIL

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